幕間06 迷宮調査
王国兵三人が帰還してから数日後。
探索者協会に、一件の依頼が持ち込まれた。
未確認迷宮の調査。
規模、構造、危険度、内部に生息する生物、周辺環境への影響の確認。
通常なら、そこまで珍しい依頼ではない。
新たに発見された迷宮へ探索者を送り込み、得られた情報から危険度を判断する。必要であれば継続的な監視を行い、危険性が高ければ対処する。
今回も、依頼書だけを見れば同じだった。
ただし、一つだけ。
今までにない項目が加えられていた。
「意思疎通の可否を確認、ねえ」
カイル・レヴァンは依頼書を片手に、椅子へ深く腰を下ろしていた。
三十八歳。
長年、探索者協会で迷宮調査を専門にしてきた男だ。
危険度判定、迷宮構造、魔物の生息状況、周辺環境への影響。
迷宮について調べることが、カイルの仕事だった。
戦えないわけではない。
片手剣と小型盾を使い、これまで何度も迷宮から生還している。
ただ、カイルにとって戦闘は目的ではなかった。
生きて入り、生きて戻り、見たものを持ち帰る。
それが迷宮調査だ。
「で?」
カイルは依頼書から顔を上げた。
「こいつ、本気で書いてんのか?」
「報告した兵士三名から、それぞれ聞き取りを行っています」
向かいに座る協会職員が答えた。
「三人とも同じ証言か」
「細部に違いはありますが、迷宮そのものと意思疎通を行ったという点では一致しています」
「酒でも飲んでたんじゃねえだろうな」
「5日間行方不明になっていた兵士全員が、同じ幻覚を見たのでなければ」
「そっちの方がまだ分かりやすいんだがな」
カイルはもう一度依頼書を見る。
意思を持つ迷宮。
そんなものは聞いたことがない。
通常の迷宮にも成長する性質はある。
内部構造を変え、周囲の生命や魔力へ影響を及ぼす。成長した迷宮には魔物が住み着き、時間とともに危険性を増していくこともある。
だが、それと会話をすることは別の話だ。
「兵士三人を捕らえた」
「はい」
「殺さず5日間置いて、飯と水を与えた」
「そのようです」
「怪我まで手当てして、最後は武器を返して解放」
「はい」
「……面倒くせえな」
協会職員が僅かに眉を動かした。
「友好的とは考えませんか?」
「まだ分からん」
カイルは依頼書を机へ置いた。
「ただ魔物が住み着いてるだけなら、調べることは決まってる。何がいる。どこまで広がってる。周りにどんな影響が出てる。危険ならどう対処する。それでいい」
指先で依頼書を叩く。
「だが、こいつは考えてるらしい」
「だから危険だと?」
「違う。判断するための基準がねえんだよ」
兵士を殺さなかった。
それだけで安全とは言えない。
武器を返した。
だから善良だとも限らない。
相手に意思があるなら、その行動には理由がある。
問題は、その理由をまだ誰も知らないことだ。
「王国側はどうするつもりだ」
「現段階では討伐の判断は出ていません」
「まあ、そうなるか」
「兵を派遣する案もあったようですが、見送られています」
「当然だな」
カイルは鼻を鳴らした。
「意思があるって話が本当なら、兵隊をぞろぞろ送り込んだ時点で、向こうには攻めてきたように見えるかもしれねえ」
「そのため、探索者協会へ調査依頼が出されました」
「俺たちなら喧嘩にならねえと?」
「少なくとも軍隊よりは」
「便利に使いやがる」
文句を言いながらも、カイルは依頼書を返さなかった。
「目的は?」
「迷宮の規模と構造、危険度、内部生物、周辺への影響。それから、報告にある知性と意思疎通能力が事実かどうかの確認です」
「討伐は無しだよな?」
「依頼には含まれていません」
「戦闘は?」
「可能な限り避けるように、と」
「まともだな」
未知の迷宮だ。
無理はできない。
特に今回は、相手がこちらの行動を理解する可能性がある。
「魔族がいるって話も本当か?」
「兵士三名が確認しています。魔族の少女、獣人の少女、それにドワーフが一人ずつ」
「なるほどな」
「それから、元王国兵のアレン・クロードも内部に残っています」
「そいつは捕虜か?」
「本人の意思で残ったと報告されています」
カイルが黙った。
迷宮。
魔族。
獣人。
ドワーフ。
元王国兵。
どれも単独なら理解できる。
だが、それらが一つの場所に集まり、暮らしているらしい。
「……ますます分からねえな」
「興味が出ましたか?」
「面倒が増えたって言ってんだよ」
カイルは依頼書を持ったまま立ち上がった。
「二人連れていく」
「人選は?」
「こっちに任せてもらう」
*
「それでアタイ?」
「ああ」
「意思を持つ迷宮?」
「ああ」
「魔族もいる?」
「ああ」
「兵士三人を捕まえて、飯食わせて帰した?」
「ああ」
「帰っていい?」
「駄目だ」
「へいへい」
ネラ・ファーンは大きくため息をついた。
トラ系獣人の女だ。
鍛えられた身体は人間の男と並んでも見劣りせず、その手には使い込まれた大盾がある。
前に立ち、仲間への攻撃を受け止める。
それがネラの役割だった。
今回の目的は戦闘ではない。
だからこそカイルは、何かあった時に敵を倒す人間より、仲間を守りながら退ける人間を選んだ。
「で、エミルも?」
「呼んである」
「嫌な予感しかしないよ」
「奇遇だな。俺もだ」
ほどなくしてエミルがやってきた。
魔力の流れや迷宮内部の構造を調べることを得意とする探索者だ。
依頼内容を読み終えたエミルは、しばらく黙って紙を見ていた。
「意思を持つ迷宮……」
「そこに食いつくと思ったよ」
ネラが呆れたように言う。
「どうなっているんでしょう」
「知らねえから調べに行くんだよ」
カイルが答える。
「報告どおりなら、通常の迷宮と同じ方法で調べていいのかも分かりませんね」
「だから現地で見ろ。最初から答えを決めて入るな」
「……分かりました」
エミルは依頼書を畳んだ。
「受けます」
「早いね」
「興味があります」
「アタイは帰りたいんだけど」
「諦めろ」
カイルが二人を見る。
「先に言っとくぞ。今回の目的は討伐じゃねえ」
ネラの表情から軽さが消えた。
「迷宮に入って、見る。調べる。対話できるって話も確認する。まずはそれだけだ」
「魔物が出たら?」
「当然、自衛はする」
「魔族は?」
「向こうから仕掛けてこねえ限り手を出すな」
ネラが頷く。
エミルも同じだった。
「特に覚えとけ」
カイルは二人を順に見る。
「相手が本当に意思を持ってるなら、こっちの行動を見てる可能性がある」
「普通の迷宮探索とは違うってことね」
「最初から最後まで、誰かの腹ん中に入ると思え」
「それ、余計に行きたくなくなった」
「安心しろ」
「何が?」
「俺もだ」
ネラが嫌そうな顔をした。
「もし何かあったら?」
大盾を軽く叩きながら、ネラが聞く。
「お前が前に出ろ。俺とエミルを守れ」
「倒さなくていいの?」
「逃げられるなら逃げる。調査に行って全滅しましたじゃ笑えねえ」
「了解」
ネラの返事から、今度は軽さが消えた。
「準備はいつまで?」
「明日の朝出る」
「急だね」
「前の連中が帰ってから、もう何日か経ってる。のんびりしてる理由もねえ」
「分かった」
ネラが立ち上がる。
エミルも依頼書をもう一度確認してから席を立った。
「カイルさん」
「あ?」
「その迷宮が、本当に我々と会話できたらどうします?」
「話す」
「何を?」
カイルは少し考えた。
依頼書に書かれていた内容を思い出す。
兵士を捕らえた。
殺さなかった。
食事を与えた。
武器を返した。
そして、自分について知ってほしいと言った。
「まずは、何者なのか聞くところからだな」
*
その頃、俺たちも、ただ誰かが来るのを待っていたわけじゃない。
前室と扉を作ってから、さらに奥にリリアとミアが隠れられる場所を作った。
それから、ガルドと相談しながら水場も整えた。
水源から細い水路を引き、元から流れている水の一部を居住区の近くまで通す。
もちろん、流した水をそのままにはできない。
『水は流したら終わりじゃねえぞ』
『分かってるよ』
そこは一応、元設備設計屋だ。
取水したなら、排水もいる。
床へ僅かな傾斜をつけ、使った水が反対側へ流れるように溝を作った。
取水。
水場。
排水。
やっていることは単純だけど、これだけで随分と暮らしやすくなった。
水場ができた時、リリアとミアはかなり喜んだ。
特にミアは気に入ったらしく、何度も水へ手を入れていた。
必要な場所を広げる時も、やることは同じだ。
境界に接する岩盤を少しずつ自分の領域へ変える。
自分の身体になった部分だけを動かし、形を整える。
そうして、俺の身体もまた少し広がった。
最初は3m四方の石室だった。
それが今では、人が暮らす場所がある。
食事をする机がある。
水場まである。
『なんか家っぽくなってきたな』
『迷宮だろ』
ガルドから返ってくる。
『気分だよ』
それ以上は言わなかった。
どっちでもいい気もしてきた。
人が暮らせるなら、それでいい。
それから数日。
新しく作った水場にも慣れ、リリアとミアはいつものように外へ食料を探しに出ていた。
俺は何度目か分からないくらい、入口側へ意識を向ける。
前室には誰もいない。
兵士三人を帰してから、何度確認したか分からない。
来てほしいわけじゃない。
でも、来るかもしれないと思うと気になる。
その時だった。
一つ。
俺の感覚に、生命が触れた。
『……ん?』
意識を前室へ集中する。
一つじゃない。
二つ。
三つ。
外から来た三つの生命が、俺の身体になっている前室へ入ってきた。
『ガルド』
『何だ』
『来た』
『何が』
『人だと思う。三人いる』
ガルドの生命がすぐに動いた。
近くにいたアレンへ何かを言っているらしい。
アレンの生命も動き始める。
『兵士か?』
『そこまでは分からない』
『扉は』
『閉まってる』
前室。
その奥に作った石の扉。
今度は、いきなり居住区まで入ってこられることはない。
三つの生命は前室の中をゆっくり動き、やがて止まった。
兵士たちを帰した以上、誰かが来る可能性は考えていた。
だから準備もした。
それでも、実際に来るとなると話は別だ。
昨日までなら、この三人はそのまま奥まで進んできた。
今は違う。
間に扉がある。
その向こうで、俺は待っている。
『ガルド』
『何だ』
『お客さんだ』
『客かどうかは、まだ分からんぞ』
『じゃあ、確かめよう』
何のために来たのか。
俺たちをどうするつもりなのか。
まだ何も分からない。
でも。
今度は、まず話してみよう。




