第42話 信じるという力
「君は、どうしたい」
潰えたと思っていた、説得という希望。
再びその道を示され、手の中のレコーダーを見つめる一人の若い王子。
「好きにしろよ」
陽人の科白に顔を上げれば、自分を見据えている恋人と友人と視線がぶつかり合う。
「お前がどちらを選ぼうと、俺と歩花、茜さん。星野尾先輩たちだけの戦力で街を守らなきゃいけないっていう今の状況は変わらないわけだしな」
「だから、僕たちのことを考えて迷うことはない。
僕たちは退魔師として、自分たちの仕事をするだけだ」
他の世界の種族に期待はしない。
二人のやるべきことは、何一つ変わることはない。
和解か、敵対か。
どちらを選んだとしても、そこに正解はないのだろうと、リーフェルトは思う。
陽人も歩花も、自分には何も望まない。
ただ―――
「悔いのない選択をしろ」
二人とも、友人として。
王子としリーフェルトが後悔しない道を選ぶことを、真剣に願っている。
それだけは痛いほどに感じられて、胸が熱くなった。
「……でも。僕、リリさんの連絡先―――」
「知らないんだけど」と、続けようとしたその時。
突然スマホが鳴りだし、驚いてリーフェルトはびくりと身体を強張らせてしまった。
「ご、ごめん。マナーにしてなくて。……ちょっといい?」
「おう」
リーフェルトは田井村と彼の友人たちに選んでもらった新品のズボンのポケットから震えるスマホを取り出し、液晶画面を確認する。
一方。歩花はリーフェルトがスマホを取り出す際引き摺り出され、
床にひらりと落ちた薄っぺらい何かが恋人のズボンから床に落ちたのを偶然見てしまう。
『愛しのリリさん♪
×××-××××-××××』
「……!! !?!?!?」
予期せず現れた文字と、携帯番号。
リーフェルトは動揺を隠せない様子で画面を暫し凝視する。
彼が画面に気を取られている間、
歩花はリーフェルトのズボンから出てきたものを拾い上げ、裏返しになっているそれを表にする。
たまたま傍にいたこともあり、彼女の後ろからそれを覗き込んだ陽人の目に飛び込んだのは、
一枚のシールにゴテゴテにデコレーションされた、友人とピンクの髪の女がまるで恋人同士のようにくっつき笑っているプリクラの数ショット。
「……?」
元相棒から、それも全力といっていいレベルの忌々しげな舌打ちが聞こえたような気がして、
陽人は思わず彼女の横顔を見やった。
しかし歩花は、相変わらずのポーカーフェイスで普段通りの表情をしていたので、
とりあえず、陽人は何も聞かなかったことにしておいた。
そんな人間二人のやりとりなど気に留める余裕なく、
電話に出るリーフェルト。
「も、もしも―――」
『リぃーオぉーンー♡ さっきぶり~。いきなりのバイバイで寂しくって、つい電話かけちゃった』
自分の言葉を遮る、吐息混じりの色っぽい声。
くわえて自分をリオンと呼んでいるあたり、やはり電話の相手は、明らかに先程まで一緒にいたリリアーヌのようだった。
「……僕たち。連絡先、交換しましたっけ」
『ううん。食事中君がお手洗い行ってる間に登録しちゃった♪
さっきはひどぉい。折角楽しいデートの途中だったのに』
「う……すみません」
『女の子泣かせたんだから、次のデートで挽回して? おねだりいーっぱいしちゃうんだから』
「はあ」
『勿論、おねだりぜーんぶ聞いてくれたら、三回目のデートは君の要望も叶えてあげる。
オアズケばっかりじゃ、リオンも嫌でしょ?』
「……オアズケ……??」
『たとえば……あの時みたいなキスとか、もう一回したいって思わない……?』
「……」
言われて、あの深い口付けの感触が頭に蘇りかけたが、
慌ててリーフェルトは首を横に振り、煩悩を振り払った。
「あっ、あの……。デートとか、そういうのじゃなくって」
『あら。まんざらでもなさそうだったのに?』
「違っ……そんなことは、今はいいんです!!」
顔に熱が集中しているのを感じつつ、リーフェルトは大きな声を上げてしまった自分を必死に宥める。
恋人が見ている前だ。
いや、恋人が見ていないところでも、今後毅然とした態度でいなければ完全に自分は信用を失ってしまう。
(そうだ……これは、チャンスなんだ!
連絡先がわからないからどうしようって思ってたけど、そうじゃなかったんだから……ちゃんと交渉しないと)
「そんなことよりも、貴方に頼みたいことがあって」
『……んー? それは別にいーけど』
「! 本当ですか!?」
『んふふ。いいわよ? 叶えてあげる。
その代わり、次のデート、ちゃんとしてくれたらね?』
「……えっ……? えっと―――」
まさかそんな条件が降ってくるとは思わなかったリーフェルトは、
引き攣った顔で歩花のほうに目配せする。
歩花は口を閉じたまま、こちらに瞳を向けているだけ。
リーフェルトは口元に手を添えて、
恋人に背を向け縮こまり、声のボリュームを極力絞った。
「あ、あの……。それはちょっと……」
『ただ遊ぶだけよ? 泊まりもしないのに、そんなに気まずいことってある?
いいじゃない、彼女には内緒にしちゃえば』
「いや……あの。実は見られてたんですけど……」
『! あは♪ ほんと~に!? 大丈夫だった!?』
……心配しているかのような口ぶりだが、どこか嬉しそうに聞こえるのは気のせいだろうか。
「ええ……大丈夫です。不問でした」
『……あら。良かったわね』
今度は明らかにつまらなそうだ。
何故残念そうなのかと、続けてリーフェルトは突っ込んだ。
『まあそれは、どうでもいいとして。
次、銀座行かない? カワイイ服沢山見たーい。また今日みたいに服見立ててよ。
あとフレンチ食べーたーいー。いいでしょ? ね??』
どうしたものかと頭を悩ませ、リリアーヌに聞こえないよう、ひっそり溜め息をつく。
「すみません……少し、考えさせてください。また後で電話しますから」
『えー?』
「絶対、かけますから。約束します。だから少しだけ待っていてください」
『……うーん。わかったわ。じゃあ、いつでもかけてきて? 待ってるから』
「はい。では」
『じゃあね、リーオン♡ 愛してる』
「……はあ。では、また後で」
スマホの通話終了ボタンを押し込み、それをポケットにしまいこむ。
「……で。君はどうするんだ? 他の仲間に会ってみるか、それとも敵と見なすのか」
「……うーん。和解、できればしたいけど……」
「デートに誘われていたな。随分君を気に入っているようだったが?」
「……」
歩花の科白に、嗚呼、彼女に先程の会話は聞こえていたのかと、頭が痛くなる。
あまり聞かせたい内容ではなかったのに。
和解か敵対かなどというよりも、まず和解を取るか。そのために恋人を裏切るかという選択肢がリーフェルトの前に立ちはだかり、
季節は夏をとうに過ぎているというのに、大量の汗がいろんな場所から伝い落ちていく。
青い顔で迷う恋人。
それを瞳の中に暫し映していた歩花は前髪を掻き上げて溜め息を吐き出し、
「和解したいんだな?」とリーフェルトに確認した。
「うん……そうなんだけど……」
「わかった。じゃあ行って来い」
「……えっ??」
まさか歩花から許可が下りるとは思わず、目を丸くするリーフェルト。
「彼女の仲間に会える条件がそれなら、仕方がないだろう。
信じるから。君の好きなようにやってこい」
「えっ……でも―――」
「ただし」
ぴらり。歩花の手の中で翻されたのは、彼女が拾ったプリクラシール。
すっかりその存在を忘れていたリーフェルトは、「あ」と言い、
彼女から手渡されるままに、それを受け取ろうと手を伸ばした。
「……?」
リーフェルトがプリクラを掴んだのに、それはいつまでたっても歩花の手から離れない。
ぐぐ、と指に力を入れてプリクラを放さない恋人に首を捻り、
歩花の顔を見てみれば、歩花は口元だけを笑わせながら、笑っていない瞳でリーフェルトの灰色の目を容赦なく射貫いた。
「努々(ゆめゆめ)忘れるなよ。―――私は、浮気を容認していない」
「……―――」
「返事は」
「……ぁっ……はぃ」
「声が小さいぞ」
「っ……はい! あの……!!」
「うん」
「すみませんでした―――!!」
リーフェルト・アップルガース。
普段国民に頭を下げられる立場の王子―――今日、生まれて初めての土下座を経験する。
自分のマンションの一室に帰った後。
リビングのテーブルの上に、覚えのない書置きがあることに気付き、リーフェルトは怪訝な顔でそれを確認する。
「……スターチス兄さん……?」
そこに書いてある文章を読んでから、リーフェルトは改めて噛みしめた。
一枚の紙切れには、勿論兄の気持ち―――そして、歩花の気持ちもそこにはあった。
なんと自分は素晴らしい人々に恵まれているのだろうかと、
ボイスレコーダーの入ったレジ袋を提げている右手に、無意識に力が入る。
『リーフェルト。
今日お前が一緒にいたあの女のこと、サルビアには黙っておく。
“今のリーフェルトに思うことがこの先あっても、信じてやってほしい”という歩花ちゃんの言葉は、
きっとそういう意味なんだろうと思う。
なにがあってもお前を信じてる。けどいつでも頼れ。お前は一人じゃない』
スターチスは気付いていたのだ。
初めてリリアーヌを見た瞬間から、彼女の身体にしみついた、酷い血の匂いに。
(僕は王族。王子だからこそ、知らなければならないことがまだあるんだ―――)
リリアーヌ一人と話したくらいで、心が折れたなどと言っている場合ではない。
星野尾兄妹、ガートルードと出会ったことで、皆それぞれに事情があるということに気付けた。
だから、理解したい。特に同族だからこそ、向き合わなければならない。
そう望んでリリアーヌと接触を図ったのは、誰に言われたからでもない。自分の意志なのだから。
(最後までやり通さなければ。今まで何を学んできたのか、僕はわからなくなってしまうから……)




