四人の食卓
最初の工事が終わった、その日の夕方。
リリアとミアが食事の準備を始めた。
昨日までなら、空いている場所でそのまま食べていた。
今日は違う。
ガルドと一緒に作った、食事用の場所がある。
大したものじゃない。
床を少し平らにして、物を置きやすくしただけだ。
それでも、用途が決まっているだけで随分違って感じる。
ガルドも当然のようにそこへ移動してきた。
床へ手をつき、俺へ意思を向ける。
『……ガルドも一緒に食べるんだ』
『当然じゃ』
昨日、壁の向こうから掘って現れた爺さんだ。
今日一日、俺の中を工事して。
今はもう食事の場所に座っている。
馴染むのが早い。
『ガルドは、どこかに帰らなくていいのか?』
俺が聞くと、ガルドは床へ手をついたまま答えた。
『まだやることがある』
『まだやる気なんだ』
『中途半端で放り出す方が気持ち悪いわ』
『職人だなあ』
『そうじゃとも』
ガルドからは、帰るつもりがないというより、工事が終わるまではここにいるのが当然だという感じが伝わってくる。
リリアも特に止めない。
ミアはまだガルドのすぐ近くには行かないけど、昨日ほど離れてはいなかった。
一日一緒に作業した分だけ、少し警戒が薄れたのかもしれない。
リリアが床へ手をついた。
『ユーマ』
『何?』
『ここで食べるね』
『どうぞ』
少し間があった。
リリアの手は、そのまま床に触れている。
『……一緒にいる?』
『俺、ずっとここだけど』
『そうじゃなくて』
『ああ』
言いたいことは分かった。
俺は食べない。
食べられない。
でも、話しながら一緒にいることはできる。
『いるよ』
『うん』
三人が食事場所に集まる。
俺には何を並べているのか分からない。
いつか、分かるようになるんだろうか。
『今日、何食べるの?』
リリアが床へ触れたまま答える。
『木の実と、根っこと、草』
『昨日とそんなに変わらないね』
『今日はガルドさんが焼いた』
『焼いた?』
今度はガルドが床へ手をついた。
『外でな』
『中じゃ駄目なの?』
『火そのものは使えるが、煙が籠もるじゃろ』
『やっぱり煙が問題か』
『そうじゃ。そこはお前さんの得意分野じゃないのか?』
『多分。でも、今すぐ中で火を使う必要もないでしょ』
『ワシもそう思う』
中で調理するなら、煙を逃がす道がいる。
火を使う場所も考えないといけない。
また、やることが増えた。
暮らすって、面倒だな。
前世でも同じだった気がする。
水がいる。
空気がいる。
熱がいる。
排水がいる。
人が住み始めると、必要なものが次々に増える。
対象が建物から自分に変わっただけで、やっていることは設備屋だった頃とあまり変わらないのかもしれない。
ガルドが床から手を離した。
「嬢ちゃんたち、さあ食え」
今度は声だった。
俺には意味は分からない。
ただ、ガルドが何かを言った振動と、それに応じてリリアたちが動いたことだけは分かる。
すぐにリリアが床へ手をついた。
『ガルドさんが、食べろって』
『何となく分かった』
少しして、リリアがもう一度俺へ意思を向けた。
『ガルドさんの方が、いっぱい食べてるけど』
ガルドが床へ手をつく。
『食える時に食うのが一番じゃ』
『説得力あるな』
ミアはリリアの近くにいる。
しばらくして、リリアの動きが止まった。
床へ手をつく。
『ユーマ』
『どうしたの?』
『ミアが、あんまり食べてない』
『お腹いっぱい?』
リリアがミアへ声をかける。
少しして、ミア自身が床へ手を伸ばした。
弱い繋がりが生まれる。
『……まだ』
『じゃあ、まだ食べられる?』
返事が来ない。
ミアの手が床から離れた。
リリアが何かを尋ねる。
短い声のやり取りが続いてから、リリアが再び床へ触れた。
『残した方がいいって』
『明日の分?』
『うん』
ああ。
少し前まで、二人分の食料が明日もあるか分からなかった。
ミアはその前から、まともに食べられていたのかも分からない。
食べ物が目の前にあるから、腹が満たされるまで食べる。
そんな感覚が、まだ当たり前ではないのかもしれない。
ガルドが二人へ何か声をかけた。
俺には意味が分からない。
その後、ガルドは床へ手をついて、俺にも同じ内容を伝えてきた。
『それ、嬢ちゃんの分なんじゃろ』
『多分』
『残したけりゃ残せばええ。じゃが、明日のために今腹を減らす必要はない』
『うん』
リリアがミアへガルドの言葉を伝える。
それから何かを差し出したらしい。
少しして、ミアが床へ手をついた。
『……食べる』
『うん』
それ以上は言わなかった。
無理に食べろと言うつもりはない。
残したいなら残せばいい。
でも、食べたい時に自分の分を食べても大丈夫だと思える場所にはなってほしい。
食事が続く。
俺には味が分からない。
噛む音も聞こえない。
食べ物の匂いもほとんど分からない。
分かるのは、三人の位置と、床を通して伝わる小さな振動。
それから、誰かが俺へ触れた時に届く意思くらいだ。
それでも。
三人が俺の中で飯を食っている。
少し不思議だった。
人間だった頃なら、誰かと食事をすることは珍しくなかった。
家族や同僚と飯を食うことくらいはあった。
でも、俺はああいう時間を面倒だと思うことも多かった。
何を話せばいい。
いつ帰ればいい。
気を遣う。
そんなことを考えていた気がする。
今は違う。
俺は帰れない。
俺が、この場所だから。
だからなのか。
ただ三人がここで食べているだけなのに、不思議と嫌じゃなかった。
……悪くないな。
その時、リリアが床へ触れた。
『ユーマ?』
『何?』
『何か言った?』
どうやら、さっき少し意識が漏れたらしい。
『何でもない』
『……?』
『気にしないで』
『変なの』
リリアの手が離れる。
しばらくして、ガルドが何かを床へ置いた振動が伝わった。
そのまま手をつく。
『次は保存場所じゃな』
『もう工事の話?』
『食い物が手に入るようになっても、腐らせたら意味がないじゃろ』
『今日一日工事したばっかりなんだけど』
『だから次を考えるんじゃ』
『休ませる気ないな』
『疲れたら休め』
『昨日も聞いた気がするな』
『正しいことは何度言っても正しい』
『便利だな、その理屈』
リリアの身体から、小さな揺れが床へ伝わった。
昨日なら、ガルドが何か言うたびに少し警戒していた。
今日は違う。
ミアも、完全に安心したわけじゃない。
それでも食事場所から離れず、そのまま一緒にいる。
昨日、壁の向こうから現れた時とは明らかに違った。
ガルドは床へ手をついたまま話を続ける。
『保存するなら、まず乾かす場所じゃな』
『塩が手に入れば使える。涼しい場所も欲しい』
『地下なら全部涼しいんじゃない?』
『場所による』
『そうなの?』
『水の近くと乾いた場所でも違う。風が通るかでも変わる』
『俺には分かるかな』
『試せばええ』
『分かった』
『お前さんは、自分で変えられるんじゃろ』
『何でもできるわけじゃないよ』
『なら、できるところまでやればええ』
単純だ。
でも、嫌いじゃない考え方だった。
リリアが近くへ来たので、俺は彼女へ意識を向けた。
『ガルドって、ずっとこんな感じなの?』
リリアが床へ触れる。
『多分』
直後、別の意思が割り込んだ。
ガルドだ。
まだ床へ手をついていたらしい。
『聞こえとるぞ』
『床触ってるの忘れてた』
『失礼な奴じゃのう』
リリアの身体から、はっきり分かるくらいの揺れが伝わった。
笑っているのかもしれない。
その少し後。
ミアの足元からも、小さな揺れが伝わった。
何だったのかは分からない。
でも、悪いものではない気がした。
昨日より、みんなの距離が少し近くなっている。
ガルドがここに来たのは偶然だ。
信用したわけでもなかった。
でも、一緒に工事をして。
一緒に食事をして。
昨日とは、もう少し違う場所になっていた。
食事が終わる。
リリアとミアが片付けを始めたらしい。
ガルドは食事場所から動かない。
俺は、床へ触れているガルドへ意思を向けた。
『そういえば』
『なんじゃ』
『本当に今日も帰らないの?』
『帰ってほしいのか?』
『そうは言ってないけど』
『ならばよかろう』
『ふーん』
『まだ直すところが山ほどある』
『職人だったな』
『それもある』
『それも?』
少し間があった。
ガルドから届く意思が、少しだけ真面目なものに変わる。
『ここは面白い』
『俺が?』
『お前さんもじゃし、ここにいる連中もじゃ』
思っていたより真面目な返事だった。
『ワシは穴掘って石を探しとっただけじゃ。そしたら喋る迷宮に当たった』
『当たったって言い方やめてよ』
『事実じゃろ』
『そうだけど』
『その迷宮の中には魔族の嬢ちゃんと、獣人の嬢ちゃんが住んどる。しかも迷宮本人が、二人を暮らしやすくしようとしとる』
『成り行きだよ』
『成り行きでこんなもんにはならん』
返す言葉がなかった。
俺は別に、何か大きなことをしたいわけじゃない。
リリアが来た。
水が必要だった。
ミアが来た。
食べ物が必要になった。
必要なことを一つずつやっているだけだ。
でも、ガルドから見れば違って見えるらしい。
『しばらく見ていたくなったんじゃ』
ガルドから続けて届く。
『それじゃ駄目か?』
『……別に』
俺はリリアを呼んだ。
彼女が床へ手をつく。
『リリアは? ガルドがしばらくここにいたいって』
『私はいい』
『ミアにも聞いてくれる?』
『うん』
リリアがミアのところへ移動する。
声のやり取りがしばらく続いた。
やがて、ミアが自分から床へ手をつく。
『……いても、いい』
短い返事だった。
昨日なら、そんな答えも出なかったかもしれない。
『分かった』
俺はガルドへ意思を向ける。
『二人ともいいって』
ガルドが床へ手をついた。
『決まりじゃな』
『そうやってすぐ決めるよね』
『ぐずぐずする意味があるか?』
『ないけど』
こうして、ガルドはもうしばらくここにいることになった。
リリア。
ミア。
ガルド。
それから、俺。
……四人か。
リリアが床へ触れた。
『何?』
『四人になったなって』
少し間があった。
『うん』
それだけだった。
でも、不思議とその「四人」という数がしっくりきた。
三人が俺の中にいる。
俺は、その三人がいる場所だ。
それでも、四人だった。
まだ家と呼ぶには、ずいぶん石っぽい。
寝る場所と水場。
収納と、今日作ったばかりの食事場所。
それくらいしかない。
でも。
誰かが食べて。
話して。
明日のことを考えている。
前より少しだけ。
ここは、誰かが暮らす場所になった気がした。




