殺せる
『……終わった?』
しばらく、誰からも返事がなかった。
兵士たちは動いていない。
一人は俺が作った岩の間にいる。残り二人も、その近くにいる。
アレン。
ガルド。
リリア。
ミア。
四人の生命も確かめる。
全員いる。
やがて、ガルドが床へ手をついた。
『ああ』
少し間を置いて、もう一度意思が届く。
『終わった』
俺はリリアへ意識を向けた。
『リリアは?』
奥から床へ触れる感覚が返ってくる。
『大丈夫』
『ミア?』
今度は別の小さな手が床へ触れた。
『……大丈夫』
『ガルドも?』
『見りゃ分かるだろ』
『見えないんだよ』
『そうだったな』
ようやく力が抜けた。
『……良かった』
本当に、それしかなかった。
リリアへ向かって兵士が走り出した時、考えている暇はなかった。
床を動かした。
止まらなければ壁を出した。
それでも進んできたから、最後には岩で囲った。
何が正しかったのかは分からない。
でも、少なくともリリアもミアも無事だと答えてくれた。
それなら、今は十分だった。
アレンが何か声を出した。
俺には意味が分からない。
ガルドが聞いてから床へ手をつく。
『アレンが、囲っとる岩を少し広げられんかと』
『何で?』
ガルドがアレンへ声を返す。
短いやり取りのあと、また俺へ触れた。
『狭すぎるそうだ』
『逃げない?』
『武器は置かせた。それに、そのままじゃ動いた拍子に腕でも挟むぞ』
『ああ』
それはまずい。
『どのくらい?』
『少しでいい』
『分かった』
拘束している場所へ意識を向ける。
前。
後ろ。
右。
左。
岩で囲まれた、人一人が立てるだけの空間。
その中央に生命がある。
さっきまでとは違って、今は止まっていた。
そのすぐ近くにある岩を離せばいい。
いつもと同じように、壁を動かすだけだ。
『……』
でも、動かそうとしたところで意識が止まった。
広げることはできる。
なら。
反対に、狭めることもできる。
今ある岩を、ほんの数センチだけ内側へ動かす。
それだけなら、何の苦労もない。
もう少し。
さらに、もう少し。
岩の間にいる人間が動けなくなるまで。
その先まで。
どうなるかなんて、考える必要もなかった。
『……あ』
近くにいたリリアの手から意思が届く。
『ユーマ?』
『ちょっと待って』
人間は、岩より柔らかい。
人間だった俺には、そんなことくらい分かっている。
腕も。
胸も。
頭も。
岩に挟まれればどうなるか。
さっき、俺はそこまで近づいていた。
『……俺、これ』
言葉が止まった。
殺せる。
その一言が浮かんだ瞬間、自分の身体が急に違うものになった気がした。
少し前まで、小石を動かすだけで必死だった。
水を流した。
寝床を作った。
棚を作った。
食卓を作った。
ずっと、作るために岩を動かしてきた。
誰かが暮らしやすくなるように。
誰かがここにいられるように。
そのための力だと思っていた。
同じ岩で、人を殺せる。
『……』
床も。
壁も。
天井も。
今まで全部、ただの俺だった。
そこにリリアたちがいても、何とも思わなかった。
でも今は違う。
俺が少し動かし方を間違えれば。
いや。
間違えなくても。
そのつもりで動かせば。
人間を殺せる。
リリアの手から、静かな意思が届いた。
『ユーマ』
『……?』
『殺さなかったよ』
『それは……』
続かなかった。
『誰も死んでない』
『でも、できる』
『うん』
否定しなかった。
そのことが、逆に少しだけ楽だった。
『できるけど、しなかった』
『……』
『私に向かってきた人も、転ばせただけだった』
『考えてやったわけじゃない』
『でも、そうした』
俺は黙った。
リリアの言っていることは分かる。
結果だけを見れば、誰も死んでいない。
でも、それで安心していいのかは分からなかった。
たまたまかもしれない。
今回はそうだっただけかもしれない。
次は、もっと焦るかもしれない。
もっと怖くなって。
間違って動かしたら。
ガルドが床へ手をついた。
『ユーマ』
『うん』
『考えすぎるなとは言わん』
『うん』
『だが、今は広げろ』
『……現実的だな』
『挟まっとる奴が一番迷惑しとる』
『それはそう』
少しだけ、身体の強張りが抜けた気がした。
『分かった』
もう一度、兵士を囲っている岩へ意識を向ける。
狭められる。
その感覚は消えない。
知らなかったことにはできない。
だからこそ、意識して逆へ動かす。
『……広げる』
左右の岩をゆっくり離す。
前も。
後ろも。
ほんの少しずつ。
ガルドが兵士との距離を確認してから床へ触れた。
『それくらいでいい』
『大丈夫?』
ガルドがアレンへ声をかける。
アレンは囲われている兵士を確認しているらしい。
少しして、ガルドから答えが届く。
『大丈夫だとよ』
『怪我は?』
また声でのやり取り。
『転んだ時に少し擦った程度だそうだ』
『そうか』
良かった。
今度は、素直にそう思えた。
ガルドの手から、少し強い意思が届く。
『まだ出すなよ』
『出さない』
『さっきまでとは随分違うな』
『怖くなった』
『そうか』
『否定しないんだな』
『怖いもんは怖いだろ』
それだけだった。
ガルドはいつも通りだ。
その方が助かる。
アレンが兵士たちと話している。
声が床へ振動として伝わる。
俺には意味は分からない。
『何て言ってる?』
ガルドが会話を聞いてから、床へ手をついた。
『状況を確認しとる』
『どうするって?』
『そこまではまだだ』
しばらくして、アレンがガルドへ何かを言った。
ガルドが聞き終えてから、俺へ触れる。
『三人の武器は、こっちで預かるそうだ』
『分かった』
『それと、しばらくここに留めたいとよ』
『しばらく?』
ガルドがアレンを見るためか、一度手を離す。
短い会話のあと、また触れた。
『今すぐ帰せば、何が起きるか分からん。ワシも同意見だ』
『……そうだよな』
ここを見た。
リリアを見た。
俺が迷宮だと気づいた。
帰せば、誰かに話す。
兵士なら報告するだろう。
『じゃあ、閉じ込める?』
言ってから、嫌な感じがした。
少し前までとは違う。
閉じ込めるという言葉の意味が、急に重くなっている。
ガルドがアレンと話す。
しばらくして、こちらへ意思を返した。
『今はな』
『いつまで?』
また声が行き交う。
『それを考える、と』
『誰が?』
今度は少し長かった。
ガルドから返ってくる。
『全員でだそうだ』
『全員?』
『そう言っとる』
少し気になった。
その全員の中に、アレン自身も入っている。
まだ来たばかりなのに。
でも、今は聞かなかった。
ガルドが続ける。
『まず怪我を見て、水を飲ませるそうだ』
『水?』
『捕虜でも水は必要だろう、とよ』
『それはそうだけど』
少し前まで戦っていた相手に水を渡す。
当たり前なのかもしれない。
でも、何となく不思議だった。
俺はリリアへ意識を向ける。
『リリア、大丈夫?』
リリアが床へ触れた。
『何が?』
『水とか渡して』
少し間があった。
『……嫌じゃないよ』
『本当に?』
『うん。怖いけど』
怖い。
その意思に続いて、言葉が届く。
『殺したいわけじゃないから』
『……そっか』
また、その言葉が残った。
殺したいわけじゃない。
俺も同じだった。
少なくとも、今は。
ガルドとアレンが兵士たちを一か所へ移動させる。
俺も床と壁を少し整えた。
逃げられないように。
でも、狭すぎないように。
さっきとは違う。
今は、どこまで動かせば危ないのかを考えている。
人のいる位置を感じる。
そこから意識して距離を取る。
岩を動かす。
止める。
『……これでいい?』
ガルドが確認する。
そのあとアレンとも声を交わした。
『十分だとよ』
少しして、もう一度ガルドから意思が届く。
『アレンは、もっと離してもいいくらいだと言っとる』
『逃げない?』
ガルドがアレンへ声を返す。
その返事を聞いて、床へ手をついた。
『自分とワシが見る、と』
『ワシも入っとるのか』
『ガルドが言うなよ』
『勝手に決めやがって……まあ、仕方ねえ』
少しだけ、いつもの空気が戻る。
兵士たちはまだ警戒している。
当然だ。
俺も怖い。
多分、向こうも同じだ。
でも、今は誰も剣を振っていない。
それでいい。
何をするかは、その後で考えればいい。
俺は自分の壁へ意識を向けた。
さっきと何も変わらない。
岩は俺の身体だ。
それでも、もう知らなかった頃には戻れない。
少し動かせば、人を殺せる。
その事実は消えない。
リリアが床へ触れた。
『ユーマ』
『何?』
『大丈夫?』
少し考える。
『……多分』
『多分なんだ』
『今はそれくらい』
『そっか』
それ以上は聞いてこなかった。
リリアも。
ミアも。
ガルドも。
俺の中から出ていかない。
それが今は、少しだけありがたかった。
俺は兵士を囲んでいる岩へ、もう一度意識を向ける。
狭めることもできる。
そのことを、もう俺は知っている。
でも。
少しだけ、もう一度広げた。




