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広げる

 広げると決めた。


 問題は、どっちに広げるかだった。


 今までなら、空いている方へ適当に伸ばしていたと思う。


 でも、それを繰り返した結果が今だ。


 さすがに同じことはしたくない。


『ガルド』


『なんじゃ』


『どっちに広げたらいいと思う?』


 昨日の作業場の話が効いているのか、ガルドはすぐにやってきた。


 床へ手をついて、俺との意思をつなぐ。


『まず、生活する場所を増やすなら山側と下じゃな』


『入口側は?』


『そっちも広げた方がええ』


『さっきと言ってること逆じゃない?』


『新しく穴を掘れとは言っとらん。今ある洞窟じゃ』


 ガルドが立ち上がり、入口の方へ何歩か移動する。


『今のお前さんは、この辺りまでしか自分じゃないんじゃろ?』


『うん』


『なら自然洞窟も、入口まで取り込んじまえばええ』


『何で?』


『誰か来た時、早く分かるじゃろ』


『ああ』


 今は自然洞窟へ誰かが入っても、俺の領域まで来なければ分からない。


 兵士たちの時もそうだった。


 自然洞窟の入口まで俺になれば、誰かが入った時点で気づけるかもしれない。


『どうせこれから大きくなるなら、入口だけ避けて広げる意味もないじゃろ』


『確かに』


『入口側は今ある洞窟だけにしとけ。生活場所はまず山側じゃ』


『了解』


 まずは山側から試すことにした。


 今まで俺がやってきたのは、基本的に空間を作ることだった。


 境界にある岩を少しずつ自分の領域へ変えて、その形を動かし、必要な空間を作る。


 でも今回は少し違う。


 部屋を作りたいわけじゃない。


 その先にある岩盤そのものを、先に自分の領域にしたい。


 壁の向こうへ意識を向ける。


 そこから先は俺じゃない。


 何があるのかも分からない。


 それでも、境界に接している岩へ少しずつ干渉する。


 ほんの僅かずつ。


 昨日まで壁の向こうだった岩が、自分の領域へ変わっていく。


『……あ』


『どうした』


『分かる』


『何がじゃ?』


『そこ』


 今まで壁の向こうだった場所。


 何も分からなかった場所。


 そこが突然、自分の感覚の中へ入ってきた。


 岩の状態。


 内部に走っている小さな亀裂。


 周囲とは少し違う部分。


 そこに何かがあると、自分の身体として認識できる。


『ここも俺になったな……』


 ガルドから少し間を置いて意思が返ってきた。


『……お前さん、時々妙なこと言うのう』


『そう?』


『それが迷宮ってやつの感覚か?』


『ああ。本当にそんな感じなんだよ』


 もう少しだけ広げる。


 また感覚が伸びる。


 さらに境界の岩を自分へ変える。


 また広がる。


 面白い。


 人間だった頃、自分の身体が大きくなる瞬間なんて分からなかった。


 背が伸びたとしても、昨日より何mm伸びたなんて感じるわけがない。


 今は違う。


 俺は、自分が大きくなっていくのが分かる。


『……これ、結構楽しいな』


『いいことじゃねぇか』


 ガルドから楽しそうな感情が届く。


 自分が広くなれば、その分だけ自分として感じられる場所も増えていく。


 そう考えると、余計に面白くなった。


 岩盤を自分の領域へ変える。


 空間にはしない。


 まず俺の身体にする。


 必要になった時、そこから部屋を作ればいい。


 昨日決めたやり方だ。


 しばらく続けていると、ガルドが新しく俺の領域になった壁へ手を当てた。


『……速くなったのう』


『そう?』


『そうじゃ。最初の頃とは全然違う。前は、ちょっと動かすだけでも時間がかかっとったじゃろ』


『毎日やってたからな』


『それだけで、ここまで変わるもんかのう』


『俺に聞かれても分からないよ』


 迷宮として成長しているのか。


 単に慣れただけなのか。


 それとも両方なのか。


 正確なところは、俺にも分からない。


『できるようになってるんだから、いいんじゃない?』


『お前さんは気楽じゃのう』


『分からないこと考えても仕方ないだろ』


『まあ、それもそうじゃな』


 さらに岩盤へ意識を伸ばす。


 少しずつ自分へ変えて、広げて、またその先へ。


 そこで感覚が引っかかった。


『……ん?』


『どうした』


『なんか違う感じがするものがある』


『何がじゃ』


『ここ』


 新しく自分の領域になった岩盤の一部。


 周りとは感触が違う。


 岩なのは同じだ。


 でも、その中に何か別のものが混ざっている。


『ガルド、こっち来て』


『どこじゃ』


『もう少し右。そこ』


 ガルドが俺の指示に従って移動する。


 以前より人の位置が分かるようになったおかげで、こういう案内は楽になった。


『ここか?』


『もう少し下』


 ガルドがしゃがみ、壁へ触れる。


『少し削るぞ』


『いいよ』


 許可を確認してから、ガルドが壁の表面を削り始める。


 壁へ伝わる振動が何度か続き、やがて止まった。


『……ほう』


『何?』


 すぐには返事がない。


 また何度か振動が続く。


 こういう時のガルドは妙に真剣だ。


 普段なら何かしら返してくるのに、石や鉱物が絡むと急に職人になる。


 しばらくして、ようやく意思が届いた。


『鉄が混じっとるな』


『鉄?』


『鉄鉱石じゃ。質はそれほど良くないがの』


『これが?』


『そうじゃ』


 俺も改めて、その部分へ意識を向ける。


 普通の岩とは少し違う。


 さっき感じた違和感の正体が、鉄を含んでいることなのかもしれない。


『でも、これも俺になったんだよな』


『そうみたいじゃな』


『じゃあ、鉄だけ分けられたりするかな』


 少し間があった。


『……やってみろ』


『急に食いついたな』


『ええから、やれ』


 分かりやすい。


 俺も気になったので、鉄鉱石を含んだ部分へ意識を集中する。


 岩盤全体なら分かる。


 ここはもう俺だ。


 形を変えろと言われれば動かせる。


 でも、その中から鉄だけを選ぼうとすると。


『……分からん』


『何がじゃ』


『どれが鉄なのか分からない』


『さっき違いが分かると言ったじゃろ』


『周りと違うのは分かる。でも、その中のどれが鉄かって言われると無理』


 試しに、その部分だけ少し形を変えてみる。


 岩としてなら動く。


 でも、鉄だけが出てくるわけではない。


 元と同じような岩のままだ。


『駄目だな』


『鉄だけ取り出すのは無理か』


『今はね』


 ガルドから、考え込むような沈黙が返ってくる。


『今は、か』


『できるかどうかも分からないよ』


『それでも面白いじゃろ』


『まあ、それはそうだけど』


 どうやら新しい研究対象を見つけてしまったらしい。


 俺としても少し気になる。


 ただ、今は広げる方が先だ。


 その後も拡張を続けた。


 けれど、いつまでも同じようには動かせない。


 しばらくすると、岩盤を自分の領域へ変えていく速度が落ち始めた。


『……重いな』


『何がじゃ』


『さっきより動かしにくい』


 何度か試してみる。


 動かせないわけではない。


 でも、明らかに遅い。


『やりすぎじゃないのか?』


『かも』


『なら休め』


『そうだな』


 操作を止める。


 後でまたやればいいし、焦ることはない。


 続けていると動きが鈍る。


 しばらく何もしなければ、また少し動かしやすくなる。


 前から何となく感じていたことだ。


 原因は分からない。


 最近は、どのくらい続ければ動きが鈍るのか、その加減が少し分かるようになってきた。


     *


 やがて、みんなの動きが少なくなった。


 リリアとミアが戻り、食事を終えた後だ。


 ガルドは昼間に見つけた鉄鉱石をまだ気にしていた。


 アレンも一度見せてもらっていたが、ガルドほど興味はないらしい。しばらくすると、自分の寝床へ移動していった。


 時間が経つにつれ、みんなが静かになる。


 リリアが横になったらしい。


 その近くにいたミアも、ほとんど動かなくなる。


 ガルドもようやく作業をやめた。


 アレンだけはしばらく動いていたが、やがて静かになった。


 俺だけは起きている。


 いや、起きているという言い方も変か。


 そもそも眠らない。


 人間だった頃なら、今頃は布団に入っていたはずだ。


 夜になれば眠り、朝になれば起きる。


 それが普通だった。


 今の俺にとって夜は、みんなが静かになる時間でしかない。


 岩盤を少し動かしてみる。


 まだ重い。


 もう少し待つ。


 暇なので、自分の中にいる四人の気配を感じていた。


 誰もほとんど動かない。


 それだけで、眠っているのだろうと分かる。


 以前は誰かが近くにいても、生きている。それくらいしか分からなかった。


 今は位置や大きな動きなら、前よりずっと分かる。


 少し不思議だった。


 しばらくして、もう一度岩盤へ意識を向ける。


 さっきより動かしやすい。


 そろそろいけるか。


 拡張を再開する。


 自分へ変えて、広げて、またその先へ。


 どうせ朝まで暇だ。


 動きが鈍くなれば止める。


 戻ればまた始める。


 広げる。


 休む。


 また広げる。


 それを何度か繰り返した。


 山側と地下方向をある程度広げたところで、今度は自然洞窟側へ意識を向ける。


 新しく穴を掘る必要はない。


 すでにある洞窟の周囲を、少しずつ自分の領域へ変えていく。


 これまで俺ではなかった通路が、俺になる。


 曲がった場所。


 狭い場所。


 天井の低いところ。


 リリアたちが毎日通っていた場所。


 今までは話でしか知らなかった道を、自分自身として初めて理解していく。


 こんな形だったんだな。


 リリアが外へ出る時。


 ミアが帰ってくる時。


 兵士たちが歩いてきた時。


 みんな、ここを通っていた。


 俺には分からなかっただけで、ちゃんと道は続いていた。


 さらに先へ。


 少し休み、また自分の領域へ変える。


 やがて、今までとは違うものが触れた。


 ……ん?


 岩じゃない。


 何かが、俺に触れている。


 弱い。


 でも、途切れずに動いている。


 表面を撫でるように触れて、そのまま流れていく。


 何だ、これ。


 新しく自分になった洞窟の入口へ意識を集中する。


 また触れた。


 押すほど強くはない。


 でも、確かに何かが流れている。


 前世の記憶が浮かんだ。


 外を歩いた時、顔や腕を撫でていった空気。


 あれと同じなら。


 ……風?


 しばらく、その流れを感じる。


 見えない。


 色も分からない。


 でも、触れている。


 俺の身体に、外から流れてきた空気が触れている。


 これが……外か。


 今まで外は、リリアたちから聞くものだった。


 どんな場所なのか。


 何があるのか。


 誰がいるのか。


 全部、人から教えてもらうしかなかった。


 初めてだった。


 ほんの少しだけ、自分自身で外の世界を感じた。


 ……悪くないな。


 しばらく、その感覚を確かめた。


 それからまた作業へ戻る。


 入口まで自分の領域にしたことで、これからは誰かが洞窟へ入れば、以前より早く気づけるはずだ。


 それだけのつもりだった。


 外へ触れられるようになるとは思っていなかった。


 予定より、少し良いものが手に入った気がする。


 その後も、動きが鈍くなれば休み、戻ればまた広げた。


 どれくらい経ったのか。


 静かだったリリアが動き始めた。


 少し遅れてミアも動く。


 どうやら朝らしい。


 俺には空が見えないから、みんなが起きると朝が来たことが分かる。


 やがてガルドも動き始めた。


『ガルド』


『なんじゃ……』


 返ってきた意思が、いつもより少し鈍い。


『結構広がったよ』


『何がじゃ』


『俺』


 少し間があった。


『……また妙な言い方するのう』


『昨日より広い』


『まさか、夜もやっとったのか?』


『途中で休みながらね』


 ガルドが新しく広げた方へ歩き始める。


 空間そのものはまだ大きく作っていない。


 だから、ガルドが見ただけではほとんど分からないはずだ。


 俺は山側の壁までガルドを案内し、その先に自分になった岩盤がどこまで続いているかを伝えた。


 ガルドが目の前の壁へ手を当てる。


『……この先まで、お前さんだと言うんじゃな』


『うん。まだ岩のままだけど』


『一晩で?』


『全部じゃないよ。昨日の昼から』


『十分おかしいわ』


『褒めてる?』


『呆れとる』


 ガルドが入口側へ移動する。


『そっちもやった』


『入口もか?』


『自然洞窟の入口まで』


 ガルドの足が止まった。


『もうそこまでいったのか』


『今ある洞窟の周りを自分にしただけだから』


『だけって言う量じゃないんじゃがな』


『でも、おかげで外が分かった』


『外?』


『風が当たるんだ。俺に』


 ガルドから返事が来ない。


『流れてきた空気が、入口の俺に触れる。それが分かる』


 しばらく沈黙が続いた。


『……そうか』


『うん』


『初めてか?』


『自分で感じたのは』


 また少し間が空いた。


 やがて、ガルドから柔らかな感情が届く。


『そいつは、よかったのう』


『ああ』


 短いやり取りだった。


 それで十分だった。


 少しして、ガルドが壁へ手をついたまま意思を送ってくる。


『ところでじゃ』


『何?』


『昨日の鉄鉱石なんじゃが』


『もうその話?』


『もう一回試してみんか?』


『やだ』


『何でじゃ!』


 即答した。


 だって疲れてるし。


『一回だけじゃ』


『今は疲れてるんだよ。後でな』


『ケチじゃのう』


 不満そうな意思が返ってくる。


 多分、今日はずっと言われる。


 まあいい。


 俺も少し気になっている。


 広くなった自分の中を感じる。


 昨日より大きい。


 でも、まだほとんど何もない。


 外に触れる入口と、これから何かを作れる広い余白。


 それだけだ。


 だからこそ、色々できそうだった。


 さて……次は何を作ろうか。

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