第19話 遭遇
楽しかった夏休みも終わり、二学期が始まる。
まだ夏の名残りか気温は高く、蝉の悲鳴が鬱陶しいけれど、これから涼しくなっていくだと考えればそれほど苦ではない。
「おはよ―――あれっ」
「おう。おはよ」
新学期に入るというのに、顔には絆創膏や傷テープ。腕に包帯が二か所ほど。
マンションに迎えに来てくれた、やけにボロボロな陽人を見てリーフェルトは目を丸くする。
「え……仕事? それ」
「いや。八月の半ばに師匠が突然帰って来たっつーから、宿題速攻で終わらせて夏休みギリギリまでしごいてもらった」
「師匠、って」
歩花の師匠でもあり、歩花の育ての父親でもある男性。
世界各地を回る優れた退魔師だという、あの―――。
学校に辿り着くと、教室で会った辰弥の顔をした歩花も陽人と同様に怪我だらけで、
心配するリーフェルトに、しかし「死なないために大切なことだから」と彼女はさらりと返す。
笑みさえ浮かべて、彼を優しく宥めた。
学校帰り。
途中で買いたい食材があると言う陽人に付き合い、いつものメンバーでスーパーに寄ることになったリーフェルトたち。
野菜の選び方など、料理ができない小夜と一緒に歩花と陽人から教えてもらいつつ、
リーフェルトも興味を持った、まだ調理したことのない食材を二つほど買ってみようと心に決める。
「ガーシェル君も頑張ってるね」
「まだ陽人君たちみたいに、お弁当まで作ったりできないけど」
「いつかできるようになるよ! 実は私も高校生になって、ちょっと練習してるんだー」
「そうなの?」
「やっぱり男子には負けたくないなーって。
だから私とガーシェル君がお弁当作れるようになったら、四人でおかず交換とかしようよ」
「そうだね。じゃあ、一緒に頑張ろう」
陽人が商品の値段を見比べたり、歩花が義母に電話したりなどしている傍ら、小夜とお互い鼓舞し合う。
「一緒に頑張れる人がいるっていいね。なんか、陽人とか辰弥とか見てるとへこんじゃうから」
「あはは」
自分たちが作ったものを、昼休みにみんなで食べ合う。
確かにそれは、楽しい光景だろうと思う。
(歩花さん、上手になったって言ってくれるかな―――)
大して美味しくなかったはずの自分のお粥を、「頑張っている」と褒めてくれた彼女のことだ。
きっと上達すれば、「美味しいよ」なんて、女神のように笑ってくれるだろう。
(でも学校じゃあ“辰弥君”の方なんだよなあ……。
……あ、でも。歩花さんがしてくれたように、ディナーを僕が作ってあげたら……)
自分の家に招いて、テーブルを挟んで、二人で笑顔になって。
もしそうなったら……それが叶ったら。なんて幸せだろう。
「……みりんを買ってきてほしいそうだ。ちょっと見てくる」
「……! あ、僕も付き合うよ!」
「んー、じゃあ、私はチョコレート見てこようかな」
妄想世界から意識を慌てて引き戻し、戻ってきた歩花に早足でついていくリーフェルト。
彼女にくっついて、みりんや酢、料理酒が並ぶコーナーに向かう。
「別に付き合ってもらうほどじゃないんだけどな」
「……ちょっと見たいなって、思って」
「? そうか」
「時に、さ」
「なんだ」
「僕がもう少し料理、上手くなったら。その。夜ご飯をご馳走したりしたいんだけど」
「……それは。君が僕に、ということか?」
「うん。一番に、食べてくれるかな……?」
「僕でいいのか? じゃあ、楽しみにしておくけど……」
「本当!?」
「いきなりテンション高いな君。
……別にいきなりご馳走だなんて言わなくても、自信がない内は一緒に作ったっていいんだぞ」
「……い、一緒??」
「君の家の台所、広そうだったし。
本で見たりネットで探すより、自分の目で見た方がわかりやすいだろう」
(……“一緒”―――歩花さんと一緒に、料理……)
夏休み期間中、暇を潰すためになんとなく見ていた昼ドラのワンシーンが頭に蘇る。
テレビの中で、新婚夫婦が同じ台所に立って、
妻が夫におかずを挟んだ箸を差し出して、「はい、あーん」とか、「美味しい?」とか。なんとか……。
ということはエプロン姿の女の子の歩花が自分に……待て。待て。
“新婚夫婦”……“新婚夫婦”!?
いや待て落ち着け、戻ってこい。自分はまだ彼女と付き合ってもいない。
「おい。リーフェルト」
「……えっ!?」
「何をぼーっとしてるんだ」
「は、はい! いえ、あの、すみません!!」
「???」
(付き合ってもいないのにあんな妄想をしてすみません!)
そういう心の叫びから出てきた謝罪だったが、無論、歩花からすれば何故リーフェルトが謝っているのかなどさっぱりわからない。
歩花は怪訝な顔で、辰弥の姿のまま彼を見つめる
一方。まるで自分のいかがわしさを探られているようで、
リーフェルトはどぎまぎと目をあちこち泳がせるばかりだ。
「―――よう、辰弥」
その時。
予期せず歩花の肩に置かれた、がっしりとした大きな手。
突然の感触に驚いてびくりと身体を強張らせるも、
背後を振り返った歩花は「あれ」と言って、
「何してるの」
「ちょっと茶を買いにな」
その無表情に相応しいぶっきらぼうな口調で、歩花の肩に触れたその男は相槌を打つ。
「お前の方こそ何やってんだ」
「陽人の付き合い。あと母さんがみりんついでに頼むって」
「あー、じゃあ俺がそれ買っといてやる」
「いいの?」
「茶のついでにな」
歩花となにやら親しげな様子の、その人間の男。
180はあるであろう長身。服越しからでもわかる、無駄のない筋肉のついた逞しい体格。
常日頃鍛えているんだろう。
「そっちは。お前の友達か」
「あー、えっと、その―――」
リーフェルトの方に彼の目が向いた途端、口籠る歩花。
次は何故か彼女が目を泳がせて、気まずそうに小さくなっていく。
「とっ、友達で……その。すごく、良い友達で」
「……―――」
横顔をよくよく見てみると、歩花は大量の汗をかいて、なにやら緊張しているようだった。
最初はいつもの歩花らしくない縮こまり方に、一体どうしたのだろうと疑問符を浮かべていたリーフェルトだったが。
「あれ? 辰弥のおじさん?」
男の屈強な体の向こう側から、小夜がチョコレートを片手に歩いてくる。
「おじさん??」
「……僕の父だ」
呟いたリーフェルトに、同じくらいのボリュームで辰弥は言葉短く、彼の疑問を晴らす。
それを耳にした瞬間。目の前の男に、自然と背筋が伸びるような緊張感をリーフェルトは抱いた。
(辰弥君のお義父さん……!!?)
「おう、小夜ちゃんか」
「また茜さんのためにお買い物ですか?」
「ん? あーいや、今回は茶を……」
「いいなあー、昔から本当に奥さんとラブラブですよねー!
私も結婚したら、左一さんと茜さんみたいになりたーい」
「……はあっ!? 馬鹿言うな。そんなんじゃねえよ……」
「え?? でも昔からよく―――」
「小夜」
歩花は小夜の腕を捕まえ、義父から距離を取ると、
彼女に耳打ちし、しっかりと言い聞かせた。
「父さん上手く隠してるつもりだから。
……だだ漏れでもバレバレでも、気付かないフリをするんだ」
「……相変わらずだね、左一さん」
「久々に家に帰るともうひどかったよ。
禁断症状みたいに一週間以上ずーっと母さんから離れないし―――」
何やらこそこそしだした娘とその友人に怪しむように見守る左一の背中。
リーフェルトはそれを見上げながら、急速に乾いていく口の中を、唾を呑み込んで潤す。
……謝らなければ。
殴られる―――いや、殺される覚悟で、自分は彼に頭を下げなければならない。
ゴールデンウィーク前に、自分が歩花に、彼の娘にしてしまったこと。
「……あの……」
勇気と共に、声をしぼりだした。
勿論それに反応し、左一がこちらを振り返る。
予想して声をかけたが、やはり目がかち合うと脚が竦む。
蛇に睨まれた蛙のように、そのまま、頭の中が真っ白になりそうだ。
しかし、そういうわけにもいかないのだ。
「……―――」
左一の後ろでは、この場の不穏な空気を感じ取ったらしい歩花が、
焦った顔でリーフェルトに首を横に振ったり、人差し指を口に当てるジェスチャーを取ったりしている。
“やめておけ”。“謝らなくていい”。“何も喋るな”。
きっと、自分にそう伝えているのだろうけれど。
「あれ? リーフェルト。っつーか、全員ここに居―――」
自分の背後から聞こえる、慣れ親しんだ陽人の声。
肩越しに見やれば、リーフェルトと対峙している師の顔を確認するなり、
陽人は「ヤバい」と言わんばかりに口許を抑え、顔を青ざめさせた。
また前を見れば、ハラハラと心配そうな目になり、歩花が頭を抱えだす。
(……嗚呼)
そんな彼らの反応に、リーフェルトの中の不安は更に大きくなるどころか。
寧ろ緊張や恐怖心を忘れさせるほどに切なく、申し訳ないような、なんとも言い難い複雑な感情が、彼の胸に芽生えていく。
この時、彼は察したのだった。自分がどれだけ、二人に庇われてきたのかを。
『人間には人間の。吸血鬼には吸血鬼の立場がある』
そんなことを言っておきながら、どうしてこうも自分を気にかけてくれる。
二人の気持ちが、やるせない。
ならば尚更、頭を下げるのが怖いだなんて言っていられないではないか。
「……クラスメートの、リーフェルト・ガーシェルです」
もう、怖れはない。
二人の友人の、祈るような視線に後押しされて、
まっすぐリーフェルトは左一の目を見据えていた。
「いつまでこちらに?」
「……さあな」
素っ気ない返事だ。
その双眸は、どこか軽蔑しているような。そんな冷やかさがある。
おそらく、左一は勘付いているのだろう。
なんとなく、そんな気がした。
「よろしければ明日。学校が終わり次第、お時間をいただけますか?」
落ち着いてじっくり話をするには遅い時間帯だ。日を改めなければ。
ここは公共の場だ。何も知らない小夜だっている。
「父さん」
歩花が落ち着かない様子で、左一の腕に触れる。
「怒らないで。……彼は、良い人だ」
「……」
自分の怒りに触れないよう、びくびくとしながら宥めてくる歩花に、
娘を黙って見下ろしていた左一はやがて、肩を竦めて溜め息を吐き出した。
「……言い訳くらいは聞いてやるよ。クソガキ」
リーフェルトに背を向けたまま、そう言い残して左一は去っていく。
その背中にリーフェルトは何か言葉をかけることなく、ただ、顎を引いて瞳を閉じた。
自分も、戦わなければならない。
陽人や歩花たちも、自分自身の責任と向き合ってきた。
リーフェルトばかりが庇われ、自分の責任から目を背けることなど、あってはならない。
スーパーを出てからの、みんなとの別れ際。
何か言いたげにしている歩花に、リーフェルトは「明日行くね」と笑ってみせる。
マンションに帰り、ソファで休みを取りながら、
リーフェルトはぼんやり、同じソファの上で歩花の血を飲んだときのことを思い出していた。
もしかしたら歩花があの時震えていたのは、
ゴールデンウィーク前リーフェルトが彼女にしたことが、頭の中で蘇ったからなのかもしれない。
無意識の自分に、初めて噛まれた瞬間。血を奪われている短い間。
歩花は、リーフェルトを怖いと感じていたのかもしれない。
(ずっと、我慢していてくれたのかな……)
リーフェルトが怖いのに、気丈に振る舞って、笑って、信用しようとしてくれて。
ソファに身を沈めた状態で、
リーフェルトは天井を仰いだまま、両手で顔を覆い隠した。
戦わなければ。目を背けることなく。
たとえそれで塵になろうと、灰になろうと。
結ばれなくても。振り向いてもらえなくても。
戦うことをやめればきっと、後悔するような気がした。




