第44話 水面下の対峙
二階堂家。
自分の部屋でワックスのついた両手を恋人の髪に擦り付けていた、本来の女性の姿の歩花は、
「こんなものでいいか」とリーフェルトの髪から手を離す。
「ん」
「……わあ」
あれからリーフェルトはまた、田井村に選んでもらった服と似たような服を一式購入した。
それに似合った無造作ヘアーに、鏡を渡された彼は声を上げる。
「金関連のリリアーヌの要望は、可能な限り叶えてやれ。王族の君ならできるはずだ」
「うん」
「アドバイスは覚えているな?」
「……えっと。最後の高級ディナーまで、彼女の機嫌をとることだけ考えて。
食事で酒がある程度進んだところで、『君の仲間に会いたい』と頼みごとをする」
「まあ、駆け引きの基本中の基本だな」
「すごいね。そういうの、よくわかるね」
「簡単なことだ。とはいえ、私もセノから教わったんだがな。
……と。君は絶対に飲むなよ? 向こうが酔ったノリで勧めてきてもな。重いアルコールアレルギーだとでも言っておけ」
「わかった」
「最低限のことだけ話せ。素性は絶対に明かすなよ。
あと、どんな話を相手がしてきても、笑顔を忘れずにな」
相槌を打つリーフェルト。
歩花は彼の身なりを整えてやりながら、「いいか?」と口を割る。
「君は、どちらが早く犯人たちを見つけるか、私たち退魔師との競争に勝った。
だから今は君のやりたいようにさせているが、人の命がかかっているだけに悠長に待つことはできない」
「わかってる。一日でも早く彼らに近づけるようにするよ」
「よし。信じる」
強く頷けば、歩花も彼に対し、頷き返した。
リーフェルトは時計を見上げ、時間を確認する。
リリアーヌとのデートの時間まで、あと一時間。
「遅刻は厳禁だからな。今から家を出た方が良い」
「……うん」
「何か困ったことがあれば、スマホでも夢魔の魔石でもいい。いつでも声をかけろ」
一階まで降りて、歩花の見送りを背に靴を履く。
恋人に「ありがとう」と言って、リーフェルトは歩花の身体を抱きしめ、軽く口付けをした。
「行ってくる」
リーフェルトが財布の中のカードと自宅の鍵を確認し、背を向けた瞬間。
背後から何か声が聞こえたような気がして、歩き出した足を止めて再び歩花を振り返った。
「?」
「……どうした。行って来い」
「……うん。じゃあ、いい報告ができるように、頑張るから」
きょとんとした顔の彼女に、気のせいかと、二階堂家を出るリーフェルト。
「……」
恋人が去り、静寂が訪れた一人きりの家の玄関に立ちながら、歩花は唇を引き結び、踵を返した。
(―――みっともない)
つい漏らしかけて慌てて口を閉じた科白。
危うく純情な彼に失望されるところだった。
(『キスしてほしい』。なんて……)
しかも先程のような普通のキスではない。
リリアーヌが、リーフェルトにしたあれを見て以来、あの光景を忘れられない自分がいるのだ。
そんな自分に、半ば呆れる。とはいえ。
(どんな味がするんだろう―――)
細い指先で血色の良い自分の唇をなぞりながら。
ドロドロと煮える嫉妬と好奇心が、彼女の胸の中で燻っていた。
デート場所は銀座ではあるが、待ち合わせ場所は自分が住んでいる場所の最寄り駅から数駅だけ離れた場所だ。
今日のデートで確実に気を付けなければならないのは、リリアーヌの機嫌を損ねないこと。
家を出て十分もかからない待ち合わせ場所なのに、一時間も早く家を出たのもそのためである。
スマホをいじったり、初めて訪れる駅の周りを眺めたりしながら暇を潰し、待ち合わせ時間まであと十五分というところ。
「……おい……?」
遠慮がちな声が不意に耳に入り。リーフェルトはそちらを振り返った。
目に真っ先に飛び込んだのは、特徴的なプラチナブロンド。
いつもとは違う、らしくない……一言でいえば軟派な格好をしたリーフェルトを見て、彼は不審そうに端正な顔を歪めていた。
「……星野尾君?」
「何をやってる? こんなところで。というかその格好はなんだ……?」
じろじろとリーフェルトの髪型から、服、靴まで眺める里央。
普通に話そうと口を開きかけたが、今待ちあわせしているリリアーヌが例の犯人の一人だということをハッと思い出し、身体から嫌な汗が噴き出し始める。
これはやばい。彼は、ヴァンパイアハンターなのに。
「いやっ、その。ちょっと……まあ、あはは。君は、どうしてここに……?」
「働いていたバイト先がここの近くだった。
もうやめているが、お世話になった先輩から一緒に茶でもどうかとメールが来たのでな」
「へえ……」
成熟したヴァンパイアになった里央は鼻が利く。
日頃吸血しているリリアーヌの血なまぐささなど、近づけばすぐに気づいてしまうだろう。
どうにかしなければと焦りだしたリーフェルトに、「リーオーンー」という猫なで声。
最悪のタイミングで一番聞きたくない声が耳に入り、ぎくりとしてしまった。
「ちょ、ちょ、ちょっ……ストップ、リリさん! そこで待ってて!」
満面の笑みで走ってくるリリアーヌを見つけるなり、慌てて彼女にストップをかける。
「?」と首を横に傾げて不思議そうな顔をしつつも、リリアーヌの足はゆっくりではあるが、まだ歩いていた。
そんな彼女に必死でまた「ストップ」と声を張り上げれば、なんとかその歩みを止めさせることに成功する。
「……星野尾君。ちょっとこっちに」
リリアーヌから遠ざけ、道の隅の方へ里央の背を追いやった。
さて、どう里央を帰らせようかと悩みだしたリーフェルトだったが、先に口を開いたのは里央のほうだった。
「おい。……今、なんと呼んでいた?」
「え?」
「僕は彼女と面識はない。見るからに君の知人のようだが。彼女は、君をなんと呼んでいた」
「ああ……うん。実は、ちょっと偽名を使わなきゃいけない状況で―――」
「ほう……」
笑みを象った形の良い口が、ひくりと引き攣った。
リーフェルトの科白を遮り、彼の胸倉を掴みあげる里央。
「人の名前を使って浮気とはいい度胸じゃないか……!」
「……えっ! あ……っ」
言われて、そこで初めて気付いてしまった。そういえばリオンと里央……名前が被ってしまっている。
(しまった。彼のこと、いつも名字で呼んでたから気付かなかった―――!!)
「ち、ちがっ……たまたま……! たまたまだよ!!」
「何がたまたまだ!! 名前のことは抜きにしたって、お前、二階堂さんという女性がいながら……!!」
「違うんです! 落ち着いて星野尾君!」
「落ち着いていられるか! 二階堂さんは僕と美央の友人なんだぞ!?」
「だからっ……その歩花が行って来いって、言っ―――」
「そんなわけあるか! 嘘をつくならもっとマシな嘘をつくんだな!!」
どう自分に都合よく里央の機嫌を見ようとしても、リーフェルトの目には、それがマジギレ以外の何物でもない。
額に青筋を浮かべた里央に怒鳴られながら、
どうしたらリリアーヌの正体に気付かせず、こちらの事情を悟らせることなくこの場をおさめることができるのだろうと困る。
<歩花。歩花―――!!>
腕につけている歩花の夢魔の魔石に魔力を乗せて、恋人にヘルプを求める。
自分では目の前の彼が納得する答えを与えるのは無理だと即座に判断した。
<どうした>
<ごめん。ちょっと今ややこしいことになってて……>
手短に意識の中で歩花に今の状況を説明する。
それを呑み込んだらしい歩花がリーフェルトとの意識干渉を切った後。それまでリーフェルトを罵倒していた里央の口が途中で止まった。
おそらく歩花が上手く里央に何か言っているのだろう。
里央は納得しきれないような顔をしていたが、最後にはリーフェルトは、彼の手から逃れることに成功した。
ふう、と安堵の息を吐き、服を整える。
里央はそんな自分を睨んだまま
「……二階堂さんに免じて今回は許してやる。だが、彼女を泣かすような行為は許さないからな」
「……しないよ。そんな―――」
『そんなこと』、と言おうとした口は、最後まで科白を紡ぐことができなかった。
頭の中に過ぎった、リリアーヌとの深い口付け―――あれを思い出してしまい、そういえば自分は胸を張ってそんなことを言えるような男ではなかったという現実と向き合ってしまったが故に……。
「……なんだ。まさか心当たりが……?」
「な……なんでもない! じゃあ、僕、行かないと……! またね星野尾君!!」
ぎろりと再び睨みを利かせはじめた星野尾にぎこちない作り笑顔を見せて、リーフェルトは早足で、少し距離の開いた場所からこちらを怪訝そうに見つめているリリアーヌの元へ急いだ。
「す、すみません。待たせてしまって」
「……別に? 気にしないけど」
不機嫌とまではいかないが、どこか不穏な調子の返事だ。
しまった……先程の里央との会話で何か不審に思われてしまったかと焦りながら、リリアーヌと共に駅の中へ足を踏み入れた。
「……凄い自信だこと」
リーフェルトの耳に届かないほどに小さく、リリアーヌは一人、そうぼやいた。
それはこの場にいない今自分の隣にいる、少年の恋人に対する呟きだった。
場所は変わって、笹永家。
珍しく休日に家にいる彼の母親が、こと、と小さな音をたててテーブルの上に湯呑みを置く。
普段とは違う緊張に張り詰めた陽人の表情の向かいには、艶やかなブロンドの髪。
女子と見まがうほどの可愛らしい顔が、完璧な笑顔を見せた。
「で。話ってのは、なんだ」
かつて敵対した男―――インキュバス、シュガーの来訪に内心戸惑いながらも、とりあえず話を聞いてみることにする。
シュガーは「えっとねー」と、一つに纏めたブロンドの先を指先で弄び、無邪気な子供のように少しの時間、瞳を軽く上に持ち上げて考え込む。
「笹永君たちさあ。ぶっちゃけ今、人手不足でしょ」
「……どういうこった?」
「君たち悪魔祓いだよ。うちの執事が調べたんだけど、敵って一人二人じゃないんでしょー?
だからぁ、心配して来てあげたの。どーしてるのかなーってね?」
「そりゃあ、どうも……」
冗談っぽさで肝を隠す彼の姿勢に、早くも、こういう相手はやはり苦手だと頭を掻いてしまう陽人。
陽人自身、自分がそこまで強かではないことを理解している。こういう相手との会話は歩花のほうが適しているというのに、何故こちらに来たのだろうかと首を捻る。
「そこで、良いお話があるんだけど」
「良い話……」
「うん。今すっごーく大変そうな陽人君たちに大サービス。聞きたい??」
「……」
「僕の家のボディガードから、使用人まで。みーんな、君たちに貸したげる」
「……マジかよ」
「マジマジ。君たちの忠実な駒として好きなだけ使い放題。
戦力としてはヴァンパイアには劣るけど、猫の手も借りたい今の状況じゃあ……ね?
盾として使うなりなんなりできるって思ったら、悪い話じゃないでしょー?」
つまり。多数のインキュバス、サキュバスたちを味方に付けられるということになる。
彼等の助けを得られるなら、今の状況を考えれば、確かに色々と助かるかもしれない。が。
「……君さ。小夜ちゃん襲った奴の仲間なんでしょ?」
そこで言葉を挟んだのは、陽人の母親の瑞貴。
壁側で胡坐をかいて座っていた彼女は、陽人とシュガーのためにテーブルの中心に用意したはずの煎餅に手を伸ばし、それを前歯で噛み砕く。
「なんでそんな君がいきなり助けるとか言い出しちゃうわけ」
頬張るいい音を奏でながら、瑞貴は問う。
そんな彼女に一瞬だけ眉をひくつかせたが、シュガーは口を開いた。
「やーだなーおばさん。さっき言ったじゃないですか! 陽人君を心配してるって」
「ふぅーん」
「それに……ほら。あともう一人、前のクラスメートが危ないメに遭うかもしれない……ってことみたいだし?」
「……前のクラスメート」
相手の科白の中の単語を思わず陽人が呟けば、愛らしくシュガーは身体をやや横に傾け
「小夜ちゃん。そういえば、狙われやすいんだっけ?」
「……」
「かわいそーだよねー! あんなにカワイイ子が、ヴァンパイアの餌食になっちゃうなんて。
想像しただけで胸が痛くってさー。
笹永君なんて、もっとつらいでしょ? 好きな女の子がそうなわけだし?」
どこか演技がかった科白が、どこかこちらを小馬鹿にしているように聞こえてしまい、陽人は思わず眉をひそめてしまう。
陽人の胸の内の嫌悪感など汲む様子無く、シュガーは「だ、か、ら」と一文字ずつ区切り
「僕の簡単なお願いゴト叶えてくれたら、小夜ちゃん助けるの手伝うよ」
「願い事?」
「すっごく簡単。一瞬で済むことだよー? 願いはほかでもない―――君が、僕にかけた力の封印を解くこと」
「……なるほどな」
溜息まじりで相槌を打つ。
陽人に続き、「なるほどねー」と、彼の隣では瑞貴がハッピータームを齧り何故か納得している。
シュガーは瑞貴をちらりと一瞥し
「……笹永君。僕君と二人っきりで話したいんだけど」
「? なんでよ。なるほどねって言っただけなのにそんな―――」
「……母さん。別の部屋行って」
息子にまで最後に追いやられ、瑞貴はさりげなく煎餅を一枚掴んでから部屋を出た。
座り直して、改めて陽人はシュガーをまっすぐ見据え言葉を整理した後。
「悪いけど。お前らの協力はいらない」
きっぱり、そう言った。
するとシュガーは刹那笑みを消し去ったが、また「ふうん……?」と唇を歪める。
「どうして? なかなかな話でしょ?」
「……まあな」
「僕は確かに君たちと敵対したよー? でも、今の君たちの敵みたいに人を殺したわけじゃない。
そりゃ小夜ちゃんを人質に取りはしたけど、それもあくまで自己防衛のために君の聖書を取り上げるためだよ?
僕の力が戻ったところで、やらかすことなんて、ヴァンパイアの悪さに比べたらカワイイもんだと思うケド」
「そうだな」
「小夜ちゃんのこと、だーいすきなんでしょ?」
瞳を閉じ、再び陽人の唇から漏れたのは、溜め息。
自分のことを、シュガーは見抜いている。小夜への想いの強さも、自分の弱さも。だから自分とサシで話し合うためわざわざ家に来たのだろう。
「なに? あんなカッコつけたことミリーに言っておきながら、小夜ちゃんのこと、結局どーでもいーわけ? 笹永君はさ」
「……そもそも。仲間に対して、盾として使うとかって言い方するお前に不信感抱いてんだけど」
「んー……? 不信感って。どれだけ信用してるったって、いつ裏切られるかもわからないのに。
そういうのって、人間にだってよくある話じゃん? 僕たちだけに限った話じゃないだろ?」
「……あのな」
「あの辰弥君だってそうじゃん。君と長く組んでる相棒だったからって……ねえ??」
意地悪く目を細めた、女性のように蠱惑的なシュガーの微笑。
冷たさを含んだ瞳の中に陽人を映し、意味深に彼は言葉をわざと一度止める。
「裏切らないなんて保証、あるかなあ? あいつだって、君が今不信感抱いてる僕らと半分同じなのに」
「……」
「ねー、笹永君。本当にただ、幼馴染だってだけで人のために尽くせるって思う?
あーいう、スカして何考えてるかわかんない奴ほど怖いって思わない?」
「……。……何言ってんだ……?」
「だって、男と女だよ?
見返りはいらないみたいなツラしてて、本当は小夜ちゃんのこと考えて夜な夜なすっごくキッタなーい妄想してたりして。
あっ、ひょっとしてェ、あいつ小夜ちゃんとそういうことしたくって笹永君のこと巻き込んで利用してるだけなんじゃ―――」
軽口をぺらぺらと叩くシュガーを視界に入れながら、
この時、陽人の頭の中に駆け巡っていたのは、今まで小夜を守るために肩を並べて戦ってきた歩花との記憶。
確かに、歩花は表情に感情を出さない分、何を考えているのかわからないときもあった。―――しかし
「―――せえな」
「……あ?」
「その汚え口……閉じろっつってんだよ……!!」
それは、学校で見せる穏やかな陽人からは想像できないほどの、怒気の篭もった低い声だった。
陽人を惑わせ『辰弥を信じるも自分たちを信じるも同じだ』と思わせるつもりが、とんだ地雷を踏みつけてしまったシュガーは驚きに目を見開き口を閉ざす。
「これから先、一度でもまたあいつのこと貶してみろ。力封印するだけで済むと思うなよ……!」
「……っ、なに。ばっかみたい。利用されてるって言われて、そんなに傷つく?
過去に思い当たる節でもあった??」
「お前に言っといてやる、コフィ。あんま人間ナメんなよ。
……俺は、たとえあいつに利用されてようが駒だと思われてようが、そんなのどうだっていいんだよ」
たとえそれが事実だとしても、自分は歩花を軽蔑しないだろう。
同じ人を守りたいと強く願う気持ち。それが一緒ならば、それだけで自分にとって、彼女は信頼するに値する。
歩花の小夜への愛情は本物だと、たとえ言葉で上手く説明できなくとも、ずっと相棒としてやってきた陽人にはわかる。だからこそ―――
「たとえ利用されてようが、俺は―――守りたいもののために戦う。
けどそれは、小夜だけじゃない。だから、お前らの助けも必要ない」
歩花のことも、守ってみせる。絶対に、こいつらなんかに元相棒を触れさせたりはしない。
汚れない、まっすぐな陽人の目の強さに、臆したように一瞬たじろいだ自分を誤魔化すようにシュガーは鼻で笑い、立ち上がった。
シュガーが笹永家から去った後。
彼を見送りもしない陽人の代わりに、瑞貴は閉じられた玄関目掛けて塩を撒いた。




