第3話 意外な敵
昼休み。
一緒に食事を摂ろうとリーフェルトを迎えに行った歩花の目に、二人の女子に囲まれている見慣れたブロンドが映り込む。
どうやら自分の恋人は、彼女たちに勉強を教えている最中らしい。
邪魔しては悪いだろうと、クラスの外から彼らを見守ることにする。
やがてお礼を言って彼から離れていく二人の女子たちを目で追えば、
一人の子は赤く染まった頬を冷やすように手を当ててはにかみ、もう一人の子はそんな子を茶化す様に、肘で友人を突っついていた。
リーフェルトは誰に対しても優しい。
誰を相手にしていても、平等にいつもの笑顔を向けられる。
(……なんだかな―――)
ちょっぴり、呆れた。
しかし彼女が呆れたのは、他の誰に対してではなく、自分自身に対してだ。
ずっと、素敵な恋愛を夢見ていた。
そして付き合うなら、友人と恋人をある程度きっちり線引きしながらも、誰にでも優しい人がいい、とも。
極端に、特別な訳もなく世渡りという範囲から踏み外したコミュニケーションを取る人間。態度を人によって大きく変える人間は信用できない。
そう思ってきたからだ。
だから歩花はリーフェルトを好きになり、そんな自分の目に間違いはなかったと今も胸を張れるが、
たまに最近、『自分にだけ優しくしてほしい』と言う女の子たちの気持ちもなんとなく、わかるような気がしてきた自分がいる。
(どうしようもないな。僕は)
正直。自分はもう少し大人だと思っていたのに。
リーフェルトと付き合ってから、どうも痛感させられることが多くなった。
案外自分は、つまらない。どこにでもいる女子とそう変わらないのだという事実に。
席を立って教室を出ようとした彼と目が合い、ニッコリとした微笑みをもらう。
嬉しそうに駆け寄ってくる彼に歩花もつられて笑ってしまいながら、屋上へ向かった。
学校が終わり、友人たちと別れて歩花は帰宅する。
二階堂家。相変わらず静かで、誰もいない自宅。
帰るなり手洗いうがいを済ませると、
男子の姿のままポテトチップスを台所の棚から引っ張り出し、二階にある自分の部屋を目指した。
「……」
座布団に座るなり、学生鞄を引っ掴んで中を探る。
そこから彼女が手にしたのは、封筒だった。
実は放課後。帰宅しようと下駄箱を開けた時にこれが入っていたのだ。
もし告白の手紙なら、今日中の呼び出しかもしれない。このまま帰ってはいけないと、その場でこっそり中身を覗いてみたところ、
まったく違う内容にすぐ手紙をしまいこみ、持ち帰ったのだ。
『退魔師、二階堂辰弥へ。
明日の夜十二時、皆実先高校の屋上で待つ。
勝った暁には、貴方を妻とし迎えたい』
「妻、ねえ……。『出世の道具』の間違いだろう」
テーブルに頬杖を突き、
手紙を開いていない手でポテトチップスを齧りつつ、一人吐き捨てた。
自分に対し妻になってくれなどと言いだす奴らなど、正体は決まりきっている。
何度か不意に夢魔たちに襲われたことはあっても、こんなふうに手紙で堂々呼ばれるのは初めてだが。
「まあ。罠だろうしな……」
夢魔に、正々堂々という辞書はない。
見えている敵が一人のようでも、多数どこか見えない場所に潜んでいるなんて当たり前。
偏見ではあるが、そう考えて戦いに臨んだほうが良い場合が多い。
(さて。どうしようか―――)
罠とわかっているのだし、
信用ならない連中の誘いに乗って素直に出向くなど、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
本当ならパスと言いたいところだが。
学校が知られているなら、下手に刺激して人質などとられても面倒だ。
対策を考えなければ。
(今回も上手に、すべて叩き潰さなければ)
翌日、深夜。
歩花は大槌を背中に家を出て、空を舞う。
ただし、姿は辰弥のものでも歩花のものでもない。
母の魔の力を借りた退魔師の札を身体と羽に貼ることで容姿は違う人物を装い、
羽は完全なヴァンパイアのものの形状に見せていた。
時々猫に化けたり霧になったりして、学校の外に夢魔たちがいないかを探してみるが、
誰も潜んではいないようだった。
(では、学校の敷地内か……約束の時間までの三十分、探してみるとしよう)
次はカラスに化けて学校に侵入し、歩花は校庭や木の中を飛んで敵の姿を目や気配で求める。
念を押してヴァンパイア姿でサキュバスの尻尾を使用し、敵をダウジングし探るが、野外には誰の気配もない。
再び霧へと姿を変えて学校内に入り込み、猫の姿で敵を探し、ダウジングする。
だが何の反応も示さないのを見る限り、本当に誰もいないようだった。
(本気で一対一か? いや、まさか)
今までの経験からどうしても疑うことをやめられない歩花だったが、約束の時間はもう迫っている。
致し方ないと一度諦めて、
彼女は屋上へ向かうことにした。
ひょっとしたら屋上にチンピラよろしくぞろぞろと……という光景を想像したのだが。
屋上まで羽を伸ばして様子を窺ってみれば、
本当に一人だけ、ぽつんと男がそこに立ってる。
隠れもせず。堂々と。
しかもその男は、言葉を交わしたことはなくとも、顔だけは歩花も知っていた。
辰弥の姿になって、コンクリートの上に降り立つ。
信じられない気持ちで眉をひそめている歩花の方に目を向けて、
彼は「よう」と変わらぬ表情で口を開く。
「……ガートルード・ランフランク」
「おう」
一年生時、常に学年トップの成績を収め、空手部では期待の部員とされている。
目つきの悪さと野性味溢れる相貌をしていても、
凛々しく引き締まった表情からどことなく知性を感じさせる、一見して夢魔という印象から大きくかけ離れた男。
(確かに、男なのにガートルードという名前だということに、疑問を感じなかったわけではないけれど……)
夢魔は本来固定した性別がないので、名づけの時、男性名や女性名にこだわらないと聞く。
だがそれだけではきっぱりと彼を夢魔と断ずる理由にはならないと、あまり気にしないでいた。
彼に対しては寧ろ悪い印象どころか、言葉を交わしたことがなくとも、
文武両道を貫いている姿に周囲と同様、尊敬の念を多少抱いていたのに。
「……一対一か」
「……?」
「お前、いつも一人なんだな」
ポケットに片手を突っ込んだまま、ガートルードはやや首を傾けて、もう一方の手を首に当てる。
「戦うとき。笹永とか連れて行動しねえのか」
「? 何故」
「何故って。あいつも戦えんだろ?
守ってもらわなくていいのかよ」
彼はなんとも訝しげに問う。
しかしそれを聞いて、首を捻りたくなったのは歩花の方だった。
「何故僕が彼に守られるんだ」
「ってことは、マジでお友達ってか」
「まあ、そうだな」
友達と一言で片づけるには腐れ縁すぎるが、そこまで教える義理もないので相槌を打っておいた。
「お前さ。彼氏とかいねえの?」
「聞いてどうする?」
「どうするもなにも。いんなら、力ずくで奪ったって意味ねえし」
「……」
「他の野郎の名前呼んでる女抱いたって、楽しくねえだろ」
つい歩花はガートルードの言葉に耳を疑い、目を見張った。
……演技?
否。彼は本当にそういう性格なのだろうか?
幼い頃からこの目で見てきた夢魔の印象と、
今この目に映っている目の前の夢魔の印象があまりに違いすぎて軽く混乱する。
(これは作戦か……? 僕の心に隙を作るための。
ひょっとして恋人の情報を聞き出して人質に―――いや。いつもつるんでいる陽人の存在を知っているなら、小夜のことも知っているはずだ。
わざわざ恋人なんて聞き出さなくても、彼女を人質にすればいいだけのこと)
「まあ、いたとしても。足手纏いなんだろ、そいつ」
「―――」
溜め息交じりの思わぬ彼の科白に、きょとんとして口を閉ざす歩花。
「お前が夜退魔師やってんのを半年くらい見てたが、いつも一人だしな。
どうせ当てにしちゃいねえんだろう。
お前の正体知ってんのか知らねえのか、そこんとこはわかんねーけど」
端から見下しているような、そんな調子で鼻で笑うガートルードだったが。
歩花は暫し目を瞬かせ、考え込むように瞳を宙に彷徨わせる。
(……当てにする―――?)
次いで俯き。また、考え込む。
無意識に、「んー……?」という声が、鼻の頭から漏れるほどに。
「……なんだ。違ぇのか?」
真剣な顔をして様子を変えた彼女に、問うガートルード。
歩花は何とも言い難い微妙な顔つきで、まっすぐガートルードを見据えると
「……まず、守ってもらうという発想がなかった。
戦場に連れていくという発想さえ……というか……しまったな。
いつも一人でやってきたから、ナチュラルに彼の存在を忘れていた」
歩花は唇に指を当て、神妙に戸惑っていた。
自分の戦いに他人を巻き込まない。
それが彼女にとって普通であり、当然だったのだから。
だが……恋人ができれば、どうだろう。
夢魔との戦いは、果たして自分だけの戦いだろうか。
(……そういえば、私のことを婚約者にしたいと言っていた……よな?
自分が強くなって、私を守りたいとも……)
脳裏に蘇る、恋人、リーフェルトの優しい笑顔。
なのに―――なのに……?
歩花は「えっ―――?」と、ガートルードの顔を見る。
彼の顔を見たって、今更どうしようもないことは本当はわかっているのだけれど。
「どうしよう。……何も言わずに来てしまったぞ」
「……」
「……ひょっとして怒られる……のか……?」
「……ふっ―――」
上目で恐る恐る、真面目に相談したのだが。
何故か噴き出されて、即、「知らねーよ」と笑われてしまった。
「女ってのはもっと、男に守られたいモンだと思ってたがな」
「……守られてるよ。精神的に」
「へえ……肉体的には?」
「彼を馬鹿にするな。別にそういったものだけが強さじゃないだろう。
僕が負けなければいいだけの話だ。他人を盾にして生き延びるつもりはない」
「成る程な―――気に入った」
背中から夢魔の羽を広げ、ガートルードはニヤリと唇の端を吊り上げる。
「ガキが産めるだけの女なんざ味気ねえからな。
……是非、手合わせ願いたい―――」
臨戦態勢に入ったガートルードに、
歩花は背中に背負っていた大槌を両手に、身構えた。




