第57話 仲間割れ
『下の者を守っていく者の責務を忘れるな。
今まで罪もなく犠牲になった者たちの無念を忘れるな。その上で判断しなければならない。
優しいとは美徳ではあるが、恨まれたくない。責任を背負いたくないという自分への甘さを、それと間違えてはならない。
本当にお前が優しさを向けなければならない相手が誰なのか。そのために誰に対し厳しくあらねばならないか、よく考えろ』
兄の言葉を思えば―――蘇るのは麻袋を被せられ震える人間たち。
さらわれた市辺真優と、二年前殺されかけ、その時に味わった死の恐怖。
そしてヴァンパイアハンターたち。
『どんな王子になりたい?』
恋人の言葉を、リーフェルトはソファの上に身体を投げ出したまま、何度も自分の心に投げかける。
やがて電気も点けず、夜の闇に抵抗せず委ねたリビングの中。
ゆっくりと上体を起こし顔を上げた彼の目には、強い光が宿っていた。
ミリーがリリアーヌたちのアジトを訪れる少し前。
トゥインクルユニバースランドのアトラクション内、プリンセストゥインクル城。
長いストレートの黒髪で床を染め、ただの人間であるが故に夜目の利かない真優は、身体を縛られ横たわったままぼんやりと闇を見つめている。
「―――おい。喉乾いたんだけど」
同じく施設内のレストランだった場所で、背凭れを抱きしめ椅子に座っていたヴィートが、壁に背を預けているエリックに不機嫌な声を出す。
「多少何も食わなくたって平気だろう」
「そりゃあ、人間よりゃそうだけどよ……! そうじゃねえんだよ! ちくしょうが!!」
苛々が爆発したようにヴィートは立ち上がり、椅子を蹴り飛ばした。
人外の桁外れの威力で飛んで行った椅子は壁に当たった衝撃でバラバラになり、床に落ちる。
「お前さ。一体何考えてんだ? ぁあ゛!?」
結界のせいで外に出られない溜まった不満をドス声で露わにし、エリックの胸ぐらに掴みかかるヴィート。
帰って来たエリックのおかげで自分たちが助かったことは認めるとしても、彼の行動は不可解極まりない。
人質まで取っておきながら、結界は張ったまま。しかもエリックまで自らその中に入ってしまったという訳の分からないこの状況。
エリック曰く、敵に頼まずともいずれは出られるということらしいが、たとえそれが事実であろうとヴィートが苛立っているのはそこではない。
「お前。正面から人間とやり合うのにビビッてんのか?」
「あ? そんなわけねえだろうが」
「そうか。俺はてっきり、怖くてしょうがねえから俺に当たってるように見えたけどな」
煽られ、ヴィートの額に青筋が浮き出る。
一触即発の空気が彼らの間で流れるが、すぐに彼らのいる建物のドアを拳で叩きつける音が、その場の空気を変化させた。
出入り口から現れたのは、彼らのリーダー格、カシュパルだ。
「おい、エリック。俺たち四人がテメエの行動をどう思ってるのかわからねえほど馬鹿じゃねえだろ」
「ああ。そうだな」
「何企んでやがんだ、テメエは。返答によっちゃあ、人間たちより先にテメエをやンぞ」
殺気立つ彼の目に怯むどころか、エリックは笑みさえ口元に浮かべつつ
「サシで? それとも二対一か?」
とおどけるように肩を竦めた。
明らかに煽っている様子の彼に、カシュパルの目つきが更に鋭さを増した。
四引汲リンドウが張った結界内。
カシュパル、エリック、ヴィート、パンジー、リリアーヌ以外誰もいないはずの遊園地敷地内に突如現れる複数の影たち。
血のように真っ赤な髪を無造作風に整えたショートカットの女が、夜目を利かせて瞳だけを動かし、辺りを見渡す。
「うるさいわね、あいつら……」
建物のガラスや壁が壊れる音が夜の静寂に響き渡り、
リリアーヌと土産屋だった建物にいたパンジーが不機嫌に、その騒がしさの原因である男どもに舌打ちする。
カシュパルの言う通り、やはりエリックの行動に苛立っているのは、カシュパルとヴィートだけではなかった。
パンジーとリリアーヌの華やかな美女二人から、異様なほどに殺気立ったピリピリとした空気がその場を満たしていた。
「随分荒んでるみたいだねえ」
パンジーのものでもリリアーヌのものでもない声が、予期せずどこからか聞こえてきた。
二人はハッと顔を上げてその声の主を探し、やがてリリアーヌの背後に、彼女たちの目が留まる。
コウモリたちが群がる、黒い塵が彼女たちの視界の中で集まっていく。
それらはやがて人の形を成したと思うと、肌は蒼白ながら、パンジーやリリアーヌたち以上に豊満な身体をした、絶世の美女ともいえる長身の女へと色づき、形成されていく。
「フローリス……」
「ママ!」
尊敬と畏怖の込められたパンジーの声に続き、リリアーヌは童女のように嬉々とした声を上げて椅子から立ち上がる。
「ママ! ママ、私たちを助けに―――」
久しぶりに飼い主と再会した子犬のように駆け出し、『私たちを助けに来てくれたの』とリリアーヌの唇は、最後まで言葉を紡ぐことはなかった。
フローリスと呼ばれた赤い髪の女がリリアーヌにニッコリと美しく微笑み、義理の娘のみぞおちを容赦ない力で蹴り飛ばしたからだった。
長くすらりとした女の華奢な脚からは想像できないパワーで軽々吹っ飛ばされるリリアーヌと、自分に飛んできた仲間の身体を避けきれず、自らも吹っ飛ばされた挙句壁に派手に背中を打ち付けるパンジー。
「お前ら。集会に出ろって、アタシが今まで何度言ってきたよ……ぁあ!?」
踵のヒールをやや雑に鳴らしながら、乱れた口調でフローリスは二人に歩み寄る。
床に転がって痛みに顔をしかめている二人の娘たちを前にしても気が収まらないのか、次いで身体、顔を心ゆくまで蹴り飛ばし、踏みつけ始めた。
「何度も! 何度も! 何度も!! あれほど言ったのにお前らはァア!! それとも本気でアタシらを売ろうって、そんな魂胆でいンのかぁ~??
身寄りのねえテメエらを引き取った恩も! オマンマ食わせてやった恩も!! 育ててやった恩も!! 忘れて!!
特にテメエ!! ふざけやがって!!」
息の荒いフローリスの手に鷲掴まれ、引き上げられるリリアーヌの長いピンクの髪。
小さな呻き声が、リリアーヌの赤いルージュの隙間から漏れた。
「なァに呑気に王族のガキと遊んでやがんだァテメエはァ!!
相手の素性もテメエの立場も全部わかった上でやってんのか!?」
「お、オウゾク……? オウゾクって何―――」
娘の科白に、フローリスは容赦なく力に任せて彼女の髪を振り回し、リリアーヌをカウンターに投げつけた。
廃園して以来掃除されていない建物の埃にまみれ、横たわるリリアーヌの身体。それに向かって、フローリスの長い指が何かを投げつけた。
「集会に出てりゃあ、向こうに住んでなくたって、この時期この国に来るべきじゃないことも、そのガキの素性もわかったのに―――」
義理の母が投げつけ寄越してきたもの。それはヴァンパイアの世界の新聞記事を切り抜いたものだ。
リリアーヌは痛む身体に堪えて上体を起こし、床にへたりこんだ体勢でそれを拾い上げて目を通す。
目を記事に走らせていたリリアーヌの顔が段々青ざめていくのを不審に思ったパンジーも立ち上がり、仲間から記事を奪い取って自身もそれを読む。
「リーフェルト王子―――! あんな子供が……!」
「そうさ。まんまとあんなガキにハメられやがって……!!」
「……でも、待って、フローリス。確かに私たちは集会に出ていないけど、情報収集役のエリックからは何も―――」
言い訳をしようとしたパンジーだったが、静かで冷たい、氷のような視線を義母に向けられ、それきり口をつぐんでしまう。
先程の暴行など、まだ可愛いものだ。
これ以上フローリスを怒らせたら命さえ危ういと、幼少から染み付いた経験が、リリアーヌとパンジーの本能に警鐘を打ち鳴らす。
身体中から冷たい汗が噴き出す嫌な感覚に、彼女たちは固唾を飲み込んだ。
開け放たれた土産屋のドアの向こうから、男の怒鳴り声が聞こえてくる。
おそらくカシュパルやヴィートも、育ての親から自分たちと同じ目に遭っているのだろう。
フローリスと、カシュパルたちの義父であるドナは同じリゼルーカの幹部で、普段から行動を共にしている。
「用は終わったかい? フローリス」
今度は少年のような無邪気な声が、視界の外から聞こえた気がした。
リリアーヌたちが振り向いた先には、ゆったりとしたローブを身体にまとった白髪頭の童顔の青年が、いつの間にか土産屋の棚の上に座ってこちらを見据えている。
彼も知っている。彼もリゼルーカの幹部で、確かサモエドと言ったか。
実力は見たことがないのでわからないが、相当のものだと聞いたことがある。
「用が済んだなら、ちょっとバリアを壊すの手伝っておくれよ」
「……なんでアタシが? 入れたなら、外にも同じように出れるはずだろう?」
「と、思ったんだけどね。このバリア、ちょっと特殊みたいだ。
敵に僕たちのことを悟られないよう、バリアを残したまま全員脱出といきたかったけど。これを張った人間はなかなかの実力だね」
「……そうかい」
フローリスは短い溜め息をついて相槌を打つと、娘たちを残してサモエドと外へ出ていった。
「……パンジー」
フローリスの姿が完全に見えなくなったのを確認し、
リリアーヌはややよろけながらも立ち上がり、口の中に滲んだ鉄の味と共に赤い唾液を床に吐き捨てた。
「エリックが情報収集役って、誰が決めたことだった……?」
リリアーヌの問いには、はっきりとした怒気が入り混ざっている。
パンジーは、その訳に対し説明を求めはしなかった。パンジーも、今のリリアーヌと同じ考えを持っていた。
「誰かが決めたわけじゃない。……エリック自身が買って出た役よ」
パンジーから確認を取るなり、リリアーヌは壁に自分の拳を叩き付けた。
怒りの衝動の矛先となったコンクリートには、天井までに至るまでの亀裂が入った。
遊園地敷地内に入ろうとするミリーを慌てて止めようとしたアウロラは、バルバラからバリア内に、カシュパルたち五人以外の人物の姿を発見したという知らせを受けて顔色を変えた。
夢魔たちが協力しあい、歩花たちに意識を飛ばし、歩花の指示通り自分たちの命を優先して、アウロラ、バルバラ、エルセたちエンプーサはもち場から離れようとする。
意識干渉の力で、彼らがバリアを破壊しようとしているのを知ったからだった。
<あんたたちも、早く―――!>
アウロラの声を意識を通して聞きながら、ミイは羽を広げてミリーに近付いていった。
「なにを、しているんですか?」
緊張した声で、ミイは空から彼に声をかけ、傍に降り立つ。
ミリーと視線がかち合い、手に汗が滲む。
身分のないミイにとってやはり、貴族のミリーは少し怖かった。
「ここが危険な場所だと、知っているのでしょう……?」
「……」
ミリーは、自分の前に立っているミイの問いに付き合うことなく、一度止めた足を再び進める。
ミイの目など見ずに。ただ前だけを見据え、カシュパルたちのアジトを目指していた。
そんなミリーだったが。
「―――文化祭のときは、悪かったな」
すれ違う際。ミリーの口から出てきたまさかの科白に、ミイは一瞬何を言われたかわからなかった。
一拍の間を持って、それをなんとか噛み砕き呑み込んで、驚きに振り返ったミイをその場に置いて、
ミリーは一度も振り返ることなく、深い夜の闇の中へと消えていった。




