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幕間04 迷宮の中で

 三人の姿が見えた瞬間、アレンは小さく舌打ちした。


 見覚えのある装備だった。


 革と金属を組み合わせた軽装鎧。その上から羽織った外套には、アルセリア王国軍の紋章がある。


 自分も少し前まで身につけていたものだ。


「アレン!」


 先頭の男が声を上げる。


 年齢は三十前後。残る二人より装備が僅かに上等で、腰には長剣を下げている。


 その後ろに二人。


 一人はアレンと同じくらい。もう一人はまだ若い。


「こんなところで何をしている」


「少し気になるものがあった」


「それがこの洞窟か?」


「ああ」


 男がアレンの後ろを見る。


 薄暗い。


 だが、完全な闇ではない。


 壁に生えた光苔が淡い光を放っている。


「中は?」


「確認した」


「何かあったか」


「大したものはない」


 嘘だった。


 自分でも驚くほど自然に出た。


 男の眉が僅かに動く。


「なら戻るぞ。こっちでも人の痕跡が見つかった」


「ああ。先に戻ってくれ」


「お前は?」


「もう少し調べる」


 今度は明らかに怪しまれた。


「大したものはないんだろう?」


「気になることがある」


「何だ」


「まだ分からん」


 嘘ではない。


 分からない。


 アレン自身、この場所をどう判断すればいいのか決めかねていた。


 喋る迷宮。


 その中で暮らす魔族の少女と獣人の少女。


 ドワーフまでいる。


 迷宮でありながら魔物の姿はなく、水が流れ、食料が置かれ、人が暮らしている。


 何一つ、自分が知っている迷宮の常識に当てはまらない。


 だから、もう少し見たかった。


 危険なら危険だと。


 そうでないなら、それも。


 自分の目で確かめたかった。


「そこを退け」


「戻れ」


 男の表情が変わった。


「アレン。お前はもう兵士じゃない」


「分かっている」


「なら、俺たちの調査を邪魔する権限もない」


「中は俺が確認した」


「それを決めるのはお前じゃない」


 その通りだった。


 反論できない。


 だが、ここで三人を通すわけにもいかなかった。


 奥にはリリアがいる。


 この辺りで目撃された魔族の娘。


 それがリリアだと確定したわけではない。


 だが、角を見られれば話は変わる。


 報告される。


 兵が来る。


 調査だけで済むかもしれない。


 済まないかもしれない。


 まだ何も分かっていないうちに、話だけが大きくなる。


「俺から報告する」


「何をだ」


「確認が終わったらだ」


「さっきから何を隠している」


「何も隠していない」


「なら退け」


 男が一歩出る。


 アレンは動かなかった。


「……アレン」


「帰れ」


 後ろにいた若い兵士が、苛立ったように息を吐いた。


「何なんだよ、さっきから」


「黙ってろ」


「こっちは仕事で来てるんだぞ」


「分かっている」


「だったら邪魔すんな」


 若い兵士が前へ出る。


 先頭の男も止めなかった。


 アレンは三人を見る。


 ここで剣を抜けば、それこそ終わりだ。


 元同僚に剣を向けてまで、この場所を守る理由はまだない。


 そこまで信用していない。


 ただ、今は通したくなかった。


「……勝手にしろ」


 アレンは道を開けた。


 三人が横を通る。


 自分も後ろについた。


 少し進んだところで、先頭の男が止まった。


「何だ、これは」


 光苔の淡い光の中に、石の食卓がある。


 壁には棚。


 その中には木の実や道具が置かれている。


 水まで流れていた。


 明らかに自然にできた洞窟ではない。


「人がいるじゃねえか」


 若い兵士が吐き捨てる。


「大したものはない、だったな」


 先頭の男がアレンを見る。


「説明しろ」


「俺も確認しているところだ」


「ふざけるな」


「ふざけていない」


「誰が住んでいる」


「待て」


「誰だ」


 答えないアレンを見て、男の目が細くなる。


「お前、本当に何を隠している」


「だから、まだ分からないと言っている」


「俺たちが調べる」


「待て」


 三人が奥へ向かう。


 アレンは前へ回り込んだ。


「ここから先は行くな」


「どけ」


「まず話を聞け」


「誰の話だ」


 答えに詰まる。


 迷宮の話を聞け。


 そんなことを言って信じるはずがない。


「アレン」


 男の声が低くなる。


「最後だ。退け」


 その時だった。


「あれ……」


 若い兵士がアレンの向こうを見ていた。


 視線を追う。


 奥。


 ガルドのさらに後ろ。


 岩陰から、こちらを窺う少女の姿がある。


 銀色の髪。


 そして、頭から伸びる小さな角。


 リリアだった。


 その後ろに、もう一人いる。


 ミア。


 兵士たちから隠れるように立ちながら、片手でリリアの服を掴んでいる。


 リリアは振り返った。


 何か短く声をかけ、ミアの手へ自分の手を重ねる。


 それを見た瞬間。


 アレンの中で、別の光景が重なった。


 もっと小さな二人の少女。


 不安そうに服を掴む手。


 その手を握る、もう一つの手。


 遠い昔。


 まだ二人とも、生きていた頃。


 妹たちだった。


 胸の奥が、僅かに痛んだ。


 あの時。


 自分は、そこにいなかった。


「……角?」


 若い兵士の声で、意識が戻る。


 リリアが一歩下がった。


 その瞬間、兵士の顔が変わる。


「魔族……」


 手が剣へ伸びた。


「待て!」


「魔族だ!」


 剣が抜かれる。


 金属音が洞窟に響いた。


「やっぱり隠してやがったな、アレン!」


「剣を納めろ!」


「どけ!」


「まだ何もしていない!」


「魔族だぞ!」


「見れば分かる!」


「だったら何で庇う!」


「庇ってるんじゃない! まず状況を見ろ!」


「そこを退け!」


 若い兵士が剣を構える。


「魔族を見つけたら確保しろって命令だ! 忘れたのか!」


「忘れてない!」


「なら、どけ!」


 若い兵士が走った。


「待て!」


 考えるより先に、アレンも走っていた。


 腕を掴もうとする。


 届かない。


 兵士はリリアへ向かって真っすぐ進む。


 その背中を追いながら、アレンは自分がなぜ走っているのか考えていなかった。


 ただ。


 今度は、そこにいた。


 その足元が。


 沈んだ。


「なっ――」


 ほんの僅かだった。


 だが、走っている人間の足を取るには十分だった。


 身体が前へ投げ出される。


 剣が床を叩き、硬い音を立てた。


「何だ!?」


 アレンも一瞬、何が起きたのか分からなかった。


 床を見る。


 浅い窪み。


 さっきまでなかった。


 まさか。


 転倒した兵士が顔を上げる。


 その前へ、一人の男が出た。


 ガルド。


 がっしりしたドワーフが、リリアを背中へ隠すように立ちはだかる。


「……そこまでだ」


「どけ、ドワーフ!」


「嫌だと言ったら?」


「そいつは魔族だぞ!」


「目ぇ付いとる。見りゃ分かる」


「ならどけ!」


「断る」


 ガルドは動かなかった。


 その後ろで、リリアがミアを庇うように下がる。


 若い兵士が起き上がった。


「てめえ……!」


「落ち着け!」


 アレンが間へ入る。


「今のを見ただろ!」


「罠だろうが!」


「違う」


 アレンには分かった。


 仕掛けを踏んだようには見えなかった。


 それなのに、踏み込んだ足元だけが沈んだ。


 誰かが動かした。


 いや。


 誰かではない。


「まさか……」


 もう一人の兵士が剣を抜いた。


「おい、待て!」


「魔族を捕らえる!」


「だから待て!」


 男がガルドの横を抜けようとする。


 その瞬間。


 岩壁が動いた。


 音を立てながら、男の目の前へせり出してくる。


「なっ……!」


 兵士が飛び退く。


 壁はそこで止まった。


 誰も動かない。


 アレンも。


 ガルドも。


 三人の兵士も。


 目の前で岩が動いた。


 明らかに、人の動きへ反応するように。


 先頭の男が壁を見る。


 次に床。


 そして洞窟の奥へ視線を向けた。


 顔から怒りが消えていく。


「……おい」


 低い声だった。


「ここ……」


 男が息を呑む。


「まさか、迷宮なのか?」


 若い兵士が振り返る。


「は?」


「この岩だ。勝手に動くわけがない」


「迷宮……?」


 若い男の視線が周囲を走る。


 食卓。


 棚。


 水路。


 光苔。


 そしてリリア。


「魔族だけじゃねえ……」


 握った剣に力が入る。


「迷宮まで隠してやがったのか!」


「俺もさっき知った!」


「ふざけんな!」


「だから剣を下ろせ!」


「できるか!」


 若い兵士が再び動いた。


 今度は床を見ている。


 さっきと同じことを警戒しているのだろう。


 窪みを避け、壁からも距離を取る。


 ガルドが構えた。


「来るなら来い」


「ガルド!」


「分かっとる」


 若い兵士が踏み込む。


 床が僅かに盛り上がった。


 気づいた男が飛び越える。


「同じ手に――」


 その先に壁が出た。


「くそっ!」


 急停止する。


 横へ。


 また壁。


 反対側へ。


 床が沈む。


「何なんだよ、これは!」


 苛立った声が響く。


 だが、アレンは別のものを見ていた。


 床が動く位置。


 壁が出る場所。


 速さ。


 どれも兵士の動きに合わせている。


 偶然ではない。


 それなのに。


「……」


 最初の男。


 足元を少し沈めただけだった。


 もっと深くできたはずだ。


 足を挟むことも。


 転んだところを、そのまま岩で押さえることもできたはずだ。


 今だってそうだ。


 壁は兵士の目の前で止まる。


 身体には当たらない。


「アレン!」


 先頭の男の声で我に返る。


「お前、何を知っている!」


「俺も全部は知らん!」


「迷宮だぞ!」


「分かってる!」


「なら何で――」


「だから確かめてるんだ!」


 思った以上に大きな声が出た。


 男が止まる。


「俺だって、何なのか分からん! だから見ている!」


「魔族を住まわせている迷宮だぞ!」


「だから何をした!」


「何?」


「こいつが今、何をした!」


 自分でも、なぜそんな言葉が出たのか分からなかった。


 だが、目の前で起きている。


「お前たちを止めてるだけだ!」


「アレン、お前――」


「剣を納めろ!」


 若い兵士が舌打ちする。


「知るかよ!」


 また走った。


 今度はガルドではなく、その横。


 リリアへ抜けられる場所を狙っている。


「馬鹿、止まれ!」


 アレンも走る。


 間に合わない。


 若い兵士が一歩。


 二歩。


 三歩。


 床は動かない。


 男の顔に一瞬、笑みが浮かぶ。


 次の瞬間。


 背後で岩が動いた。


「なっ?」


 振り返る。


 遅い。


 後ろを壁が塞ぐ。


 前。


 床がせり上がった。


 男が横へ逃げようとする。


 そこにも岩。


 反対側も。


「おい!」


 四方から岩が迫る。


「やめろ!」


 アレンが叫んだ。


 岩が止まった。


 若い兵士は立ったままだった。


 前。


 後ろ。


 左右。


 岩に囲まれている。


 人一人が立てるだけの空間を残して。


「くそっ! 出せ!」


 剣の柄で岩を叩く。


 動かない。


「出せって言ってんだろ!」


「やめろ!」


 アレンが近づく。


「動くな!」


「アレン!」


「黙れ!」


 若い兵士が止まる。


 アレンは岩を見る。


 近い。


 男の肩から、手のひら一つ分もない。


 反対側も同じ。


 あと少し岩が動けば。


 人間の身体など、簡単に潰れる。


「……」


 アレンは床へ目を落とした。


 先頭の男も、ようやく状況を理解したらしい。


 剣を握ったまま周囲を見る。


 床。


 壁。


 天井。


 すべて岩だ。


 そして、そのすべてが迷宮の一部だとしたら。


「……剣を置け」


 男が言った。


「何言ってんだ!」


「置け」


「隊長!」


「置け!」


 怒鳴り声が響く。


 若い兵士が黙った。


 もう一人も剣を握ったまま動かない。


「ここで戦って勝てると思うのか」


「でも、魔族が――」


「見れば分かる!」


 男は吐き捨てるように言った。


「今は剣を置け」


 先に自分の剣を床へ置く。


 金属音。


 もう一人も迷ったあと、それに従った。


 拘束された若い兵士だけが、最後まで動かなかった。


「……くそ」


 やがて、剣を足元へ落とす。


 終わった。


 誰も死んでいない。


 アレンは息を吐いた。


 ガルドはまだリリアの前に立っている。


 リリアはその後ろ。


 さらに後ろにミア。


 ミアの手は、まだリリアの服を掴んでいた。


 その手を見て、胸の奥に先ほどの記憶がもう一度浮かびかける。


 アレンは目を逸らした。


 似ているわけではない。


 顔も。


 髪も。


 種族さえ違う。


 あの二人は、もういない。


 目の前にいるのはリリアとミアだ。


 それでも。


 兵士が二人へ向かって走った瞬間、身体は勝手に動いていた。


 その理由を、今は考えたくなかった。


 兵士たちは武器を置いた。


 そして一人は岩の中。


 アレンはもう一度、その岩を見る。


 近すぎる。


 人間の身体は、岩よりずっと柔らかい。


 あと少し動けばどうなるか。


 考えるまでもない。


 最初からそうだった。


 床を沈めた。


 道を塞いだ。


 逃げ道を狭めた。


 最後には閉じ込めた。


 それでも一度も、人間の身体そのものを狙っていない。


 アレンは周囲を見た。


 迷宮に顔はない。


 表情も見えない。


 何を考えているのかも、まだ分からない。


 魔族の少女についても同じだ。


 この場所が何なのか。


 なぜこんなことになっているのか。


 まだ何一つ、答えは出ていない。


 だから確かめる。


 自分の目で。


 ただ、目の前で起きたことまで疑う必要はなかった。


 アレンは兵士を囲む岩へ視線を戻した。


 岩は、そこで止まっている。


 この迷宮は、人を殺さなかった。

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