越えた境界
壁が、欠けた。
俺が作った壁だ。
さっきまで確かに俺だった場所が崩され、岩の破片になって床へ散らばっている。
痛みはない。
壁を壊されたことは分かる。でも、人間だった頃みたいに傷口が痛むわけじゃない。
だからといって、何とも思わないわけでもなかった。
自分の身体の一部を、目の前で壊された。
気分がいいはずがない。
厚くしたつもりだった。それでも魔法を何度かぶつけられ、人の手で崩されれば抜かれる。
……絶対に壊されないわけじゃないのか。
開けられた穴を越えて、複数の人間が俺の中へ入ってくる。
先頭に二人。その後ろにも続いている。
足が床へ触れるたび、位置が分かった。
ガルドもまだ近くにいる。
『ガルド』
『おう』
『もう一度伝えてくれ。カイルが来るまで待ってほしい。壁を壊してまで入ってこないでくれって』
「隊長!」
ガルドの声そのものは俺には分からない。
ただ、すぐ近くにいるガルドの身体から振動が伝わり、そのあとで床に触れた手から意味が返ってきた。
『駄目じゃ。調査を続けると言っとる』
……駄目か。
話はできる。
でも、止まる気はないらしい。
『入口の近くだけだって?』
『そう言っとる』
『俺は嫌だって言ってるのに?』
『ワシも言うた』
それでも足は止まらない。
先頭の二人が、さらに奥へ進んでくる。
もう一枚、壁を作ることもできる。
でも、同じことをすれば、また壊されるだけだ。
何度でも作ればいいのかもしれない。
向こうが何度でも壊せるなら、意味がない。
それに――。
もう、壊されるのは嫌だった。
『ガルド。止まれって伝えてくれ』
「止まれ!」
ガルドが何かを叫んだらしい。
それでも先頭の二人は進んでくる。
なら、止めるしかない。
俺は先頭の一人が踏んでいる床へ意識を向けた。
沈める。
足元の岩を、一気に下げた。
一人の身体が大きく揺れ、片膝を床につく。
隣にいた人間がすぐ近づいた。
倒れた仲間を支えようとしているらしい。
その足元も傾ける。
二人目の身体が揺れた。
後ろにいた人間たちが散る。
反応が早い。
突然床が動いたのに、大きく位置を崩したのは先頭の二人だけだった。
『どうだ?』
『止まっとらん』
『だよな』
分かっていた。
人間たちが互いに距離を取り始める。
俺が床を動かすことを警戒しているんだろう。
……慣れるのが早いな。
最初は驚いていたのに、もう床が動くことを前提にしている。
先頭の一人が再び進む。
だったら、もう少し強く止める。
踏み出した足の周囲を沈めた。
今度は膝近くまで。
同時に周囲の岩を寄せて、脚を挟むように固定する。
身体の動きが止まった。
抜こうとしているのか、何度か大きな力が俺の床へ伝わってくる。
でも抜けない。
助けようと近づく人間の前には、床を盛り上げた。
これなら止められる。
怪我をさせる必要もない。
『ガルド。そこで待てって言ってくれ。カイルが来れば話をするって』
『分かった』
ガルドが伝える。
しばらく、人間たちの位置が動かなかった。
ようやく止まったか。
そう思った直後だった。
『まずい』
『何だ?』
『魔術師が前に出た。捕まっとる奴の足元を狙っとる』
……は?
『そこを撃ったら、その人まで怪我するだろ』
『ワシもそう言う!』
ガルドが叫ぶような振動が伝わる。
それでも魔術師の位置は変わらない。
拘束した兵士のすぐ近く。
俺の身体を壊せば助けられる。
そう判断したんだろう。
……面倒だな。
このまま撃たせて、あの人まで巻き込まれるのは嫌だ。
俺は脚を挟んでいた岩を戻した。
拘束がなくなる。
兵士はすぐに脚を引き抜き、後ろへ移動した。
『外したぞ』
『見りゃ分かるわい』
『怪我してない?』
少し間があった。
『立っとる。大丈夫そうじゃ』
『ならいい』
まだ、怪我をさせる必要はない。
止まってくれれば、それでいい。
でも、人間たちはまた動き始めた。
……本当に帰る気がないのか。
壁を作れば壊す。
拘束すれば、それも壊そうとする。
俺が譲れば、その分だけ奥へ進んでくる。
その先には前室がある。
さらに奥には、リリアとミア、アルスたちがいる。
ガルドだけは今、俺と兵士たちの間にいる。
ここから先へは行かせたくない。
『ガルド』
『何じゃ』
『最後に伝えてくれ』
少しだけ考える。
『これ以上進むなら、今度は転ばせるだけじゃ済まない』
ガルドが黙った。
『……ユーマ』
『殺すつもりはないよ』
自分で言ってから、その言葉の重さを考えた。
殺せる。
それは、もう知っている。
床を落とすこともできる。
壁で潰すこともできる。
人間の身体なんて、俺の岩に比べればずっと脆い。
でも、それはやらない。
『ただ、止まってくれないなら、怪我まで避けられるとは約束できない』
しばらく返事がなかった。
『……分かった。伝える』
ガルドの身体から大きな振動が伝わった。
人間たちの動きが止まる。
ガルドは床へ触れたまま、向こうの返答を俺へ伝えた。
『妨害をやめて、調査を受け入れろと言っとる』
『嫌だ』
すぐに返した。
『カイルが来るまで待て。それだけだ』
ガルドが伝える。
返事が来る。
『進路を開け、と』
『断る』
またガルドが伝えた。
短い間があった。
『隊長が、対象による実力行使を確認した、って言っとる』
『実力行使?』
『床を動かしたことじゃろう』
『先に俺を壊したのはそっちだろ』
『……ワシもそう思う』
ガルドが再び向こうへ何かを伝える。
返ってきた意味は短かった。
『部隊の安全を最優先にする。進行を妨害する行為には反撃を許可する、じゃと』
反撃。
その言葉が引っかかった。
俺は攻撃したつもりなんてない。
入ってくるなと言った。
待ってくれと言った。
それでも入ってきたから、転ばせた。
捕まえた。
怪我をしそうになったから、自分から離した。
それが、向こうから見れば攻撃なのか。
『ガルド』
『おう』
『下がってくれ』
『嫌じゃ』
即答だった。
『いや、そこにいたら危ない』
『だから残るんじゃろうが。ワシがおらんかったら、お前さんら話もできんぞ』
それはそうだ。
でも、このまま何かが始まれば、ガルドが一番危ない場所にいる。
『頼む』
『……』
『俺が床を動かす時、ガルドまで巻き込みたくない』
返事がない。
『それに、もう話しても止まらないなら、そこにいる意味がない』
『馬鹿言え。だからって――』
『ガルド』
今度は強く送った。
『下がってくれ』
長い沈黙のあと、ガルドの足が動いた。
一歩。
また一歩。
兵士たちから離れ、奥へ下がってくる。
『ここでええか』
『もう少し』
『注文が多いのう』
『ごめん』
さらに何歩か。
これなら、すぐには巻き込まない。
『止まって』
ガルドの足が止まった。
『そこにいて』
『……無茶するなよ』
『するつもりはない』
たぶん。
人間たちが再び動き始める。
少しずつ、奥へ。
こいつらが俺を殺すつもりなのかは分からない。
迷宮核とかいうものを探したいだけなのかもしれない。
俺を危険かどうか確かめたいだけなのかもしれない。
でも、もう関係ない。
入るなと言った。
待ってくれと言った。
壊すなとも言った。
それでも、俺の身体を壊して入ってきた。
そして今も、奥へ進んでくる。
この先には、俺だけじゃなく、みんながいる。
なら。
殺すつもりはない。
でも、無傷で帰してやる必要もない。
俺は通路全体へ意識を広げた。
壁。
床。
天井。
全部、俺の身体だ。
『ユーマ!』
ガルドから強い意味が届く。
『魔術師じゃ! また撃つぞ!』
次の瞬間、俺の身体に大きな衝撃が走った。
岩が砕ける。
また来た。
でも――。
今度は、黙って壊されるつもりはなかった。




