幕間03 暮らす場所
ガルドの言う「しばらく」は、俺が思っていたより長かった。
次の日も、その次の日もガルドはいた。
毎日のように外へ出ては、石を拾ってくる。
戻ってくると、俺の床へ手をついた。
『これは?』
持ち帰った石を俺の壁へ押し当てたらしい。
触れていることは分かる。
でも、それだけだ。
『前のやつに似てる気がする』
『どこがだ』
『硬さとか、触れた感じ』
『曖昧じゃのう』
『見えないんだから仕方ないだろ』
ガルドが石を割る。
細かな振動が俺の身体へ伝わった。
『こっちは?』
別の石が触れる。
『……違う』
『どう違う』
『それが分かったら苦労しない』
『使えねえな』
『帰っていいぞ』
『まだ帰らん』
『だろうな』
そんなことを繰り返した。
石そのものを俺が作れるわけじゃない。
触れた石の硬さ。
ガルドが割った時の崩れ方。
尖らせた時の形。
そういうものを参考にしながら、自分の岩をどう動かせるのか試す。
外から持ち込まれた土も同じだった。
細かな粒。
粒同士の隙間。
押した時の崩れ方。
俺の岩を本物の土にはできない。
それでも、細かく砕いたり、表面を粗くしたりする時の参考にはなる。
最初は形を変えるだけで精一杯だった。
何度も繰り返しているうちに、少しずつ余計なところを動かさずに済むようになった。
『遅え』
『最初より速い』
『最初が遅すぎた』
『厳しいな』
『どうせ動かすなら、使えるもんを作れ』
『使えるもの?』
『練習のためだけに穴掘ってどうする』
『埋める練習になる』
『馬鹿か』
『ひどくない?』
でも、言っていることは分かる。
最初に作ったのは棚だった。
ガルドが壁へ印を付ける。
その範囲を少しずつ奥へ動かし、壁の一部を窪ませる。
ガルドが床へ手をついた。
『深すぎる』
『これくらい?』
『今度は浅い』
『注文多いな』
『物を置くんだろうが』
直す。
ガルドが確かめる。
また直す。
それを何度か繰り返して、壁に小さな収納ができた。
リリアが近づき、木の実や細かなものを置いたらしい。
しばらくして、彼女が床へ手をついた。
『便利』
『お』
『もっと欲しい』
『もう?』
『ここにも』
『はいはい』
リリアが別の場所へ移動する。
そこでも床へ手をついた。
『そっちにも』
『急に注文が増えたな』
『だめ?』
『駄目とは言ってない』
収納は増えた。
次は、食料や道具を置ける少し大きな棚。
ガルドの道具を置く場所も作った。
ガルドが壁へ印を付け、床へ手をつく。
『ここはもう少し広げろ』
『自分のだけ要求細かくない?』
『大事な道具だ』
『俺の壁も大事なんだけど』
『だから勝手に削ってねえだろ』
『それはそう』
その次に作ったのは、食事に使える大きな石の板だった。
壁の一部を動かし、その厚みを残しながら内側へ張り出させる。
これまでより広い範囲を同時に動かす必要があった。
途中でガルドが床へ手をついた。
『止めろ』
『まだ薄いだろ』
『先に出しすぎだ。根元が弱い』
『ああ、なるほど』
一度、張り出させた岩を壁側へ戻す。
今度は根元の厚みを残しながら、少しずつ形を作った。
ガルドから止める意思は来ない。
『どう?』
ガルドが出来上がった部分を叩いてから、床へ触れた。
『悪くねえ』
『珍しく褒めた』
『悪くねえと言っただけだ』
『それを褒めたって言うんだよ』
高さは、俺には分からない。
実際に使うリリアに確認してもらう。
彼女が石板のそばへ立ち、やがて床へ触れた。
『もう少し低い』
『これくらい?』
少し下げる。
『うん』
その時、ミアも近くへ来た。
床へ手をつく。
『ユーマ、こっちも』
『こっち?』
『座るところ』
『椅子?』
『うん』
『注文するようになったな』
少し間があった。
『……だめ?』
『駄目とは言ってない』
壁際の岩を、低く張り出させる。
前なら何度もやり直した形だった。
今度はそれほど時間がかからなかった。
『できた』
ミアが一度手を離す。
座ったのか、小さな重さが新しく作った場所へかかった。
また床へ手が触れる。
『ちょうどいい』
『よし』
食卓と、座る場所。
それから収納。
練習するたび、俺の中に何かが増えていった。
ミアも変わった。
最初は傷のせいで歩くだけでも辛そうだった。
少しずつ動く距離が増え、今ではリリアと一緒に俺の中を歩き回っている。
俺との繋がりも同じだった。
最初は名前や水くらいだった。
それから、リリアが俺とやったように、ミアも毎日床へ触れて言葉を送ってきた。
短い言葉。
二つの言葉。
それが少しずつ繋がっていく。
ある日、ミアが棚の前で床へ手をついた。
『ユーマ、これ置いていい?』
『いいよ』
続けて、別のものを持ったらしい。
『こっちも?』
『それ、リリアのじゃない?』
『聞いてくる』
ミアの手が離れ、足がリリアの方へ向かう。
いつの間にか、途中で意味が切れることはほとんどなくなっていた。
長い話はまだ難しい。
それでも、普段のやり取りなら困らない。
別の日。
ミアが床へ触れた。
『外、行ってくる』
『リリアと?』
『うん』
『無理するなよ』
『もう大丈夫』
そう言って、リリアと一緒にいつもの穴から外へ向かった。
傷が良くなってからは、二人で食料を探しに行くことが増えた。
一人だった頃より、見つかる量も増えたらしい。
木の実。
食べられる根。
見たことのない果実。
時には、小さな獲物まで持ち帰ってくる。
帰ってきたリリアが床へ手をついた。
『今日、いっぱいあった』
『また?』
『うん。前に見つけたところの近く』
最近、リリアはよく同じことを言う。
前より見つけるのが上手くなっただけなのか。
この辺りにもともと多かったのか。
それとも、たまたまなのか。
俺には分からない。
ただ、食べるものが足りるか毎日気にする必要はなくなった。
少し余ったものを棚へ置ける日も増えた。
俺も外へ向かっていた。
もちろん、歩いてではない。
俺と外の岩との境目を、毎日少しずつ先へ押し広げていく。
隣り合った岩を取り込む。
そこが自分の身体になってから、必要なところだけ形を整える。
以前なら、僅かに広げるだけでもかなり時間がかかった。
今は違う。
ガルドと何度も岩を動かしたせいか、どこを動かせば周りまで崩してしまうのか、少しずつ分かるようになっていた。
急がない。
崩さない。
必要なところだけを自分にする。
ガルドが壁を確かめ、床へ手をつく。
『そこは触るな』
『何で?』
『上の岩を支えとる』
『分かった』
ガルドが少し移動する。
別の場所を叩いてから、また床へ触れた。
『そっちはいい』
『了解』
教えられながら進む。
毎日ほんの少し。
それでも積み重なれば距離になる。
気づけば、俺の身体は元の部屋から、いつもの穴がある方向へ数メートルほど伸びていた。
そこまで誰かが入ってくれば分かる。
小さな生き物。
リリア。
ミア。
ガルド。
俺の中に入った生命の位置も、以前より少し掴みやすくなっている。
身体を広げる。
岩を動かす。
細い溝を作る。
壁を窪ませる。
どれも最初より速くなった。
試しに、浅い溝を一本作ってみる。
……できた。
近くにいたガルドが床へ手をついた。
『遅え』
『今のは結構速かっただろ』
『形が雑だ』
『速さの話してるんだけど』
『速くて雑なら意味ねえ』
『はい、先生』
『誰が先生だ。ただの石掘りだ』
そう言いながら、結局毎日付き合っている。
水路も直した。
寝床も少し広げた。
収納も増えた。
最初は何もなかった空間が、少しずつ形を変えていく。
そんなある日。
ガルドが壁の一部を何度か触った。
それから床へ手をつく。
『この苔、増やせんのか』
『苔?』
『壁に生えとるやつじゃ。微かに光っとる』
『光ってるの?』
『……お前さん、本当に何も見えんのじゃな』
『今さら?』
俺には分からない。
でも、前から壁や天井の一部には苔のようなものが触れていた。
リリアが来たばかりの頃からあったはずだ。
それが光っていたらしい。
『嬢ちゃんらには、これだけじゃ暗すぎる』
『リリアたち、ずっとこの明るさで暮らしてたのか』
『目が慣れりゃ動けんことはない。じゃが、暮らしやすいとは言えんな』
確かに。
俺には明るさが必要ない。
だから、後回しになっていた。
『増やせるの?』
『似た苔が外にもありゃな。湿ったところを探してみるといい』
ガルドがリリアたちへ声で説明する。
俺には内容までは分からない。
少しして、リリアが床へ手をついた。
『外にもあるか、探してみる』
『分かる?』
『ガルドさんに教えてもらう』
ミアもリリアの隣で床へ触れた。
『私も探す』
『無理しない範囲でな』
『うん』
数日後。
二人が戻ってきた。
リリアが床へ手をつく。
『あったよ』
『同じ苔?』
『似てるって』
ガルドが持ち帰ったものを確認してから、床へ触れた。
『これなら使える』
もともと苔が生えていた湿った壁際へ、外から持ってきた分も移すことになった。
場所は水路の近く。
ガルドに言われた通り、俺は岩の表面を少し粗くする。
細かな窪みを作り、水分が残りやすい形にした。
途中でガルドが床へ手をつく。
『やりすぎだ』
『これでも?』
『苔を生やすだけだぞ』
『細かい加工の練習』
『便利な言葉覚えやがったな』
苔を移す作業そのものは、リリアとミアに任せた。
俺には何が変わったのか分からない。
二人の作業が終わってから、リリアが床へ触れる。
『どう?』
『まだ暗い』
『駄目じゃん』
ガルドが床へ手をついた。
『増えりゃ少しはマシになる』
『増えるの?』
『条件が合えばな』
しばらく様子を見ることになった。
数日後。
リリアが壁際から俺へ触れた。
『ユーマ』
『何?』
『苔、増えてる』
『もう?』
『うん。こっちにも』
リリアが壁へ触れる。
場所は分かる。
最初に移したところから少し離れていた。
『ガルド』
俺が呼ぶと、ガルドが近づいて床へ手をついた。
『なんじゃ』
『こんなに早く増えるもの?』
少し間があった。
『……いや』
『違う?』
『普通はもう少しかかる』
『じゃあ何で?』
『知らん』
『先生』
『知らんもんは知らん』
『ですよね』
理由は分からない。
ただ、苔はその後も少しずつ広がった。
さらに何日かして、リリアが床へ触れる。
『前より明るくなったよ』
『どれくらい?』
『前より、ずっと見やすい』
隣でミアも床へ手をついた。
『私も見える』
『なら成功だな』
ミアから続けて届く。
『もっと増やす?』
『増えすぎても困らないなら』
今度はガルドが床へ触れた。
『少しくらいなら構わん。湿らせすぎるなよ』
『分かった』
壁の湿った場所を少しだけ増やした。
その頃には、最初に何もなかった部屋は随分変わっていた。
水が流れている。
食卓がある。
座る場所がある。
壁には棚と収納があり、リリアとミアが集めたものが置かれている。
寝る場所もある。
ガルドの道具まで専用の場所を取っていた。
俺は、その道具置き場へ意識を向けた。
『いつまでいるか分からない奴の荷物が、一番多くない?』
ガルドが床へ手をついた。
『必要なもんだ』
『増えてない?』
『気のせいだ』
『絶対増えてる』
『細けえな』
近くで、リリアの身体から小さな揺れが伝わった。
その時、ミアがガルドの道具置き場へ近づいた。
何かへ手を伸ばしたのかもしれない。
ガルドがすぐに声を出した。
「嬢ちゃん、それは触るな」
俺には言葉の意味は分からない。
ただ、ミアの動きが止まった。
短い声のやり取りが続く。
やがて、ミアが床へ手をついた。
『ガルド、全部だめって』
『道具?』
『うん。全部、大事だって』
その直後、ガルドも床へ手をついた。
『当たり前じゃ。仕事道具だぞ』
『じゃあ、収納増やす?』
『頼む』
『やっぱり増えてるじゃん』
『うるせえ』
また、リリアのいる方から小さな揺れが伝わった。
最初は、何もない石室だった。
水を流した。
寝る場所を作った。
食卓ができた。
座る場所ができた。
棚が増えた。
壁には、俺には見えない淡い光まで広がり始めた。
そのどれも、俺には必要ない。
水も飲まない。
眠らない。
食事もしない。
道具を棚へ置くこともない。
でも、ここで暮らす誰かには必要だった。
だから作った。
気づけば、俺の身体には、俺が使わないものばかり増えていた。
不思議と、それが嫌ではなかった。




