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先行する者たち

 集合時刻には、まだ少し早かった。


 森の外れに集められた十人の調査隊は、装備の最終確認を進めていた。


 剣士。


 盾役。


 弓手。


 魔術師。


 そして記録係。


 全員が、迷宮探索か魔物との戦闘経験を持つ者たちだ。


 今回の任務は、知性を持つ可能性のある未知の迷宮を調査すること。


 内部構造。


 規模。


 危険性。


 周辺への影響。


 そして、可能であれば迷宮核の所在を確認する。


 ただし、今回の対象は通常の迷宮とは違う。


 人間と言葉を交わすという。


「隊長」


 装備を確認していた一人が顔を上げた。


「レヴァン殿はまだ来ていませんが」


「ああ」


 調査隊の指揮官、ダリウス・ベルグレンは短く答えた。


 探索者協会の迷宮専門家、カイル・レヴァン。


 今回の調査には、彼も同行することになっている。


「集合時刻までは、まだあります。ここで待ちますか?」


「いや」


 ダリウスは周囲を見回した。


 すでに準備は終わっている。


「先に出る」


 何人かが顔を上げた。


「しかし、レヴァン殿も同行すると聞いていますが」


「行軍に迷宮専門家は必要ない。現地で合流する」


「……分かりました」


 それ以上の質問はなかった。


 集合時刻前ではある。


 だが、準備の終わった部隊をここで待たせる理由もない。


 現地へ着いてからカイルを待てばいい。


 ダリウスはそう判断した。


 命令に従い、十人が動き始める。


 記録係だけが一度、集合場所を振り返った。


 まだ、カイルの姿はない。


 調査隊はそのまま森へ入った。


     *


 今回の対象について書かれた報告書には目を通している。


 人間と意思疎通する。


 内部構造を自ら変化させる。


 複数の人間や亜人を内部に受け入れている。


 そして、今のところ明確な人的被害は確認されていない。


 随分と奇妙な迷宮だった。


 王国の方針も理解している。


 現時点では討伐しない。


 同時に、安全とも認定しない。


 対象との意思疎通を優先し、内部調査は原則として許可された範囲に限定する。


 その判断そのものに異論があるわけではない。


 だがダリウスには、王国が未知の迷宮に対して、必要以上に受け身になっているようにも思えた。


 知性がある。


 会話ができる。


 だから安全だという話にはならない。


 むしろ、自ら考え、学び、構造を変える迷宮だからこそ、通常以上に慎重に危険性を見極める必要がある。


 そのための調査だ。


 必要なら、現場で判断する。


 部隊の安全を預かる者として、それは当然のことだった。


「隊長」


 歩きながら、後方の魔術師が声を掛けてきた。


「今回の調査ですが、対象と意思疎通できるというのは本当でしょうか」


「報告ではそうなっている」


「迷宮そのものと?」


「ああ」


 魔術師は少し考えた。


「どうやって話すんでしょうね」


「行けば分かる」


 ダリウスは足を止めなかった。


 別の隊員が口を開く。


「敵対した場合は?」


 ダリウスが僅かに振り返る。


「通常の探索と同じだ。自分と仲間の命を優先しろ」


「了解」


「ただし、こちらから戦闘を始めるな。今回の任務は討伐ではない」


「はい」


 それだけだった。


 森を進む。


 しばらくすると、先行していた斥候が戻ってきた。


「確認しました。この先です」


「周囲は?」


「魔物の気配はありません」


「よし」


 ダリウスは片手を上げた。


「ここから警戒を上げる。前衛を前へ」


 盾を持った二人が先頭へ移動する。


 その後ろに剣士。


 魔術師と弓手が続き、記録係は中央へ入った。


 隊列を整え、再び進む。


 やがて木々の間から岩肌が見えた。


 その一角に、暗い洞窟の入口が口を開けている。


 報告を受けていなければ、特別な場所だとは思わなかったかもしれない。


 全員の足が止まった。


「対象を確認」


 記録係が帳面を開く。


 ダリウスは入口を見た。


 外から見る限り、ただの洞窟だ。


 これが、人間と意思を交わすという迷宮。


「入口周辺を確認しろ」


「了解」


 数人が動いた。


 地面。


 岩壁。


 入口の形。


 周囲に魔物の痕跡がないかも確認していく。


「報告にあった入口と一致します」


「内部は?」


「ここからでは奥まで確認できません」


 ダリウスは暗い通路へ目を向けた。


「警戒を維持したまま――」


「止まれ!」


 突然、洞窟の奥から男の声が響いた。


 次の瞬間、剣が抜かれる。


 盾が上がる。


 魔術師が杖を構えた。


「誰だ!」


「姿を見せろ!」


 隊員たちが入口へ視線を集中させる。


「待て! 攻撃するな!」


 また声がした。


 しばらくして、一人の男が暗い通路の奥から姿を現した。


 小柄で、がっしりとした身体。


 長い髭。


 手には武器らしいものを持っていない。


「ドワーフ?」


 誰かが呟く。


 男は入口近くまで来ると、その場でしゃがみ、片手を床へついた。


「お前さんら、王国の調査隊か?」


 ダリウスは男を見た。


「そうだ。お前は?」


「ガルドじゃ。ここに住んどる」


「報告にあったドワーフか」


「そういうお前さんは?」


「調査隊指揮官、ダリウス・ベルグレンだ」


 ガルドは少しの間、ダリウスを見ていた。


 やがて床へついた手へ意識を向けるように黙り込む。


「……十人か」


 ダリウスの眉が僅かに動いた。


「何?」


「ユーマが言っとる。入口に十人来たとな」


 何人かの隊員が顔を見合わせた。


 ダリウスはガルドの足元を見る。


「迷宮と話しているのか?」


「そうじゃ」


「我々には聞こえない」


「お前さんらには届かんらしい。ワシが間に入る」


 ダリウスは報告書の内容を思い出した。


 意思疎通には個人差がある。


 カイルたちにも、対象との直接的な会話は成立しなかった。


「レヴァン殿は?」


 ガルドが尋ねる。


「後から来る」


 ガルドは床へ手をついたまま少し黙った。


「ユーマが聞いとる。一緒じゃないのか、とな」


「現地で合流する予定だ」


 また短い沈黙。


「カイルが来るまで待ってくれ、と言っとる」


「なぜだ」


「知らん人間十人に、いきなり中を調べさせるのは困るそうじゃ。カイルなら知っとる。あいつが来てから話をしたいとな」


 ダリウスは洞窟の奥へ視線を向けた。


「我々は王国から派遣された正式な調査隊だ」


「それは聞いとる」


「内部構造、規模、危険性、迷宮核の所在。それらを確認する任務がある」


「じゃから、カイルが来るまで待てと言っとるんじゃ」


「拒否しているわけではない、と?」


「待ってくれと言っとるだけじゃ」


 後方で一人の隊員が口を開いた。


「隊長。レヴァン殿を待ってから開始しても――」


 ダリウスは少し考えた。


 カイルの役割は交渉と迷宮に関する専門判断。


 確かに、ここで待つ選択肢はある。


 だが、対象が自分たちの到着時刻まで決める権限を持つわけではない。


「まず入口付近だけ確認する」


 ダリウスは言った。


「本格的な調査はレヴァン到着後だ」


 ガルドが床へ意思を確かめる。


 少しして、顔を上げた。


「それも待ってくれ、と言っとる」


「理由は?」


「お前さんらを知らんからじゃ」


「こちらも対象を知らん。だから調査する」


「話が逆じゃろうが」


 ガルドの声が低くなる。


「知らんからこそ、まず話をしろと言っとるんじゃ」


 ダリウスは答えなかった。


 しばらくガルドを見る。


 その後ろには暗い通路が続いている。


「隊列を組め」


 盾役が前へ出る。


「隊長?」


「入口から前室まで確認する。本格調査ではない」


 後ろに剣士。


 魔術師。


 弓手。


 記録係も位置を変える。


「待て」


 ガルドが立ち上がった。


「ユーマは入るなと言っとる」


「先ほどは待てと言っていたはずだ」


「待たんからじゃろうが」


 ダリウスはガルドを見る。


「我々は調査隊だ。入口付近の確認まで拒否されれば、任務そのものが成立しない」


「カイルが来れば話をする言うとるじゃろ!」


「そのレヴァンはまだ来ていない」


 ダリウスは右手を上げた。


「進め」


 盾役が入口へ足を踏み入れた。


 一歩。


 二歩。


 ガルドが床へ手をつく。


「止まれ!」


 低い振動が足元から伝わった。


 ゴゴゴゴゴ……。


「停止!」


 ダリウスの命令で、隊員たちが一斉に足を止める。


 目の前で岩が動いていた。


 床からせり上がり、左右の壁とつながっていく。


 見る間に通路が塞がれ、天井まで一枚の岩壁になる。


「……壁?」


 盾役が呟く。


 数秒前まで、そこには何もなかった。


 記録係が帳面へ書き込む。


「対象が内部構造を変化。進路を封鎖しました」


 ダリウスは新しくできた岩壁へ近づいた。


 手を触れる。


 固い。


 すぐに崩れるようなものではない。


「これが報告にあった構造変化か」


「隊長」


 ガルドの声が飛ぶ。


「ユーマからじゃ。これ以上入ってくるな、と言っとる」


 ダリウスは壁から手を離した。


「この壁を解除するよう伝えろ」


「カイルが来たらな、だそうじゃ」


「調査を実力で妨害するということか?」


「違うわ!」


 ガルドの声が大きくなる。


「お前さんらが勝手に入ろうとするから閉じただけじゃ!」


 ダリウスは目の前の壁を見る。


 対象は会話ができる。


 こちらの要求も理解している。


 その上で、自ら構造を変化させ、調査隊の進行を物理的に阻止した。


「隊長」


 後ろから魔術師が声を掛ける。


「どうしますか」


 ダリウスは答えなかった。


 王国から受けた命令を思い返す。


 内部への立ち入り、構造物への接触および調査は、原則として許可された範囲に限定する。


 拒否された場合は、まず交渉する。


 それでも拒否されたなら持ち帰る。


 だが、これは最初から存在していた構造物ではない。


 自分たちの進行を止めるため、今この場で作られたものだ。


 そして対象は、自ら実力を行使して調査を阻止した。


 ダリウスはそう判断した。


「魔術師」


「はい」


「この壁を除去する」


 ガルドの顔色が変わった。


「待て」


「調査続行に必要な措置だ」


「お前さん、何を言っとる」


「退け」


「そこはユーマじゃぞ」


 ダリウスがガルドを見る。


「何?」


「その壁も床も、全部ユーマの身体じゃ!」


 後ろの隊員たちが僅かにざわめいた。


「報告書にも書いてあったじゃろうが! 勝手に壊すな!」


 ダリウスは壁へ視線を戻した。


「承知している」


「なら――」


「対象自身が、我々の進行を阻止するために作った壁だ」


「当たり前じゃ! 入るなと言っとるんじゃから!」


「だからこそ、こちらも対応する」


 ガルドが床へ手をつく。


 すぐに顔を上げた。


「ユーマが言っとる。壊すな」


 ダリウスは答えない。


「ここには決まりがある。勝手に人を傷つけん。人を誰かの物にせん。そして、ユーマの身体を勝手に壊さん」


「それは、この迷宮内部で暮らす者たちの取り決めだろう」


「だから何じゃ」


「我々は王国の調査隊だ」


「王国なら人の身体を勝手に壊してええんか!」


 ダリウスの目が細くなる。


「対象を人間と同じものとして扱うかどうかは、まだ決まっていない」


「そんな話をしとるんじゃない!」


 ガルドが一歩前へ出る。


「話ができる。嫌だと言っとる。それでも壊すんかと聞いとるんじゃ!」


 答えはなかった。


 ダリウスは魔術師を見る。


「準備しろ」


「……よろしいのですか?」


「この壁を除去する。奥へ攻撃を通すな。必要以上に破壊するな」


 魔術師は一瞬迷った。


 それでも命令に従い、杖を構える。


「隊長、やめとけ」


 ガルドの声が低くなる。


「最後に言うぞ」


 杖の先へ魔力が集まっていく。


「ユーマは、お前さんらを攻撃しとらん」


 ダリウスは何も答えない。


「入ってくるなと言って、自分の身体を閉じただけじゃ」


 魔力が膨らむ。


「それを壊したら――」


「放て」


 火球が飛んだ。


 岩壁へ直撃する。


 爆発。


 轟音が狭い洞窟を駆け抜けた。


 隊員たちが顔を庇う。


 土煙が舞い上がり、細かな破片が床を叩いた。


「待機!」


 ダリウスが命じる。


 煙が薄れる。


 岩壁には大きな窪みができていた。


 だが、貫通していない。


「もう一度」


「はい」


「やめろ!」


 ガルドが叫ぶ。


 魔術師が杖を構え直す。


 二発目。


 再び爆発が通路を揺らした。


 岩が大きく崩れる。


 まだ狭い。


「前衛。開口部を広げろ」


 剣士二人が前へ出た。


 崩れかけた部分へ工具を当て、亀裂を広げていく。


 岩が落ちる。


 一つ。


 また一つ。


 やがて、人が通れるだけの穴が開いた。


 隊員たちは誰も口を開かなかった。


 つい先ほどまで、自分たちに入るなと伝えていた存在。


 その身体の一部を、自分たちは今、壊した。


 ガルドは床へ片手をついたまま動かなかった。


「……ユーマ?」


 返事を待つ。


 少しして。


 ガルドだけに、意味が届いた。


『……壊した』


 短い。


 怒鳴っているわけでもない。


 ただ、起きたことを確かめるような言葉だった。


 ガルドはゆっくり立ち上がる。


「隊長」


 ダリウスが振り返る。


「やめとけ」


 さっきまでとは違う声だった。


「今なら、まだ戻れる」


 ダリウスは開いた壁の向こうを見る。


 暗い通路が続いている。


 その先に何があるのかは、まだ分からない。


 迷宮核も。


 規模も。


 能力も。


 だから調べる。


 それが自分たちの任務だ。


 ダリウスは剣の柄へ手を置いた。


「前進」

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