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境界線

 入口側から入ってきた気配は三人だった。


 そのうち一人は、間違いなくカイルだ。


 残り二人にも覚えがある。


 ネラとエミル。


 ガルドが入口側へ向かい、三人を連れて戻ってくる。


「ユーマ!」


 カイルの声が床へ伝わった。


 俺には言葉としては分からない。


 でも、ガルドがすぐに床へ手をつく。


『中はどうなっとる、と聞いとるぞ』


『……とりあえず、全員生きてる』


 ガルドがそれを伝える。


「とりあえずって何だ!」


 大きな声が床を震わせた。


『怒られた?』


『当たり前じゃ』


 ガルドが呆れた意味を返してくる。


 三人はそのまま奥へ入ってきた。


 カイルの足が何度か止まる。


 ネラも同じだ。


 エミルは少し遅れて進んでいる。


 たぶん、壊れた壁や天井を見ているんだろう。


 俺には見えない。


 でも、自分の身体がどれだけ変形しているかは分かる。


 魔法で砕かれた壁。


 抉られた天井。


 俺自身が持ち上げたり、沈めたりした床。


 その間に、十人の人間がいる。


 倒れている者。


 岩に脚を固定された者。


 ほとんど動かない者。


 前室には、両脚と腕を固めたままの隊長がいる。


「……派手にやったな」


 カイルらしい声が床を震わせた。


『壊したのは向こうも同じだからな』


 ガルドが伝える。


「残りはお前だろ」


『まあ、それはそう』


 もう一人の足が動いた。


 ネラだ。


 倒れている人間のそばへしゃがみ込んだらしい。


「動ける奴は返事しな!」


 大きな声が響く。


 何人かの身体が動いた。


 そのうち一人が何か答えている。


 言葉は分からない。


 ただ、まだ意識があることは分かる。


「カイル、先に怪我人だ」


「ああ」


 ネラが一人ずつ状態を確認していく。


 エミルも手伝い始めた。


 身体を起こす。


 腕を固定する。


 倒れている者を楽な姿勢へ動かす。


 俺には治療の内容までは分からない。


 ただ、人の位置が少しずつ変わっていく。


 カイルがガルドの近くへ戻ってきた。


「死者は?」


 ガルドが床へ手をつく。


『死んだ者はおるか、と聞いとる』


『いない。十人とも確認した』


 ガルドが伝える。


「重傷は?」


『そこまでは分からない。骨が折れてる奴はいるかもしれない』


 ネラの声が返ってきた。


「すぐ死にそうなのはいない! ただ、何人かはまともに歩かせない方がいい!」


 カイルの身体から、僅かに力が抜けたように感じた。


「全員生きてるなら、まずはそれでいい」


 それから、ガルドのすぐ近くへ足が止まる。


「ユーマは?」


『お前さんは大丈夫か、と聞いとる』


『俺?』


『お前さん以外に誰がおる』


『壁と天井を結構壊された』


 ガルドが伝える。


 少し間があった。


「それだけか?」


『たぶん』


「たぶんって何だ」


『痛くないから分からないんだよ』


 ガルドがそのまま伝えると、カイルはしばらく黙った。


「……そうだったな」


 その足が、砕かれた壁の近くへ移動する。


「直せるのか?」


『時間をかければ』


「なら、ひとまずはいい」


 カイルの足が前室へ向かった。


 隊長の近くで止まる。


「ダリウス」


 名前を呼ばれた隊長が何か答えた。


 ガルドは通訳しない。


 人間同士の会話だから当然だ。


 俺には言葉が分からない。


『ガルド』


『待っとれ。今、何があったか聞いとる』


 しばらく、二人の声だけが床を震わせる。


 やがてガルドから意味が届いた。


『ダリウスは、調査中にお前さんが進路を塞ぎ、その後、部隊へ実力を使ったと言っとる』


『順番が違うだろ』


『ワシもそう思う』


 ガルドが何かを口にする。


 今度はカイルが答えた。


『カイルが、最初から確認すると言っとる』


『頼む』


 少しして、別の人間が動いた。


 壁際にいた一人だ。


 何かをカイルへ渡している。


『何してる?』


『記録係の帳面を見とる』


『ちゃんと書いてあるのか?』


『さあな。ワシも読んどらん』


 紙をめくっているらしい小さな振動までは、俺には分からない。


 ただ、しばらく誰も大きく動かなかった。


 やがてカイルが記録係へ何かを聞く。


 記録係が答える。


 次にダリウス。


 さらにガルド。


 何度かやり取りが続いた。


 ようやくガルドが床へ手をつく。


『まず、あいつらが予定より早くここへ来たのは間違いないそうじゃ』


『カイルを置いて?』


『集合時刻より前に出たらしい。カイルは後から合流するつもりだった、とダリウスは言っとる』


『俺が待てって言ったのは?』


『記録に残っとる』


『よし』


『何がよしなんじゃ』


『いや、俺の記憶違いじゃなくてよかった』


 ガルドから、呆れたような意味が返ってきた。


 カイルたちの確認は続く。


 俺がカイルを待ってくれと言った。


 ダリウスは入口付近だけでも調査すると言った。


 俺は、それも待ってほしいと断った。


 それでも部隊は進もうとした。


 俺が通路を壁で塞いだ。


 ガルドが壊すなと伝えた。


 その壁に魔法が撃ち込まれた。


 一度では抜けず、もう一度魔法を使い、その後、人の手で崩して通れる穴を作った。


 そこまで確認したところで、カイルの声が低くなった。


 ダリウスが答える。


 少し長い。


『何て?』


『待っとれ』


 ガルドも会話を聞いている。


 やがて意味が届いた。


『ダリウスは、あの壁を単なる拒否とは考えんかったそうじゃ』


『どういうこと?』


『お前さんが新しく作った壁じゃろ』


『そうだけど』


『それを、調査隊の進行を物理的に妨害するための行動と判断した。だから除去できると考えたそうじゃ』


『俺の身体だぞ』


『それも知っとった』


 少し間が空く。


『だからこそ、お前さん自身が実力で部隊を止めようとした、と判断したそうじゃ』


 ……そういう理屈か。


 分からなくはない。


 いや。


 分かるのと納得できるのは別だけど。


『でも、俺は入るなって言ってたよな』


『言っとった』


『壁を壊すなとも』


『ワシが伝えた』


『じゃあ駄目だろ』


『ワシに言うな』


 また人間同士の会話が続く。


 今度はカイルの声が少し大きい。


 ダリウスも返す。


 ガルドが床へ手を置いたまま教えてくれる。


『カイルが、王国から何と言われて来たのか確認しとる』


『何て言われてたんだ?』


『調査は、お前さんが認めた範囲でやるのが原則。拒否された場所へ勝手に入らん。話し合って、それでも駄目なら一度持ち帰る』


 ……。


『それ、先に聞きたかったんだけど』


『ワシも今初めて詳しく聞いたわい』


 カイルが何かを聞く。


 ダリウスが答える。


 ガルドから意味が届いた。


『ダリウスは、その命令は理解しとったと言っとる』


『じゃあ、何で入ってきた?』


『さっきと同じじゃ。お前さんが作った壁を、拒否そのものではなく、部隊に対する物理的な妨害と判断した』


『同じだろ』


『向こうには違うらしい』


 俺は少し考えた。


 確かに、俺は壁を作った。


 入ってくるなという意味で。


 向こうから見れば、それは俺が力を使って進路を塞いだことになる。


 でも。


 ここは俺だ。


 壁も俺だ。


 自分の身体を閉じて、入ってくるなと言った。


 それを壊された。


『……変じゃないか?』


『何がじゃ』


『人間が家の扉を閉めて、入るなって言ったとするだろ』


『うむ』


『それを、扉を閉めたのは物理的な妨害だから壊して入っていい、って言ってるように聞こえる』


 ガルドが黙った。


 それから、俺の言葉をそのまま人間たちへ伝えたらしい。


 少し間があった。


 カイルが何か言う。


 ダリウスも答える。


『何て?』


『ダリウスは、お前さんが人間の家と同じ扱いになるかどうかは、まだ決まっとらんと言っとる』


 胸の奥――なんてものはないけど、何かが引っかかった。


『俺が家じゃなかったら、壊していいのか?』


『そうは言っとらん』


『でも、そう聞こえる』


 今度はカイルが長く話した。


 ガルドがそれを聞き終える。


『カイルは、その解釈が命令の範囲だったかどうかは、ここでは決めんと言っとる』


『決めない?』


『王国へ持ち帰る。シルヴァンに報告して判断させるそうじゃ』


『……そうか』


 俺としては、ここで決めてほしい気もする。


 でも、カイルに王国の命令まで決める権限がないのは分かる。


 カイルがまた何か言った。


 今度は短い。


 ガルドが伝える。


『ただし、事実関係は記録とお前さん、それからワシの話でほぼ一致しとる。そこは報告に入れるそうじゃ』


『ならいい』


 ダリウスが何か言った。


 低い声だった。


『何て?』


『自分は現場指揮官として、部隊の安全を守る判断をした。それは変わらん、と』


『俺の中に入ってきて?』


『……それも伝えるか?』


『いや、いい』


 どうせまた同じ話になる。


 カイルが確認を続ける。


 壁を突破された後、俺が床を動かした。


 最初は転倒させるだけ。


 次に足を沈めて拘束した。


 拘束した人間を魔法で助けようとしたので、俺が先に解除した。


 その後も部隊が進んだ。


 俺が警告した。


 それでも進行が続いた。


 俺がさらに強く止めようとした。


 そこでダリウスが、部隊への実力行使を確認し、進行を妨害する行為への反撃を許可した。


 そして戦闘になった。


『討伐しろって命令は?』


 念のため聞いた。


『出しとらんそうじゃ』


『そうか』


 第35話で感じた印象と同じだ。


 向こうは向こうで、俺に攻撃されたから反撃したつもりらしい。


 俺は俺で、勝手に入ってきた奴を止めただけだ。


 どっちも、自分から始めたとは思っていない。


 面倒だな。


 でも、一つだけはっきりしている。


 俺は入るなと言った。


 それでも入ってきた。


 そこだけは変わらない。


 カイルが隊長の近くへ移動した。


 それからガルドへ何か言う。


『ユーマ。ダリウスを離せるか?』


『もう戦わないなら』


 ガルドが伝える。


 ダリウスが何か答えた。


『部隊は撤収する。これ以上の調査はしないそうじゃ』


『分かった』


 俺は拘束を解いた。


 両腕の周囲を固めていた岩を戻す。


 次に脚。


 ゆっくり床へ戻していく。


 ダリウスの身体が動く。


 しばらくして立ち上がった。


 武器は少し離れた場所に落ちている。


 その近くの床を小さく盛り上げる。


『剣、そこ』


 ガルドが伝えた。


 カイルが先にそちらへ移動する。


 金属が床から離れた。


「これは俺が預かる」


 ダリウスは何か短く答えた。


 その頃には、ネラとエミルも負傷者の確認を終えたらしい。


 ネラがカイルへ状態を伝えている。


 何人かは歩ける。


 何人かは肩を貸した方がいい。


 骨折の疑いもある。


 でも、今すぐ命に関わりそうな者はいない。


 それをガルドから聞いて、少しだけ安心した。


 エミルが俺の壁際へ移動した。


 戦っている間に何度も石柱を伸ばした場所だ。


 壁へ手が触れる。


 でも、エミルから意味は届かない。


 しばらくして、エミルがガルドを呼んだ。


 ガルドが近づき、床へ手をつく。


『エミルが聞いとる。この辺りの形が前と違うそうじゃ』


『今日変えたからな』


 ガルドが伝える。


 エミルの声が返ってくる。


『何をしたのか、と』


『壁の一部を細長く伸ばした』


『前からできたのか?』


『いや。戦ってる途中で思いついた』


 返事が止まった。


『何じゃ?』


『いや、エミルが固まっとる』


『何で?』


『知らん』


 しばらくして、また質問が来た。


『それで人を止めたのか?』


『止めた。ぶつけて』


『速さは変えられる?』


『変えられる』


『どのくらいまで?』


 俺は少し考える。


『分からない』


『試してない?』


『死なせたくなかったからな』


 ガルドが伝える。


 エミルから次の質問が来るまで、少し時間がかかった。


『同時に何本動かせる?』


『二本はやった』


『二本まで?』


『それ以上は試してない』


 嘘ではない。


 実際、どこまでできるのかは俺にも分からない。


 先端を尖らせられることは言わなかった。


 別に隠すつもりだったわけじゃない。


 ただ、聞かれていない。


 それに、たった今俺の中へ勝手に入ってきた王国の人間がいる前で、できることを全部説明する必要もないだろう。


 エミルが何かを記録しているらしい。


 カイルが近づいてくる。


『カイルが、他にも戦ってる途中で思いついたことはあるか、と』


『あるけど、全部言わないと駄目か?』


 ガルドがそのまま伝えた。


 少しして、カイルの声が返ってくる。


『嫌なら言わんでいい、と』


『じゃあ言わない』


『即答じゃな』


『そりゃそうだろ』


 ガルドから、少し笑ったような意味が返ってきた。


 カイルも何か言っている。


『何て?』


『少しは警戒することを覚えたな、じゃと』


『誰のせいだと思ってる』


 それを伝えると、カイルは黙った。


『黙ったぞ』


『知ってる』


 俺にも足が止まったのは分かる。


 やがてダリウスが何か言った。


 低い声が床へ伝わる。


 ガルドから意味が届く。


『……危険な迷宮だ、と』


 俺は少し考えた。


 否定はできない。


 実際、十人を止めた。


 殺そうと思えば、たぶん殺せる。


 危険じゃないと言い張る方が無理がある。


 カイルが何かを返した。


 短い言葉だった。


『何て?』


 ガルドから、そのまま意味が届く。


『危険かどうかと、敵かどうかは別だ』


 どこかで似たようなことを言っていた気がする。


 カイルらしい。


 ダリウスは何も返さなかった。


 やがて、負傷者たちが入口側へ移動を始める。


 歩ける者は自分で。


 難しい者は肩を借りながら。


 エミルも一緒に動く。


 ネラは最後の方に残り、何度も足を止めながら全員が移動しているか確認していた。


 ダリウスも入口側へ向かう。


 俺はガルドへ意識を向けた。


『ガルド』


『何じゃ』


『もう入ってくるなって伝えて』


『それだけでいいのか?』


『今は』


 ガルドが伝える。


 ダリウスの足が止まった。


 何かを言う。


『何て?』


『次の判断は王国が下す、じゃと』


『そう』


 俺には、それ以上言うことはなかった。


 ダリウスの足が再び動き出す。


 やがて、負傷した調査隊と一緒に入口側へ遠ざかっていった。


 ネラとエミルも続く。


 最後まで残ったのはカイルだった。


 ガルドがまだ床へ手をついている。


「ユーマ」


『何?』


 もちろん、その声自体の意味は分からない。


 ガルドを通して、言葉が届く。


『今日のことは全部持ち帰って報告する。シルヴァンにも直接話すそうじゃ』


『分かった』


『どう判断されるかは、カイルにもまだ分からん』


『また調査に来る?』


 カイルが答える。


『それも今は分からん。決まったら、自分が来ると言っとる』


『そっか』


 少し間があった。


 カイルがもう一度話す。


『それまで、誰か来ても勝手に奥まで通すな、と』


『今日みたいに?』


 ガルドが伝える。


 カイルの返事が来る。


『今日みたいになる前に止めろ、じゃと』


『止めたんだけど』


 また伝える。


 少し間があった。


『……それも報告するそうじゃ』


『頼むよ』


 カイルの足が入口側へ向く。


 数歩進んでから、また止まった。


 振り返ったのかもしれない。


 俺には分からない。


 最後に短い声が床へ伝わった。


 ガルドが意味を渡してくれる。


『じゃあな、じゃと』


『ああ』


 カイルの足が遠ざかる。


 ガルドだけが残った。


 やがて、カイルたちも俺の領域から外へ出た。


 俺は自分の身体へ意識を戻す。


 砕かれた壁。


 抉られた天井。


 何度も動かしたせいで形の変わった床。


 人間たちがいた場所には、もう生命の気配はない。


 十人とも生きて帰った。


 俺の中にいたみんなも無事だ。


 なら、今はそれでいい。


 ただ――。


 俺は入口側へ意識を向けた。


 どこまで入っていいのか。


 どこから先は入ってほしくないのか。


 俺には、最初から分かっていたつもりだった。


 俺が嫌だと言えば、それで伝わると思っていた。


 でも、そうじゃなかった。


 向こうには向こうの命令がある。


 判断がある。


 俺とは違う理屈がある。


 それでも。


 ここは俺の身体だ。


 そして、みんなが暮らしている場所でもある。


 入ってほしくない時に、入るなと言える場所であってほしい。


 言葉だけで足りないなら。


 次は、形にするしかない。


 俺は砕けた壁へ意識を戻した。


 少なくとも、同じやり方で二度も入らせるつもりはなかった。

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