第11話 仲間の影
「一体どうした。……話とはなんだ。星野尾」
夜。
カラスから辰弥の姿へと見た目を変え、歩花はマンションの屋上に降り立つ。
そこは去年歩花が星野尾兄妹と戦った後、自分の麻痺針で動けなくなった美央を運んだ場所だった。
歩花と共にそこに降り立った里央は彼女に背を向けたまま、
「わからないんだ」と口を開く。
「……?」
「どうすればいいのか。何が美央のためになるのか。ずっと迷っている自分がいる」
里央の深刻で静かすぎる声に、
彼が自分に対して何か、大切なことを話そうとしていると歩花は感じた。
彼女は「待て」と、里央を制止し、
「僕は夢魔の血を色濃く受け継いでいる。君の敵となる相手と同じ種族だ。
本当にそれを話していい相手か、そうでないか。慎重に考えた上で話せ」
「……大丈夫だ。寧ろ、妹を心配してくれた君だから聞いてほしい」
ウェーブしたプラチナブロンドを揺らし、歩花を振り返って里央はぎこちなく笑んだ。
「だから少しだけ。頼ってもいいだろうか」
「……わかった。信頼に応えて、君がこれから話すこと。口外しないと約束しよう」
「助かる」
里央はそう言って少しずつ、自分のことや妹のこと。家族のことを歩花に打ち明けた。
歩花は話をすべて聞き終えてから暫し考え込み。
「そういうことなら。彼女のこと、僕も色々と考えてみよう」
「ありがとう」
真摯な表情で自分たちの事情を受け止めてくれた彼女に、里央は安心した気持ちで礼を述べた。
同刻。場所は、ある高級マンション。
複数人間がルームシェアするには十分すぎるほど広いリビングで、座り心地の良い良質な椅子やソファに寝そべり、
ミリー、シュガー、エイベルたちインキュバスたちは、聖アイテール学院の制服を身に纏った女子たちを各々二、三人はべらせ、チューハイを煽っている。
彼らの身体にしなだれ、絡みついている人間の女生徒たちは皆とろんとしていて、どこか正気ではない目つきだ。
「そういやエイベルさーぁ。日奈子センセーとはどーなったわけ?」
自分の脚の間に座らせている女子の後ろ髪に顔を埋めながら、
シュガーは思い出したようにエイベルに話を振る。
するとそれまでスマホをいじっていた友人の眉間に皺が刻まれたのを見て、
意地の悪い笑顔をにやーっと浮かべた。
「まだ落とせないのー? あはははァ♡ だっさ」
「うるせーな……」
「自信満々なツラしてたくせに手間取ってんねぇ。邪魔でも入ってんの?」
「……別に。姪っ子だか甥っ子だか知らねーけど。いちいち視界に入りこんできてウザすぎ」
「身内が敵ねえー。でもそいつらだって人間でしょ? やっぱダサいんじゃん。
あーあー最初は自信満々だったくせにさ。ミリーも最近必死すぎだし?
全然サヨちゃんに相手されてなーいしねーぇ?」
くすくすと肩を揺らすシュガーに一瞥をくれてやることもなく、
自分の隣に座っている女子の唇を解放するなり、舌打ちだけを返した。
「サヨちゃんってすっごくモテるよねー。
クラスの奴らみーんな寄ってタカってガードしてるし。なんの見返り求めてんのか知らねーけど。特に笹永とか」
「別のクラスのドーテー臭ぇ眼鏡とかな」
「僕あーいうスカしてるの嫌い。同じクラスだったらぜってーイライラしてる」
確か彼女に聞いてみたところ、二人とも古い馴染みとか言っていたか。
特に冴えない眼鏡は家が隣同士だとかなんとか。
「まーあの眼鏡はどーでもいーけどさ。
ひょっとしたら笹永って、僕たちのこと勘付いてるかも」
悪友の科白に、そこで初めてミリーとエイベルが興味を引かれたように顔を上げ、彼に視線を集める。
「この前夜飛んでたらさー。たまたま見ちゃったんだよね。
あいつがなんかと戦ってるトコ。なーんか化けモンみたいなやつ」
「化けモン?」
「ただの人間じゃないっぽい? みたいな。
分厚い本持って変な力使ってた。なんか、アクマ祓いみたいなカンジ??」
「……マジかよ」
ミリーは億劫そうな顔になり、エイベルと目を合わせた。
エイベルもまた不審そうに顔色を変え、
「そういやそのサヨって子、どっか変わってるとか前に言ってたよな。
その子もひょっとしてアクマ祓い関係とか?」
「さーあ? そこまではわかんない。違うんじゃないの? 僕たちのこと気付いてないっぽいし」
「あの女モノにして吠え面でもかかせてやろうと思ったんだがな。ヤメだ、めんどくせぇ」
夢魔の身体能力自体は人間とそこまで変わらない。
自分たちは長年人間と争ってきたヴァンパイアたちなどとはまったく違う。
ただ他の女子たちとは異質な雰囲気を放っており、自分の誘惑になびかなかったから興味を持っただけで、
悪魔払いなんて厄介なものと対峙してまで、ミリーは木塚小夜が欲しいとは思えなかった。
「ヤメちゃうんだ? まっ、解消するだけなら、替えはいくらでもいるしね」
「そういうこったな」
シュガーは隣に座る女子の腰を片手でホールドして唇に噛みつき、
ミリーは先程キスをしていた女子の首を鼻先でくすぐった。
「……」
悪友たちが没頭し始めたのを尻目に、エイベルの瞳は再び、手元のスマホへと戻る。
液晶画面の中には、担任の星野尾日奈子。
彼女はきょとんとした無防備な顔で、彼をまっすぐ見つめ返していた。
二日後の放課後。
リーフェルトは学校帰り歩花を誘い、紅茶を淹れた。
インキュバスとのことや、試験のことなどを挟んで忙しかった分、
本当の姿の恋人と、こうしてゆっくり寛ぐのは久しぶりな気がする。
「……今夜もまた、行くの?」
「ん……?」
「星野尾君のところ」
リビングでソファに腰かけて彼女と向かい合った状態で、
面白くない気持ちを隠しながら、ティーカップを片手に問うリーフェルト。
「……彼だけに会いにいくわけじゃないんだが」
「うん。……そうだけどね」
「なんだか……なんだ。浮気を疑っているのかな、君は」
「……そうじゃないけど」
歩花が星野尾兄妹の家に通わなければいけないのは、仕方のないことだ。
それは十分わかっているので口を閉ざしているが、
たまに衝動的に、子供のように駄々を捏ねてしまいたくなる。
しかしそれをやってしまえば、自分は男として終わってしまう。
いつも涼しげに落ち着き払った里央の顔を思い浮かべて、彼に何とか対抗すべく、じっと耐えている。
「……まさか君。嫉妬してくれているのか?」
「!」
歩花に不意討ちでストレートに尋ねられ、不覚にも面食らってしまった。
うっかり情けない顔を見せてしまい、「そうか」と、楽しそうに口の端を吊り上げられてしまう。
「そんなこと……!」
「ごめんごめん。馬鹿にしているわけじゃなくってね。
そうだな。じゃあ、誤解されないように気を付ける」
まるで自分を子供扱いしているような言い方に、リーフェルトは少しむっとした。
困った顔をして歩花は、「馬鹿にしてないよ」ともう一度恋人に言う。
「……確かに告白したのは僕の方からだし。
歩花は嫉妬したりとか、そういうことしないんだろうけど」
彼女が自分を想う気持ちより、自分が彼女を想う気持ちのほうがずっと大きい。
歩花が他の男と親しくしているとたまらなく不安で、黒い感情で胸が満たされて苦しくなる。 そしてそんな思いをしているのは自分だけだという事実が、頭では理解していても歯がゆくて。
自分は、こんなに真剣なのに。
恋人から漏れたのは、苦笑交じりの溜め息だった。
「本当に私を買い被っているんだな、君は」
「……どういう意味」
「あのね、リーフェルト。私は、君が思うよりもずっとつまらない女なの」
「……?」
彼女が何を言っているのか掴めなくて、首を捻る。
歩花は飲みかけの紅茶を置くと、
ソファから立ち上がり、テーブルを挟んだ向こう側にいるリーフェルトの隣に腰を沈めた。
華奢な手が、制服のブレザーの内側にきちっとしまい込まれているネクタイに伸びて、
それを外へ引っ張り出す。
「っ―――」
突然強い力で彼女のほうに引かれたと思った瞬間。
リーフェルトの唇が、彼女の唇とぶつかった。
瞑ることも忘れ、目を白黒させる自分の肩に、歩花は額を埋める。
「……本当に、嫉妬したことがないって。そう思っていたのか?」
歩花はそのままそっぽを向くように、リーフェルトの肩にこめかみを押し付けて。
「みっともない女で、悪かったな」
そう言った彼女は、ちょっぴり、どこかむすっとした声だ。
「ごめん―――」
リーフェルトは謝り、おずおずと彼女の身体を優しく抱きしめる。
嗚呼。彼女も同じだったのだと、今更気付く。
ただ格好悪くて、醜く我儘な自分を知られて幻滅されたくなかったから、黙っていただけで。
口に出して不満を漏らしてしまった自分が、なんとも恥ずかしい。
これでは子供扱いされたって仕方がないじゃないかと、彼女の温もりを感じながら内心落ち込む。
そんなリーフェルトの身体に歩花は手を回し、抱きしめ返して背中を叩いた。
「別に、いい。お互い様だから、もう少し我儘にしていて」
「……嫌じゃない? そういう男の人って」
「寧ろ上等だな。その分、私も好きにするから」
歩花は「ねえ」と顔の向きを変えてリーフェルトの首の付け根あたりに額を摺り寄せ、
今度は軽い力でネクタイを引き、
「私は、みっともないか? 期待外れか?」
「……ううん。そんなことないよ」
「そう。じゃあ詫びろ。傷ついた」
「!? えっ……!」
「……」
「詫び……詫びるって……どう……」
「早くしろ」
「……あ……、ごめん。勝手に君が、嫉妬したことがないなんて言って」
「……詫び方が違う」
「……えっ! えっ、えっと……」
「時間切れだ」
謝る以外に一体どう詫びればいいのかとあたふたし始めたリーフェルトの腕の中。
彼の恋人は床に向けて垂らしていた両脚をソファの上で畳んで、膝立ちになる。
四本ずつ揃えられた両の指先でリーフェルトの顔を上から持ち上げ、
やや高い位置から、意地悪な笑みを浮かべて歩花は再びキスをした。
「歩、花……」
「ファーストキスは君から。セカンドとサードは私から。
追加で、今からあと七回、私からキスをする」
「―――!」
「罰ゲームだ。
受け身でないとなにもできん、女に恥をかかせたヘタレとして今日一日を終えてしまえ」
「そっ、そんな……っ!」
「強い女がお望みならやってやる。……寂しかったんだろう? リーフェルト」
強気を装って笑う歩花の顔は、茹で上がったように耳まで真っ赤に染まっている。
リーフェルトの顔を両手で固定し、これで四回目、五回目と口づけをするごとに、
やはり恥ずかしいのか、小刻みに震えていく小さな身体。
「駄目」
耐え切れず合間に自分からキスを迫るも身体を押し返されて、
もどかしさが募るあまりに、リーフェルトも涙目になる。
沸騰しそうな頭の中で口づけの回数をカウントし、ようやく十回目というところ。
恋人の羞恥で潤んだ瞳と至近距離で視線がかち合い、リーフェルトの中で何かが切れる音がした。
柔らかなそれが触れる直前、リーフェルトは恋人の二の腕を掴んで強引に噛みつきに行く。
また「駄目」と、身体を離し逃げていく歩花の唇を追いかけて半ば無理矢理押し倒し、
彼女の名前を呼んで甘い果実をせがんだ。
「歩花」
「やだ」
「こっち向いて」
「駄目」
「ヘタレになっちゃう」
「別に? 僕は構わないが?」
頑なに横を向いて抵抗する彼女は、楽しそうに笑っている。からかわれている。明らかに。
今、本当に子供扱いされているのだとプライドが刺激されて、それが更にリーフェルトをムキさせた。
「歩花ぁー……」
一方。寂しげな色になっていくリーフェルトの声の調子が堪らなくおかしくて、笑いが止まらない様子の歩花。
このままではやられっぱなしで終わってしまう予感を感じて暫し考え込んだリーフェルトの頭に、
ふと何かが浮かび、彼は改めて自分の下にいる彼女を見下ろした。
「いいよ。じゃあ、こっちをいただくから」
言うなり。歩花が自分を組み敷いている男を見上げるより早くリーフェルトは身体を屈め、
柔らかな首を甘噛みした。
「……! こら」
悪さをする子犬を注意するような、彼女の制止を黙殺してやんわりと皮膚を唇で挟む。
我儘になってほしいと言ったのは歩花の方なのだから、これくらいは許されるだろう。
ゆっくり下へ下へと唇と舌を滑らせじっくり味わいつつ、
彼女の制服のシャツに両手をかけ、上からボタンを外していく。
息を詰めて身を捩る、歩花の衣擦れの音を片耳に。
そのままスムーズに、なだらかに流れる肩へ降りていけば、前に噛み跡を付けた時の傷跡に辿り着いた。
消えかかっている自分の吸血痕をじっとり時間をかけて舐め回し、
治りかけたそこを鮮やかな赤で上塗りするように、牙を立てて噛みついた。
「あっ」
痛みに反応し、反射的にソファに寝そべった状態で天井を仰いで背中を反らせた恋人の隙を狙い、
リーフェルトはすかさず歩花の肩から離れ、右手で顎を捉える。
そして今度は彼から、十回目のキスを。
リーフェルトの目論見は、見事成功した。
「―――……」
頬を染めてばつが悪そうに言葉を失くしている歩花に、
彼はしてやったりと緋色の瞳を細め、得意げにニッコリ微笑んだ。
「ふむ……話は大方わかったぞい」
星野尾兄妹と日奈子が住まうマンション。
吸い込まれるように美しい翡翠の瞳で、里央、美央と向き合う小さな影。
その愛らしい姿に似合わぬ男性老人の声で相槌を打ったのは、二本の尾を持つ白い猫。
ゆらり。ゆらり。長い尻尾を不規則に揺らして、老猫はにんまり笑った。
「優れた妖の血をひいているとて、たまに猫の手も借りたいときくらいあるじゃろう。
特別に、見返りは無しでよいぞ。……大船に乗ったつもりで。とまでは、言えぬがの」




