第5話 安心感
ガートルードと戦った翌日。
歩花は学校帰りにリーフェルトの家に寄り、彼と向き合って、リビングのソファに腰を沈める。
「話って、何?」
首を傾げる恋人に、歩花は女子の姿で制服のズボンを握り締める。
……自分が彼の婚約者になれるか。その地位に相応しいかといえば、そうではないと思う。
しかし、付き合うからには自分も真剣に彼の気持ちに応えなければならないし、そのために、きちんと報告しなければならない。
とはいえ――どう切り出せばいいのだろうと、緊張する。
伝え方によっては、彼のプライドに傷をつけることにもなるのだから、迂闊にただ真実のみを口にすればいいわけではないのだろう。
瞳を伏せて困っている歩花に、リーフェルトも笑みを消してじっと見守る。
なにか大切なことを自分に伝えようとしているのだろうと、なんとなく察したのだ。
歩花は小さな口が開きかけたと思えば、また閉めて。
瞳を自分の方に向けたかと思えば、また逸らして。なんとももどかしそうにしている。
「……悩み事? それとも、不安なことでもあるのかな」
「……あ……」
自分から尋ねてみることで、少しでも話しやすくしようと努めてみると、
歩花の口から小さな声が漏れた。
言わなければ。言わなければ。
きちんと、自分の口で。
意を決し。息を呑んで、歩花はまっすぐ、リーフェルトを見据えた。
「私――っ」
「……うん」
「……邪魔じゃないか……?」
「? 邪魔??」
「試験勉強の時、その、一緒に勉強したりとか……」
彼女の口から、出てきた科白は
(……あれ……?)
本当に伝えたかったこととは、まったく違う内容だった。
「うん? 邪魔じゃないよ?」
「そうか?」
「うん。わからないところを聞いてくれると、僕も教えながらいい復習になってるし」
「……そう。それならよかった」
全然良くないことはわかっているのに、良かったなどと抜かす唇は一体何なのだろう。
笑いたくもないのに、勝手に笑みを作ってしまう自分の顔も。
自分の気持ちを置き去りに、顔の筋肉が自然と意に反した方向へと動く。
「はは……っ」
「……うん」
「……」
「……」
乾いた笑いと相槌を最後に、沈黙が訪れた。
(……どうすればいい……?)
ぐるぐるとその言葉ばかりが回る、歩花の頭の中。
まさか自分がこれほど甘えられない性分だとは思わなかった。
男は少しくらい甘えてくれる女の方が可愛げがあって好きなのだろうから、小夜ほど可愛らしくはできなくても、恋人ができれば必要に応じてそれらしく振る舞えるだろうと――それくらい、歩花は自分を強かな女だと信じて疑っていなかったのだが。
(そもそも私はどうしたいんだ……?)
リーフェルトに言って、彼に一体どうして欲しいのだろう。具体的にそれを口にできない今の自分に気が付く。
まさか一生かけて守ってくれなどと言えるはずもない。それで彼の身に何かあって平気かなんて考えたら答えはノーだ。
「……リーフェルト」
「うん?」
「もし私が君のところに嫁いだら、私の存在はヴァンパイア中に知れ渡るのか?」
「……そうだね。そうなるだろうけど。半サキュバスだということを隠してヴァンパイアとして生きてもいいんじゃないかな。
半人前で一生を終えたがるヴァンパイアもいるしね。特に元は人間だった人たちとか。
ただ心配なのは羽の形がね……。複雑な混ざり方をしているから、ヴァンパイアの形にも夢魔の形にも見えないけれど。念のため必要なとき以外、飛んでいるところはあまり人に見せないほうがいいかもしれないね。
そういう不便はあるだろうけど、大丈夫かな」
「ああ……人間界にいるときと、そう変わらなそうだ」
リーフェルトは首を横に傾け、「悩み事は、二つだけかな」と歩花に問う。
「違うんだ」と彼女は胸の内で声を上げるが、また自身の意志に反して、頷いてしまった。
「そう。少しは安心できたかな」
「うん……」
「でも嬉しいよ。ちゃんと結婚のこと、考えてくれてるんだね」
言葉通り心から嬉しそうに笑うリーフェルトに、深く胸を抉られる歩花。
手ひどく彼を裏切っている気分になって、悲しくなる。
どうして言えないのだろう。この先、ランフランクの正体もD組の転入生のことも、隠し通せるわけがないとわかっているのに。
小夜をきちんと見ているように、陽人に言わなければならない。
しかし陽人に言う前に、恋人であるリーフェルトの耳にまず入れる必要があるのではないか――そう考えたから、ここに来たのに。
陽人の口からインキュバスのことなど知られたら、どうしてまず最初に自分に言ってくれないのかと、悲しむかもしれない。
リーフェルトは歩花の隣に移動して、「おいで」と細い腕を引き、彼女の身体を抱きしめた。
「歩花って、僕とは全然違うよね」
「?」
「優しくて、気丈で、強くて。
僕は不安なことがあったらすぐに兄さんたちや君や陽人君に言っちゃうけど、君はそうじゃないから。そういうところ、尊敬してるんだけどね」
「――そう……」
彼の目から、自分はそんなに殊勝に映っているのか。
やはり買い被ってはいないだろうかと、改めて怖くなる。
『命の恩人』だと、美化されてはいないだろうか。
もし、自分がそれほどの女ではないとリーフェルトが知ったら、今自分が感じている彼からの愛情はどこへ行ってしまうのだろう。
「でも歩花は、笑ったほうが可愛いよ?」
温もりを身体いっぱいに感じながら。
歩花は彼の肩に顎を乗せたまま、わずかに顔を上げる。
「強がって自分に嘘をつかなくても、誰も君を馬鹿になんかしないよ。
木塚さんを守って、陽人君を支えて、僕を助けてくれた。君はもう、十分強いんだから。
素直に沢山泣いて、素直に沢山怒って、素直に沢山恥ずかしがって、最後に沢山一杯笑ってくれたら、それでいいんだ」
予想しなかった科白たちがリーフェルトの口から溢れ出る度に、
萎れかけた歩花の胸の奥が潤い、熱くなっていく。
「僕……情けないから。最初は君の助けになりたいって言いながら、ちょっと君に甘えたかったんだ。
歩花はいつも、元気になる言葉を僕にくれるからね。……でも」
彼は歩花から身体を離すと、彼女の額に自分の額を重ね、
「今はね。甘えたいっていうよりも、本気で格好つけたいって思うんだよ」
歩花はリーフェルトの額の熱に酔いしれながら、遂に、感動に涙を零した。
一体、自分は彼の何をわかっていた気になっていたのだろう。
彼がどれだけ自分を愛してくれているのか。それは自分が想像するよりもずっと、確かで深いものだったのだと、今更気付くなんて。
(結局私は、ただの女なんだな……)
女扱いされると嬉しくて。
守ろうとしてくれる姿勢に感動して。
気になる男子と踊ると、緊張して。
デートをすると舞い上がって。
恋人が他の女子と親しげに話していると、やきもちを妬いて。
(そうか。ただの女で、いいんだ――)
そう感じた瞬間。今まで張っていた気が、すべて降りた気分になる。
嗚呼――それを受け入れることがこんなに落ち着くものだとは思わなかった。
なんて楽な気分なのだろう。
つまらない、弱くて平凡な女でも、リーフェルトはそんな自分まで丸ごと許して愛してくれる。
あのランフランクとは、全然違う。
今なら素直に、なれる気がした。




