第59話 開戦
どう聞いてもただごとではない、建物が破壊される騒音に、カシュパル、パンジー、リリアーヌ、フローリス、ドナ、サモエドたちが振り返る。
七人の目の先で、華美な外装をした廃園した遊園地の城が派手な音を立てて半壊していく。
そのプリンセストゥインクル城の塔の先には、腰から羽を広げ立つエリックの姿があった。
バリアが破壊された後、施設内に足を踏み入れていたミリーも、その音が耳に入り、そちらに目を向ける。
そしてエリックの両腕に抱えられている人間が、自分が探していた市辺真優だと気付いた彼は、呆然と立ち竦んだ。
(助けられると思ったのに……)
煙々羅の魔石の埋め込まれた煙管を片手に、
少し離れた場所から見つめるリンドウ。
おそらくこの騒ぎで、この施設内にいるヴァンパイアたち全員が自分の侵入に気付いた。
今のチャンスを無駄にしてしまったことが悔やまれる。
一定範囲内であれば、煙の発生する場所へどこへでも移動が可能となるこの煙管を使っても、複数に警戒されれば思うように動けない。
(どうするか……)
リンドウの吸血鬼との戦闘経験は、はっきり言って乏しい。日本という島国に奴等がやってくること自体そう無いことだ。
手の中でくるり、くるりと煙管を回しながら、彼女はエリックに抱えられた人質を睨みながら思考を巡らせた。
その時―――目の先に広がる光景に気を取られていた彼女の肩に、一つの手が伸びる……。
「おい。なにがあった?」
カシュパルよりもがっしりとした体格をし、堀の深い無精髭の中年男性の姿をしたヴァンパイア―――ドナの地上からの声に、エリックは目線だけで彼を一瞥し口を開く。
騒ぎを聞き付け、施設内のヴァンパイアたち全員がそこに集まっていた。
「鼠がいつの間にか紛れ込んでいた。……エクソシストの女だった」
「へえ……?」
ドナは興味深そうに含んだ笑みを浮かべる。
「妙なこと考えんじゃないよドナ。とっととここから離れないと」
「わーってるよ。だが折角こんな島国まで来て手に入るのがあれ一人ってのもなあ……」
ドナが親指で指し示した先には、エリック―――。否。エリックの腕の中で黙って事態の流れに身を任すしかない真優は、ドナの言う『あれ』とは自分のことだとすぐに理解する。
フローリスは「は?」とドナに目を丸くし
「アンタ、まさかあの小娘連れて帰る気?」
「アジア系の女ってのはどんなもんかってな。ただもうちっと胸のある方が嬉しかったかなァ」
「妥協でもやめときなよ、あんなしょんべんくさいの。趣味悪すぎだって」
「……ババアよりはマシだけどな」
馬鹿にしくさった彼女の溜息まじりの科白に、ぼそりとぼやくドナ。
「ぁあ゛?」
「なんでもねーよ」
本気でキレかけている様子の女と肩を竦める男の会話に、横でそれを黙って聞いていたサモエドはつい堪えきれずに噴き出した。
眉間に皺を寄せ、今度は自分を睨んでくるフローリスの目線を、彼は咳込むことで笑いを誤魔化し流してしまうと、
「じゃあ、僕は新しい実験体に『あれ』を持ち帰ろうかな―――?」
サモエドはそう言って細い人差し指を立て、何もないところを指し示した。
するとその示した指の先にある建物の一部が、見えない力で音を立てて砕け、
その奥に潜んでいた影が慌てて破壊された建物の更に後ろへと引っ込む。
「出てきなよ。隠れてないでさ」
少年のような無邪気さのある調子の声で促すサモエドの声に、
靴と砂利が擦れ合う微かな音が返事をする。
その足音の主は少し間を置いてから、やがて意を決したように、彼らの前に姿を現した。
「……」
姿を見せたのは、ミリーだった。
サモエドは首を横に傾け、不思議そうに彼に尋ねた。
「不思議な臭いがするね、君。魔力の流れが見えないけど、人間でもない。
夜目もちゃんと利くみたいだし……君も悪魔払いか何かかい?」
「……」
こめかみから伝い落ちていく嫌な汗を感じながら、ミリーは無言でヴァンパイアたちと対峙する。
瞳を動かしてエリックに囚われている真優を一瞬だけ見やった。
夜目の利かない彼女は、自分を助けるために現れたのが、まさかミリーだとは微塵も気づいていまい。
「ひょっとして、人質の子を助けに来たのかな?」
ミリーの視線を読んだのか、くすりとサモエドは笑う。
フローリスは無言のミリーに「ふうん」と唇を歪め、
「可愛いオウジサマだねえ? ちょっとこっちに来て、顔をよく見せておくれよ」
しなを作った声で手招きする女ヴァンパイアに返事をすることなく、警戒しミリーは唇を引き結ぶ。
そんな彼を艶っぽく肩を揺らし、「じゃあ、こっちから行こうか?」と彼にフローリスは問いかけた。
―――その時だった。
エリックの背後に、高く飛び上がった一つの影が現れたのは。
揺れる大きな羽団扇が空を撫で、風を生み出し、遅くも振り返ったエリックの身体を吹っ飛ばす。
羽ばたきもできないほどの突風に不意打ちで襲われ、エリックは真優を抱えながらなんとか体勢を整えることに成功はしたものの、彼の身体は先程よりも大きく地上に近付いた。
追い打ちに、二階堂左一はエリック目掛けて口にくわえていた煙草をぷっと吐き出す。
するとその先端から揺らめいている細い煙がみるみるうちに形状を変え、等身大の人の形へと広がりを見せていったそこから、生身の四引汲リンドウが現れた。
彼女はスーツの下に忍ばせていた数枚の札を―――聖の力で祝福されたその札は、聖水と同様、魔の者に対してでしか効果を発揮しないので、真優に当たっても害はない―――エリック目掛けて投げつけた。
エリックは上空の敵の方に向いていた自分の身体を反転させ、加速することで札から逃れようとするが、
突如目の前に現れた黒い壁に阻まれ、動きを止めた瞬間に札が数枚彼の身体に張り付く。
途端にエリックの身体に電流のような痛みが走るが、彼の腕はまだ真優を放さなかった。
加勢しようとしたドナが羽を広げようとした瞬間、突如真っ黒な煙幕に彼の視界が覆われる。
ただの人間には無害な、しかし魔には催涙効果のある安い退魔師御用達の撤退用煙幕玉。それを見て今度はサモエドが姿を消し、言葉通りの瞬間移動でリンドウの頭上をとらえた。
ハッと自分の背後を警戒したリンドウだったが、攻撃を仕掛けようとしたサモエドを左一の作り出す突風が邪魔し、彼は手を引っ込める。
<バークス>
成す術もなくただエリックの懐にいる真優を地上から見つめるしかないミリーの頭の中に、歩花の声が入ってくる。
「厄介な……」
一方、一枚一枚のダメージ自体は大したことはないが、継続的にジリジリ痛みを与えてくるリンドウの札に舌打ちするエリック。
とはいえ地上では更に人間たちから余計な攻撃を受けるだけだと判断し、徐々に高く上昇しようとした彼だったが、
今まで黙りこんでいた腕の中の人質が何かを呟いた気がして、ふと目を落とす。
「っ……!!」
思わず息を呑んだ次は、身体中にびっしりと這い回るグロテスクな無数の害虫たち。
戸惑い、焦りに腕を緩めたエリックのこの刹那の油断の隙に、彼の腕の中のゾンビが更にグロテスクにバタバタと暴れだし、彼は腕の中のものを手放してしまう。
直後、しまったと後悔した。
そう。よくよく考えれば、そんなこと、ありえるはずがないのだ。
離さず抱き締めていた人質が、すり変わっているなど―――馬鹿なことだ。
(ゾンビなどであるはずがない―――あの姿は幻……!)
そして自分を今襲っている光の矢が視界の端に見えてハッとする。あれは本物だ。
落ちていく真優を追うこともできず、エリックは上昇し回避に徹するしかなかった。
エリックの手から解放された真優―――彼女は意識干渉で頭の中に響いてくる一方的な歩花の支持を信じ、従ったはいいが、城の天辺ほどではないにしろ、ただの人間ならばひとたまりもない上空から、長い黒髪を広げ落下していく。
冷たく強い風の音しか聞こえない。遠ざかっていく暗い夜空に手を伸ばすことしかできない。
そんな彼女を視界に捉えながら、弾むミリーの息遣い。歩花の怒鳴り声と、ページがひとりでにめくられる音が重なる。
「飛べ! バークス!!」
陽人の声と共に、走るミリーの身体から浮き出ては弾け飛ぶ光の鎖。
彼の後ろ腰から折り畳まれた羽が生え、大きく広がっていく。
羽が伸びやかにはばたき、地を力の限り蹴ってミリーは飛ぶと、
落ちていく真優の身体を両腕でしっかりと受けとめた。
「行きな」
フローリスが指を鳴らして自分の身体の周りを蝙蝠姿で飛んでいた二匹の手下をミリーにけしかけた後、
「アンタたちも!」と呆然と成り行きを見守っていたリリアーヌ、パンジー、カシュパルたちを睨み付ける。
正直自分をハメたかもしれないエリックの手助けなどしたくはなかった三人だったが、フローリスには流石に逆らえない。
遅れながらも参戦しようとしたものの、
「水神樣―――」
しゃらん、と錫杖が鳴り、彼女たちの前を水の壁が阻む。
しかし水の壁が完全に張られる前に手下の一匹がすり抜け行ってしまったのに対し、何者かが煙幕から立ち直ったドナが地を離れきる前にドナの足を掴んで大きく振り回し、フローリスの手下にぶつけることでミリーへの妨害を阻止した。
ミリーの逃げ場所を読み、左一の羽団扇の攻撃の届かない場所に移動したサモエド。
それに気付いたミリーは赤く瞳を光らせ、幻覚をかける。
「! インキュバスか……」
相手の種族を言い当てながら、サモエドは片手を翳すだけで幻覚を完全に防御する。
「実験体にしちゃちょっと面白味がないか。殺っちゃお」
片手を翳したまま残念そうに溜め息をついて、バチバチと差し出したサモエドの掌から稲光が音を立てる。
自分の頭上からサモエドの手から発生しているものと同じ音が聞こえ、空を見上げたミリーに雷光が降り注ぐも、
それはミリーに当たることなく、彼を咄嗟に庇った影に直撃した。
<リーフェルト―――!>
<大丈夫か!?>
<う、うん……案外平気>
無意識についミリーの盾になってしまったリーフェルトは、心配する歩花と陽人の声に応える。
幸い無傷だ。リーフェルトは安堵しつつ、真優とミリーを先に進ませた。
「チッ……!」
陽人の聖書のページがひらりと散らばり、飛んでいる自分の足下から、背後から、上空から死角を狙い攻撃をしてくるのを全て魔法防御で防ぐも、背後からの予期せぬ奇襲にサモエドは忌々しげに顔を歪め振り返る。
そこにはレジェス、リゴベルトを従えたちあみが、黒魔導書を片手に立っていた。
エリックには辰弥の姿の歩花、星野尾兄妹が行く手を阻み、各々武器を構えている。
水の壁を背にしたフローリスたちの前には、錫杖を片手に持つ長身の女、白い着物の雪女、数人のキョンシーを従えた中華風の姉妹という一風変わった四人組。
また立ち上がり振り返ったドナの前には、勇治郎、みやびと、スーツ姿の太った眼鏡の男が立っていた。
「……バークス君?」
遊園地敷地外に真優を連れ出すことに成功したミリーは空を飛びながら、横抱きにした華奢な身体が僅かに身じろぎし、自分の名を呼んだのに気付いて目を落とす。
「……よくわかったな」
「……香水の匂い」
「……ああ」
月は雲で隠れている。
そんな深い暗がりの中でも真優が自分だと気付いてくれたことに、ミリーの鼓動は跳ね上がった。
「助けに来てくれたんだ」
「……」
「……バークス君?」
「……別に」
「違うの?」
「……」
呑気に尋ねてくる真優に、正直言いたいことは沢山あった。
『無力な人間のくせして、いらないことに首を突っ込むからこうなる』
『他人のためとか優等生ぶってんな、馬鹿』とかなんとか、色々と。
あったはずなのに、だ。
「笹永じゃなくて、悪かったな」
「……―――」
「……アバズレとか言って、悪かったな」
もうどうでもよくなった自分の口から何故か出てきたのは、そんな素っ気ない彼女への謝罪の言葉。
真優は目を丸くして夜の闇で見えないミリーの顔をじっと見つめた後、やがて小さく噴き出して笑った。
「……何だよ」
「ううん……こめんね。なんだかちょっと、安心しただけ」
「何だそりゃ」
「うん……ごめんね。ごめんなさい」
そう言って笑う真優の目尻から、ぼろりと一筋、滴が零れ落ちる。
それをたまたま見てしまい、ついミリーは目を泳がせて真優から目を離し前を見た。
「怖かったんだぁ……本当に」
「……」
「怖かったんだよぉ。寂しかったんだよぅ……バークス君」
「……そうか」
「だから、安心したら、もう、涙が、止まんなくって……っ」
「……おう」
「ごめん……ありがとう―――。ごめんねぇ、ここまで来てくれて……」
ポロポロと堰を切ったように両目から止めどなく涙を溢し、しゃくり泣き始めた真優の震える肩を抱く手に、ミリーは無言ながら力を少し込めてやる。
月の明かりもない、冷たい暗闇の中。
それでも凍えきった今の彼女の胸を、少しでも温めてやりたい。などと、自然と、そんならしくないことを、この時ミリーは願った。
―――自分は、笹永陽人にはなれないけれど。




