第39話 王子の災難 上
リーフェルトは二人の女を追いかけながら、
一度、たまたま通りかかった路地裏に身を隠した。
黒猫に姿を変え、尾行を続行する。
まるでストーカーにでもなったような気分でとても落ち着かないが、
そうも言っている場合ではないので、頑張って二人の女に付いて歩いた。
(リリアーヌという女性は、もう狭山さんに正体が知られているから、簡単に外を歩けるはずはないだろうけど……)
リリアーヌと関わりがあるかどうかは知らない。が、
彼女たち二人の濃い血の匂い―――日常的に吸血していなければ、ここまで匂うことはない。
(どうやって近づこう……?)
心を許してもらうためには、まず自分がヴァンパイアだということを明かさなければならないわけだが。
こんな人が沢山いる都会の中、自分の正体を明かすわけにはいかない。
とはいえ、下手に友好的に声かけでもしたら、逆に警戒されてしまうだろう。
そうなれば説得も難しくなる。
(彼女たちが人通りのない場所に行くとか。それか、なにかきっかけでも……)
そう思ったリーフェルトの目の先、
二人のうち一人が、バッグからスマートフォンを取り出す。
その際、女性らしいレースのついたハンカチが地面に落ちて、
つい、リーフェルトは「あ」と言葉を零す。
気付かずハンカチをそのままに道を歩いている二人と、置き去りにされたそれを交互に目配せ。
(……よ、ようし……!)
意を決し、口でぱく、とそれをくわえて早足で二人を追いかける。
少ししてから信号待ちになり、足を止める二人組。
リーフェルトはハンカチをくわえたまま、その持ち主のすらりとした脚を、肉球で遠慮がちに叩いた。
「……?」
こちらを見下ろすなり、彼女は野良猫に怪訝そうな顔をして、「何? この猫」と首を捻る。
「何くわえてんの? ハンカチ……??」
「……? ……それ、アンタのハンカチじゃないの?」
連れに指摘され、目を見開く持ち主。
じっとこちらを見下ろしている二人の視線に、
チャンスだと察するなり、自分の瞳を赤く輝かせるリーフェルト。
すると彼に二人は驚いたような顔になり、互いに顔を見合わせた。
喫茶店―――
リーフェルトと二人の女たちはテーブル席で向き合い、茶を共にする。
「へえ……リオン君っていうんだ?」
「うん。その、匂いで。僕と同じ人たちがいるんだって、興味があって」
「案外いるもんなのねえ。こんな冴えない島国、住んでるの私たちだけだと思ってたのに。ねえ、パンジー?」
ハンカチの持ち主だった、ウェーブがかった茶髪の連れに、
ピンクの髪をした女がしなを作った声で言いながら目を合わせる。
「あの……貴方たちはダンピール、なんですか?」
「いいわよ、敬語じゃなくったって。気軽にリリって呼んで」
「リリさん?」
「愛称よ。本名は、リリアーヌっていうの」
「……!」
予期せぬ科白に、驚くリーフェルト。
リリアーヌは確か、狭山勇治郎と戦った女ヴァンパイアではなかったか。
しかも、陽人から送られてきたイメージは黒髪だったはずだが。
「私も君のことリオンって呼ぶから」
「……えっ、あ―――いや」
「嫌?」
「そういうことではなく。僕、まだ十六なので。出会ったばかりの女性を呼び捨てるなんて、失礼なこと……」
「あら、本当? ふうん……」
戸惑いを隠しつつ誤魔化すリーフェルトの本心も知らぬまま。
向かいの席に座っている年下のヴァンパイアをじっとりと眺めるリリアーヌ。
「……そういった格好の割に、意外とジェントルマンなのね」
「えっ? っ―――」
田井村たちに選んでもらった服を着用したままなのを、すっかり忘れていた。
リーフェルトはばつが悪そうに顔を真っ赤にして頬を掻く。
別に変につっぱった演技をするつもりなど端からなかったが、どうも気恥ずかしかったのだ。
そんなリーフェルトを見てリリアーヌは瞳を細め、「ふふふ」と、ルージュの乗った唇から妖艶な笑い声を漏らした。
「リオンは、年上はキライ?」
「……? いいえ?」
「じゃあ、これから私と遊ばない?」
「?? はあ……」
「決まりね」
リリアーヌがぱちん、とウィンクすると同時に、彼女の隣に座っていたパンジーが、空になったティーカップを残して席を立つ。
「……あの人は―――?」
「いいのよ、あの子は君より少し大人っぽいのが好みだから。
私は君みたいな子でも大歓迎だけど……ね?」
その科白に、きょとんとした顔で自分を見つめ返してくる年若いヴァンパイア。
リリアーヌはテーブルに頬杖を突いて、たまらなそうにくすくすとおかしそうに肩を揺らし、
「君、カワイイから気に入っちゃった。
今日会ったのも何かの縁だし。……一日、付き合って?」
つう、と艶めかしく、
細いリリアーヌの指先が、飲みかけのコーヒーカップの淵をゆっくり嘗めた。
数十分後―――同じく都会にて、ご機嫌に無邪気に鼻歌を歌いながら道を歩く、とある一人の少女。
「やっぱり日本はいーぃなーあ。カワイイ服もオタクグッズもいっぱいだし!
お小遣い溜めててよかったー」
今日は、ヴァンパイアの世界では祝日。学校は休み。
リーフェルトの姪であり、スターチス・アップルガースの娘、サルビア・アップルガースは、
両手に買い物袋を提げて喜色満面。
「えーっと。待ち合わせ場所はここでいいんだっけ……。
パパ、ママに頼まれてたやつ買えたかな?」
買い物が済んだら指定の場所で待っていなさいと父に言われたことを守りながら、スマホをいじるサルビア。
その合間―――何気なく。
本当に、何気なく。
サルビアは母親譲りの黒い瞳を持ち上げて、自分の前を行き交う人混みを目に入れる―――と。
偶然、鮮やかなブロンドヘアを見つけ、ついそれを目で追いかける。
「―――」
どこかで見たことのある金髪。面影。
ファーのついたジャケット。ドクロのネックレス。普段の彼なら決してしないであろう、そのファッション。
しかし。
自分が赤子だった頃からよく遊んでくれていた彼の姿を、サルビアがまさか、見間違えるはずはなかった。
そして隣を歩いている女性……ピンクの髪をした、見るからに年上の女。
サルビアの知っている彼の恋人では決してない。
サルビアの目はその光景をロックオンしたまま。だが、彼女の華奢な指先はスマホを操り、
やがてその器用な手は、自分の父親への番号を導き出す。
『どうした? サルビア』
「……どうしよう、パパ」
『? まさかまたお小遣いの前借りか? 駄目だぞ、ママに怒られるから。パパが。
この前はつい根負けしたけど、今回ばっかりは―――』
「違うのパパ。大変なの!」
『パパだって大変なんだ、サルビア!! この前お前に2万渡したのがうっかりバレて以来ママに―――』
「不良になったの!!」
『だからパパ……ん……―――?』
「叔父様が! リーフェルト叔父様がグレた!!」
娘の右手の中の電波の向こう側。
途中で言葉を止めたスターチスは、長い沈黙の後、
彼女の言っていることが理解できずに、「はあ??」と、間抜けた声を出した。
一方、戻ってリーフェルト側。
ゲームセンターのプリクラコーナー。
撮影を目的とした密室で、リーフェルトはリリアーヌと二人で並んで立つ。
「ふふふふ。なあに? 緊張してるの?」
「あ、いや」
女性特有の柔らかな身体を押し付けられ、若干リーフェルトは引き気味でうろたえている。
「駄目よぉ、くっつかなきゃ。写真に入らないでしょ?」
「そ、うですけど……」
「あら、緊張してるの? カワイイ。女性慣れしてないのね?」
無論、女性慣れしていないのもあるが、恋人の歩花にさえもここまで積極的にくっつかれたことなどない。
王族生まれで品の良い女性たちばかりを見てきたリーフェルトにとって、
まず、初めて出会った男に対して、こうもスキンシップが激しい女性を相手にするのは生まれて初めてだ。
(こ、こういう人―――フィクションの世界だけだと思ってた……!)
どぎまぎしつつプリクラを何枚か撮った後は、レディース専用の服屋を転々とリリアーヌに引っ張り回される。
「ね、ね、リオン? これはどう? 似合う?」
「うん。いいと思いますよ」
「これは……ちょっとイマイチかしら」
「さっきの方が似合ってましたね」
「でしょ? でしょ?? これやーめたっ」
流されるままに試着室の前で一人待たされ、
次々新しい服を着て自分の前に出てくるリリアーヌを素直に評価していく。
「ねえねえ、これは? どうかしら」
「……うーん」
「ダメー?」
「ああ、ごめん。ダメとかじゃないけど、二つ前の服がすごく似合っていたので、どうしてもそれと比べてしまうというか」
「……そ……う。……君って正直ね」
「すみません」
「いいのよ。正直に言ってくれたほうが嬉しいし」
言い残し、シャッと音を立ててカーテンに隠れるリリアーヌ。
また数分経ってから、
なんとも釈然としない微妙な顔で再び彼女は違う服を着て出てきた。
「……うーん」
「……いいのよ、何も言わなくても。
このスカート可愛かったのになあ。意外と似合ってなくてショック」
「では、上を変えてみたらどうでしょう」
「そうねえ……」
「たとえば……そうですね。少しそこで待っていてください」
踵を返して消えていく連れに、
きょとんとしながら、言われたとおりにリリアーヌは彼を待つことにする。
少ししてから、同族の少年は彼女の前に戻って来た。
三着ほど、服を両腕に抱えて。
「……それ、着ろって?」
「試しに」
「……はあ。別にいいけど……」
女慣れしていない青二才が選んだ服など果たして着られるかと内心毒づきつつ、
リリアーヌは先程よりも微妙な顔つきでそれを受け取る。
「……どうでしょう」
「……」
「? リリさん??」
なかなか出てこない試着室の中のリリアーヌに、
気に入らなかったのだろうかと不安になってリーフェルトは声をかけてみる。
すると、彼の声に応えるようにゆっくりカーテンが開き、
大きな驚愕と戸惑いに彩られた彼女と目がかち合う。
「お嫌いでしたか? その服」
「……キライ、じゃないけど」
「すみません。あまり好みではありませんでしたか?」
「そうじゃない。っていうか、すごく、可愛い……」
「! そうですか! 良かった!」
頬を赤らめてばつが悪そうではあるが、自分の選んだ服は気に入ってもらえたらしい。
ほっとリーフェルトは安堵し、にっこり微笑む。
「君。こういうの意外と得意なの?」
「はい?」
「女の子の服、選んだりとか」
「……う……ん……? 得意、っていうわけでは……。
ああ、でも、姪が何人かいるので。慣れてはいるのかも」
「姪……?」
「よく買い物の付き添いを頼まれていたので」
「ふうん」
スターチスの家のサルビアとは別に、自分とかなり近い歳の姪もおり、服の評価をよく求められたものだ。
彼が選んだものを含む衣服を何着か抱え、リリアーヌはレジへ向かう。
会計が済んで買い物を終えた後、
腹の虫が鳴って赤面した彼女に、リーフェルトの提案で一緒に食事をすることとなった。
「ね。この近くで美味しいお店とか知ってる? 君」
「美味しいお店……ですか?」
「こういうのは男がエスコートするものなんだから。ちょっと、どこがいいか言ってみて?」
無論、未だ高校生のリーフェルトが本当に、自分を満足させる店を知っているなどとリリアーヌは期待などしていない。
ただ、年下の男をからかって遊んでいるだけだ。
そんなことに気付かず、リーフェルトは「美味しい店……」と困った顔で首を捻りだす。
「……僕。ここの土地勘はまだ―――」
「どこでもいいわよ?」
「……んー」
真剣に頭を悩ませている純真な彼を、心の中で可愛いと意地悪に笑うリリアーヌの目の先。
「あ」とふと、思い出したようにリーフェルトは顔を上げ、
リリアーヌを連れて率先し歩き出す。
一体どんな店に連れて行ってくれるのだろうか。一体どんなダメ出しをしてやろうかと陰湿に胸を弾ませていたリリアーヌの顔は、
数十分後。予想を大きく外れたことで、唖然とした表情へと一変することとなる。
「ここ、美味しいですよ」
「……―――」
にっこりと爽やかにこちらを振り返る少年に、それはそうだろうとリリアーヌは突っ込んだ。
都会で人気の高級料亭。
雑誌やテレビに何度も取り上げられるほどの。
最近また、とあるセレブ芸能人の紹介か何かで取り上げられていたような気がする。
「じゃあ、ここで食事を―――」
「ま、待って!?」
まさか自分に払わせるつもりで連れて来たのかと、
声に妙なしなを作るのも、キャラ作りも忘れて、リリアーヌは慌てて入店しようとしている連れを引き留めた。
「? はい??」
「あ、あのねえ! 私が年上だからって君、こんなところ―――」
「?? ……えっと。……ああ。イタリアンとかフレンチとか、そういう……?」
「違うわよ! そうじゃなくって……私、高いところで二人分払えるお金持ってないわよ!?」
「??? こういうのは、男性が払うものだと思ったのですが」
「そう! 普通はそうだけど!! そういうことじゃな―――……」
リリアーヌの言葉がそこで止まり。
一瞬、彼は何を言っただろうかと、「ええっ!?」とリーフェルトに目を見張った。
「えっ!? なんの冗談―――君、が、払うって!? こ、ここのお金……二人分!?!?」
「はい」
「無理無理無理無理! 無理でしょう!? 普通に考えて!!
ここ高いのよ!? 普通の人間が入れるような場所じゃ―――いや、人間じゃないけど!!」
「そうなんですか?」
「そうなのよ! ていうか、普通に考えて無理ってわかるじゃない!!」
「……そうですか、すみません。僕、金銭感覚がどうも他の人と違うみたいで……。
夏にここで兄や姉たちと食事して、美味しかったものでつい……」
「……美味しかっ……」
まさかの科白に頭に衝撃が走り、リリアーヌは言葉を失ってしまう。
兄や姉たち。
一緒に、高級料亭で食事。
大きくズレた金銭感覚―――。
頭に羅列する、彼の科白の数々。
そして、行き着いた答え。
つまり。それは。彼の家が―――。
「では。もっと気軽なところで食事を―――」
「……待って」
その場から離れようとするリーフェルトのファー付きジャケットをはし、と掴み。
リリアーヌは今日一日の中でとびっきりともいえる、輝いた笑顔を彼に見せた。
キャラクター図鑑
田井村一徹
時代の流れによってとうに廃れた元霊媒師一族の次男。私立高校に通う不良、リーフェルトの友人。
一昔早く生まれていれば、兄と共にリンドウや左一たちをも凌ぐ退魔師になっていただろうと言われるほどに強い霊感と力を持つが、本人は力を嫌っている。というのは自身よりも強い力を持つ兄の過去の修羅場を身近で感じていたからで、自分と他人との線引きのために不良をやっている。素は面倒見が良いので、そんな彼の面を見ている少数のクラスメイトにはひっそりと好かれている。
有名バンドのギタリスト、右京の家から婿候補とされ見合いを持ち掛けられているが、平凡な暮らしを望む彼は拒否している。
昔から兄と仲が良く、一時期病んでいた兄を思えば、婚約した現在大いに祝福し自分のことのように喜んでいた。兄の婚約者が自分と年齢の近い甥と姪と住んでいると聞き、里央と美央に会いに聖アイテール学院にわざわざ赴き挨拶に行った際、すぐに彼らが普通の人間ではないと見抜いた上で歓迎している。
田井村俊介
一徹の兄。里央、美央の伯母である日奈子の婚約者。幼い頃から強い霊感に恵まれた大人しい少年。弟より強い力に振り回され苦労が多く、いじめのようなものにもあっていた。
小学生中学年の頃、無理矢理クラスメイトに怨霊が蔓延る危険な場所へと肝試しとして連れ出され、俊介は勘で察するなりすぐに皆をその場から離そうと試みても相手にされず、長くそこに居座ったことによって、結果、自分以外クラスメイトが全員取り殺されてしまうという壮絶な修羅場に巻き込まれる。
その日から小学生時代は心を病んで引きこもり、引きこもりから立ち直った中学生、高校生以降も自ら孤独に生きてきた。
社会人となり、新人時代無理矢理上司に付き合わされた飲みの帰り、終電の電車で星野尾日奈子と出会う。俊介に絡んできた酔っぱらい親父の頬を、横から果敢にパンプスで派手に殴り飛ばし自分を助けた日奈子(たまたま同窓会帰りで酔ってハイになっていた)が酔っぱらいとメンチを切り出したのを慌てて俊介が連れ出し、マンションまで送り届けた。それが運命的な出会いとなり、人外の存在を身近に感じるもの同士婚約にまで至ったという。
メロン
本名は瑪瑙。長い刻を生きた雄の猫又。普通の猫を装って他人の家に飽きるまで住み着いたり、野良猫たちの長をしたり、動物に悪戯や乱暴を働く者たちに罰を与えたりなどと正に猫らしく気ままな暮らしをして生きてきた。現在田井村家に住み着いているのもその気ままな生活の延長線の上に過ぎず、いつかはまた旅に出るつもりだという。
『メロン』は一徹が聞き間違えた名前だが、「オシャレで現代的でイカしてる」と気に入り、敢えて訂正していない。インターネット中毒猫で、趣味はネットサーフィン。ネットスラングを使いこなし、某掲示板で猫に関する題のスレ立てに励み、犬や犬派をディスる日々を満喫している。雌グセも悪く、何又もかけて近所の雌猫と何度も修羅場になっている。顔に傷を作る度一徹の金を使って腹いせにマタタビを通販で購入する迷惑なジジイ猫。




