幕間05 意思を持つ迷宮
扉の前で一度立ち止まり、服装を整える。
帰還してから、まだそれほど時間は経っていない。
報告はすでに上へ届いている。
5日以上も消息を絶っていた部隊の三人が、突然戻ってきたのだから当然だろう。
扉を叩く。
「入れ」
中から低い声が返ってきた。
「失礼します」
扉を開ける。
机の向こうに、シルヴァン・レイグが座っていた。
王国軍の上層に属し、この方面から上がってくる報告を受ける立場にある人物だ。
四十代前半。短く刈った髪と日に焼けた顔、がっしりとした体格には、長く軍務に携わってきた者らしさがある。
書類へ向けられていた鋭い目が、こちらを見る。
「戻りました」
「聞いている。座れ」
「はい」
勧められた椅子へ腰を下ろす。
シルヴァンは手にしていた書類を机へ置いた。
「5日以上も消息を絶っていたそうだな」
「はい」
「捜索隊を出す準備をしていたところだ」
やはりそうだったか。
「申し訳ありません」
「謝罪は後でいい。何があった」
「はい」
どこから話すべきか。
考えたところで、順番に話すしかない。
「洞窟を調査中、未確認の空間を発見しました」
「続けろ」
「調査のため内部へ入り、その場所が迷宮であることが判明しました」
シルヴァンの表情が変わった。
「迷宮だと?」
「はい」
「場所は?」
位置を説明する。
シルヴァンの眉間に皺が寄った。
「その場所に迷宮があるという報告は受けていない」
「我々も把握していませんでした」
「規模は」
「不明です」
「不明?」
「確認できた範囲は限られています」
シルヴァンがこちらを見る。
「なぜだ」
ここからだ。
「その迷宮には、意思があります」
シルヴァンの動きが止まった。
「……何?」
「我々と言葉を交わしました」
返事がない。
鋭い目が、こちらを見ている。
冗談を言っていると思われても仕方がない。
「もう一度言え」
「迷宮そのものに意思があります。我々の言葉を理解し、意思疎通が可能です」
「意思を持つ迷宮だと……?」
シルヴァンが椅子へ深く腰を預けた。
「前代未聞だな」
「はい」
少なくとも、自分も聞いたことがない。
王国では、迷宮は危険な存在として扱われる。
周囲に魔物を引き寄せ、放置すれば人や土地へ被害を広げる可能性がある。
発見すれば警戒し、規模や状況を調べ、危険性が高ければ対処する。
そう教えられてきた。
迷宮と話す。
そんな発想自体がない。
シルヴァンがしばらく考えた後、こちらを見る。
「よく生還できたな」
「……解放されました」
「何?」
「我々は迷宮内で戦闘になり、その迷宮に捕らえられました」
「待て」
シルヴァンが片手を上げた。
「迷宮に捕らえられた?」
「はい」
「その後、解放されたと?」
「その通りです」
「どういうことだ」
「5日間、迷宮内で過ごしました。その後、迷宮自身の判断で解放されています」
シルヴァンの目が細くなる。
「逃げたのではないんだな」
「違います」
「取引をした?」
「いいえ」
「では、なぜ解放された」
「我々に、自分のことを知ってもらいたい、と」
「……迷宮がそう言ったのか」
「はい」
自分で報告していても、妙な話だと思う。
だが、事実だ。
「我々は迷宮内で、ある程度自由に行動することを許されました。食事と水も与えられています」
「捕虜としてか?」
「本人は、そう認識していたと思います」
「本人……」
シルヴァンが小さく繰り返した。
確かに、迷宮を「本人」と呼ぶのは妙なのかもしれない。
だが、5日間あそこにいた自分には、他に適切な言葉が思いつかなかった。
「それで5日後、お前たちを解放した」
「はい」
「そのまま?」
「武器も返されました」
シルヴァンが黙った。
「……武器まで?」
「はい」
また沈黙が落ちる。
今度は少し長かった。
「最初から聞こう」
シルヴァンが姿勢を戻した。
「なぜ戦闘になった」
「内部で魔族の少女を発見しました」
「魔族?」
「はい」
シルヴァンの顔から、先ほどまでとは違う緊張が見えた。
「迷宮内に魔族がいたのか」
「一人確認しています」
「それで?」
「部下の一人が剣を抜きました」
隠す必要はない。
ありのまま報告すると約束した。
それは、自分たちに都合の悪いことも同じだ。
「少女に向けてか」
「はい」
「先に攻撃されたわけではない?」
「違います」
シルヴァンが黙る。
「その直後、床が動きました。部下の一人が転倒し、もう一人も動きを封じられています」
「迷宮がやったのか」
「そう考えています」
「お前は?」
「止めに入りました」
「それで戦闘は終わった?」
「はい」
「死者は」
「いません」
「負傷者は」
「いましたが、手当てを受けています」
「誰にだ」
「迷宮側にです」
シルヴァンの眉が動いた。
「捕らえた相手を治療した?」
「はい」
シルヴァンは何も言わなかった。
机の上で指を組み、しばらく考えている。
「中にいたのは、その魔族だけか」
「いいえ。獣人の少女と、ドワーフもいました」
「獣人まで……」
「それから、アレン・クロードもいます」
今度はシルヴァンの表情が明確に変わった。
「……アレン・クロード?」
「はい」
「元王国兵の?」
「そうです」
シルヴァンが僅かに目を細める。
「なぜ戻ってこない」
「本人は、まだ判断できないと言っていました」
「判断?」
「迷宮も、そこにいる魔族の少女も、自分が知っているものと同じなのか。それを自分の目で確かめたい、と」
「迷宮側についたわけではない?」
「本人は、そう言っていました」
「お前はどう見た」
「分かりません」
それも正直な答えだった。
アレンが何を考えているのか、全てを知っているわけではない。
ただ、少なくとも無理やり留められているようには見えなかった。
「それで」
シルヴァンがこちらを見る。
「その迷宮は危険なのか?」
すぐには答えられなかった。
危険。
その言葉だけなら、間違いなく当てはまる部分がある。
床を動かし、人間を転倒させる。
壁も動かす。
自分たち三人を、殺すことなく制圧した。
どこまでできるのかも分からない。
「分かりません」
「分からない?」
「危険ではない、と断言することはできません」
シルヴァンの視線が鋭くなる。
「理由は」
「我々三人を簡単に制圧しました。迷宮内部で、どこまでのことができるのかも把握できていません」
「なら危険だろう」
「力だけを見れば」
「他に何を見る」
5日間。
食事が出た。
水もあった。
拘束もされなかった。
魔族の少女は、自分たちを怖がっていた。
獣人の少女も同じだ。
そして最後には。
「我々を殺す機会は、何度もあったはずです」
シルヴァンが黙る。
「戦闘になった時も殺されなかった。捕らえられた後も危害は加えられていません」
「食事と水を与えられた」
「はい」
「負傷者の治療も」
「はい」
「最後には武器を返して解放した」
「その通りです」
「……」
シルヴァンが椅子へ背を預ける。
「お前は、その迷宮を信用しているのか?」
「分かりません」
「またそれか」
「5日です」
シルヴァンの目を見る。
「信用するにも、敵と決めるにも短すぎます」
シルヴァンは何も言わなかった。
「ただ、あそこで見たことを、ありのまま報告してほしいと言われました」
「迷宮に?」
「はい」
「何と報告してほしいとは言われなかったのか」
少しだけ思い出す。
「そんなに危ない迷宮ではないと言ってくれると嬉しい、とは言っていました」
「……それは随分と」
シルヴァンが一度言葉を止めた。
「変わった迷宮だな」
「自分もそう思います」
初めて、シルヴァンの表情から僅かに緊張が抜けた。
だが、すぐに戻る。
「魔族の少女については?」
「危害は受けていません」
「お前だけではない。部下二人もか」
「はい」
シルヴァンが机の横に置かれた呼び鈴へ手を伸ばした。
「二人にも確認する」
「お願いします」
ほどなくして、二人が部屋へ呼ばれた。
二人は自分の隣に並ぶ。
シルヴァンが若い兵士を見る。
「迷宮内に魔族がいたそうだな」
「はい」
若い兵士の身体が僅かに固くなった。
「その魔族から危害を受けたか」
若い兵士は、すぐには答えなかった。
「……受けていません」
「お前は?」
シルヴァンがもう一人へ視線を移す。
「自分も受けていません」
「迷宮からは」
「戦闘時に動きを封じられました。それ以外はありません」
若い兵士も黙って頷く。
「食事と水を与えられたという話も事実か」
「はい」
「武器を返されたことも?」
「はい」
二人の答えは同じだった。
シルヴァンは、しばらく三人を見ていた。
「分かった。下がっていい」
二人が一礼して部屋を出る。
再び二人きりになった。
「どうされますか」
「今すぐ判断できる話ではない」
シルヴァンは即答した。
「意思を持つ迷宮など聞いたことがない。それだけでも前代未聞だ。その内部に魔族、獣人、ドワーフ、さらに元王国兵までいる」
「はい」
「しかも王国兵三人を制圧する力を持ちながら、自ら解放した」
シルヴァンが机を指で軽く叩く。
「今までの迷宮と同じものとして扱っていいのか。それすら分からん」
「では」
「確認が必要だ」
予想していた答えだった。
「討伐ですか」
「まだ早い」
シルヴァンがこちらを見る。
「迷宮が危険な存在だという前提を捨てるつもりはない」
低い声だった。
「だが、意思疎通ができるという報告が事実なら、何も確認せず兵を送り込む方が危険だ」
「はい」
「まず正式な報告を上げる。こちらでも情報を整理する。判断はその後だ」
少しだけ肩の力が抜けた。
「承知しました」
「お前たちは休め。詳しい報告書は明日でいい」
「ありがとうございます」
立ち上がる。
扉へ向かい、手を掛ける。
「待て」
振り返る。
シルヴァンは、すでに新しい紙を机の上へ置いていた。
「その迷宮に名前はあるのか」
「迷宮の名前ですか?」
「ああ」
考える。
聞いていない。
少なくとも、自分は知らない。
「迷宮の名は分かりません」
「そうか」
「ただ、自分たちと話していた意思には名前があります」
シルヴァンの手が止まった。
「何という」
「ユーマ、と」
「ユーマ……」
シルヴァンが、その名を紙へ書き留める。
「分かった。下がれ」
「はい」
一礼して部屋を出た。
その日。
王国へ送られる報告書に、これまで存在しなかった種類の迷宮について記されることになった。
危険性、不明。
規模、不明。
内部に魔族、獣人、ドワーフ、元王国兵を確認。
そして。
意思疎通、可能。
その迷宮の意思を示す名として。
ユーマ。




