第46話 夢魔―――駆られる想いのままに
陽がすっかり落ちてしまった頃。意識干渉で小夜が家に帰るのを見送った後、
陽人の家に寄って着替えを済ませてから、辰弥の姿で二階堂家に帰宅する歩花。
「……?」
玄関にある見覚えのない婦人用の靴とサイズの小さな厚底ブーツに小首を傾げ、客でも来ているのだろうかと家の奥に足を進めると、
普段食事をするテーブルに、義母と向かい合うように座っている幼馴染の母親と目が合い、歩花は眼鏡の奥で目を瞬かせた。
時は経過し、数時間後―――ドレスコード指定の高級フレンチレストラン。
リリアーヌが選んだ服を身に纏ってドレスアップした彼女と向き合い、リーフェルトはディナーを取っていた。
「髪型も変えればよかったのに」
「……いや。僕は、このままでいいですから」
「でも君、そういった服の方が素敵よ。やっぱりサマになってるもん」
「あはは……」
リリアーヌの満足いくまで金を使い、機嫌を決して損ねないこと―――それが今回自分に課せられたことだ。
ドレスコード指定のレストランにまでまさか、不良御用達の服で行くわけにはいかず。とはいえ、髪型まで変えてしまったら流石にバレてしまいそうで、そこだけはなんとか死守した。
「でも、やってみたらいろんなファッションに挑戦してみるのも楽しいなって」
初めて田井村に選んでもらった服を着た時。正直言えば気分は不思議と悪くなかった。
まさか自分がこんな格好をするなんて。という戸惑いも勿論あったが、初めて見る自分の新鮮な姿を面白いと素直に思った。
「ああ、そうよね……! 男の子だってオシャレ楽しみたいものね?」
「ええ。まあ」
「リオン、まだ十六、七だっけ。楽しまなきゃ、確かに損よね」
赤ワインを煽り、同意するリリアーヌ。
「そっか、学生かあ……。ね、学校って楽しい?」
「? はい」
「私、学校なんて行ったことないからさー。
そういえばリオンって、こっちには留学で来てるのよね? 向こうの学校とこっちの学校、どこか違うところってある?」
「ええ。たとえば―――」
ヴァンパイアの世界の学校と、日本の学校とのシステムの説明をしながら、
リーフェルトの瞳はリリアーヌの手元を時々追いかけていた。
置かれたワインがテーブルを離れ、彼女の唇に触れて、置かれる様子を。
なかなかペースが速いようだ。
そういえばレストランに入る前、「ちゃんとしたワインなんて久しぶりだ」などと喜んでいたか。
(どのタイミングで切り出すか―――)
できるだけ、酒の力で気が大きくなったときを見計らう。
待ちすぎても駄目だ。彼女が会話できないほどに潰れてしまっては、今日の機嫌取りが無駄になる。
今の時点で既に、普段作っている彼女の声のしなが失われているところ。
気取った口調が崩れかけているところから、彼女はそこまでアルコールに強くはないのだろう。
(あんまり待ってられないな……。早めに約束を取り付けないと……)
リーフェルトはナイフで柔らかな肉を切り分け、それを口に運びながら、
会話の合間、にっこりとできるだけ普段通りに彼女に微笑む。
そう。タイミングさえ間違えなければ、自分に課せられたことはそんなに難しくはないはずだと自分に言い聞かせて、胸の内に立ち込める不安の暗雲を払うことで“普通”を保つ。
「……リオンってさあ」
「はい」
「人間のこと、ぶっちゃけどう思ってる?」
唐突な質問。ふと、食事をしていたリーフェルトの両手が止まる。
「……どう、とは……?」
「とっても楽しそうに話してるから。学校、楽しんでるんだなーって。
人間のお友達とかもいるんでしょ?」
「……」
「そんな君が、どういった経緯で血の味を知ったの?」
ああ、来た―――そうリーフェルトは思った。
答えに困る質問が。
リリアーヌはおそらく、人間を憎んでいるか、または食料程度しか考えていない。
ならば、自分はどう返せばいいだろうか。
リーフェルトは歩花との会話を目を伏せ、できる限り思い出す。
『あまりにも答えに困る質問が来たら、適当にぼかしておけ』
『ぼかす……?』
『下手な嘘は見破られやすい。一番無難なのは、イエスともノーとも取れない態度で返すことだな。
それでもしつこく追及してくるようであれば、潔く正直に話してしまえ。ただし、大切な要点だけね。
相手にとって不必要な情報、渡せない情報を咄嗟に頭の中で仕分けし、上手にぼかすんだ。
特にリーフェルト。君は嘘をつくことに抵抗があるから、すぐ顔に出やすい』
『うう……』
『だから重要な質問をされたとき。上手く嘘をつくことや相手を信頼させることよりも、
相手に疑いを持たせないことだけを考えて』
(彼女が欲しい情報は、“どういった経緯で血の味を知ったのか―――”だから……)
「……留学して、まもなく」
「うん」
「ヴァンパイアハンターに襲われて……」
「ヴァンパイアハンター?」
「はい。……死にそうになったところで、その。
たまたま近くにいた人間の血の匂いにつられて……そのまま」
「……」
「……」
リリアーヌとの変な沈黙が流れ、嫌な汗が新品のスーツの下で大量に流れ落ちていく。
(OK……!? これでOK!?
いや、ちょっと単純すぎない……!? これに、もっとこう、フォロー的に何か言葉を繋げて―――)
「それって、事故的な?」
「……え、ええ。本当、事故みたいな感じで」
「なるほどね。でも、人間のこと恨んでないのね? 君を襲った奴らだって人間だったんでしょうに」
「いろんな人がいますからね。ヴァンパイアにも、人間にも……。僕は、そういう感じの考えです」
“ぼかすのはOK。だが、嘘は、決してついてはならない―――”
その言葉を胸の中で何度も繰り返して、とはいえ、この会話の先の展開は一体どうなるのだろうと内心ハラハラする。
そんなリーフェルトに、「そう」とリリアーヌは相槌を打ち、少しソースで汚れた唇をナフキンで拭うと、
年齢にそぐわない、少女のようなどこかあどけなさの残るつぶらな瞳を細めて微笑んだ。
「ね。君……私たちの仲間に興味ある―――?」
「……―――」
まさかの彼女側からのその科白に、リーフェルトの思考は暫し、驚きで停止した。
同刻、午後七時。
ほとんどの家庭が夕食時であるこの時間。木塚家では残業で帰りが遅くなった父親を抜いて、
母、コズエ。娘、小夜―――そしてコズエが受け入れ先として迎えたみやびを含む女三人で、食卓は盛り上がる。
「それで、今日移動してたら変なホストが声かけてきてさー。
『高校生なんですけど』って断ろうとしたら、『全然オッケーだよー』とか言ってきて、いや、普通に無理でしょって―――」
「えっ……!? 高校生でもホストって大丈夫なの?」
「知らないけど。お金とかどうするんだろうね。だって高いんでしょ? ああいうのって」
「いやだ。ハマる子とかいるのかしら……」
「さあ……」
向かい合い座っている母親に明るい笑顔を浮かべて、昼に友人と遊びに行ったときにあった出来事などを話している小夜の横顔を、
愛想笑いを口に宿しつつみやびはじっと見つめている。
一方―――隣の二階堂家の食卓では、
好物の煮物料理を前にしながらも、歩花の握る箸はまったくといっていいほど進んでいない。
料理ではない、テーブルでもない、呆然とそこにはない何かを見つめて、瞳は激しい動揺で揺れている。
そんな義理の娘を向かいのテーブルから静観しながら、茜もまた、どうしていいのかと目を伏せた。
『歩花ちゃん。……私は貴方のお母さんではないけれど。貴方がいっぱい悩んで生きてきたこと、おばさんは知ってる。
小夜の存在を支えにして、あの子を居場所にして、今まで頑張ってきたことも……』
二階堂家にて。襖の隙間から覗き見た、コズエが辰弥の姿をした歩花の身体を抱きしめた先程の光景を、みやびは思い出す。
事情ははっきりとはわからないが、なんとなく彼らの会話だけで把握したみやび。
小夜から強い独特の気配を肌で感じながら、やはり彼女も“自分たち”と同じ運命のもとで生まれたのだと確信していた。
たっぷりとしたロリータの袖の下で、みやびは強く、小さな拳を握りしめた。
―――午後八時。夕食が終わり、いつも仕事で疲れている母親、瑞貴を休ませたいという陽人と、
いつも任せているからたまには自分がやって息子を休ませたいという瑞貴が、
どちらが皿洗いをするかで揉めている間―――突如笹永家のチャイムが鳴る。
「……? こんな時間に何……??」
怪訝な顔をして玄関に向かう瑞貴。
その間ちゃっちゃと自分が皿洗いをしてしまおうと、流しの前に立ちスポンジを手に取った時。
何故か母に呼ばれ、捲ったばかりの袖をすぐに直した。
「またアンタにお客さん」
「え? 俺??」
「そ。しかも大人の女の人」
(大人の女……??)
まったく見当のつかない来客に、ハテナを頭上に浮かべつつ、とりあえず玄関へ向かってみる。
リビングに戻っていく母と入れ違いに来客の顔を見に行けば、
そこには面識のない外国人が立っていた。
「笹永陽人様ですね?」
「……ええ。そうッスけど」
「初めまして。私は―――」
流暢な日本語で。彼女は礼儀正しく身体を折ると、
肩上で揃えられた黒髪を揺らして涼やかに名乗った。
「シュガー・コフィ様のもとで働いております、サリエと申します」
「……コフィ……??」
「夜に申し訳ございません。……貴方と話がしたいのですが、お時間、いただけますか?」
<もしもし。歩花―――?>
食事が終わりリリアーヌと別れた後。
住んでいる街に着くなり、さっそく意識干渉でリーフェルトは歩花に今日の報告をする。
向こう側からではあるが、彼女の仲間と会う約束を取り付けることに成功した。
達成感からの高揚に、半ば興奮気味に歩花の意識に語りかけた。
<……リーフェルト……?>
<ただいま。歩花、聞いて。約束取り付けられたよ!>
<……本当に? それは、すごいな。すごいことじゃないか>
得意な気持ちで、思わず一人でいるにもかかわらず、顔が緩みそうになる。
だが傍から見れば一人でにやついているのはあまりに不審なので、慌てて表情を引き締めた。
<予定はまだ決まってないけど、できるだけ早い日にするから。もう少し待ってて>
<よし……日が決まったら、また作戦を考えよう>
<うん。後で連絡するよ!>
<ああ。お疲れ様>
嗚呼……恋人の声―――やはり、彼女と話をすると安心する。
それまで張り詰めていた緊張の糸がようやく、一気に解けた気分になって、ほう、と息を吐き出した。
(でも歩花、元気なかったな。疲れ気味なのかな……。
……無理もないか。早くなんとか事件を解決して、安心させてあげないと……)
そしてまた平和な日常に戻して、一緒に笑いあいたい。
時には二人っきりで。時には陽人や小夜とみんなで。
戦いは避けられないかもしれない。
しかしみんな誰一人欠けることなく、生きていてほしいから。
たとえヴァンパイアでも、彼らのことも守りたいとリーフェルトは願う。
(そしてみんなとまた遊んで。勉強して。一緒に卒業するんだ―――)
駅から離れて、帰路を進めていくほどに喧騒が遠くなっていく。
そして間もなく、完全に道を歩いているのがリーフェルト一人きりになった、その時。
「お兄さん」
一瞬気のせいかと思うほどの、か細い控えめな声が耳に入ったような気がして、彼は足を止めた。
「……?」
「お兄さん」
辺りを見渡していると、今度ははっきりと、確かに聞こえた。
リーフェルトはそれが背後から聞こえた気がして、振り返った。
「……あれ―――」
「……やっぱり。あの時の優しいお兄さん」
上目遣いでこちらを見ている少女―――。
彼女は、一度会ったことがある。そう……文化祭で会った。
「確か君……ランフランク君の友達の―――」
「はい。文化祭で助けてもらったミイです。あの時は、ありがとうございました」
ミイはぺこ、とリーフェルトにお辞儀をした。
「いえ。……えっと―――今、お仕事中?」
「はい。そうです」
人間界ではまず見ないファッション。
身体のラインを強調させる、ぴったりとした服はサキュバスの伝統服。
しかしミイが身に纏っているのは意外と―――ところどころ愛らしいフリルがついていて、いい意味で十五という年相応の―――そんなにいやらしさを感じないデザインだ。
「お仕事中、だったんですが。お兄さんを見かけて……」
「ああ」
「お礼、言わないとと……思って……」
成程。では、わざわざ人目のつかない場所に辿り着くまで待ってから、声をかけてくれたのか―――と、リーフェルトは笑んだ。
一方。ミイは、もじもじと人差し指をくっつけ合わせて、「あの、その……」と、
ちらちら目を泳がせては、リーフェルトの顔を見、また目を泳がせ……の繰り返しを三度ほど行う。
「お礼なんて、そんな。わざわざ……」
「いえ。……でも、それだけじゃ、なくって―――」
「……?」
「ちょっと、言わないとと、思って……警告……」
「警告……?」
ミイは暫し、もごもごと言いづらそうにしていたが。
やがて意を決したように、彼女はリーフェルトを上目遣いながらもまっすぐ見据えて、
「……一緒にいた、お姉さん」
「……お姉さん? リリさんのこと? ピンクの髪の―――」
「はい。その、一緒にいた女の人なんですけど……。……あの人、その。あんまり、近づかないほうがいいです……」
「……」
「お兄さんたち。私たちの種族のこと知ってるから、わかってくれると信じて言いますけど。
……あのひとも、人間じゃないです」
「……うん。知ってるよ。ヴァンパイアなんだよね?」
「……知ってて、近づいてるんですか?」
「……ランフランク君から聞いてないかな。僕も、ヴァンパイアなんだけど」
するとミイは初耳といった顔で目を見開き、驚いた顔をした。
リーフェルトは苦笑しつつ、自分のことを正直に彼女に伝えた。
リリアーヌと一緒にいた、その目的も含めて―――。
ミイはすべて聞き終えた後。
納得した顔になって、「それでは」と、小さな愛らしい口を割る。
「私も、及ばずながら、お手伝いさせてください」
「……お手伝いって。そんな、無関係な人たちを巻き込むわけには―――」
「いえ」
はっきりとミイは否定を示し。
今までよりも強い眼差しで彼の瞳を見返し
「無関係では、ないのです。
だからどうか、一緒に戦わせてください……リーフェルト王子」




