第40話 王子の災難 下
料亭内―――和のみを強調した広い個室。
テレビでしか見たことのなかった、キラキラと並ぶ豪華な日本食。
まさか現実で目の前にするとは夢にも思わなかったそれらに、リリアーヌは心を弾ませる。
「日本食は大丈夫ですか?」
「ええ、勿論! 早く食べましょ!?」
珍妙ともいえる日本食が口に合わないという者は国外の人間でも少なくはないが、
彼女は以外にもそれが嫌いではなかった。
「! おーいしい♡」
「良かった」
食事を口に運んで、心底嬉しそうなリリアーヌにリーフェルトは小さく笑う。
時間が暫く経ち、今まで食べたことのない高級なメニューを夢中で食べつくした後、
リリアーヌは幸福感に満たされながら、頬杖を突いた姿勢でテーブルの向こう側に座っているリーフェルトに声をかける。
「ねーえ、リオン? 君って、“向こう”の貴族育ち?」
「……!? えっ? ……えと。どう、なんでしょうね……ハハ」
一般の育ちではないことがバレて、ドキリと汗をかくリーフェルト。
陽人や歩花たちとの付き合いで、一般の同年代の人間たちの金銭感覚は大体掴んではいるものの、
思えば一般の大人と食事に行くのは今回初めてのことだった。
自分よりもずっと年上の女性だ。
友人たちが好むような店ではあまりにも失礼すぎるだろうと気を回してここに来たのだが。
「うふ。いいのよ? 隠さなくたって」
「あー……まあ。一応、貴族は貴族……なんですかね……??」
「嘘が下手なのね?」
「……」
「うふふ」
目を泳がせている年下の少年に、くすくすとリリアーヌは肩を揺らした。
リーフェルトはばつの悪さに顔を赤らめながら目を泳がせ、返す言葉を探す。
そこでふと、彼はそれまで忘れかけていた本来の目的を思い出して、こほん、と咳払いする。
「えと……そうだ。
いくつか貴方に聞きたいことがありまして」
「ええ。そうだったわね?
“私がダンピールか”―――だったかしら」
「はい、そうです。太陽の下を歩けるのは、純粋な種族ではない証拠ですから」
「そうね。でも、私はダンピールではないわ。両親はどちらとも、れっきとした人間」
「……では。貴方も」
しなの入ったゆっくりとした声で応えた彼女は、
リーフェルトに「そう」と相槌を打つ。
「ずっとずっと昔の話よ。ヴァンパイアと人間が同じ世界に存在していた時代。
私は幼少の頃に吸血され、ヴァンパイアになった」
青い瞳でリーフェルトをまっすぐ見据えながら、彼女は一度言葉を止めてから、再度真っ赤な唇を割る。
「ヴァンパイアの世界の古くからのしきたり。
何故十八になったら、人間の血を吸血し成人しなければいけないのか。リオンは知ってる?」
「……? “何故”―――?」
「あのしきたりは、戦争時代に決められたもの。
力のある家は純粋なヴァンパイアを守るため若いうちに子孫を成し、成熟した個体となることで力をつけ、
ついでに人間を同族とすることで駒を増やし、戦力を拡大させる。……私も、その駒候補の一人だった」
「……っ」
衝撃の事実に、頭を殴られた感覚だった。
絶句しているリーフェルトに、
しかしリリアーヌはその美貌に悲壮も何も一切感じさせることなく、あっけらかんと微笑んだままだ。
「駒として訓練を受けても、結局、実戦で使用されることはなかったケド。
使われる前に、ヴァンパイアたちは人間たちとの戦争に敗北し、戦争時代は人間に味方した魔女たちに異世界に飛ばされたのを最後に幕を閉じた―――。
私がヴァンパイアになったのは、そういう理由」
「……そう、だったんですか」
無論、未だ十六の自分は、戦争時代を体験したことなどない。
それでもまったく勉強してこなかったわけでもないが、自分の頭にあるのはあくまで教科書上の知識のみだ。
多くの人間たちが被害にあい、糧にされ、戦力とするために洗脳され駒にされてきた話も、自分なりに本で読んで知ってはいたが、
実際に当時の被害者を今目の前にしてみると、自分が直接何かしたわけではないとわかっていても、罪悪感に気圧されそうになる。
言葉が、流石に見当たらなかった。
どう反応すればいいのだろうか。
肩を小さくして瞳を彷徨わせているリーフェルトを、暫し静観していたリリアーヌは、
すぐに耐えきれなくなったように突如噴き出した。
「……!」
「……ごめんなさい。貴方があまりにも“若い”ものだから、つい……ね?
やだ。同情しちゃった??」
予想から斜め上の彼女の反応に、ついリーフェルトは唖然とした顔になってしまう。
リリアーヌは「優しいのね」とからかうように言い、
「でも、同情することなんて何にもないの。本当にね。
この身体、結構気に入ってるし。老けないし、簡単に傷つかないし」
「……そうなんですか?」
「ええ! 私の血を吸ったヴァンパイアには感謝してもしきれないくらい」
「……」
疑うように、リーフェルトはリリアーヌの顔をまじまじと眺める。
目の前にあるその表情は、言葉通り晴れやかだった。
科白が彼女の本意なのか。本当は違うのか。そこまで見抜く力など、自分にはない。
たとえどれだけその顔をどの位置から観察してみても、きっと時間の無駄なのだろう。
「……先程お茶をしたリリさんの友人も、同じ経緯でヴァンパイアに?」
「ええ。あと私とパンジーの他に三人。彼らも、少年兵となるはずだった吸血鬼たち」
「……みんな、赤目の―――?」
「ええ」
ということは、全員が成熟したヴァンパイアたちということか。
(……ヴァンパイアの被害にあった元人間が、人間を―――)
純粋な吸血鬼の同胞が―――というのもショックではあるが、
これはこれで、受け入れがたいことだった。
「何故。襲うんですか?」
縺れる言葉など、気にかからなかった。
気付けばリリアーヌに、リーフェルトはそう問うていた。
彼女は首を傾げ
「……? 何故って、変なことを聞くのね? 君も成熟したヴァンパイアなのに」
と心底不思議そうにする。
「……すみません。元人間が人間を襲うなんて、珍しいなって、思って」
「そ? 全然珍しくもないわよ?
まあ私の理由を述べるなら……健康と美容のため?? かな」
「……―――」
呆然と言葉を失うリーフェルトに、
無邪気にリリアーヌは悪戯っぽく、肩を竦めてウィンクした。
「ね。リオンて何人兄弟?」
「……兄が三人と、姉が一人です」
「ふうーん。そのお兄さんてェ、ドクシン?」
「……三人とも、結婚してます」
「……そう」
料亭を出た後、「残念」と、肩を落としてぽつりと呟くリリアーヌだったが。
ふと思い出したように顔を上げ、今度は
「じゃあ、リオンは? フィアンセとかいるの?」
「……結婚を考えている恋人なら」
「それって、フィアンセじゃなくて? あくまでただの恋人??」
「……まあ」
「あらあら。うふふ……」
会話を重ねるほどに、リリアーヌは心なしか嬉しそうな顔になっていく。
そこから、食事をする以前より、
リリアーヌのリーフェルトへの態度は明らかに変化していった。
彼を見る目は、女特有の潤いある艶やかなものへ。
彼女の声は幾分か甘ったるく高い調子へ。
なによりも、誰もが不自然に感じるほど、スキンシップと密着する回数が多くなった。
しかし。それらを向けられている当のリーフェルトは気付かない。
否。気付かない―――というより、戸惑いと目の前の女性への不信感でいっぱいで、
既にそれどころではなかった……といったほうが正しい。
誰もが耳にしたことのある、有名なブランドショップに引き摺られ、
ぽつんと取り残されている彼を放置し、リリアーヌは一人アクセサリーを見て盛り上がる。
「ねーえーリオン? このペンダントどう思う?」
「……」
「んー、でも、こっちのほうが……ああ、でもこっちもカワイイ!
ね、どれがいいかしら?」
「……」
「どれもこれも高いしぃー。手持ちのお金じゃあ、一個ずつしか買えないなぁー? んー……」
「……」
ちらちらと艶っぽい熱の篭もった上目遣いを送られても、半ば上の空でリーフェルトは気に留めない。
そんなことに彼女は察することなく、
「ね……買ってくれない? これ、ゼ・ン・ブ」
「……」
「リーオンー? 聞いてるのぉー? ねーえー、リオン??」
いきなり強くそこそこ大きな胸を腕に押し付けられて、
彼女をこの先一体どうすればいいのだろうかと本気で悩んでいたリーフェルトは、慌てて自分の意識を引き戻す。
「……! うん……? えっと―――?」
「やったぁ♪ ありがとうリオン! スキ」
ちゅ、と、音を立てて頬にキスされた。
(……この人は、何をやっているんだろう……)
リリアーヌの行動の一つ一つ。そればかり思う。
今ではもう、何もかもについていけなかった。
若く、育ちが良く、まだ人の醜さに疎い十七歳の王子にとって、彼女は宇宙人そのものだった。
「これ全部頂戴? リーオーン? ほら、カァド」
「……待って。僕が、払うんですか?」
「払ってくれるって言ったでしょー? はーやーくぅー」
「……言ったっけ……」
「言ったもーん♪ 約束破っちゃだぁめー」
「……」
蛇が絡みつくような猫なで声。
どれだけ二人が密着しても、同じ店にいる周囲の日本人たちは彼らが外国人同士だということもあり、
文化の違いだということで眉をひそめたりはしなかったが。
「ほら……ねえ。買ってくれたらお姉さんがゴホウビあげちゃうから……ねー?」
「……約束、したんなら。まあ……」
自分が約束を忘れているだけなのだろうかと疑いつつ、カードを出す。
王族の彼にとってブランド物のペンダントくらい、なんてことはないのだが……。
(……そうだ。払ったら、理由をつけて早く帰ろう。
帰ったら、歩花の所に行って、報告しないと―――)
歩花……そうだ、歩花。
一刻も早く、彼女の元に帰りたい。
あの慈愛に満ちた笑顔。落ち着いた優しい声。月の光のように自分をいつも癒してくれる。
この先リリアーヌをどうすればいいのか、自分にはもうわからない。
店を出た後。
「じゃあ、僕はここで」と言って別れを切り出そうとしたリーフェルトだったが、
「じゃあ、僕は―――」
「じゃあ、買ってくれたゴホウビ♡」
科白を遮られ、次の瞬間―――リーフェルトは、何が起こったのかわからなかった。
息がぶつかるほどの、至近距離のリリアーヌ。
長いピンクの睫毛。
きめ細かい肌。
首に回されたしなやかな腕。
「……―――」
ぬるり。
口の中に予期せず入り込んだ感覚に、頭が真っ白になった。




