第29話 sweet winter(上)
冬休みが明けて、人間界。
「……ふっ―――」
久々に会った陽人が夏休み明け同様、またボロボロになっているのを見て、ついリーフェルトは噴き出してしまう。
「……お前もじゃん」
リーフェルトもギリギリまで実家に滞在し、しごきを受けてあちこち怪我だらけだった。
お互いの無惨な様をからかい合い、たまに腹を抱え笑いながら学校に向かっていると、
その道の途中で、歩花や小夜と偶然鉢合わせて声をかける。
歩花も陽人と共に、自分の力を高めていたのだろう。
自分たちに負けないくらいの傷だらけの姿で振り返り、リーフェルトの頭からつま先までを眺めて驚いた顔をしていた。
「……大丈夫か?」
陽人と小夜が後ろで並んで歩いているのを意識しつつ、
前を歩いている歩花が隣の恋人を懸念する。
「うん。死なないために大事なことだからね」
「そ、そうか。そうだな……。
……実家は、どうだった? ご家族は元気にしていたか」
「うん。みんな相変わらず。
強いて変わったことをあげれば、甥や姪たちが大きくなったことくらい」
「そうか。それならよかったな」
「辰弥君の方は? ご両親は元気?」
「……うん。怪我もなく、普通に帰って来た」
「よかった」
随分と見ていないリーフェルトの笑顔に、歩花の口許もつられて緩む。
そこから更に二人の間に和やかな雰囲気が流れ、
数分たたないうちに、他愛のない会話から自然な笑い声が飛び交うようになった。
「……辰弥とガーシェル君って仲良いよね」
そんな二人を後ろで見守っていた小夜が、陽人にこそっと首を傾け口を開く。
その口調は、心底不思議そうな調子だった。
「……ん? ああ。そうだな……」
「辰弥があんな風に笑ってるの、初めて見た」
言われて陽人も、歩花の表情を意識して見つめる。
確かにいつものクールさは、少しばかり削がれてしまっているようだ。
ふと見せるちょっとした笑みに、なんだか人間味が感じられる。
小学生からの付き合いだが、
彼女の笑みはどこか皮肉めいていたり、自嘲めいていたりというのが多かった気がするのに。
「……なんかムカつくな」
「……へっ??」
「あ、ガーシェル君にムカついてるんじゃないよ。辰弥にムカついてるの。
だって辰弥ったらいつも私を子供扱いするくせに、なんか見てたらガーシェル君には対等って感じ」
「……あー……」
「辰弥ってば、私や周りにはいっつもクールでしょ? 特に私には、私が何言っても怒らないし。
陽人とは口喧嘩するけど、それは長い付き合いだからだと思ってたのに」
「まあ……」
「男同士だからなの? ガーシェル君だからなの?」
「……リーフェルトが良い奴だってことなんだろ。それだけ……」
まさか、辰弥は実は歩花という名の女で、リーフェルトと付き合ってるからだ―――などと言えるはずもない。小夜が相手でもだ。
陽人が頭を掻いてそうは言ってやるが、納得しきれない彼女は不満顔。
「小さい頃からずっとお兄さんぶってさ。
なんかお父さんが二人いるみたいで落ち着かないよ!」
「……」
そういえば小夜が歩花に一方的に怒っているところは見たことがあっても、
言い合っているところは見たことがない。
小夜に言われて初めてそのことに、陽人は気付いた。
「なあリーフェルト。三学期の試験に向けて、早いうちから一緒に勉強しないか」
「君と?」
「一位を取りたいなら、いつからでも早すぎることはない。
無駄な雑談を避けるために、図書室でだけど。僕も順位を上げたいし」
「そうなんだ。じゃあ、一緒に頑張ろう!」
目の前で愛しい人と話している幼馴染の姿が、かつて見たことがないくらいに幸せそうに見えて、
別人を見ているような気分になる。
嗚呼。あいつも女なのだと、ぼんやり陽人は思った。
「なんだ、渡したいものって」
「うん。ちょっと待っていて」
放課後。リーフェルトの誘いで、彼の家に歩花がやってくる。
全身鏡のあるリーフェルトの部屋に元の女性姿になった歩花を入れて椅子に座らせると、
まず目を閉じてもらうよう彼女に頼んだ。
リーフェルトを信じて言うとおりに瞳を閉じた歩花を確認し、
勉強机の引き出しから小さな箱を取り出すと、なるべく悟られないよう、静かにそれを開いた。
「……目。開けて」
全身鏡を彼女の前に移動させて、恋人に囁く。
ゆっくり瞳を開いて、歩花はぱちぱちと全身鏡で自分を見据えた。
「あれ……?」
ぶかぶかとした自分のシャツの合間から、きらりと光る見慣れないものを凝視する歩花。
目にしているのは、可愛らしいデザインでヴァンパイアの羽を模した、シンプルなシルバーのペンダント。
彼女の髪の色に似た、紫の小さな石が一つはめられている。
「お土産。……とあと、クリスマスプレゼントの代わり」
「……あ……」
みるみる歩花は頬を赤く染め、
「可愛い」と小さい声で呟き、自分の首元を飾るそれを眺めだす。
「気に入ってもらえたかな?」
「うん……こういうのもらうの、初めて」
「そうなんだ? ……そうだよね」
思えばずっと彼女は、少年として生きてきたのだから。
スタイルが良いだけではない。
こんなに素朴で可愛らしい女性なのにと、とても勿体ないような気になる反面、
ある種の優越感に浸りたくなる。
彼女の育ての親や、幼馴染、親戚しか知らない一面。
そして彼らでさえ知らないところを、この先自分だけが知ることができる。
「ついてる石は、こっちの世界の宝石なんだ」
「宝石……? 高いのか?」
「気にしないでよ」
「でも私が渡したのは、そんなに高価じゃないのに」
「いいよ、値段なんて」
ちなみに雪女のお守りも夢魔のお守りも、どちらも彼女の手作りだ。
それに少し前に聞いた話、魔力を込められる魔石というのは陽人曰く、『学生にはかなり痛い値段』らしい。
陽人も歩花の夢魔のお守りを持っているが、バイトもできなかった中学時代、二人で小遣いを貯めて、なんとか割り勘で魔女の商人から購入したのだとか。
高価じゃないとは言っていても、それは経済的に豊かすぎるリーフェルトにとって、という意味で、
歩花は寧ろ、自分に対し精一杯頑張ってくれているのだろう。
リーフェルトは後ろから椅子に座っている歩花を抱きしめて、彼女の髪に顔を埋める。
シャンプーの、清潔で綺麗な匂い。
なんて心が安らぐのだろうと、目を閉じた。
「……二回目だな」
呟いた恋人に、閉じていた目を薄く開くリーフェルト。
何を『二回目』と言っているのか理解できずに、
「ん……?」と、映っている鏡越しに、歩花の顔を見る。
「……血を吸う目的以外で、私を抱きしめてくれた回数だ」
「……そうだっけ」
「うん……」
相槌を打つなり彼女は両手で、自分を包んでいる彼の腕を優しく掴んだ。
「安心したよ。食糧要員じゃなかったんだな―――と」
「!? 違うよ……!」
「うん、冗談」
仄かな意地悪さがあっても、嬉しそうな笑み。
……確かに今までを思い出せば、
抱きしめたら肩に噛みつくまでがワンセットだったかもしれないが、
そういうつもりは決してなかったので、冗談でもやはり心外だ。
「じゃあ、もっとハグするよ。
……血を貰うのは、一回で我慢する」
「舐める程度なら、我慢する必要はないんだけどな」
「君は食糧じゃないよ」
「わかっているよ」
「わかってないよ」
たとえ冗談だとしても、ちっとも笑えないことだと、彼女はわかっていない。
身体に記憶させるように、「苦しい」と苦笑交じりに抗議が上がるまで、きつく抱きしめてやった。
血を吸うのだって、誰でもいいわけじゃない。
それも込みで、吸血も自分なりの恋人とのコミュニケーションなのだと理解してもらうまで、できる限り我慢してみせようというのに。
歩花は何も、わかっていない。
「……リーフェルト。一旦放して」
「……?」
一体どうすれば伝わるだろうかと考えていると、
突然、大人しかった彼女が腕の中で身を捩りだす。
しかも焦った声が何やら深刻そうで、自分の拘束に本気で抵抗しているようだ。
「どうしたの」
「放して」
「どうして」
「……っ」
彼女がそこで叫んだ言葉は
「鏡に映って、恥ずかしい……!!」
「―――……」
言われて、リーフェルトがちらりと全身鏡に対し瞳を持ち上げてみれば、
耳まで真っ赤にした恋人が、自分から逃れようと両手足を必死に動かしている。
リーフェルトはそんな様を暫し眺めた後。
何も見なかったことにするように鏡から目を逸らし、
今度は歩花の上半身全体を抑え込むように抱き直してから、また力を入れた。
「……おい」
「鏡見てて」
「……はああ……??」
「だって困るよ。食糧じゃないってわかってもらわないと。
だから僕が放すまで、目を逸らしたら駄目」
付き合ってまだ間もない。
自分が、一から教えてあげなければ。
そう、思っているのに。
「……あ、あの。ごめん。……ちょっと、お手洗い……」
「……僕に触られるの、そんなに嫌??」
「……っご、ごめんなさい。じゃあっ、そのままでいいです……!」
「『じゃあ』? 『でいい』、って何」
「あ……。そのまま“が”、いいです……」
「うん。じゃあ、鏡見てて」
「……うぅ」
「大好きなんだから」
―――時間は少し、かかるみたいだ。
それから時間は、一ヶ月後へ。
期末試験の結果が貼りだされ、
思わぬケアレスミスのせいで学年二位に収まるという失敗をして、激しく落ち込んだ二月中旬。
それをどこか心の片隅で引きずりながらも、
ある朝いつものように学校に行く支度をしていると、その途中でチャイムが鳴る。
「……?」
朝食を咀嚼しながら時計を見やるが、陽人がいつも来る時間より三十分早い。
訝しく思って首を捻っていると、
頭の中に聞き慣れた声が不意打ちで響いて、リーフェルトは慌てて洗面所に駆け出した。
髪を梳き、口許に何かついていないか確認してからマンションの外に出れば
膝下まで届くコートを着て、頬を紅潮させている、元の歩花の姿。
「歩花? どうしたの?」
驚いて尋ねた彼に彼女は何も応えず、
息を弾ませながら、何かをリーフェルトに差し出す。
彼女の手の中にあるのは、リボンのついた、ふわふわとしたピンクの包装。
それを自分に手渡し終えると、彼女はふうーっと気を抜くように息を吐き、
「……バレンタイン」
「……えっ?」
「ちょっと、焦げたけど。味見はしたから……」
肩で苦しそうに息をして、
そう言い残すなり、ぽかんとしているリーフェルトを置いて歩花は走り去ってしまう。
包装の中身を覗いてみると、無機質で透明な包装に包まれた、色々な形をしたクッキーが沢山入っていた。
どうやらわざわざこれを届けに来てくれたらしい。
(誕生日でもないのに、あんなに焦って。……『味見はした』って言ってたけど、手作り??)
何だかよくわからないが、自分のために一生懸命走ってくれたらしい。
放課後食べようと浮かれた気分で家に戻り、学校に行く支度を進めた。
三十分後。
やって来た陽人にその話をすれば、日本のバレンタインデーイベントというものを、
登校途中の道のりの中、初めてリーフェルトは聞かされた。
そして学校に登校し、靴箱を開いた瞬間どさどさと落ちてきた沢山の可愛らしい箱に、
彼は早速、具体的にバレンタインデーなるものがどういう行事なのか知ることとなるのだった。




