第16話 Incubus Night2
「エーイベールクーン。あの二人がヴァンパイアとか全然聞いてないんだケドぉ~?」
聖アイテール学院屋上。
美央に殴り飛ばされ痛むこめかみを抑えつつ、不満を垂れるシュガーに、
エイベルは腹立たしげに舌打ちで返す。
それはそのまま、エイベルの科白だった。
てっきりあの双子が、笹永とかいう悪魔祓いに依頼しているのだと思っていたのに。
しかもあの双子。互いの血を吸って強靭な身体を手に入れると、常識外れのパワー押しで手下たちを蹴散らし、まっすぐこちらに向かってくるではないか。
自分の腕の中で眠るこの女だけは渡してたまるものかと奥歯を噛み締めたエイベルと、向かってくる里央たちの間に、その時。割って入ってくる黒い影。
「ストップ」
突如眼前に現れたミリー・バークスと、彼の腕の中で意識を失っている木塚小夜。
彼の手にとって細い喉に突き付けられたナイフを見るなり、里央と美央は顔色を変えて止まる。
その隙にその場から逃走を図るエイベルだったが、
里央と美央の意識に響いた聞き慣れた声に、
彼らはその指示に従い、即目の前のインキュバスたちから離れた。
彼らの頭上には、退魔の札の貼られた水風船。
退魔の札の巻かれた複数のダーツが一つ一つそれらを貫き、
その中身がミリーたちの身体に降り注いでいく。
普通の人間にはただの水と変わらぬ聖水が、
人外である者たちの身体に触れ、じゅう、と音を立てる。
焼けるような鋭い痛みを背中に感じて、ミリー、エイベル、シュガーは悲鳴を上げた。
「何―――」
思わず飛び上がった三人は、自分たちの身体が何やら重いことに気が付く。
しかもその重さは気のせいか、段々増していくような気がする。
どうもその違和感が背中にあると、肩越しに自分の背を見やったシュガーの目に、
ぎょろりとしたガラス玉のような両目でこちらを見上げてくる、小さな異形の生き物が映り込む。
その生き物は、無邪気に二ィ、と笑った。
「なっ、なんだよこいつ……キモッ……!?」
背に貼り付いているそいつに強い怖れを感じた瞬間、
羽ばたき浮くだけで精一杯になるほどの負荷がシュガーにかかる。
具現化した『おばりよん』の札に苦しめられている隙、
続いてミリーの眼前に突如現れたのは、一匹の烏。
リーフェルトが化けているそいつは赤く瞳を光らせると、
開けた嘴から、一切の手加減のない超音波を三人に浴びせかけた。
「……っ―――」
成熟したヴァンパイアの超音波を至近距離でまともに食らったことで、
たまらず失神するミリー。
右手からナイフが零れ落ち、
意識のない小夜の身体がミリーの左腕からずり落ちる。
「俺が行く!」
リーフェルトが出てきた瞬間から、聖書を広げ超音波を防御しつつ屋上入口近くから走り出していた陽人は、
変身を解いて助けようとしたリーフェルトに叫ぶとともに柵を乗り越える。
<星野尾兄妹! ウェインを捕らえろ!!>
物陰でメロンとその仲間たちの野良猫に周囲を見張ってもらいながら、
自らも黒猫に姿を変え、恋人の意識で状況を把握していた歩花が双子たちに叫ぶ。
里央たちと反対方向にすれ違いながら陽人は柵を思い切り踏み切り、
札のついた上着を脱ぎ、シュガーが咄嗟に持ち上げたミリーの身体から、完全に離れ、落ちていく小夜の元へ。
「小夜―――!!」
小夜に向かって投げつけられた陽人の聖書が、たちまち強い光に包まれる。
一冊にまとめられていた聖書のページがバラバラになって広がり、陽人と小夜を囲むと、
二人が地に落ちていく速度はたちまち緩やかなものとなった。
「ああっ! 折角の人質を……あいつ!」
小夜を使い陽人を脅すことで、あの厄介な聖書を燃やすなり捨てるなりしてやろうと思っていたのに!
意識のないミリーを手下に任せてから、
小夜を抱きしめゆっくり地に降りていく陽人の姿を見つけたシュガーが、小夜を取り返そうと羽を広げて急いで下降するも、
どこからか自分の横顔めがけて飛んできたバットをギリギリで回避し、彼は羽を止めてしまう。
「あっ……ぶねーな! このガキ―――」
聖アイテール校内から得物を投げつけてきた田井村に悪態を吐き捨てた直後。
同じ校内でも別方向から飛んできたチェーンを身体に巻き付けられ、シュガーが目を疑うよりも早く、彼は乱暴に学校内に引きずり込まれる。
「大人しくしてろよ?」
廊下の隅で身動き取れない状態のままガチガチにチェーンで拘束され、
痛いだのきついだの喚いているシュガーを放置し、彼を捕らえた本人である傍らのガートルードは楽しげな笑みを浮かべてどこかへ飛んでいった。
(どいつもこいつも、コケにしやがって!!)
奥歯を噛み締めて意識を手下たちに寄せ、
グラウンドでまだ動ける者たちを呼びつけては、自分の拘束を解くよう命令する。
<他の奴らは木塚小夜を探せ! 僕のもとに連れて来い!!>
腸が煮えくり返る思いで怒鳴りつけた。
(こうなったらどんな手を使ってでもあの女を自分の取り巻きにでも加えて、
笹永の前であの女ぐっちゃぐちゃに―――)
シュガーが冷静さを失うほどの身勝手な黒い感情に覆い尽くされている一方。
地に降り立つ前に日奈子の婚約者、駿介の手を借り、聖アイテール校内に身を潜める陽人。
<このままだと、学校の中に入ってくるね>
<ああ。ちょっと結界張ってくる>
立ち直り動き出した外の夢魔たち。
コウモリ姿のリーフェルトと様子を窺い、身を屈めたまま進もうとした陽人の頭に、ふと他人の意識が入る。
<待て、陽人>
歩花の声だった。
<リーフェルトも、念の為。そのままゆっくり、窓から離れて>
<……?>
<おかしい―――>
顔を見合わせて首を捻る陽人とリーフェルトに、彼ら以上に歩花は不思議そうにしている。
<行き先を教えてはいないんだが……>
<誰か来た……とか?>
<……天狗が、来た―――>
ますます彼女の言っていることが理解できないリーフェルトとは対照的に、
陽人がハッとして、慌てて窓から離れるよう友人に伝えた。
聖アイテール学院グラウンド。
ぞろぞろと活動を始めた夢魔たちの視界の外。
ゆらり、大きな羽団扇が闇の中で大きく揺れる。
「学校。壊しちゃ駄目ですよ」
「わーってる、よ―――!!」
逞しい肩の上に身体を伸ばし乗っかっている狐の妻に応えながら、
人外なる者たちに向け、屈強な男はゆっくりとした動作で、長い柄を振り下ろす。
三人の手下たちの手によって拘束から逃れたシュガーの耳に、
開いた窓から、ただ事とは思えない、数え切れないほどの悲鳴が届いた。
たった一振り。
それだけで羽団扇は強烈な風を巻き起こし、その場にいた夢魔たち全員を、まるで玩具のようにいとも容易くふっ飛ばしていく。
「……―――」
成す術無く、校舎や窓にべったりと貼り付き落ちていく手下たちの様は、
シュガーだけではなく、意識を取り戻し屋上からそれを偶然見ていたミリーでさえも呆然とさせる。
「ここまで骨がねえと、挨拶にもなんねェな」
羽団扇を妻を乗せていない方の肩で担ぎ上げ、
笹永陽人と二階堂歩花の師、二階堂左一は、呆れたようにそう呟いた。
屋上付近に待機させていた部下たちになんとか足止めさせて、エイベルは逃げ惑う。
身体はところどころ怪我を負い、息などとうに上がっていた。
それでも明かりのない場所に身を潜め、
彼は気に入っているぬいぐるみを取り上げられないように守る子供のように、
未だ眠ったままでいる日奈子を抱えていた。
何故危険を冒してまで、自分がこの女を欲するのか。
その理由はエイベル自身でさえわからなかった。
意地なのか。
男の狩猟本能なのか。
ただ、子供のようにむきになっているだけなのか。
日奈子の肩を強く抱き寄せ、さらりと彼女の髪を指先で撫でる。
―――このまま彼女を、夢魔の世界へ。
ずっとずっと、自分の傍に置いて、一人占め出来たなら……。
<エイベル様>
自分の荒い息だけが付き纏う孤独の闇の中。
頭に響いた部下らしき声にエイベルは顔を上げ、咄嗟に応える。
<どこにいらっしゃいますか?>
まだ一人ではないということに何よりの安堵を覚え、彼は隠れていた場所から姿を現す。
「どこだ」
エイベルは平常心を半ば失った状態で、焦りの交ざる声で性別のない下級夢魔を探した。
その後――首の後ろに鈍い衝撃が走って、エイベルは動きを止めた。
「じゃあな」
背後から脇腹を蹴り上げられ、抱いていた日奈子が自分の腕から零れ落ちていく。
ガートルードの声に応えた美央が落下する日奈子を受け止めて、
安全な場所へと叔母を連れ出した。
「じゃあな、エイベル・ウェイン。これで全部チャラにしてやる」
夢魔の世界に居た頃、
幼少の頃から自分を散々足蹴にしてきた憎き男を、ガートルードは鼻で笑い空高く舞い上がる。
エイベルは、ガートルードに対してか。それとも何か別のものに対してか。
最後何か言いたげに口を開きかけたが、
背後から純白の鎌に背中を切りつけられ、そのまま高みから落ちていった。




