第12話 尊敬≠
「ガーシェル君! 期末試験に向けて早めに対処したいから……あのっ、
よかったら、勉強教えてくれる?」
「うん。いいよ」
「! ありがとう! えっと、数学得意だよね?
いつも授業でスラスラ答えてるし……」
南実先高等学校、1-A。
三人のクラスメートの女子たちが数学の教科書を胸に抱え、
リーフェルトが座っている席を取り囲む。
丁寧に、ゆっくりとした口調でできるだけわかりやすく努めて説明すると、
彼女たちは頬を紅潮させ、礼を言って去っていった。
その日の放課後。
ようやく監視期間を終えた歩花と、陽人、小夜らと一緒に帰っているとき、
他愛のない会話の間で「そういえば」と小夜は口を開く。
「ガーシェル君ってモテるよね」
「……? そうかな?」
「自覚ない感じ?」
「……よくわからないかな」
「そっか。でも、そういうところがきっとモテるんだろうね。
イギリスにいたときは彼女とかいたの?」
「ん―――まあ。二人くらい、かな。
誰もいないところで、内緒で手を繋ぐくらいだったけど」
「えー、なんか可愛い! 外国ってもっと進んでそうなイメージなのに」
コロコロと笑う小夜に、苦笑で返すリーフェルト。
思えばどちらの彼女とも、
恋人がいた頃はいつも兄姉の目や学校の目ばかり気にしていたような気がする。
どちらも自分のほうから告白したのに、向こうからキスを求められても一歩踏み出せなくて、
一人目はどちらから振ったわけでもない自然消滅、二人目は相手の方から別れを告げられた。
「ガーシェル君から見て、日本の女の子ってどう? 付き合ってみたい人とか見つかった??」
「……ううん」
小夜の傍ら、一歩遅れた位置で自分と彼女の話に耳を傾けている歩花が視界に入ったが、
リーフェルトはぎこちない笑みを浮かべて首を横に振る。
「僕、実は家の都合でいつか婚約しなきゃいけなくて」
「……えっ! そうなの??」
「だから、もう誰かと付き合ったりするのやめようと思って。
……ほら。長続きしたらさ、別れる時とかつらいだろうし。僕も、彼女の方も―――」
すると瞳を瞬かせて驚いた顔をしていた小夜はすぐに納得した顔になり、
「そっかあ。そうだよね……高校生の頃からずっと付き合って、結婚する人もいるもんね。
それを考えたら性格が合わなくなって別れるってことより、未来がないって凄くつらいかも」
「うん……」
「すごいね、ガーシェル君。ちゃんと相手のこと考えてるんだ。優しいね!」
「……そんなこと……」
「本当に真摯だな、リーフェルトは。君の婚約者になる女性はさぞ幸せだろう」
小夜に対する曖昧な返事を、歩花は謙遜と受け取ったのか、
静かで穏やかな笑みを浮かべてリーフェルトを褒める。
しかし意中の女性から出てきたその言葉は、慰めになるどころか、逆にリーフェルトの胸を深く抉った。
そう。歩花にとって、他の女性と歩む自分の未来などどうでもいいのだ。
それは十分わかっていたけれど、言葉にしてそうだとハッキリ言われるのはやはり、精神的にこたえた。
「……大丈夫か?」
やがて小夜と歩花が並び、ちょっとした話をしだした時、
こっそり、陽人がリーフェルトに小声で声をかける。
リーフェルトは少し困ったような顔をして、
陽人に、彼と同じく声の大きさを落とし、
「……家に行っていい?」
と尋ねた。
陽人は気にするなと言わんばかりにリーフェルトの背中を叩き、
小夜、歩花と別れた後、彼の家にまっすぐ向かった。
陽人の家に着くなり彼の部屋に通してもらい、早速リーフェルトは友人に心の内を吐露する。
ただしセノフォンテが家にやって来たことだけは隠し、
あくまで自分がそう考え悩んでいるというスタンスを通した。
未来が見えない関係だから、歩花への気持ちに封をすること。
家族の反対を押し通してでも彼女を愛し続ける自信がないこと。
自分が親兄弟に逆らえない性格であること。
「……情けない話なんだけどね」
「……そうは別に思わねえけど。お前の立場って大変なんだな」
恥ずかしい話をしているのに、笑って馬鹿にしたりせず陽人は真剣に相槌を打ってくれる。
「18で結婚相手なあ。
俺たちよりずっと長生きするのに、そんなに焦ることなのか?」
「兄さんたちはみんなそうだったから、多分僕もそうなると思う」
「俺がお前の立場だったら、お前みたいになると思う。
ていうか、大体の奴がそうじゃね? あと二年で親が決めた知らない相手と結婚決意しろとかさ。
なんかこう、色々あるわけじゃん。親の面子とかさ。特に立派な人だったりすると」
「……そりゃあ」
「嫌いじゃねえんだろ? 親のことも兄弟のことも。
尊敬してたらそりゃあ自分の気持ちと板挟みにもなるだろ」
確かに嫌いではない。寧ろ愛しているといっていいし、何だかんだリーフェルトにとって皆尊い家族だ。
「でもな、リーフェルト。
尊敬してるから自分の気持ちを殺して言いなりになるってのは、ちょっと違うんじゃねえか?」
「……」
「お前さ。誰のことを一番尊敬してる? やっぱ父親?」
「……それは、勿論。でも―――」
やはり浮かぶのは、あの凛と前を見据えた双眸。自分たちの長兄。
兄弟の中で一番両親に頼りにされていて、それを兄弟の誰もが認めるほどの人。
「じゃあ将来はその兄貴みたいになりたいのか?」
「……無理だと思うけど。近づきたいとは思う」
「近づいて、どうしたい?」
「兄さんの仕事を、なるべく近い場所で手伝いたい」
自分に自信がない故の、小さな目標に聞こえるかもしれないが、
それだけはリーフェルトの本心だった。
兄ほど人の上に立つ能力はない。
それは冷静に自分を分析した結果であって、決して卑屈や謙遜ではない。
リーフェルトが幼い頃。
父と長兄がいない場所で、母が自分たち四人の兄弟に言ったある言葉がある。
『人の上に立つ人は、心のどこかで孤独を感じているものなのだ』と。
それならばいつか、尊敬する父や兄の孤独に寄り添える人になろう。
そしてそれは、その言葉を聞いて以来幼い頃から今まで抱いてきた自分の夢でもある。
「どうして息子として弟として、そこまで父親や兄貴を尊敬できると思う」
「……それは―――」
「父親や兄貴として、お前に対してどんな感じだ?」
「? 父や、兄として……」
「色々あんじゃん。何か意見言う度にぶん殴って、力ずくで抑え込んで黙らせたりとか」
「っ……姉さんはともかく。父上や兄さんはそんなことしない」
「じゃあ、その父親や兄貴にくらい、自分の意見持ったっていいんじゃねえか?」
「……―――」
「尊敬してるから言いなりになるってのはおかしい。ってのはそういうことだ。
お前らのこと尊重してるから慕われてるんだろ?
歩花のこと諦めるってのは……まあ、そのことは単純な話じゃねえだろうし仕方ないことだとしても、
これから先も遠慮して言いなりのままってのは、なんか、俺も前までそうだったから偉そうに言えねえけど、ちょっと情けなくねえか?
そのままのお前で、お前の親父さんや兄貴は本当に喜ぶと思うか?」
黙ったリーフェルトの目の前で、
陽人は「俺も馬鹿だったよ」と嘆くように溜め息を吐く。
「俺もあいつ……歩花が姉弟みたいなもんだったから。俺より場数踏んでて強いし、尊敬してた。
あいつがパートナーですげぇ誇らしかったし、対等に近づいたとか勝手に勘違いしたせいでゴールデンウィーク前で“あれ”が起こっちまった。
あいつが同い年の女の子なんだってこともすっかり頭から抜け落ちちまって本当情けねえ」
「……陽人君」
「あいつさ。あの事件の後、一人でも強くなれるから安心してくれって俺が言ったら、ほっとした顔で笑ってたよ。
そん時にやっと気付いちまった。『ああ、俺たち間違ってたんだな』って。
多分きっとあいつも、俺と同じこと考えてる。パートナー解消して、これでよかったんだって。今素直に思えるよ」
そして彼はリーフェルトをまっすぐ見据え、静かに再度口を開いた。
「薄っぺらく聞こえるかもしれねえけど。
お前の親父さんや兄貴も、自分の意思でお前が何かできるんだってわかったらきっと、歩花と同じ顔すると思う」
「―――」
「お前はどう思う? リーフェルト―――」
その夜―――。
満月を背に“辰弥”は羽を広げ、宙に浮きながら中指で眼鏡を押し上げる。
その身体には、セノフォンテがリーフェルトの家に訪問した際持ってきていた大槌が背負われていた。
「やれやれ。……退魔師として戦う許可が下りた日にこれか」
彼女の眼鏡に映るのは、屋根に立つ二人の男女の姿。
二人ともヴァンパイアの羽を持ち、
一人は白いチャクラム、もう一人は白い鎌を持っている。
「仕事はとうに終わったので、とっとと帰りたいんだがな―――」
目を逸らすことなく、歩花とダンピールの二人は互いに睨み合う。
同刻。
何も知らないリーフェルトは、
自分の家のベランダから夜空を飾る人間界の満月を見上げ、一人物思いに耽っていた。




