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人をのむ呪い  作者: あむろ さく
最終幕 『第九番目のキセキ』
39/54

ディレイアクション

 




「やはり仕込みか」


 背後と前方やや足元。 

 二つ同時に生じた歪みが膨れ上がり、未羽の方へ覆いかぶさろうとする。


「呪いよ! のみ込めッ!」

「最期が二番煎じの芸とは、冴えがなかったな紙谷リョウジ」


 未羽は振り返りもしない。ただ哀れむように紙谷さんを眺めている。

 首を伝う夜空の幾筋かが輝き、反発する磁石みたいに歪みの周りを流れた。

 やや間があって、歪みはみるみる動きを鈍らせ、安定していく。 


「心も覗いた通り小細工なし。もう削れる精神の限界も近いのか。ここ一番、可能な限り展開し尽くす場面だろうからな。二つしか出せない。追撃を繰り出す様子もない……つまり」

「ああ、もう打ち止めだ。例え《歪み》を作れたとしても……次は維持するまでが無理だ」


 《嘘はついていない》

 すでに……いや、ずっと前からギリギリの状態だったらしい。

 目に見える濃い疲労が、汗に滲んだ顔に出ている。


「結局あがいても、この結末か。意味がなかったな」


 そう言って未羽が手をぐっと握りしめると、

 背後と足元のゆらぎは周囲の空気を巻き込んで――


「いや意味はあるさ。俺を注意深く、心を覗こうとしなくなるって意味がよ」


 ……音もなく、床に開いたままの日記がめくれていった。

 やがて近くで破裂したゆらぎへと浮かび、吸い込まれていく。

 舞台に生じた風とともに。


「まさかッ!? 本当の狙いは!?」

「最初ッから日記だよ。そこまで覗かれちゃ流石に不味かったがね。俺の感情を愉しむよりも、思考を暴くことに熱心なりゃあなァ……冴えなかったのはアンタだよ」

「させないッ!」


 紙谷さんの言葉を待たず、未羽は夜空を低く飛ばした。

 ゆらぎが消えゆく前に夜空は日記の端を捉え、空中に弾いた。

 ……紙谷さんの方へ。


「てめえは未羽という身体を捨てなけりゃ檻には戻れない。それとも……ここに留まり、その《かいぶつ》を捨てるか? どちらに転んでも一矢報いてやれるが、まァどっちも嫌だよな? だから、なりふり構わず日記を守るしかない。てめえにはそれしか出来ねえんだ」

「……くっ、でも日記は渡さ――」

「油断もするし、焦りもする。《心を覗く》余裕もないくらいだろ? 願いを叶える精神構造ってのは大変だな。人間、俺達もそうなんだが」


 《嘘をついている》

 紙谷さんは 日記に執着していない。

 最初から狙いは変わっていない!


「うっ……ああ!?」

「ついに! 《歪み》に触れたなッ黒いの! ようやく捕まえたぜ!」


 紙谷さんの手が強く握りしめられる。

 すると消える寸前の《歪み》が形を取り戻し、日記を弾いた夜空を急激に巻き込んでいく。

 薄っぺらい幕のようだった夜空はたちまち柔らかさを無くし、繋がった未羽の顔や首まで、凍り付くというか、糊付けがあっという間に乾くみたいにパキパキと固まった。


「ほんの少しの間、綱引きでもしてるんだな」

「……くっ! おおおオオオオオォ!」


 未羽は叫んだ。

 《歪み》と夜空との対抗の為ではなかった。その背後。操っていた夜空が機能を失って、もう一つの《歪み》がすぐそばまで迫っていたからだ。食い止めているが、完全に接触するのに時間はあまり掛からないだろう。

 

「二匹の《かいぶつ》……未羽の方はともかく、でかい方が消滅するまで、俺が持つかねェ」


 油断なく、紙谷さんは未羽とかいぶつを視界に入れている。

 日記は放物線を描いて、紙谷さんのすぐ横に落ちていた。

 

 私の右手が、ぴんと前へと伸びた。

 動かなかった身体が動いている……私の意志とは関係なく。 

 手のひらを紙谷さんの方に向けている。

 

 そよ風が吹く。

 同時に私の手から、黒い紐が何本も伸びた。

 

 近くにあった《歪み》が破裂して……消えた。

 未羽が対抗に負けて、引きずり込まれたんじゃない。

 私の影みたいなものが勝手にそれをした。

 

 紙谷さんの決断は速かった。

 こっちの方に振り向きながら、身を躱す。

 同時にもう一度、風が吹く。


 さっきのそよ風と違って妙に生暖かい……

 まるで、首筋に誰かの吐息がかかったみたいな。 

 紙谷さんの右手が赤く引き裂かれた。

 手首辺りから血が噴き出していて、そのにおいを運んでくる。


「おいひなッ! 違う。そこまでの傷じゃねえよ、軽い……何だよクソ……!」


 《嘘をついている》

 思わず気を失いそうになるほどのショックを受けている。

 紙谷さんは私に痛みを伝えないために、わざとそう言っている。


 ――私が《歪み》を破壊し、紙谷さんを傷付けたんだ。

 遅れてじわじわと滲むように、私の精神へ痛みが伝わっていった。

 







 ぎぎぎぎギッ。ギチッ。







 血のしぶきが、雨粒に濡れた傘を開くみたいに飛び散っている。

 紙谷さんは声を出さず、右の手首を左手で押えたまま、何も言わない。

 私の中で、その光景に耐える歯車が静かに悲鳴を上げていた。


 痛みは呪いによる感覚の欠落で、ごまかすことはできる。

 ……できるけど、それを動揺せずにいられる精神力があってこそだ。

 あんなに血が出て、平常心のままでいられる人間がいるだろうか?

 たぶん紙谷さんは、私に心配をかけないつもりで軽い傷だって嘘をついた……血だらけでよく見えないけど、指が数本なくなったか、手首を深く切ったかってくらいの激しい出血だ。


 私は出血が徐々に緩やかになり、ぼたぼたと滴るくらいになっていく様子をずっと見ていたが、紙谷さんはあえて胸を張るように舞台上の照明を眺めて、ひと息ついた。


 汗をかくほど息が乱れても、傷付けられた痛みに対する怒りや憎しみなどは感じられない。

 遠くを見る表情は、彷徨わずに一点に定まっていて、

 自らの目標を、希望を、目指しているかのような……決意の固まった目だ。


「悪いことは……重なるモンだがな……《まだ何とかなるぜ?》」

「《そう思えるのか》強がりじゃなく。ならキミは、願いを叶える為に乗り越えなければならない障害ってわけだ」


 未羽は先ほどと変わらない立ち位置にいる。

 柔らかさを取り戻した夜空と顔の塊は、何となく悲しそうに思えたが、すぐに苦悶の表情を浮かべた。


「ううう痛い。痛いよ。……髪の毛を数本、引き抜かれた気分だ」

「よく言うぜ。ひなにも、かいぶつの部品を組み込んでたのか?」

「それはちょっと違うなァ」

「……ウ?」


 一瞬、息がつまった。

 雰囲気にのまれたんじゃない。

 う、動けない。手も、身体も。

 なんで? 金縛り? みたいにぜんぜん動かせない。


 さっきつぐみが《しるし》に囚われたみたいに、

 魂ごと掴まれてる、ような。


 同時に、突き刺さるくらい鋭い視線を背後から感じた。

 誰かが私を見ている。

 すぐ後ろ……立ち位置が変わっていないなら、きっと松木さんだ。

 松木さんは、いままでずっと《かいぶつ》の方を向いていた。

 今もそのはずだ。

 それが、松木さんの役割で、それを完全に果たしてるんだ。と思っていた。


 でも、なんで今は私を? 

 く、首をよじることも無理だ。

 私という部品を何もかも取りこぼして動けない、とかって感覚じゃない。

 あれは……二度と体験したくないがはっきりと違う。


 私というカタチが軋んで砕けてしまうような……

 何かの力に、単純に抑えつけられている!

 動かせない。さっきまでは出来てたのに。

 分からないうちに、私の中で何かが変わって、何が……

 

 《今度こそ……殺してやる》


 ああ、やっぱり松木さんだ。

 松木さんの心。

 ……何度も触れ合って、何度か覗いていたから分かる。

 でも……


 なぜ顔を合わせずに、いま分かったんだろう?

 後ろに目があるみたいに。

 心の声と、その場所までハッキリ読み取れる。


 《バケモンは……今度こそ……》


 私の背中に、何かが張り付いている。

 後ろの目が、松木さんを見ている。

 前後を同時に把握しても、あの巨大なかいぶつの姿が無い。

 まるで……もう一人私がいるように、

 《薄っぺらな私が、背中にぴったりと張り付いている》


「マツキさん、紙谷さん。私の身体おかしいです……ど、どうなってますか? 大きなかいぶつは今どこに?」

「くそが……待ってろひな。やるしかねェぞ、アキラ!」

「助かったよ。やっと鎖は断ち切れたようだね?」

「……」


 おかしいな。

 今自分の思ったことが、あんまり的外れじゃない……

 不思議な確信だってあるのに、少しも嫌な気がしない。






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