第22話 リーフェルトという弟
「リーフェルト。それは駄目だ」
歩花のことをすべて話し、彼女を将来城に置きたいと言ったリーフェルトを、
兄のストックが諌める。
「何故です……!?」
「どんな理由があっても、夢魔の血をひいている者を城に置くのは良くない」
「今僕たちの城にいる使用人たちのほとんどだって、元は人間だったじゃないですか!」
今自分の部屋の隅に立っている、パルの使用人、アイリスだってそうだ。
人間が良くて夢魔が駄目だなど、一体どういうことだろう。
「そりゃあ、夢魔にだっていろんな奴はいるってのはわかるさ。でも―――」
「では友人に、死ぬまで孤独で生きろと言うんですか。
心証が悪いと言うのなら誰の目にも触れさせず、僕の身の回りのお世話をしてもらうくらいならいいでしょう?」
「……」
何かを言いかけようとして、ふと、何かに気付いたような顔をして口を噤むストック。
その時の彼の目の奥には、弟に対する憐れみの感情が揺らめいていた。
「そのサキュバスの娘―――」
それまで弟たちのやりとりを黙って聞いていたパルディローズが唇を割る。
「父親と母親。どちらが人間でどちらが夢魔なの?」
「……母親のほうだと聞いています」
「そ。じゃあ父親が堕落したのね。
そんな家庭環境で育ったんじゃあ、混血でも知れたものでしょう?」
「彼女の肉親は、既に亡くなってます! 今は別の―――」
「今頃―――別の男の夢枕にでも立ってるんじゃないかしら、彼女。今日は良い月夜だもの」
「……っ」
涼しげに、さらりと吐かれた姉の科白。
命の恩人であり、慕っている歩花を侮辱され、
生まれて初めてリーフェルトは、兄弟に対し耐えがたい怒りを覚えて拳を震わせる。
そんなリーフェルトの気持ちを知ってか知らずか。
パルは彼を見もせずに、「貴方が知らないだけよ」と手元の紅茶を傾けた。
「貴方、まだ子供なんだから。火遊びなんて二百年早―――」
最後まで紡がれる前に、パルの言葉は日常では聞くことのない大きな物音によって遮られてしまう。
衝動に任せるまま振り下ろされたリーフェルトの拳が、
ソファの傍らに置かれたテーブルを真っ二つに叩き割ったのだ。
「……貴方の頭の中の方が、度を越えて下品です」
「っ―――!! 貴方、誰に向かって物を言って……!」
頭に血を昇らせ、
ソファから立ち上がりリーフェルトに掴みかかろうとするパルだったが。
「姉上! 落ち着いてください!」
「リーフェルト! 今、誰に向かってあんなことを言ったの!? 言ってみなさいよ!!」
「リーフェルトだってまだ子供なんですって!
ほら、リーフェルト! 姉上に謝れって―――な? 仲直りしよう!?」
必死にストックがパルを抑えつけ、リーフェルトに謝罪を促している。
しかし一体、自分が、姉に何を謝罪しろというのだろう。
自分は何も間違ったことは言っていないではないかと、段々冷めた気分になっていく。
(……僕も、昔はこうだったのか……?
夢魔を、二人のような目で見ていたのか―――)
「リーフェルト……?」
普段なら慌てて頭を下げてくるはずのリーフェルトが珍しく押し黙っているのに、
ストックは心底不思議そうな顔をしている。
「リーフェルト!」
兄の制止も聞かずリーフェルトは自分の部屋へ走り、鍵をかけて軽く荷物を纏める。
明日の制服や寝間着の入った大きめのバッグと通学鞄を持って、陽人の家へ走った。
体育の授業中。
体育祭に向けての練習の合間。ちょっとした休憩中、二人で会話をしている陽人と歩花たちの背中を見つけ、
輪に入ろうと近づくリーフェルト。
「……リーフェルトには言えないが。あの星野尾兄弟、話してみるとなかなか悪くない」
そんな歩花の科白が聞こえて、リーフェルトは思わず足を止めた。
彼女は自分の気配に気付かないまま、話を続ける。
「特に兄の方。妹の方にはまだ心を開かれていないようで、よくわからないが。
とても気品があって紳士だし、何より僕のことを知っても嫌な顔一つしなかったぞ。普通に話してくれるしな」
「へえ」
「実力もあるし、この先彼らから学ぶことも沢山ありそうだ。
それに……個人的なことだが、こう、ちょっと母性本能をくすぐるような。正直ちょっと可愛いところもあってな」
「……お前。そういうの好きだよな」
「? そうだったか?? まあ、そこは置いといてだな。
文化祭にも遊びに来ないかと誘われたので、行ってみようかなと―――」
「誰とだよ」
「真優なり、他の中学時代の友人なり。予定が合わなければ一人でも行くさ」
声をかけようと伸ばしかけた手が、何も掴めず宙を泳ぐ。
リーフェルトは唇を引き結んで踵を返し、足音を殺し彼らから離れていく。
体育の授業が終わってからも、リーフェルトは着替えながらぼんやり、
先程陽人と話していた歩花の科白を何度も思い返した。
『何より僕のことを知っても嫌な顔一つしなかったぞ。普通に話してくれるしな』
思えば歩花と出会う前まで、自分は夢魔という存在とまともに話したことなんてなかったのに。
関わらないほうがいいという兄姉たちの言葉を信じて、言うなりに彼らを避け、軽蔑して生きてきた。
『リーフェルトだってまだ子供なんですって!』
果たして……パルたちを怒る資格など自分にあっただろうかと、今更ながら考えてしまった。
自分の頭で考え、歩花と親しくなった里央のほうがよっぽど大人なのだ。
(というか僕は……何を嫉妬していたんだろう。
彼女があいつと仲良くしていたって、思えば自分には何の関係もないのに。
責任を取ることさえままならないくせに、身勝手に妬いたりなんかして。本当に子供じゃないか……)
「リーフェルト?」
「……えっ?」
「何突っ立ってんだ。教室戻るぞ」
「あ……うん」
あれこれ考えているうちに、自分は着替え終えていたらしい。
声をかけてきた陽人の後ろについて、リーフェルトは更衣室から出ていく。
(歩花さんはあいつのことが好きなのかな……。
……もしそうでも、不思議じゃないよな。僕なんかよりもずっと、ずっと良いんだから)
強いし、混血なのだから誰より彼女を理解してやれるのかもしれない。
自分などより、ずっと彼女を守っていけるだろう。
(馬鹿だな、僕は。……本当に馬鹿だ)
「馬鹿よ、あの子は。本当に馬鹿」
高級ホテルの一室でソファにかけ、紅茶を傾けながらパルディローズは昨夜のことを愚痴っていた。
「サキュバスなんて不潔な種族、それを城に入れたいだなんて冗談じゃないわ!」
「……あんなふうにあいつが怒ったのは初めて見たから、ちょっとびっくりしたけど。
すぐにわかってくれますって。リーフェルトだって、馬鹿じゃないわけだし」
「まだ十六ですからね」「子供ですから」と、何度言ったかわからないその言葉を繰り返し、壁に寄りかかり立っているストックは姉を宥める。
「“まだ”……なあ―――」
パルとストックの会話の合間。ぼんやりとぼやく男の声が不意に割り込み、
パルはキッ、と彼を睨んだ。
「何? スターチス」
「いんやあ。“まだ”なのか、“もう”なのか。どっちかね……と思いまして」
スターチスと呼ばれたその男は、ヴァンパイア王の三番目の子。
パルの弟であり、ストックの双子の兄である。
たまたま私用があって日本に訪れたので、
リーフェルトの近況でも聞こうと姉弟が宿泊しているホテルにふらり寄ってみた、ということだったのだが。
「マジギレするくらい、相当そのサキュバスにお熱なんだなあ」
「どうせ一か月も経たないうちに失望して泣きついてくるでしょうよ」
「うーん……」
相当御冠な様子の姉の近くで、心地の良い椅子に凭れながら頬を掻き、
スターチスは暫し視線を宙に彷徨わせる。
「でもなんで好きなのに、使用人にだなんて言ったんかね」
「……そりゃあ。リーフェルトはリーフェルトなりに自分の立場を考えているからだろう?」
「だよなあ。……可哀想に」
スターチスがぽつりと口にした一言に、パルはぴくりとして苛立ちを露わに立ち上がった。
「……何が言いたいわけ」
「いやあ。だってあいつ、いつも家族を前にしてもどこか遠慮してたっていうか。
だからリーフェルトが本気で怒ったって聞いた時、正直ちょっとホッとしたっていうか」
「はぁあ……っ!?」
「周りがなんでもかんでもレール敷いて、あいつはあいつでニコニコしながらずーっとそこを歩いてるだけだし。
留学先決めるルーレットダーツもただのジョークのつもりだったンに、
まさか本気で俺たちが決めたとこに行くとは思ってなかったし。あいつ大丈夫かなーって心配してたんですけど。
……ほら、あいつ、真面目だし優しいから。自分の欲ぜーんぶ抑えつけて、家族を立てるためになァんでも背負い込んじまう」
将来長兄の傍で働きたいという気持ちも。今まで兄姉の言うとおりにしてきたのも。
恋人ができても手を繋ぐところまでしか進展しなかったのも、みんな、末弟が家族を愛し、尊敬するが故だった。
決して、自分自身がまったく無いというわけではない。
「このまま、自分の意思で何もできないような男にするつもりですか?」
「……じゃあ、スターチス。サキュバスの娘のこと、お前はどうすればいいと思う」
「どうすればも何も……告白するなり付き合うなりすればいい」
「ちょっと……! 無責任なことを言わないで」
「“どうせ一か月も経たないうちに失望して泣きついてくる”んでしょう? 姉上。
未成年らしい、節度ある付き合いを条件にするんなら文句ないわけですし。
言うじゃないですか。女は上書き保存、男は名前を付けて保存って。
好きなよーにさせて自分の意思で諦めさせんのと、抑えつけて諦めさせるんじゃあ全然違う」
「そりゃあ……まあ」
「姉上の最初の婚約者だった人も、『やっぱり昔好きだった女性が忘れられない』とか言って失踪して婚約破棄になったじゃないですか」
「……っ―――」
それを言われて初めて、それまで変わらず毅然としていたパルの雰囲気が微妙に変わる。
たったの一瞬だったが、当時の古傷が蘇ったのか。
繊細で、ある意味とても女性らしい。酷く傷ついたような表情になり、パルはその美しい顔を曇らせた。
「夢魔だろうと何だろうと、大事な弟の恩人であることには変わりない。
俺たちもまた、誇り高い王家の血筋として義理を果たさなきゃならんわけでしょう。
父上や兄上も、そう言うと俺ぁ思いますけどね」
怒る意欲を削がれ、無言でソファに座り直す姉を尻目に。
「それに」とストックの方を見てスターチスは緩く、緊張感ない笑みを作ってニヤリとしてみせる。
「“リーフェルトだって、馬鹿じゃないわけだし”―――だろ?」
「……―――」
自分が口にした言葉をそのまま利用され、
ストックは肩を竦め、溜め息を吐いた。
「……リーフェルトが」
不意に再び、唇を開くパル。
ただし出てきたのは、高圧的な彼女にしては珍しい、とても静かな声だった。
「あの子がサキュバスの娘と付き合って、それで結婚したいって言ったら、どうするつもり……?」
「……んー。
普段大人しいあいつが、姉上に本気で怒れるくらいのこだわりを見つけたんなら、させたいようにさせてやりたいかなあ。
……ってのが、俺の正直な気持ち。かなー」
「……そ」
「あいつが家族に遠慮がちなのも、自分に自信がないのも、
腹割って話し合えるような関係を作れなかった俺たちのせいでもあるかなと思うし。
まー、あいつのことはあいつで頑張らなきゃなんないから。あくまで支えるくらいしかできないけど」
兄弟の言葉に何を思うのか―――顔を見合わせるパルとストック。
スターチスは「さぁてと」と言って椅子から立ち上がり、
「俺もリーフェルトの顔見て帰るとすっかな。嫁さんに頼まれてたモンも買ったし」
そう言って、足取り軽くパルの部屋を後にした。




