第56話 弱き者たちの葛藤
リーフェルトの住んでいるマンション。
彼は私服姿でソファに座り、元の姿の恋人の歩花、星野尾兄妹と向かい合い、驚きの声を上げた。
「市辺さんが……!? まさか」
「陽人たちの前に、敵の五人目が真優を抱えて現れた。
彼女は人質にとられ、私たちは手を出せず。ただ、帰るしかなかった」
「でも僕は、ちゃんと彼女を家まで送ったのに……」
最初は家まで付いて送っていくのを拒否されたが、油断ならないからとリーフェルトは押し通した。
遅くまで男子と一緒なんて親に誤解されると苦笑されたが、それならばと猫の姿にまでなったのに。
「敵の協力者が真優の姿を借りている可能性を考えて翌日、早朝彼女の家に連絡したが、真優の家のおばさん曰く、今朝いなくなっていたらしい。昨夜は普段通りに夕食をとり、就寝していたと。
念のため真優の友人に連絡し、バークスたちの家を訪ねたりもしたが、誰も彼女の行方を知らないらしい。おそらく人質は真優本人だ」
「敵は、何故木塚さんではなく市辺さんを?」
「……エリックと名乗っていた五人目の敵は、“次はリーフェルト王子を連れて来い”と言っていた。
奴に関してはまだわからないことが多いが、君のことを知っている。……君をおびきよせるため、君に関わりのある人間を人質に取ったんだろう。
小夜は天澤さんの師匠が付きっきりで護衛として付いているから、昨日たまたま一緒にいた、護衛のいない真優が選ばれたんだ」
「……っ」
自分と一緒にいたせいで、まさか真優の身が危険にさらされるとは想像もつかなかった。
リーフェルトは奥歯を噛みしめ、膝の上で拳を握りしめる。
美央はそんな彼を尻目に、軽く折られた人さし指で唇に触れながら、考え込む姿勢で呟く。
「でも、何を考えているのかしら。あの男……」
エリックは真優を人質にしながら、結界を解き仲間たちを開放することを命じたりはしなかった。
気を失った真優を抱え、仲間たちのいる結界の張られたアジトに自ら入っていったのだ。
彼曰く―――
“そんなに俺たちとやりたいなら、決戦の日と時間は俺が指定してやる。
人質の命が惜しければ、その知らせが来るまで大人しくしていることだな”―――ということらしい。
「よっぽど自分の力に自信があるんだろう。……いいさ。やってやる」
戦いを前に、里央は強気な灯を瞳に宿している。
優しい美央も同じ目をして、
「父のことが関わっているのなら、私も。逃げるわけにはいかないわ」
そう相槌を打った。
歩花はリーフェルトの名を呼び、彼の瞳を自分に向かせる。
「リリアーヌのことを考える君の気持ちは痛いほどにわかるが。
今回お飾りとしてだけでもいいから、来てもらえないだろうか」
「勿論行くよ。僕と関わってしまったことで市辺さんが危険にさらされているなら。―――それに、やっぱり僕も戦わないと」
「それは駄目だ。多分君は今、私たちが戦うから自分も戦わなければならないと、そう思っているんだろう。
そんな理由で彼女たちと敵対すれば、きっと君は傷つく」
『言うなればキープよ。ただの』
歩花はリリアーヌが昨夜放った科白は、リーフェルトに戦ってほしくないという気持ちを一層強くした。
あの言葉だけは、彼に聞かせたくない。
だから真優を助けたら、彼に彼女を家まで送り届けさせ、そのまま彼女の護衛につかせるつもりだ。
「でも、僕は! このままなにもしないなんて―――」
「君が敵として排除できるのか!? リリアーヌを!! 半端な気持ちで戦場に出るな!!」
今までリーフェルトには浴びせたことのない、厳しい声が歩花の口から出てきた。
リーフェルトは怯み、歩花はそんな彼を見て悲しい顔になる。
「……敵から日時の指定が来れば、君に連絡する。それまで、待ってて」
普段冷静な彼女の怒鳴り声に、一度静まり返ったその場所を、
歩花はその言葉を最後にソファから立ち上がる。
彼女の背を見ることができず、遠ざかっていく恋人の足音だけを耳だけで確認するだけの俯いたリーフェルトの頭に、
立ち上がった里央の声が落ちてきた。
「……今回の君の行動は、王族としても相応しくなかったことだと僕は考えているが。
君の行動が無くては得られなかった情報もあった。そこは礼を言う」
「しかし」と、彼の言葉は続く。
「自分の身勝手に恋人を付き合わせて深く傷つけた挙句、彼女の友人まで危険にさらしているこの状況は、王子として以前に、男としてどうだ?
このまま何もしないなら、笹永君や木塚さんの友人としても失格だ。今後付き合う人間を変えるべきだ」
唇を引き結ぶリーフェルト。
里央は彼の心情を汲むそぶりもなく、容赦ない言葉を放って部屋から出て行った。
美央は気遣わしげな目をリーフェルトに暫し向けていたが、
結局「お邪魔しました」とだけ会釈し、兄を追いかけた。
フォローしてやりたい気持ちもあったが、里央の言うことも正論であるがだという気持ちが美央の心の多くを占めていた。
誰も居なくなったリビングに、玄関の扉が静かに閉まる音が響く。
「―――リーフェルト君」
自分一人だけだと思っていた空間に他人の声が聞こえ、顔を上げたリーフェルトの視界の中。
一瞬、私服姿であったため誰かわからなかったが、そこには姉の侍女であり、親友のアイリスが立っていた。
「……アイリスさん」
「ごめんなさい。パルからの伝言を伝えにきただけで、盗み聞きするつもりはなかったのだけれど……」
「……」
「あの二人がヴァンパイアハンターたち、よね?」
アイリスはリーフェルトがソファに座るように促したのを首を振って断り、立ったままでその唇を開いた。
「さらわれたって、どういうこと……!? 真優は普通の人間じゃないの!?」
「ええ、普通の人間よ。だからといって狙われないわけではないことはわかっていたけど、あの事態は予想外だったわ」
木塚家、小夜の部屋では、ベッドから飛び出した小夜と、腕を組んでいるみやびが向き合い会話していた。
「じゃあ、みやびちゃんはどうしてここにいるの? 助けに行かないの?」
「行きたいけど行けないの。相手の条件を呑まないと、何するかわかったもんじゃないから」
「条件……」
「エンプーサたちに相手の動きを監視して見てもらっているけど。今は何もされていないみたい」
「……“今は”って」
そう小夜が呟いた直後に彼女の部屋のドアに誰かがノックし、陽人の声が廊下側から聞こえてくる。
小夜は弾かれるようにドアノブに飛びついてドアを開けるなり、彼の服を掴んで縋りついた。
「陽人君!」
「小夜……!? 大丈夫なのか? 身体の調子とか―――」
「真優が! さらわれたって本当なの!?」
特異体質であるという真実を告げられ、部屋から出てこないという小夜の話を彼女の母から聞き、心配してやってきた陽人だったが、
小夜の焦りと困惑が入り交ざった瞳に至近距離から見つめられ、気まずそうに目を逸らす。
返答は待たなくとも、その様子から答えは明らかだった。
彼女は言葉を強くして、「どうしてここにいるの!?」と彼に叫んだ。
「早く助けに行ってよ!」
「……小夜。大丈夫だから。今は―――」
「“今は”でしょ!? いつ殺されちゃうかわかんないじゃない!」
「落ち着けって……大丈夫だから」
「落ち着いていられるわけないじゃない!! どうして陽人は平気なの!?
中学の頃だってあんなに一緒に遊んで、去年だって……!」
「小夜ちゃん―――」
「真優が私の大切な友達なの、君だって知ってるじゃない!!
真優、今すごく怖い思いしてるのに―――!!」
肩に手を置いて宥めようとする陽人の気遣いも、親友がさらわれたことに対する混乱の中にいる小夜の胸には一切入ってこないようだった。
声を荒げているそんな彼女の肩を、たっぷりとしたフリルのついた袖から生えた小さな手が掴み、
小夜の身体は強引に陽人から引き剥がされた。
「うるさい」
みやびの低い声と共に、乾いた音と容赦ない衝撃が小夜の左頬から響きわたる。
突如頬を張られ、それを理不尽に思った小夜の頭にカッと血が昇りかけたが、
次の相手の科白にその熱は急激に下がっていった。
「今のアンタの気持ちが、笹永陽人に理解できない……? そんなわけないでしょう?
アンタが危険にさらされる度に、何度も同じ気持ちになったんだから」
「……!」
「心配してくれた人たちの気持ちを無駄にし続けてきた。自分の尊さも測れない女が、他人の尊さについて偉そうに語ってるんじゃない」
ハッとした顔になった小夜に、更にみやびは容赦なく言葉を続けた。
「言っとくけど、アンタやあの子だけじゃなくてね。迷惑かけない人間なんていないんだから。生きてる限り。
だったら、迷惑かけてなんぼだと思いなさい。かけてかけてかけまくって、それでもそんな自分が嫌だと感じるなら、借りをどこかで返せばいいだけの話。
そんなことからも逃げ続けて、自分が楽になるために恩を忘れ続けてきたくせにキレてんじゃないわよ!!」
「いい!?」とみやびは小夜の胸ぐらを引っ掴み、呆然としている彼女の顔を自分の顔に寄せ付ける。
「何事も無ければ、あの子は私たちがちゃんと連れて帰って来てあげるけどね。この件が終わった後も、借りを作ったまんまでまた引きこもるっていうなら、大したクソガキよ! アンタ!!
ちょっとは借りを作ったら返してやるっていう、プライドを持った感謝をしてみなさいよ!!」
「……っ……」
小学生でありながら、本気の怒りを伴ったそのみやびの叱咤は、
どこか計り知れない重みが込められており、それは高校生の小夜の身体を震わせるほどだった。
同じく高校生である陽人もみやびの迫力に圧倒され、いつの間にか彼女を止めようとして伸ばしかけた手を無意識に引っ込めてしまっていた。
「ミヤちゃん! 駄目!」
背後から制止の声がかかり、我に返った陽人がそちらを振り向けば、木塚家に滞在中のミシェルが立っていた。
師に止められ、大人しく捉えていた小夜の服を放すみやび。
ミシェルは小夜を心配し、彼女の顔を覗きこんだ。
「ごめんネ小夜ちゃん―――。……ほっぺた腫れてるネ?
ミヤちゃんが叩いたの?」
「ええ。そうです」
「そんなことしても解決しない。ミヤちゃん、すぐカッとなるのダメね。
半人前の証拠よ」
「……」
師の指摘に、しかしみやびはつんとした態度で踵を返し部屋から出ていった。
ミシェルはそんな教え子の後ろ姿を目で見送って溜め息をつくと、小夜の赤くなった左の頬を優しく撫でた。
「ごめんなさい。ミヤちゃんはまだちょっとコドモなとこあるから。本当は良い子なの。
許してあげて」
「……いえ―――」
未だに怒鳴られた余韻に半分心を浸しながら、小夜は力なく否定した。
「……みやびちゃんは、悪くないです。
私の方こそ、ごめんなさい……」
消え入りそうな掠れた声ではあったが。
小夜は今この時―――自分の弱さと向き合おうとしていた。
リーフェルトが住んでいる部屋よりも更に広い間取りを持つ、高級マンションの一室。
夜―――電気も点けていない自分の部屋で、ミリーは気だるげにソファの背凭れに身体を預け天井を仰いでいた。
『真優は? そっちに来ていないか?』
童貞臭い眼鏡のハーフインキュバスが、今朝このマンションに訪ねて聞いてきた。
一言正直に『知らねえ』と応えれば、『そうか』とそのまま奴は帰っていった。
折角の休日に早朝から眠りを妨げられ、一体何だと苛ついたが、
それ以上に、あいつに―――市辺真優になにかあったのだろうかと少し気になった。
らしくもなくあのいつもスカした眼鏡が息を切らし、急いた声を出していたから。
家に帰っていないのだろうか。あの優等生気取りの女が。
朝帰りなど決してするような性格では決してないことは、付き合いの短い自分だって十分に知っている。
『真優ちゃん。ヴァンパイアにさらわれちゃったらしーよ』
その日の夕方。リビングでシュガーが雑誌からふと顔を上げ、そう言った。
それがどういうことなのか聞いたら、『よくわかんない』と言われた。
何故それを知っているのかと続けて尋ねてみれば、どうやらコフィ家の料理人のサリエがそう言っていたらしい。
真優の知り合いであるシュガーやミリーも、念のためなるべく家から出ないようにと、彼女は主人にそう忠告したらしい。
(……馬鹿な奴)
シュガーから彼女のことを聞いたとき、ミリーは彼女を心の中で馬鹿にした。
無力で脆弱な人間が、下手に首を突っ込もうとするから。
しかも他人なんかのために。何もできないのはわかっていたくせに。その結果、自分の身を危険にさらしたなど、愚か以外の何ものでもない。
そうやっていつもいい子ぶって、自分の命よりも優等生の肩書がそんなに大事なのだろうか。
ああいうのは理解できない。馬鹿な人間の中でも、更に底辺の部類に入る馬鹿な女。
(俺には関係ねえ―――)
胸の内で呟く。
あの女がどういう扱いをヴァンパイア共から受けようと。
あの女が怪我をしようと、死のうと、ミリーには何一つ関係のないことだ。
何度も何度も胸の内で唱え、自分に言い聞かせては、目を閉じた。
その夜―――二階堂家。
狐の姿の義母が自分の肩に飛び乗ったのを尻目に、歩花は苛立った声を上げて奥歯を噛みしめた。
「何を考えているんだ、あいつは……!!」
ヴァンパイアたちを監視していたエンプーサたちから、歩花の頭に送り込まれた、一つのイメージ―――。
リリアーヌたちのアジトに近づく人影、ミリー・バークスの姿がそこにあった。




