第47話 怒りの訳
ミイに言われるままに連れて来られたのは、リーフェルトが住んでいる場所とは別の、高層マンションの屋上。
少々肌寒くなってきた季節にもかかわらず、ミイのようにぴったりとした薄手の服を着た二人の女たちが、
一升瓶を真ん中に置いてぺちゃぺちゃと何やら盛り上がっている。
彼女たちが来ている服も、人間界では見ないファッションだ。
ミイと同じ夢魔だろうか。
「こんばんは」
ミイが声をかければ、二人はこちらを振り返り、内の一人が「おー」と声を上げた。
「サキュバスちゃんじゃーん。アンタも混ざる? ……ってぇ……」
「あらぁ、美味しそう♡」
ミイの隣にいるリーフェルトに気付き、嬉しそうな声を上げる茶髪の二人組。
先に口を開いた女がぱっちりとした強気そうな目をしているのに対し、後に口を開いた女は細目で、おっとりとした目つきをしている。
だが青い双眸、泣きボクロの位置が一致していることから、ひょっとしたら姉妹だろうかとリーフェルトは考える。
「なになに!? アンタの彼氏?」
「大人しい顔してやるじゃない? ミイちゃん」
「い、いえ……そうじゃなくって。……この人は、ヴァンパイアの王族の人です」
「……はっ!?」
幼いサキュバスの紹介に目を見開き、リーフェルトを凝視する二人組。
驚く彼女たちに、更にミイは
「ヴァンパイアの人たちを、どうにかしたいって。
そう、言ってます。……私たちのお話を聞いてほしいと思って、連れてきました」
「お……王族ぅう……? マジで!」
「あら。こんな小さな島国に王子様なんて……しかもヴァンパイアの」
「本当だよ! え、嘘ついてないよね?? なーんか胡散臭い……」
「お名前はなんと仰るのかしら」
「……リーフェルト・アップルガースです」
リーフェルトはまじまじと見つめられ、「胡散臭い」と言われたことに軽く傷つきつつも、促されるままに名乗る。
女二人は顔を見合わせて、
ぱっちりとした目の女はアウロラ、細い目の女はバルバラと各々名乗った。
「ウチらはエンプーサさね」
「エンプーサ……」
インキュバス、サキュバスたちと同じ夢魔だが、人間の雄のみをターゲットにする雌だけの種族。
年頃になると、出産に備えるためにターゲットの生き血を食らうという。
「ま、王子様っていうのが本当だろうと本当じゃなかろうと、
今の現状なんとかしてくれるっていうんなら話すけど―――んくっ」
バルバラと二人で飲んでいたはずの一升瓶に口を付け、豪快にごっくんごっくんと日本酒をあおるアウロラ。
あぐらをかいた姿勢でぷはっ、とコンクリートの上に瓶を置いてから、改めて酒の匂いのする熱っぽい唇を開いた。
「こういうのは……現代に限った話じゃないんだけどさ」
「ここ最近、とっても困ってるのよねえ」
溜め息交じりに、バルバラが自分の頬に手を当てた。
「貴方が王子様だというのなら。アタシたちの人間界で仕事をするにあたっての禁則って、何なのかご存知?」
「……えっと。まず、“人間に生活に支障が出るほどの危害を与えてはいけない”―――とか」
「そう。ターゲットが死に至るまで生き血を吸い取るというのは昔の話で、
現代では一晩に複数の人間をターゲットにして、エネルギーを蓄えていくやり方を取ってる。
たまに、真剣にお仕事をしていないのもいるけれど。大体は真面目にやっている子たちが多いの」
エンプーサとインキュバスたちは混同されやすいが、こう見えて比較的彼女たちは理性的で真面目な方とされている。
淫夢を見せるやり方を場合によってとることはあるが、目的はあくまで生き血を頂くことなので、
手段は夢魔的ではあるが、どちらかといえば彼女たちはリーフェルトたち吸血鬼寄りの種族だ。
「アタシたちもそれなりに真面目にやっている方なんだけど……ねえ……。
最近、騒がしいでしょう? 全身の血を抜かれている人間の事件―――」
「……まさか。今回の事件の犯人に、貴方がたが疑われている……とか」
「そう!」
「ウチらの世界でね……」
二人は夜空に嘆くように相槌を打った。
「事実確認をと同じエリアで働いているもう一人の仲間が訴えても、お前らのせいじゃないのかとか騒ぐわりに、上はなかなか動いてくれなくってねえ。
とはいえ、調べたところでアタシたちの無罪を証明できるかどうか―――」
「ウチら身分も低い方だし、ただでさえ疑われやすいからね。
特に日本なんて狭い島国、騒ぎなんてあっという間に広まっちゃうから、関西方面で働いてる仲間の目も最近冷めてきてるし。誤解だって言ってんのに……。もし運よく罪に問われることなく故郷に帰ることができたとしても、針のムシロだよ。
冤罪よ? え・ん・ざ・い!! ふざけんじゃないってのよ。人がせっかく真面目に自分の故郷のために毎晩媚売ってしな作って、反吐出そうなくらいの作り笑顔で頑張ってるってのに……」
ぶつぶつと吐き捨てるように不満を垂れつつ、また一升瓶を傾けだすアウロラ。
リーフェルトの隣で黙っていたミイも彼女に続き、自分の心情を言葉にする。
「エンプーサのお姉さんたちを見ていると、このままではミイたちも、疑いの目で見られてしまうんじゃないかと心配になってしまって……。お兄ちゃんは心配ないっていうけど。
私たちの種族も、娯楽として人間を堕落させることに生きがいを感じている人たちがいるから……そういった人たちも、人間がカラカラになるまで生気を吸い取ったりしてしまうんです。
生き血と生気は違うから、事実確認は簡単だけど。怖いのは、種持ちの人たち―――。
もし文化祭で会った貴族のあの人たちに、嘘や悪いでたらめを広められたらと思うと、怖くて。
ミイも身分は、そんなに高いほうではないから……」
「……」
沈痛な面持ちで、ただリーフェルトは相槌を打つしかなかった。
リリアーヌたちが元は人間だったといっても、彼らは自分たち王族が産み落としたといっても過言ではない、負の遺産そのものであるが故に。
そんな彼らが今では無関係だと思っていた他の種族たちにも、悪い影響を与えているという事実。
リーフェルトは堪らない気持ちになり、恥じる想いで夢魔たちに深く頭を下げ、謝った。
「貴方がたの世界にまで、影響が出ているなんて……何も知らず、申し訳ありません」
エンプーサの姉妹は、深刻な調子で謝罪をする年若い少年を前に顔を見合わせて、
アウロラが静かに、ブロンドの髪に問いかける。
「……貴方。マジに王族なわけ?」
「はい。北の地を治めているダリア王の、第五子です」
「ヴァンパイアの世界も、人間の血を不必要に吸うの禁止されてるって聞いてるけど」
「おっしゃる通りです。言い訳もできない」
「……あー……じゃあ、さ。人間界をパトロールしてる兵士さんとか、いないわけ?」
「勿論、いるにはいますが―――」
リーフェルトの口が、そこでぴたりと止まった。
そうだ。こういった状態にも関わらず、人間界を巡回している兵士が一人も声をかけてこないのは一体何故なのだろうか。
日本が小さな島国だし、警備が甘くなりやすいからと考えれば納得できるような気がするが、
王子である自分が日本にいることを考えれば、そんなことはあり得ないはず。
リーフェルトはここで、初めて疑問を抱いた。
「王子様は、犯人のこと、お父様には言わないのですか?」
ミイの問いに頭を上げ、「それは、まだ」と応えるリーフェルト。
「同じ種族として、まず話がしたくって―――」
「はあぁ? そんな悠長なこと! 違反してんならとっとと連れて帰ってよ!」
アウロラの怒りも正当なものだと理解しながらも、リーフェルトは首を横に振る。
「彼らは元々ヴァンパイアではなく、戦争時代に拉致され、手駒の兵士として扱われる予定だった人間たち―――僕たち王族の被害者なんです。
僕自身が直接手を出していないこととはいえ、戦争時代といえば、間違いなく戦争の発端となった亡き祖父、戦争に参加していた父や伯父も関わっている。
僕は王族として彼らの話に耳を傾けてから、彼らをどうすべきか決めたい」
「……そりゃあ、気持ちはわからないでもないけれど……」
「それにこれはあくまで、僕だけの働きかけです。
日本にいるエクソシストたちやヴァンパイアハンターたちは既に動いています。
僕はこの街にいるエクソシストたちとは友人同士ですが、和解か討伐か、止める手段が異なることから競争という形をとっています。互いに邪魔をしないという合意の上で。
友人たちは犯人であるヴァンパイアたちの居場所が割り出せず難航しているようですが、もし和解が無理とわかれば、僕もその時点で彼らを罰する対象と見なすつもりです」
「だから」と、ミイのほうに目を向ける。
「もし一緒に戦いたいというのであれば、君にはエクソシスト側の味方をしてあげてほしい」
「……ミイは、夢魔ですが。大丈夫でしょうか?」
「大丈夫。僕も彼等も、ランフランク君とは同じ学校だし、友達だよ」
「! わかりました」
不安そうなミイの目に安堵の光が宿ったのに、安心させるように笑みを湛えてみせながら、言葉を柔らかく続ける。
「じゃあ、明日の夜またここに来て。
学校で君のことを話しておくから。OKが出たら、一緒に彼らの家に行こう」
「はいっ」
陽人と歩花たちに言うのを忘れないようにしなければと、リーフェルトは自分の胸に強く約束を刻みこむ。
歩花のこともあるので、その場で勝手にOKを自分が出すわけにはいかない。
とはいえ。助けになりたいと言っているのがガートルードの友人で、文化祭で一度出会っているミイならば、
ひょっとしたら歩花も申し出を受けてくれるかもしれない。
ミイと、彼女の後ろで顔を見合わせているアウロラとバルバラに手を振り、
今度こそリーフェルトは、自分の家を目指して羽を広げた。
深夜、十一時―――木塚家。
友人とのラインに夢中になってしまい、寝る時間が遅れてしまった小夜は、
寝る前にトイレに行こうと階段を降りる。
他の家族は皆既に眠りについてしまい、とても静かだ。
(早く寝ないと。起きるのつらくなっちゃうな)
早くに用を済ませてトイレから出ると、小さな人影が視界の端で動き、少しどきりとしたが、
それが今日から滞在することとなった天澤みやびだと知るなり、「ああ」とにっこり笑む。
出会ったときは、お人形のような、華美なロリータ服のよく似合う愛らしい女の子だと思った。
流石に寝る時は普通のパジャマ姿ではあるが、それでも彼女の顔立ちは整っていて、
みやびを見れば、将来美人になるだろうと、きっと誰もが期待することだろう。
トイレを待っていたみやびのために、扉を開け放ったまま、電気も消さないでおく。
そのまま彼女と入れ違いに、その場を後にしようとした小夜だったが。
「―――良いお母さんね」
「……えっ?」
「お父さんも。貴方のご両親は、とても素敵な方たちね」
「あ―――うん……? ちょっと、口うるさいけどね。すごく過保護だし……」
「貴方のお母さん。泣いていたわよ」
「……?」
冗談っぽく笑った自分に対して、突然よくわからないことを返されて、小夜は微妙に笑みを含んだ表情のまま首を傾げてしまう。
しかしみやびは
「貴方のお父様もね。貴方が今まで部屋に篭もって、呑気に遊んでいる間にね」
「……泣いてたって……?」
「一番泣いていたのは、貴方の幼馴染だったけど。
笹永陽人も、貴方を大事に思っているのね。だから、退魔師になった―――」
「退魔師……」
確かに陽人は人々のために化け物と戦っていて、辰弥もその助手のようなことをやっているとは、聞いてはいるけれど。
みやびもそれ関係の人間なのだろうか。まだ小さい、可愛い小学生なのに。
そんなことを他人事に頭の中でぼんやり思っている小夜に容赦なく、
みやびの小さな口を通して、新しい情報が入り込んでくる。
「貴方の友達の中に、人間じゃない人がいるそうね」
「……はあ……?」
「まあ。もっと身近にも、ちらほらいるみたいだけど」
「? 身近に……??」
「だけどみんな、仲が良いのね。変わってるけど……」
「……」
戸惑うままに相槌一つ打てず、ついには不思議そうにみやびの顔を見つめ返すことしかできなくなった小夜。
みやびは笑みを口元に浮かべながら、「本当に何もわからないのね」と、一転し、冷ややかな調子のある声になった。
「アンタたちの周りって、頭の悪い人たちばっかりね。
“自己犠牲”なんて……そんなものが本当に美しいと思っていたのかしら? あそこまで自分たちを追い詰めるくらいに頑張っちゃうなんて」
「……ごめん。あの。私、さっきからみやびちゃんが何を言っているのか―――」
「それとも。アンタが周りを見ようとしないから、周りの目も腐ったの? ねえ。どっち??」
話の流れを一度整理しようとした小夜の科白さえ遮りながら、
容赦なくみやびは彼女を追い詰めるように問いかける。
みやびは、吐息が感じられるほどの距離まで小夜に近づき、至近距離で上目遣いに彼女を睨んだ。
その時みやびの脳裏に蘇るのは、抱きしめてくれる父と母の温もり。
そのぬくもりのない見知らぬ土地で、握ったナイフ。
自らの首に当てた、冷たい刃の感覚―――。
「私はアンタほど重い特異体質じゃないから、アンタの気持ち、全部はわからないけど。
アンタとまったく同じで、孤独だった人を知っている。
……たった一人でも心配してくれる人がいるだけで幸せなのに、アンタ、どれだけ贅沢な中で暮らしてんの?」
張られた頬の痛み。
一杯の紅茶の温もりと、自分の頭を撫でる手。
「つらかったね」と、初めて会う自分のために流してくれた彼女の優しい涙は、一生忘れることはないだろう。
「自分一人さえいなければなんて思ってたってね。アンタが生きている限り、アンタがどういう考えをしていようが、アンタの周りは戦い続ける。
アンタの周りの誰か一人が欠けたら、その幸せに気づくわけ。
それとも、すべてを失うところまでいかないと気付けないの?」
「……なにを、言って……」
「今は私の言っていることがわからなくても、すぐにわかるわ。だから今日私が言ったことは、全部覚えときなさい。
今回はアンタのために、アンタの周りの“自己犠牲”とやら大好きな、クソくらえな奴らに協力してやるんだから。感謝するのね」
みやびは唖然としている小夜を指差してはそう言い残して、
折角小夜が電気をつけたままにしてやっていたトイレに入ることなく、彼女の部屋としてあてられた一階の和室へと消えていった。
「……なんなの……? あの子……」
小夜は、ますますわけがわからない。
わけがわからないはずなのに、何故か胸の奥がざわざわする。この嫌な、激しく胸を掻きむしる焦燥は、一体何なのだろう。
バクバクと煩い心臓をそっと抑えて、自分の部屋へ帰っていく。
部屋のドアを閉めてもひどく息苦しくて、それを少しでも抑えようと彼女は唾を飲み込む。
(なんなんだろう……)
ぐるぐるとみやびの科白が頭を回り、強烈に焼き付いて離れない。
“泣いている”―――お父さんとお母さんが?
みやびはまるで、小夜のせいだと言わんばかりだった。
(幼馴染って……まさか)
一番最初に頭に浮かんだのは、眼鏡をした少年。
しかし彼は、自分に対し感情をあまり表に出したことはない。容易く泣くイメージが浮かぶのは、感情豊かで穏やかな、小学生の頃から付き合い始めた陽人の方だが―――。
(私……私……?)
自分の知らない光景の断片が、いくつか過ぎっていく。
やはり、何か忘れている……自分は。
しかもなにか、“一つ”どころではない―――重大な空白。それを“丸ごと”、自分は忘れていると小夜は確信した。
翌日―――学校の放課後。
幼馴染の家の執事の車の中。シュガーとジョエルが他愛ない会話をしているのを片耳で流しながら、外を見つめていたミリー。
話を振られても外から目を離すことなく、表情を特に変えることなく適当な返事ばかりをしていた彼は、ふと、ある光景を目にして反応を示す。
人気のない公園。
彼女が悩みを自分に打ち明けたあの場所が、あっという間に車のスピードで遠くなり、見えなくなった後も、
彼は見開いた目をそのままに凍り付いていた。
見えたのは一瞬だけ。
だが、見間違いではない。あの艶やかでまっすぐな、腰に届く黒髪。
そしてその黒髪ごと細い背中に手を回し、抱きしめていた眼鏡の少年―――。
「……めろ」
「あ?」
「車止めろ! 今すぐ!」
一体何に苛立って声を荒げているのだろう。
その理由もわからずミリーは、聞き直してきた不思議そうな幼馴染に構うことなく、ジョエルに怒鳴りつける。
驚いて車を止めたジョエルに訳も言わないまま、ミリーは衝動のまま走り出す。
……この自分でさえ。あんな風に彼女に触れたことはないのに!!
かつてない怒りに、視界に赤いフィルターがかかってしまったような感覚。
それを嫉妬と呼ぶのだということを知らず。年若いインキュバスは、公園に足を踏み入れた。




