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僕と異種族な君の青春日誌<前編>  作者: 有坂まの
一年生編
18/142

第18話 summer vacation3

 鼻腔をくすぐった微かな異臭に、夢も見ず眠っていたリーフェルトは目を覚ます。


 本能を掻き立てる血の匂い。

 しかし口許を抑えて、思わず眉をひそめてしまう。



 包丁で指を切って出血したり、転んで出血したりなどという、綺麗な匂いではない。決して。


 吐き気を催すほどに何か腐ったような、不潔で不快な生臭さ。



(あと何か、獣臭い―――)



 しかもこの異臭、どんどん強くなっているような気がする。


 ……強くなっている?

 言い換えるなら。もしこれが生き物なら、こちらに近づいて―――



「……!」



 ビーチで歩花とした会話を思い出すなり、リーフェルトは慌ててベッドから降りる。



(まさか、食人の……?)



 襲われる可能性は低いと言っていたはずだが。


 自分を部屋を出てから少し考えた後、今頃小夜が休んでいるはずの部屋の取っ手に手を伸ばす。


 鍵付きの扉はあっさり開き、部屋の中を確認するがそこには誰もいない。

 ベッドももぬけの殻だ。



「ガーシェル君?」



 背後から声をかけられ、振り返ればそこにはライトを持った真優の姿。


 赤く染まったリーフェルトの瞳を見て驚いた顔になるが、

 すぐに彼女は真剣な顔になり、「こっち」とリーフェルトをどこかへ誘う。



「どこ行くの」

「非常用シェルターよ」

「何かあったの?」

「……小夜のことは聞いてる?」

「それって、退魔師関係のこと?」

「そう。歩花が行ったから大丈夫だとは思うけど。一応ね」

「……歩花さんが―――」

「気になる?」



 リーフェルトが思わず歩花の名を呟くと、彼に背を向け、歩きながら真優が問う。



「陽人君もいるなら、安心していいと思う、けど」

「……そうね。笹永君、歩花の場所がわかればいいけど」

「え……?」

「笹永君は笹永君で、違う奴と戦ってたから。ついさっきまで」

「……じゃあ。じゃあ、歩花さん一人だけってこと?」

「そういうこと。でも大丈夫でしょ。あの子強いし」



(……強い―――)



 真優の背中を追いかけていたリーフェルトの脚が、自然と止まる。



「……? どうしたの」

「……」



 自分を振り返る真優の視線を受けながら、それでも彼は考える。



 確かに、彼女は強い。

 だけど本当に、強い“だけ”だっただろうか。


 まだ覚えている。歩花を抱きしめた時の身体の震えも。

 不安そうに自分を見上げる、潤んだあの双眸も。



 本当に、“強い”。……ただ、それだけ?



「……早く決めたら?」



 呆れるような響きの篭った科白に瞳を持ち上げると、

 それに相応しい、呆れた眼差しを向ける真優と目が合った。



「別に、あの二人だって世のため人のために戦ってるってわけじゃないんだから。

 たった一人のため、でしょ? じゃあ、貴方もそれじゃあ駄目なわけ?」

「……―――」

「好きな人を守りたいから守る。それでいいじゃない。

 何ごちゃごちゃ考える必要があるの。……歩花が過去に貴方に何か言ったのか、言ってないのか。今貴方が何を悩んでるのか、私にはわからないけど」



 真優はライトを持っていない方の手を腰に当て。

 まっすぐ、射抜くようにリーフェルトを見据えて言い放った。



「どんなに長生きできたって、今の気持ちを大事にしなきゃ、後悔するときはするんだよ」



 彼女の言葉に、リーフェルトの目が大きく見開かれていく。


 迷いに濁っていた彼の瞳が、見る見るうちに輝きに満ちていくのを、この時真優は確かに見届けた。















 一方、別荘から少し離れた林の中。


 なんとか敵を自分の方へおびき寄せたのはいいものの、歩花は珍しく手間取っていた。



 敵は、人と鳥が合わさった怪鳥が三匹。

 神話やゲームなどの仮想世界では、ハーピーと呼ばれている存在。


 日本にいるはずのない魔物が何故こんなところにいるのかとても気になるところだが、

 今はそれを考える時じゃない。



 最初は五匹だったが、二匹は倒した。

 しかしどうにも彼らはすばしっこく、こちらの手の内を見せすぎてしまったようで、

 既に眠り針に当たってはならないと学習してしまったようだ。



(だけど倒せない相手じゃない―――)



 時間はかかるが、所詮は知性のない獣だ。

 この仕事も余裕。無傷で別荘に帰れるだろう。勿論油断はしないけれど。


 歩花は木々の中を飛び回りながら三匹全部が自分を追ってきているのを確認し、

 少しずつ上昇して葉の群れに身を隠す。


 青く目を輝かせ、黒い霧へと姿を変えて、そのまま自分を見失ったハーピーたちの死角へ。



 無論これは、元々歩花が持っていた夢魔の能力ではない。ヴァンパイアの能力だ。

 リーフェルトとダンピールの一件後退魔師として戦うことを禁止されていた期間中、ひっそり自力でヴァンパイアの能力を研究し、牙を研いでいたのだ。


 強くなったのは、何も陽人だけではない。

 それにこちらにはまだ、奥の手もある。



 夢魔の魔力で眠り針を作り、三匹へ飛ばす。


 比較的歩花から近い場所にいた二匹がまともにそれらを受けて地へ落ちていったが、

 あとの一匹は、たまたま歩花の姿を探し身体の向きを変えたせいでギリギリかわす。



 目の前を横切っていった歩花の眠り針から、そいつが彼女の居場所に気付いた。


 歩花はまたハーピーから背を向ける。



 逃げ回っていると、途中で木々の感覚が狭い場所に入り、歩花の左の羽が太い木に派手にぶつかる。

 その衝撃で歩花の身体が弾き飛ばされた。



 地面に身体を引き摺り、やがて動かなくなった獲物に猛るハーピー。


 気を失ったふりをしながら、歩花は馬鹿めと胸の内で毒づいた。



(所詮は知性のない獣。私の敵じゃない)



 ゆったりとしたワンピースの裾に身を潜める、歩花の奥の手。

 暗器、サキュバスの尻尾。

 強力な麻痺毒を持つ刃を先に付けた、霊力の高い蛇の妖怪の祝福を受けている金属製の鞭だ。



 ハーピーは歩花の企みに気付かないまま、鋭いかぎ爪を獲物に向け、息の根を止めようと襲いかかる。



(喰われるのは―――)



 確実に仕留められる範囲内に、向こうから飛び込んでくるのを待つ。

 草陰で舌なめずりをし、攻撃の機会を伺う、正に蛇の如く。



(お前の方……)



 夜の闇に震え渡る、ハーピーの断末魔。




(……?)




 しかし歩花は目を閉じた状態のまま、一瞬、何が耳に入っているのかわからなかった。


 ―――彼女はまだ、何もしていない。



(……んっ??)



 どさりと何かが落ちる音と、血の匂い。


 半分ヴァンパイア化したことで敏感になった鼻腔をくすぐるそれに歩花は、

 沢山の疑問符を頭に浮かべて目を開ける。


 身体を起こして状況を確認しようとしたら、何かが自分の視界を覆った。

 ……何も見えない。




「……あれっ?」




 背中に回される腕。誰かが自分を強く抱きしめる感覚。


 歩花の喉から、つい間抜けな声が上がる。




(―――あれ??)




 一体何がどうなった。



 その場で座り込み、暫し誰かに抱きしめられたまま、歩花は一人混乱した。



















その夜、陽人も歩花も怪我はなく、一日目は終わる。


 二日目も一日目と同じように朝から水着ではしゃぎ、みんな目一杯最後の快晴の海を楽しむ。



 昨夜充分に睡眠を取れなかったせいか、途中でパラソルの下で横になり、数十分夢の中に落ちる歩花。

 リーフェルトは陽射しに疲れると、起きてもまだ疲れが抜けきらない様子の彼女と先に別荘に戻り、

 お互いに各々の部屋で仮眠を取ってから、ポーカーゲームなどをして友人たちが帰ってくるのを気長に待った。




「……君は、どうして助けに来た」




 ゲームの合間。真優の家で働くメイドが淹れてくれた紅茶を頂いていると、

 何の脈絡もなく、トランプを切りながら歩花がリーフェルトに尋ねる。


 しかし彼女が何が言いたいのかはわかる。

 リーフェルトは苦笑して



「ごめん。気を遣ってくれたのに」

「まったくだ」

「でも、みんなのためじゃないよ。木塚さんを守るためでも、市辺さんを守るためでもない。

 僕はただ、自分の気持ちを守りたかっただけ」

「……」

「君や陽人君と同じだよ。後悔、したくなかったから」



 歩花は肩を竦め、五枚ずつカードを配る。



「首を突っ込みすぎて、後で違う後悔をするなよ」

「……どうだろう。気を付けたいとは思うけど」

「まあ、なんていうか。正直言うと、嬉しくなかったと言えば、嘘になるけど」



 本当は助けなどなくても倒せたが―――。


 そんな余計な言葉が歩花の喉からうっかり出かかったが、すんでのところでしっかり呑みこんだ。



 一番大切なのは、守ろうとしてくれた彼の気持ちそのものなのだから。



「……助けに来てくれたこと自体は、ありがとう。

 でも自分の立場はどうか、卒業まで忘れないでほしい」

「うん……ありがとう」



 人間を助けたいわけじゃない。歩花を助けたいのだと、本当は言葉にしたかった。

 死んで欲しくない。傷ついて欲しくないのだと。


 好きだという自分の本音の底を伝えず、ただそれだけを上手く彼女に伝えられる言い回しはないものかと考えるが、

 自分の頭では結局、無理だと諦める。




『あいつも孤独を感じることなく、退屈せずに生きられる。

 俺様の地位を持ってすれば、ある意味では人間界より安全だろう』




 カードを眺めていると、ふと、歩花の従兄であるセノフォンテの言葉を思い出した。


 リーフェルトはカードから瞳を持ち上げ、

 どの手札を捨てようか思案している彼女を見、



「……将来、行く場所がなくなったら」

「……?」

「僕のところのメイドさんにならない?」



 唐突の提案に、歩花はきょとんと目を瞬かせたが、

 すぐに噴き出しおかしそうに笑う。



「従兄みたいなこと言うんだなあ」

「はは……」

「ん、ありがとう。考えとく」



 もし結ばれなくても、そういった形なら彼女を守ってあげられるかもしれない。


 使用人としてなら、まだ家族を説得できる。



「陽が落ちる頃だな。そろそろ」

「あ、うん」

「夕焼けでも見に行こうか」

「そうだね」



 トランプをしまい、まだ陽人たちが遊んでいるビーチへ、二人は肩を並べて歩く。


 合流した友人たちと五人で夕焼けを見つめ、

 みんなでスマホの写メに景色を収めた。




 夕食をみんなで食べて、最後の夜は砂浜で花火を楽しむ。


 目映い花火の光に目を細め、見惚れて、みんなが楽しげに声を弾ませる。




 最後の線香花火。


 自分の隣で膝を屈し、座っている歩花の横顔を盗み見ると、

 同じタイミングで自分を見上げたらしい彼女と、至近距離で目がかち合った。



 慌てて視線を外し俯いたリーフェルトを、尚見つめる歩花。


 線香花火が落ちて、戻った暗闇の中。

 誰も見ていない隙に彼女はリーフェルトの耳に唇を寄せて、囁いた。



「―――!」



 目を瞬かせる彼に、「昨日のお礼?」と歩花は照れくさそうに笑う。


 リーフェルトは思わず彼女の肩に目を配り、つい、生唾に喉を鳴らした。








 深夜―――皆が寝静まった頃。


 使用人の目をも盗み、

 リーフェルトは招かれるまま、歩花のために用意された部屋に入る。



「ん……」



 ベッドに腰を沈めた状態で、

 痛みに耐えてしがみついてくる彼女をしっかりと抱きしめ、柔らかな肩に優しく牙を立てる。




「僕のも舐めてみる?」

「……私、血の味なんてわからないよ」

「少しだけ」




 指先で歩花の唇をそっと撫で、噛むように促してみる。


 歩花は少し躊躇いながらも、言われるままリーフェルトの指の腹に軽く牙を当てた。



 そうやってできたのは、怪我と呼ぶには大袈裟な、なんとも可愛らしい傷。




「どう?」




 リーフェルトの指先を銜えたり、

 口から出して、ちろりちろりと赤い舌先で傷を嬲ったり。


 いろんなやり方で自分の血を味わう歩花に尋ねるが、

 彼女は結局、「よくわかんない」と、子供のように首を傾げた。




 






 更けていく。


 昨日とは違う、静かで穏やかで。

 リーフェルトにとって、どこまでも甘い、甘い夜が―――。













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