幕間07 調査報告
扉を叩くと、中から低い声が返ってきた。
「入れ」
カイルが扉を開ける。
部屋の奥では、シルヴァン・レイグが机に向かっていた。
四十代前半。王国軍の上層に属し、この方面から上がってくる重要な報告を扱う人物だ。兵士たちから最初の報告を受けた後、すぐに兵を追加投入せず、探索者協会による調査へ切り替える判断にも関わっていた。
カイルに続いてネラ、エミルが部屋へ入る。
三人が揃ったのを確認すると、シルヴァンは机の上で手を組んだ。
「それで、本当にいたのか?」
「いたぜ」
カイルは迷わず答えた。
「兵士たちの報告通りだ」
「意思を持っているという話もか?」
「ああ。会話も確認した」
シルヴァンの眉が僅かに動く。
「迷宮と会話した、と?」
「正確には、俺たちは直接じゃねえ。中にいるドワーフのガルドを通した」
「直接ではない?」
「床に触れて試してみたが、俺には何かいるって感覚までだった。言葉にはならなかった。ネラとエミルも同じだ」
カイルは少し間を置いた。
「誰とでも直接話せるわけじゃないらしい。ガルドや魔族の少女とは話せる。獣人の子とも、今はある程度通じるそうだ。元王国兵のアレンとは、まともな会話はできない」
「意思疎通の方法にも個人差があるのか」
「そういうことだ」
兵士から同じ報告を受けた時とは違う。
今回は調査のために派遣した探索者三人が、現地で同じ存在を確認している。
シルヴァンは椅子へ深く座り直した。
「ユーマという名前も確認したのか?」
「ああ。ガルドを通してな。本人もユーマって名前を自分のものとして認識してる」
「自分を一個の存在として認識している、と」
「間違いねえ」
「危険なのか?」
カイルはすぐには答えなかった。
「危険じゃない、とは言えねえな」
「理由は?」
「自分で壁や床を動かせる。兵士を転ばせて動きを止めたのも、ユーマ本人で間違いない」
「他には?」
「本人にも聞いた。人を殺せると思う、ってな」
部屋の空気が僅かに張り詰めた。
「……殺したことは?」
「ないそうだ」
「それを信じたのか?」
「少なくとも俺たちが確認した範囲じゃ、嘘だと疑う材料はなかった」
シルヴァンは黙ってカイルを見る。
「では、現時点で討伐を勧めるか?」
「勧めねえ」
今度は即答だった。
「理由は?」
「今のところ、敵にする理由がない」
「危険なのだろう?」
「力があることと、敵かどうかは別だろ」
シルヴァンは何も言わない。
カイルが続ける。
「こっちから手を出して敵に回す方が危ねえ。それに、俺たちがいる間は一度も攻撃してこなかった。調査も、相談した範囲なら受け入れた」
「信用できると?」
「そこまでは言ってねえよ」
カイルは首を振った。
「分からねえことが多すぎる。ただ、分からねえから潰すって判断をする段階でもない」
「なるほどな」
シルヴァンの視線がエミルへ移った。
「魔力は?」
「既知の迷宮とはかなり違います」
エミルが答える。
「許可された範囲で床、壁、扉を調べました。どれも魔力の性質が非常によく似ています」
「同じものなのか?」
「断定はできません。ただ、本人は床も壁も扉も自分の身体だと言っています」
「空間そのものが身体だと?」
「少なくとも、ユーマはそう認識しています」
エミルは一度言葉を切った。
「それと、迷宮核を確認できませんでした」
「核がないのか?」
「分かりません」
エミルはすぐに訂正した。
「ないとは断定できません。正確には、調査を許可された範囲では見つけられませんでした」
「本人は?」
「迷宮核という言葉自体を知りませんでした」
「……迷宮自身がか?」
「はい」
シルヴァンは額に手を当てた。
「意思があり、名前があり、自分が迷宮であることも理解している。それなのに迷宮核を知らない」
「そういうことです」
「ますます分からんな」
「私もです」
エミルの返答には迷いがなかった。
シルヴァンの視線がネラへ移る。
「内部は?」
「変だったよ」
ネラが答えた。
「変?」
「普通の迷宮って感じじゃないんだよね」
「具体的に言え」
「入口の先に前室があって、勝手に奥へ行けないように石の扉まで作ってある。通路も曲げてあったよ」
「罠か?」
「違う」
ネラは首を振った。
「奥にいる連中を守るため。それと、入ってきた相手といきなり戦いにならないようにするためみたい」
「迷宮が自分で考えて作ったのか?」
「前に兵士がそのまま奥まで入ってきたから、同じことが起きないよう作り直したってさ。アタイたちも、許されたところまでしか入らなかった」
「奥には何がある?」
「人が暮らしてる」
シルヴァンの表情が僅かに変わった。
「兵士の報告にあった者たちか」
「魔族の女の子と獣人の子。それからドワーフと、アレン」
「問題は?」
「少なくともアタイたちがいた間は何もなかったよ」
ネラは少し考えた。
「あそこ、迷宮っていうより……家みたいだった」
「家?」
「まだ小さいけどね。人が住んで、飯食って、生活してる場所って感じ」
「迷宮の中で、か」
「そう」
シルヴァンはしばらく考え込んだ。
「内部に規則のようなものは?」
「ある」
カイルが答えた。
「三つだけだけどな」
「言ってみろ」
「人を勝手に傷つけない。人を誰かの物にしない。それから、ユーマの身体を勝手に壊さない」
シルヴァンが最後の一つで眉を寄せた。
「身体?」
「さっきの話だ。壁も床も自分の身体なんだと」
「壊されれば死ぬのか?」
「そこまでは分からねえ。ただ、勝手に削ったり作り替えられたりするのが嫌らしい」
「……迷宮がそんなことを言ったのか?」
「言ったぜ」
「その三つは、ユーマが決めたのか?」
「いや」
カイルは少しだけ口元を緩めた。
「俺が最低限の決まりくらい作っとけって言ったら、中にいる連中にも確認し始めた。全員で決めたみたいなもんだ」
「命令したわけではない?」
「少なくとも、そうは見えなかったな」
しばらく沈黙が続いた。
やがてシルヴァンが椅子へ背を預ける。
「カイル」
「何だ?」
「今後、どう扱うべきだと思う」
「継続して見た方がいい」
カイルは少しも迷わなかった。
「どこまで大きくなるのか。何ができるようになるのか。周囲にどんな影響を出すのか。分からねえことが多すぎる」
「定期的な調査が必要だと?」
「ああ。ただし、今の段階で敵にする必要もない」
「軍は?」
「不用意に近づけない方がいい」
「なぜだ?」
「向こうは話が通じる。剣持った兵隊を大人数で送り込む理由がねえだろ。必要なら、まず話せばいい」
シルヴァンは机を指で何度か叩いた。
「……分かった」
三人へ視線を向ける。
「少なくとも、現時点で即時討伐を具申する材料はない。未知の迷宮として継続観察が必要だと報告する」
「妥当だな」
「正式な扱いは、その後だ。それまでは軍にも不用意な接触を避けるよう伝えておく」
「それでいい」
「報告書をまとめておけ。特に迷宮核と意思疎通の条件については詳細に」
「分かった」
三人が部屋を出る。
扉が閉まったところで、ネラが大きく息を吐いた。
「疲れた」
「調査より報告の方がか?」
カイルが聞く。
「どっちも」
「まだ報告書があるぞ」
「なによ……」
ネラがうんざりした様子で返す。
エミルはそんな二人を気にすることなく歩いていた。
「迷宮核について、もう少し調べたいですね」
「どうするつもりだ?」
「まずは協会の資料を見ます」
「好きにしろ。ただし寝ろよ」
「善処します」
「それ、寝ない奴の返事だよ」
ネラが呆れた声を出した。
三人はそのまま探索者協会へ戻った。
広間へ入ったところで、すぐに声が飛んでくる。
「おい、カイル」
顔見知りの探索者だった。
「何だ」
男が近づいてくる。
「人間と話す迷宮が見つかったって、本当か?」
カイルの足が止まった。
「……誰から聞いた」
「誰って」
男は周囲を見回す。
何人かの探索者がこちらを気にしていた。
「もう噂になってるぞ」
「……」
別の卓からも声が飛ぶ。
「魔族が住んでるって話も本当なのか?」
「兵士を捕まえて、そのまま帰したって聞いたぞ」
ネラがカイルを見る。
「耳が早いね」
「早すぎる」
兵士が帰還した。
調査隊が派遣された。
そして三人が戻ってきた。
それだけでも、情報に触れた人間は少なくない。
「で、どうだったんだ?」
最初の探索者がもう一度聞く。
カイルは答えず、その横を通り過ぎた。
「おい、カイル!」
後ろから声が飛んでくる。
それにも答えなかった。
報告は、たった今終わったばかりだ。
どうやら噂の方が、少しだけ足が速かったらしい。




