第49話 Twinkle Universe Land<上>
リリアーヌが指定した、彼女の仲間との顔合わせの日より二日も前のこと。
学校の放課後。恋人に誘われて、彼女の家にやってくる。
歩花は自分の部屋にリーフェルトを通すなり、カーテンを閉めて元の女子の姿に戻った。
「……大丈夫か?」
「……?」
「約束の日。もうすぐだから」
「! ああ。うん、大丈夫」
咄嗟に笑顔を作って強がりはしたものの、リーフェルトは、内心では不安でいっぱいだった。
リリアーヌは無理でも、彼女の仲間の内せめて一人だけでも和解したいが―――果たして自分にはそれができるだろうか。
人の心を動かすことができるだろうか。
本音を言うなら。できることなら、リリアーヌも他の四人の気持ちをすべて受け入れて救ってあげたい。
彼女たちも元はと言えば被害者で、可哀想な人たちだ。
しかしあまりこういった胸の内を歩花に話してしまうと、人間側である彼女の気分を害してしまうだろうと、できる限り胸の内で思うだけに留めてきた。
「……眠れていないんじゃないかって」
「そんなことないよ?」
「目の下の隈とか、少し目立っているし。昼休みにぼんやりしている」
色々見破られていたことにどきりとして、ついそれを微妙に顔に出しながらもリーフェルトは言葉に迷った。
彼女の言う通り、リリアーヌから約束の日程による連絡が来てから、緊張のあまり最近眠れていないのだ。
「別に、僕は―――」
「うん、ただのお節介。君のプライドを傷つけたいわけじゃない。
でも、やっぱり心配だから。……好きなんだろう? リリアーヌのこと」
恋人の思わぬ科白に、深く胸を抉られた気分になるリーフェルト。
そんな彼に、しかし歩花は怒りなど微塵も出さず静かな笑みを浮かべて目を伏せながら、
「それは恋愛的な感情とまではいかなくとも。彼女に対して情が芽生えつつあるのは、なんとなくわかってた。
……あの時のキスや、その後のデートで情が移ったんだろう」
「それは、違……」
慌てるリーフェルトだったが、まっすぐな瞳で今度は見据えられて口を閉ざしてしまう彼。
なにもかも見通されているかのような、優しいながらも透明感のある歩花の眼差し。
そう―――図星だった。それ故に。
後ろめたさから目を逸らし、俯いた彼の瞳の中。
華奢な手がそっと、自分の手を包んだのを見て、驚いてリーフェルトは顔を上げた。
「王子という立場は、大変だと思う。
……王子として、君として。どんな選択をすれば悔いが残らないのか、しっかり考えてくれ。
君がどうなりたいのかが、何より大切なことなんだから」
「……うん」
すべてを知れば、リーフェルトを除く王族たちは、容赦なく彼の感情を置き去りにしていく。
歩花たち退魔師も、歩みを止められない。
心細いと感じるのは、間違っているとわかっている。
葛藤の苦悩を癒すために、優しい温もりを欲することも。
それでも―――小さな手から伝わる熱に、どうしようもなく安らいでしまう自分がいた。
笹永家―――。
『……手伝いたい? 退魔師の仕事を?』
小学生時代。
いつも憧れの女の子と一緒にいる眼鏡の少年に、意を決して切り出した日のことを、陽人は夢見ていた。
『僕、全然強くもなんともないし。喧嘩だってしたことないし。
二階堂君みたいに、かっこよく戦ったりできないけど……。小夜ちゃんのために、何かしたい』
『……』
『だから。お手伝いできとかできたらしたいなって、その……思ってるんだけど……』
学校の帰り道。
他のクラスの女子と帰っているため、いつも眼鏡の少年の傍にいる小夜は、その時そこにはいなかった。
そんな彼を勇気を出して誘い、他愛のない話をぽつりぽつりとしているその間で、
どもりながらも申し出た陽人。
少年の姿を借りた歩花は、暫しじっと陽人を見つめた後。自分の家に彼を招く。
そして玄関に陽人を待たせたまま彼女は二階に上がったまま十分ほど戻ってこなかったが、
再び姿を現した時には、白い手袋に何やら大きく厚い本を腕に抱えてやってきた。
季節は温かいのに、それまで歩花が着ていた半袖のTシャツは、何故か長袖に変わっていた。
『二階堂君。着替えてきたの?』
『肌に触れると痛いから』
『痛い……?』
『君なら痛くない。安心して素手で持っていい』
『……』
差し出されるままに、おそるおそるその本を持ってみる。
……痛い。という感覚はない。持った感じは普通の本だ。
ただ。普段本を読まない性格である彼にとって、その厚みは見ているだけで頭がズキズキと痛くなる。
『それを一ヶ月。一日一ページ』
『……えっ』
『訳をする必要はない。どうせ読めないから』
『……英語……?? これ』
『何語でもない。読めないようにできている』
『……!?』
『どうしても小夜を助けたいと君が願うなら。しっかり流し読みしてみろ』
言葉を失い。陽人はただ、彼女の真顔を見つめ返すことしかできなかった。
文字どころか、ポーカーフェイスなクラスメートの真意も読めないまま、
半ば呆然と厚い本を胸に抱えて家に帰った―――。
「……」
机の上で突伏し眠っていた陽人は、気が付くなり、それまで枕代わりにしていた聖書をぼんやりと見つめた。
ちんぷんかんぷんな言語に、頭の痛みと戦いながら必死に目を通したあの一ヶ月。
それでも小夜のためになるなら―――と、
歩花に対する僅かな猜疑心を押し殺し、拒絶する脳に鞭を打ち続けた。
それを繰り返していたある日。ところどころ単語が少しずつ、ぼんやりではあるが頭の中に浮かび上がってくるようになり、
その夜、今までこの聖書を扱い戦ってきた者たちの記憶を、夢として見たのを覚えている。
それは男性だったり女性だったり、今高校生である自分よりも歳の若い者だったり、老人だったりしたが、
皆に共通していたのは、自己犠牲を厭うことなく、強い心を持って誰かのために戦っていたこと。
『人は、一人を守り通すには脆すぎる。全てを守りきるには、時間が短すぎる』
『脅威の力を持ち、長く生きる者たちと対峙すれば、失望もするじゃろう』
『でもな、それを悟った上で覚悟を決めた人は、何よりも強いってことさ』
『故に、この本は人ならざるものには使えない』
『刹那の気持ちを大切にしようとする、強い想い。力。その輝きを、聖書は糧とする―――』
意識に語りかけてきた、聖書に強く焼き付いた歴代の持ち主たちの心の声は、今も忘れることはない。
(……だからこそ。諦めちゃ駄目なんだよな……)
諦めてしまえば、本当に何一つ成長せず終わってしまうだけ。
リーフェルトに頼っては駄目だ。友人も、自分の種族と人間との間で板挟みになって苦しんでいる。
ここで自分の力でなんにもできないようなら、戦ったって無駄死にだ。
力をもっと、磨かなければ。自分たちが駄目になってしまえば、元も子もないのだから。
約束の日当日―――夕方。
田井村に選んでもらった服を纏い、待ち合わせ場所でリリアーヌを待っていたリーフェルトは、
甘ったるい猫なで声に声の主を振り返る。
同じ頃二階堂家では、聖書を前に陽人、みやびが並び、
その横では歩花がパソコンをいじって、液晶画面の地図を凝視していた。
「ここあたりか……?」
「ああ。ここで気配が消えたんだ」
陽人の科白に少し考え込んだ顔になった後。
歩花は二階へ行って、烏の姿に変わり空を飛んだ。
自分の腕に細い腕を絡めるリリアーヌに引かれ、そこに辿り着いた時には既に陽は沈み切り、完全な夜の闇に包まれていた。
夜目を利かせて見える看板には、“Twinkle Universe Land”と大きな英字で記されている。
(遊園地……?)
しかし電気一つ点いていない。どうやらそこは、とうに閉園してしまっているようだった。
人工的な光のない夜の闇に聳える、廃墟の遊園地。
娯楽目的に作られた洋風の城は、実家のものよりも簡易的で小さなものではあったが、
夜の闇の中ではどこか荘厳で美しく、神秘的にリーフェルトの目に映る。
(ここがアジトってこと……かな……?)
奥へ入りながら首を動かし辺りを見渡せば、どこへ行っても、どこに目配せをしても必ず人影がちらちらと視界に入ってくる。
彼等は、見張りか何かだろうか。
そう思った瞬間。ここはリリアーヌたちのテリトリーなのだという確信に触れたような気がして、更に身体を緊張で固くした。
「リリ!」
ゲート近くの土産屋を通り過ぎたあたりで突如鋭い女の声が飛び、ついびくりとリーフェルトの肩が跳ねる。
「ん~?」と呑気な声で振り返ったリリアーヌと同じ方向を慌てて見やれば、
そこにはタートルネックを着た女が立っている。
が、パンジーではない。顔が違う。
彼女は正に、シュガーを襲い、勇治郎が出会ったあの黒髪の女ヴァンパイア―――。
と。思ったが。
「なによ、パンジー」
とリリアーヌが返したことで、リーフェルトは現れたヴァンパイアを凝視した。
驚きの瞳の中でパンジーは、「ちょっとアンタねえ」と、両手を腰にあてて少し怒った顔をしている。
「私の男つまみ食いしないでって、何度言ったらわかるわけ?」
「だーってぇ。アンタの護衛に貸してあげた私のハーレム、あの退魔師に全部殺されちゃったじゃない。
好みじゃないコ貸そうと思ったのに、アンタ私のお気に入りばっかり選んじゃうし」
「なによ。仕返しってこと?」
「そうじゃないけど責任は感じてよね。欠けた分くらい私にくれたっていいでしょー?」
「それとこれとは別。……っていうか。なに? そっちの子」
リリアーヌが恋人のようにべったりとくっついている対象―――リーフェルトを見て、眉をひそめたパンジー。
「なにって、私のカレシ」
「カレシぃ……?」
「覚えてない? この前会ったリオン君。初めて会った時、アンタも一緒にいたでしょ」
「この前……?? ……ああ―――あの時の」
「言っとくけど、この子もう私がツバつけてんだから。あげないわよ」
「……私はたとえ若くっても、経験のある男が良いの。
ドーテーなんて一から仕込むの面倒くさいからね。……ああ、そうだわ。ついでに―――ビル!」
パンジーの呼びかけに応えて、リーフェルトよりも背の高い外国人がどこからか降りてくる。
「イイ子ね」とパンジーは妖艶に笑い、彼の顎を指先でくすぐって、
「お前、今夜の私の相手役。時間になったらおいで」
「……わかりました……」
「ってことだから。今夜は私の部屋来ないでよ」
「はいはい」
去り際に見えた、ビルと呼ばれた男の目を見て、リーフェルトの胸がざわ、と小さく波立つ。
まるで生気がない。しかし操られているという風ではない。彼はなんとも異様な雰囲気を纏っていた。
自分たちに背を向け、優雅に黒髪を揺らし去って行くパンジーを見送っていると、
リリアーヌに蛇のようなしなやかな手で胸元を撫でられ、彼女のほうを向かせられた。
「気にしなくて大丈夫よぉ、リオン」
「……?」
「私は君のことだーいすきだから♡ あんまり気に病まないで?」
「はあ」
「他の三人にも会わせてあげる。来て、こっち」
彼女が腕を引っぱってくる力に委ね、またリーフェルトは歩き出す。
「……パンジーさん。あんな顔だったかな」
「君と会ったときあの子、アイメイクすっごくきつかったでしょ。変装してたのよ。こわーい人にいきなり襲われたんですって。
ひどいわよねえ。突然なんて。……ああ、そういえばリオンも、いきなりヴァンパイアハンターに襲われたんだっけ?」
「ああ……まあ」
「人間はヴァンパイアが化け物だみたいに言うケド。お互い様よね……こういうのは。
相容れないのだから、仕方ないってだけなのに。ねえ?」
「……お互い様って」
「あら。じゃあリオンは、自分を殺しかけたヴァンパイアハンターを少しも恨んでないって言いきれる?」
「―――っ……」
そこに触れられると、正直痛かった。
里央や美央への憎しみは、確かに当初より薄れてはいるものの、すべて晴れたわけではない。
あの夜、身体に刻み込まれた痛みと死の恐怖。屈辱。その念は未だ胸のどこかで渦巻いている。
リリアーヌは言葉に迷っている彼にニッコリ微笑んで
「それでいいのよ! 自分に正直にならないと……ねー?
いい子ぶって我慢してたって、どうせ次は自分の家族か、親友か誰かが犠牲になるんだから。
折角誰より優れた力を持つヴァンパイアなんだから、やられっぱなしで耐えてちゃ勿体ないでしょー?」
リリアーヌたちにとったら、そういうものなのだろうか。人を襲う動機と言うのは。
「しかし」とリーフェルトは口を開き、
「ヴァンパイア側が、先になにかをした場合は―――?」
「……なあに? もしかして、ハンター側にそういうことを言われたの?
そうだとしたら、それを信じちゃうリオンは馬鹿だと思うけど。
だって、本当にそうなの? ひょっとしたらハンター側の言っている“何かされたこと”が、相手の親族か誰かが先に喧嘩ふっかけたせいだった―――なんて可能性もあるわけじゃない?」
「……! なんで、そんなことを?」
「言ったじゃない。人間とヴァンパイアは相容れないって。
最初から理解し合えないんだから。だって、私たちにとったら人間なんてただの餌で、人間にとったら私たちは自分たちに害を振りまく討伐対象。
仲良くしていくつもりが端からないなら、平気で嘘を吐けるし、自分に都合の良い言葉だけを相手にぶつけることもできる。逆恨みだってできちゃう。
リオンは、ヴァンパイアハンターである彼の言葉が真実であるとどうやって判断したのかしら? 敵同士なのに」
「―――」
「そもそも、どっちが先にやったとか、そういうこと考えてたらキリないじゃない?
だったら、とことん自分のやりたいこと好き放題しちゃえばいいのよ。だって、そういう関係なんだもの」
彼女の言っていることは、まるで屁理屈のようなことではあるが……。
(……星野尾君たちの言っていることが、嘘……??)
少しだけ。心が揺らいでしまった。
<そいつの話に耳を貸すな>
自分の意識に予期せず入り込んできた気配と、男の声が頭の中に不意に響いてきて、動揺するリーフェルトに鞭を打つ。
「……?」
今のは、夢魔の意識干渉能力。
といっても、ガートルードでも、ソフィのものでもない。聞いたことのない声ではあったが……。
<おい、ブラット。
聞こえてんなら、クソでもしてくるだの何だの、理由はなんでもいい。とっととここから逃げるんだ>
<……貴方は―――?>
再び響いてきた粗暴な男の科白に、おかげで咄嗟に意識を飛ばしてくる大体の方角を掴み、返事を返した。
すると数秒相手は黙った後に、<どういうことだ?>と応えた。
<何でこの能力が使える? お前ヴァンパイアじゃないのか?>
<知り合いから貰った魔石の力のおかげです>
<魔石? なんだそれは>
<えっと。エクソシストがよく使用しているアイテムで……>
<エクソシスト……?? お前、ヴァンパイアなのにエクソシストなのか?>
<僕は違います。その……友達がエクソシストで……>
おそらく相手は夢魔なのだろう。一体何の目的で彼が、こんな状況の自分に語り掛けてくるのか知らないが。
もし迂闊に歩花の情報を与えたら、彼女に危害が及ぶかもしれない。
そんなことを考えている間でも、リリアーヌはぺちゃくちゃと自分の腕を引いて何やら話している。
幸い他愛のない話ばかりだったので、適当な相槌を打つだけで、彼女との会話は不自然を匂わせることなく流していく。
<そうか。それならそいつらの助けでもなんでも借りて、とっととここから立ち去るんだな>
<……そういうわけにはいかなくて>
<わかってんだろう。ここはただの楽しい楽しい遊園地じゃねえんだぞ。
お前と同じヴァンパイアでも、とびっきり頭のイカれた人食いビッチとクズどもの巣窟だ>
<わかっています。でも、僕は立場上、彼らと話をしなければならないんです>
<なんだよ立場上って。あのな、同族だからってなんだって話し合いで仲良しこよしできると思ったら、そりゃガキの幻想だ。
その女の話聞いていたろう。ここにいる全員が、そいつと同じ考え方をしてる。命が惜しくないならそれで構わないが―――>
「ヴィートぉー。カシュパルぅー」
インキュバスの男の声を遮るリリアーヌにハッと我に返れば、
視線の先には青い髪の、一見二十代の男―――彼の顔と髪の色は、みやびを襲ったヴァンパイアの顔を一致した―――と、ブラウン混じりのブロンドを短くした、一見三十代の無精ひげの男が立っていた。
……しかし。
その時目の前に広がっていたのは、異様としかいえない光景だった。
彼らの前には、後ろ手に縛られた、麻袋を被った二つの人影。その更に後ろには、彼らが逃げ出さないように立っているのか。彼らの配下と思われる、先程であったビルのような、生気のない目をした男が立っている。
麻袋を被った二人の胸元には、よくよく見ると膨らみがあることから、性別は女性だろう。
「どっちが美味いと思う?」
「んー。右の身体は結構好みなんだがなあ……」
「見た目は美味そうなんだけど。ちょっとだらしねー身体してるよなあ。運動不足でそうなのか、不摂生してそうなのかっていう……な」
「細身でも普段食事とかに気ぃつけてんなら美味ぇんだけどよ。
食わねえでダイエットとかしてるクチってのもあるからな……」
話の内容から、嫌でも理解できる。一体彼らが、小刻みに震えている彼女たちを前にして何を話しているのか。
リーフェルトの顔が、一瞬で真っ青に青ざめた。
「ちょっとぉ。二人とも無視しないでよ」
「チッ……うっせーなリリ。今いいとこなんだぞ。後にしろよ」
「……もー。お取込み中だって! あいつらの食事が終わったら、紹介してあげるわ」
邪険に扱われたことにむくれた面をして、またリーフェルトの腕を引くリリアーヌ。
「今のは―――?」と彼女に問えば、
「長く生きてると、普通に吸血するのって飽きちゃうから。
ああやって、美味しいか美味しくないかって当て合いするの。最近二人ともあればっかりやってるから、マイブームみたいなもんなんでしょ。
……興味があったら、後でリオンも私とやる?」
「……いえ―――」
拒否の言葉に口を割った直後。頭に入り込んだのは、後ろ手に縛られ囚われている人間たちの姿。イメージ―――。
……今のは……。
<これが真実だよ。わかったろう。話が通じる奴らじゃない。
……あーあー、振り返んな。今ここであいつらを助けようとか思うんじゃねえぞ。もう死んだ命だと思って、捨てて逃げろ。
ここにいる奴ら、俺含めて全員な>
<……全員……って。どういうことですか?>
<どこかは知らないが、あいつらが“食糧庫”と呼んでるどこかに人間が何人か捕まってる。
俺は捕食対象じゃなく、ハーレム候補ってやつらしいけどな>
<何人の人が、一体……?>
<さあな。言ったろう、俺も捕まっていると。食糧として捕まってる人間とは場所が分かれちまってるからな。
食事も出るし待遇は手厚い方だが、いつかは洗脳されて人扱いされない、ただの奴隷か駒になり下がるのを待つだけだ>
<洗脳……?>
<ヴァンパイアは同族相手を完璧にコントロールできない。じゃあ、何故他のやつらはこいつらに四六時中従っていると思う。
視界を奪われ、耳元でささやきかけられ、精神的な痛みを与え続けられたのさ。
じっくり時間をかけて、奴らに従い尽くすことだけしか考えられなくなる、犬ッコロになるまでな。
お前もおそらくは、俺と同じ目的で連れて来られたんだろう。一体あのビッチが、ガキのお前の何に惹かれたのかはさっぱりわからないが>
ここに来て間もなく出会ったパンジーに返事をした、ビルの死んだ表情が脳裏に蘇り、
ぞくりと冷たい感覚がリーフェルトの背筋を駆け上がっていく。
これ以上リリアーヌと一緒にいれば、自分もああなってしまう。そういうことなのか―――?
「リオン」
「……! ……はい……?」
嘘のように優しく、穏やかに名前を口にされて、つい上擦った声が出てきてしまう。
そんなリーフェルトの瞳の中。
ピンクの前髪の向こうで相変わらずリリアーヌの瞳は笑っていたが、
それはまるで無邪気な幼女のようでもあり、すべてを見透かす大人の女のようでもあり―――。
何を考えているのか。リーフェルトに対してどんな感情を抱いているのかもわからない。
どこまでも美しく。その一方でどこまでも不気味な静かな色を湛えて、彼の顔を映していた。
彼女の目が―――怖かった。
弱気で臆病で、本能に素直な自分の心が警鐘を打ち鳴らしそうになったが、
すぐにリリアーヌの双眸はふ、と伏せられた。
それは女性らしい、弱々しく寂しげな表情。
彼女の美貌も手伝ってか。現金にも、ついどきりとしてしまう自分がいた。
「やっぱり……リオンは優しい人だから。嫌だった? こんなところに連れて来られて」
「え―――? えっと……」
「でも、みんな良い人たちだから。後でちゃんと話しましょう? 一緒にお酒でも飲んで……ね?」
「……」
途端の変化に翻弄されていると、<相変わらずの名演技だな>と頭の中でインキュバスが毒づいた。
「ああ、あと……この場所と、この場所で見たことや聞いたことは、誰にも喋らないで?」
「……??」
「だって私、リオンのこと好きだから。傷ついて、ほしくないの―――」
意味が理解できないリーフェルトが首を捻ってリリアーヌを見つめていると、
「あっ」といった表情をしてから、言いにくそうに彼女は時間をかけて瞳を彷徨わせ―――
「ママにバレたら、その……君、どうなっちゃうかわからないから……」
「ママ―――? 君の?」
「うん。実は、私のママはね……」
そこで一度口を止めて、何拍か置いた後。
リリアーヌの赤いルージュの乗った、ぽってりとした唇が動いた。
「“リゼルーカ”の幹部で、王族と関わりのある人だから―――」
リーフェルトの着ているジャケットの中―――
そこには小型のICレコーダーが、淡い光を湛えていた。




