第65話 理解しなければならなかったのは
戦闘に参加する予定のなかったリーフェルトには知らされていなかった作戦―――。
修学旅行期間中。陽人と歩花の代わりに街を守っていた勇治郎のパートナー、ヴェルナーがパンジーの首の後ろに残した青い印。
退魔道具の手袋を使用し敵に付着させることを目的に作られたその青いインクは、無論ただの塗料などではない。
退魔道具には、同業の退魔師が自らの退魔の力を練り込み作り上げたものと、魔女や魔法使いといった人外が自らの魔力を練り込み作り上げたものの二種類がある。
勇治郎たちが所持していた手袋は前者。退魔師の退魔の力がインクと魔の皮膚を繋げる糊となる。
陽人が撃ったボウガンの矢に巻き付けられていた札は、その退魔の力の匂いを狗の祝福と共に記憶させたものであった。
パンジーと歩花が対すること。陽人と歩花が各々別のヴァンパイアと戦うこと。それらは、最初から決まっていたことだった。
別のヴァンパイアと戦っている陽人の近くにパンジーを誘導した歩花が、隙を見て茜が作り出した分身とすり替わる。
その分身にパンジーが気を取られている間、歩花が死角から陽人の聖書の術を完璧に再現した幻覚を見せることで、陽人と戦っているヴァンパイアの動きを止め、その隙に陽人が用意していた狗のボウガンをパンジーに向けて引き金を引く―――。
成功率を高めるため、歩花が作り出した歩花の幻覚というカーテンを隔てて。
茜が義父と共に戦いたいというなら、その気持ちを最優先にするつもりではあったが、
それがもともとの計画だった。
しかし実際に戦ってみると、歩花とパンジーの戦力差は予想以上の開きがあり、
みやびとの二対一でもああまでに苦戦を強いられてしまった。
故に計画は一部変更となり、みやびが唐笠のパワーを使ってパンジーの動きを封じ込めてから、陽人のボウガンで仕留めるはずが、
攻撃を見切られ、みやびは重傷。
幸いセノフォンテからリリアーヌの心の隙を見つけ、そこにつけこみ魅了することに成功したという知らせがすぐに入り、
多少強引ではあったが計画を進めるため歩花が指示を出した。
「見せる幻覚はフローリスにしろ」
カーテン代わりにする自分の幻覚を、パンジーが地に落ちた瞬間に現したとき、同じ種族故にそれが見えていたセノフォンテが横から助言した。
非情を自称しても、義母に愛され育ってきたためか、そういった考え自体をまったく思い浮かべなかった歩花は少し惑いつつも、
セノの言う通りにすぐにパンジーたちの義母であるフローリスへと幻覚を変えた。
強硬した作戦の結果は、予想とは異なり仕留めるまでとはいかずとも、ヴァンパイアの目を潰しただけでも成功といえるかもしれない。
が―――
一人。その光景を前に憤っている者がいた。
ただしその怒りは、誰に対してのものでもない、己への怒り。
師の夫から貰った天狐の札で壊された自分の身体を急速に回復させながら、
唇を赤く濡らしている血を拭うことも忘れるほど急いで現場に戻って来たみやび。
(……パンジーを抑え込むのは、私の役目だったのに)
退魔師―――父母に楽をさせたい一心で自らの特異体質を抑え込むため飛び込んだ世界ではあったが、
彼女なりにプロとしてプライドを持ち、勉学と両立させながら仕事に情熱を注いできた。
(それなのに、このザマは何……?)
退魔の力で呼び寄せた唐笠を握っていない方の手で拳を作り、それを震わせる。
正気を失った、ただごとではないリリアーヌの恐慌の悲鳴は、
リーフェルト、陽人、エリックたちさえも振り返らせ呆然とさせたが、
リリアーヌ以外のすべての時が止まったかのような光景の中。ブーツを鳴らし踏み出したみやびが再び、時を動かした。
―――汚名を返上する機会は、今しかない。
「あぁあああああぁあああ゛!!
わ、たしのぉ!! 目がぁあ!! 顔があ゛あああぁああ!!
あ゛あぁあああああぁああ!!」
赤い涙を抑えられた目からぽたぽたと滴らせ叫ぶ義姉妹を目の前に、呆然としていたパンジーはふと気配を感じ振り返るも、気付くのがあまりに遅すぎた。
目を向けると同時に飛んできたのは、速すぎて無数にも見える拳の嵐。
それらは届く範囲にあるパンジーとリリアーヌたちの顔、身体、羽、脚―――すべてに余すところなく容赦なく降り注ぎ、
まともに呼吸する暇さえも彼女たちに与えない。
みやびに残る、ほとんどの退魔の力を使った唐笠のラッシュ。
その腕は紛い物ではあるが、その拳一つ一つには、千年以上流浪の旅を送り己を鍛え上げてきた友―――唐笠小僧の魂の重みが確かに込められている。
最初のうちは空から見守っていた歩花が我に返るなり、セノの名を呼び大槌を構えみやびと女ヴァンパイアたちのもとへ飛ぶ。
セノも名前を呼ばれてすぐに歩花が考えることに気付き、彼女に続きながら大槌に自分の魔力を込めた。
長かったラッシュがようやく終わり、スローモーションに崩れ落ちていくリリアーヌとパンジーの身体。
しかし二人は膝をつくことさえ許されず、
歩花の大槌がパンジーの身体を、セノの大槌がリリアーヌの身体を、各々渾身の一撃で別方向に殴り飛ばした。
『どんな綺麗ごとを言ったって、女は若さと美しさが全てさ。
そうじゃない女なんて誰も見向きもしないし、馬鹿にされるだけ。
誰を踏みにじってもいい。女であることを何より優先して生きるんだね』
義母、フローリスによる教えが頭の中を回る。
長年かけて教え込まれ、“世の真実”としリリアーヌの中にすっかり根付いたそれは、片目を潰した今の彼女を絶望の底へと突き落とした。
更には大蟻の大槌―――特に成熟した赤目のインキュバスに容赦なく殴り飛ばされ、青目の歩花に攻撃されたパンジーよりも深刻なダメージを受けた彼女は、ただうめき声と共に地を這う。
「……リリさん」
微かに耳に届いた誰かの呟きにのろのろと顔を上げたリリアーヌの目の先には、見るからに質の良さそうな革靴。
いつの間にか、セノに殴り飛ばされた彼女の身体は、近くで戦っていたリーフェルトの足元に転がっていた。
リリアーヌはのそりと痛む全身を引き摺り、
リーフェルトが見守る灰色の瞳の中、良く動かない手で、彼が身に着けているズボンを握った。
「リオン……」
消え入るような掠れた声ではあるが、彼と一緒に街を歩いていたときと同じように、甘い響きのある調子で彼女は彼の名を呼んだ。
「リオン……助けて。
私、このままじゃ殺されちゃうわ……。私……死にたくないの。リオン―――リオン……」
幼女のようにすすり泣きながら、彼女はリーフェルトに縋りつく。
それを遠くから見つめている歩花の眉がこの時わずかにひそめられたが、
リーフェルトがリリアーヌの目線に合わせ膝を地につけた動きを見せたのに、
歩花は唇を引き結び衝動に駆られるのを抑えた。
「……リリさん。一つ、聞いていいですか?」
顔を近づけてきたリーフェルトに最初は嬉しそうな顔をしていたリリアーヌは、
静かな声で問いかけてきた彼に不思議そうな顔をして見つめ返す。
リーフェルトは憐れみの篭もった眼差しを彼女に向けながらも、
リリアーヌに了承を得ることなく尋ねた。
「貴方は。今まで、何人の人間たちの命乞いに耳を貸してきましたか?」
「……え……?」
拍子抜けしたような疑問符が、リリアーヌの唇から零れ落ちる。
そしてリーフェルトが何を言いたいのか、真っ白になりかけた頭でたっぷり時間をかけてから理解するなり、
舌を縺れさせながら「そっ……それは……!!」と言葉を探す。
「確かに、そうだけど……!! で、でもっ、貴方だって、殺されかけたんでしょう!?
じゃあ、私の今の気持ちくらい―――!!」
「それは勿論、わかります。
……そして貴方が、理不尽に奪ってきた人間たちの気持ちも。痛いほどに―――」
「……!!」
「貴方は何故今まで人を殺してきたのかと聞いた僕に、貴方はなんと答えましたか」
「……あ……っ……」
『何故。襲うんですか?』
『何故って、変なことを聞くのね? 君も成熟したヴァンパイアなのに』
『すみません。元人間が人間を襲うなんて、珍しいなって、思って』
『まあ私の理由を述べるなら……健康と美容のため?? かな』
自分がリーフェルトと交わした会話。自分が口にした科白が蘇り、リリアーヌの顔が青ざめていく。
リーフェルトはそんな彼女に対し、言葉を続けた。
「そして、貴方がたのように。人間を心ある者たちとして考えなかった人たちのせいで、一体何人の罪もないヴァンパイアたちが人間に殺されてきたか。
一度でも考えたことがありますか……?」
「で、も……でもねっ? リオン―――」
「『人間とヴァンパイアは相容れない』。『最初から理解し合えない』―――確かに、そうかもしれない。
でも、『だからこそ敵対関係と割り切って危害を加えていい』だなんて、そんなことは間違っています。
貴方がたのように、そんな目的でヴァンパイアを討伐している人間たちも、探せばいるのかもしれない。
だけど中には、平穏な日々をただ送っていただけだったのに、ヴァンパイアに大切な人を奪われ、戦いの道を選んだ人間たちだっている」
リーフェルトは悲しげに目を伏せ、「僕は愚かでした」と悔やむ。
「僕が理解しなければならなかったのは、貴方がたではなかった。
悪意あるヴァンパイアたちが人間たちの中に憎しみを植え付け、その矛先が、罪のない同胞たちを裁く。その連鎖を、まず最初に理解するべきだったのに。
……人間が死んだ数だけ、憎しみを悪戯に増やしてしまった。もっと早く、僕が人間たちに協力していれば―――……」
瞳を持ち上げ、唖然と話を聞いているだけのリリアーヌを、再び視界の中心に定めた後。
リーフェルトははっきりとした口調で、
「リリさん。貴方はもう、救えません」
そう、告げた。
数秒、何を言われたのかわからないような顔をしていたリリアーヌだったが、
徐々にわなわなと唇を震わせ始め、表情は怒りに染まっていく。
「はあぁあああ!? アンタ! 人がしおらしくしてりゃあ一体何様のつもりで―――」
激昂しだしたリリアーヌの科白が、途中で止まった。
否―――強制的に、止められたと言った方が正しい。
「……それが貴様の遺言か」
背後から横に殴りつけられ、コンクリートの上を転がっていくリリアーヌに、冷水を叩きつけるような歩花の声が降る。
そんな恋人にリーフェルトは「辰弥」と名を呼び
「殺さないでおいてくれるかな。
できればヴァンパイアの法のもとで、罰を与えたい」
「……了解した」
大槌を掲げ駆けだす歩花。
折れた脚で逃げ出そうとするも上手く立ち上がれず、混乱した頭で足掻いていたリリアーヌは、
ふと塵化し逃げ出せばいいのだと思い付いた瞬間、何かに胸を貫かれる感覚を覚えた。
「な……んで……」
自分の胸元に目を落とせば、真っ赤な血が自分の服を染めていく様子が見えた。
崩れ落ち、息耐えたリリアーヌに、リーフェルト、陽人、更には、大槌を構えたばかりの歩花までもが目を見開き驚いている。
舌打ちし、パンジーが睨み付けたその先には、
指先をリリアーヌの血で汚したエリックが涼しい顔で立っていた。
キャラクター図鑑
天澤みやび
小学五年生。亜麻色のショートカットにロリータを戦闘服に纏う、若き退魔師。千葉県生まれ。特異体質持ちで生まれ、動物系の魔や妖怪に好かれる。と、こう書けば、大体の人間は微笑ましい光景を想像するであろうが、退魔師となる前の彼女の日常はかなりつらいものだったらしい。
幼いみやびを気遣い、近所の大人たちが彼女を叱る。おもちゃの取り合いなどから、友達とちょっとした喧嘩になる。普通に生活していれば誰もが体験する小さな揉め事が起こる度、人間社会を理解できない低級霊たちが、好き勝手にみやびに危害を与えている<ように見える>人間たちに怪我をさせてきた。そのためにみやびは疎外され、常に孤独の中にいたという。
彼女の父母は、それでも自分の子なのだからと低級霊による怪我や事故にあいながらも、できるかぎりの愛情と躾を与えるも、心身ともに限界が来た母親が倒れてしまう。やつれきった母親を見て、自分は家にいないほうが皆幸せになれると感じた当時小学一年生だったみやびは、生まれて初めて親の財布から金を盗み、学校に行くふりをして家出と自害を考える。
慣れない電車やバスに乗り、適当な辺鄙な場所で降りたランドセルを背負った彼女を、たまたま退魔師の仕事で同じバスに乗り合わせていたミシェルが不審に思い、みやびが降りた場所の次の停留所で降りて追いかけた。そうして辿り着いたのは、小さな包丁を自分に向けたはいいが、どうすればいいのか途方に暮れているみやびの背中。すぐにミシェルはみやびから包丁を奪い、ビンタし抱き締めた瞬間、彼女が特異体質だと気付いてすべてを漠然ながら察し、その瞬間ミシェルのほうが子供のように号泣しだしたというのは、今では師弟の間で笑い話となっている。
夫の早海と暮らしている自分の家に連れていかれ、退魔師の修行をすることで普通の生活を送れると言われたみやびは、生きる希望をそこから見いだす。最初は早海を師にと提案したミシェルだが、教師の仕事を優先したいこと、また女同士のほうがやり易いだろうということを早海に言われ、ミシェルが師となった。
そこからは早く、わずか五年でプロの退魔師にのしあがるという天才ぶりを見せるが、ただみやびは自分の親のためを思って努力しただけに過ぎない。今まで親にさせた苦労を返すために、多少無茶な任務を負ってでもと金を稼いでいるが、彼女の両親はただただみやびの無事を願っているため、今でもよく胃を痛めている。彼女が親のため稼いだ金も一銭も使わず、すべてみやびのために貯金しているが、みやび本人は知らないようだ。
ちなみに今でも動物に苦手意識を持っていて、犬嫌い。だがギリギリ猫は大丈夫とのこと。
<メインウェポン>
『唐笠お化け』
魔女の世界で作ってもらった大きな現代風の傘と、人間の腕を模した長い両腕。番傘ではないことを除けば、世間が知るあの有名な唐笠お化けそのもの。早海のコネで聖属の祝福済みであるため、すべての魔に対し秀でた攻撃力と防御力を発揮する。
使用している魔石も唐笠お化けの祝福が篭もったものだが、唐笠お化けは唐笠お化けでも、かなりの年月己を高めるため全日本を巡り流浪の旅をしている、全身ガチムチの唐笠お化けである。 一番最初に出会ったのは、みやびが退魔師となり仕事を引き受け始めてから間もない頃、彼女が未熟さ故に深刻なダメージを負っていたところを彼が助けたのがきっかけだった。その時は名乗ることなく、彼は無言でみやびに背を向け去っていった。二度目に出会ったのは、ミシェルの退魔師の仕事に付いて遠出した時。二度も遭うとは何かの縁があるのだろうということで、二人は言葉を初めて交わし合った。彼曰く『初めて会った時みやび殿を助けたのは、小生が未熟だった頃のことを思い出して懐かしかったから、つい手がでてしまった』とのこと。
勿論、その腕力と耐久力はかなりのもので、それがみやびの武器に反映されている。




