食べるものがない
食べるものがない。
正確には、もうすぐなくなる。
リリアが持ち帰った食べ物を二人で分ければ、今日を越えるくらいはあるらしい。
それだけだった。
『明日は?』
『ない』
『そうか……』
非常に分かりやすい。
水はある。
寝る場所もある。
でも、俺は食べ物を作れない。
リリアが持ち帰ったものに触れても、それが何なのかは分からない。この世界の植物についての知識もない。
『リリア。いつも食べ物ってどうしてた?』
『探してた』
『その日食べる分を?』
『うん。でも、ここに来る前は持ってるものもあったから』
なるほど。
今は完全に現地調達。
しかも、一人だったのが二人になった。
ミアはまだ身体が弱っている。食料探しに連れていくのは無理だろう。
『毎日探すのはまずいな』
『まずい?』
『見つからない日があったら、そのまま食べられなくなる。たくさん取れる場所とか知らない?』
『知らない。この辺、あまり来たことないから』
『そっか』
それなら仕方ない。
でも、やることは決まった。
『今日は食べ物を探そう。できれば、同じものがたくさん生えてる場所を探してほしい』
『たくさん?』
『一個ずつ探すより、その方が楽だろ。全部取らなくていいから、場所も覚えてきて』
『分かった』
『帰り道もちゃんとな』
『分かった』
『じゃあ頼む』
『行ってくる』
『気をつけてな』
リリアが穴へ向かい、俺の身体から外へ出る。
触れていた気配が消えた。
残ったのはミアだけだった。
まだリリアほどはっきりとは繋がらない。
床に触れて、俺へ何かを伝えようとした時だけ、短い言葉が届く。
しばらくして、ミアが床へ手を置いた。
『……リリア?』
『食べ物。探しに行った』
少し待つ。
『……たべもの』
『そう』
どうやら分かったらしい。
ミアの手が床から離れた。
会話はそれで終わった。
今はこれくらいでいい。
問題は食料だ。
今日見つかれば、とりあえず腹は満たせる。
でも、それだけでは同じことを繰り返す。
毎日必要になるものを、毎日偶然見つかることに期待する。
仕事だったら絶対にやらない。
水なら必要な量を考えて供給元を決める。
電気も同じで、途中で止まった時のことまで考える。
食べ物だって、多分考え方は同じだ。
必要な量があって。
供給する場所があって。
できれば蓄えられる。
安定して手に入る方法があるなら、その方がいい。
……育てるか。
考えてみたものの、俺は農業なんてやったことがない。
畑がどういうものかくらいは知っている。
土があって、種を蒔いて、水をやる。
その程度だ。
しかもここには、その最初の土すらない。
……何にもないな。
洞窟と水と岩しかない。
よくこれで二人住んでるな。
ただ、リリアが戻ってくるまで何もできないというのも気に入らない。
外へ行けないなら、俺は俺にできることをやればいい。
穴とは反対側の壁へ意識を向ける。
隣り合った岩へ、自分の境界を少しずつ伸ばしていく。
時間はかかる。
それでも、以前より感覚は掴みやすくなっていた。
しばらく続けると、今まで俺ではなかった岩の一部が、動かせる範囲へ変わった。
……よし。
広がったのは僅かだ。
それでも、前より楽になっている。
取り込んだところの形を少し変え、床を均す。
水路の端も少しだけ伸ばした。
何度か続けたところで、反応が鈍くなる。
……疲れてるのか?
身体があった時の疲労とは違う。
眠いわけでも、息が切れるわけでもない。
ただ、同じことを続けようとしても、思うように動かなくなる。
限界はあるらしい。
まあ、そりゃそうか。
何でも好きなだけできたら、今頃もっと広い。
今日はここまで。
できることが少し増えたなら、それでいい。
ミアが水を飲みに移動する。
前よりは安定しているが、まだ動きは遅い。
無理するなよ。
思っただけで、伝えなかった。
ミアは水を飲み、寝る場所へ戻った。
途中で床へ手をつく。
俺へ何か伝えるつもりではなかったのだろう。
言葉は届かない。
ただ、触れている小さな生命だけは分かる。
早く帰ってこいよ。
今度はリリアへ向けた、届かない独り言だった。
どれくらい経ったのか分からない。
やがて、身体の端へ知っている足が触れた。
『リリア』
足が止まる。
すぐに手が床へ触れた。
『ただいま』
『おかえり。どうだった?』
『あった』
『お』
『いっぱい』
『本当に?』
『うん』
予想よりいい答えだった。
リリアが持っているものを床へ置いていく。
『何があった?』
『木の実。食べられる草。それから根っこも』
『量は?』
『これくらい』
『見えない』
『あ』
『そろそろ覚えてくれ』
『ごめん』
少し間がある。
『二人で、何日か食べられると思う』
『そんなに?』
『うん』
思っていたより遥かに多い。
『どこにあった?』
『ここからそんなに遠くないところ。岩が多いところの向こう』
『そんな近くに?』
『私も知らなかった』
『いっぱい生えてた?』
『うん。木の実もいっぱいあったし、食べられる草もたくさんあった』
それなら当面は何とかなる。
毎日、食料が見つかるかどうかに賭ける必要もない。
『場所は覚えてる?』
『覚えてる』
『よし』
リリアは少し黙った。
『でも、ちょっと変だった』
『何が?』
『あんなにまとまって生えてるの、あまり見ないから』
『そうなのか?』
『うん。木の実も多かった』
俺には外の様子が分からない。
日当たりがいいのかもしれない。
水が近いのかもしれない。
植物の種類によっては、群れて生えるのが普通なのかもしれない。
『まあ、食べられるなら助かるな』
『うん』
『全部取ってないよな?』
『取ってない。ユーマが残せって言ったから』
『偉い』
『子供じゃない』
『15歳は十分子供だろ』
『ユーマ、いくつ?』
『29……』
そこで少し止まる。
今も29でいいのだろうか。
死んで迷宮になった今は、誕生日が来るのかすら分からない。
『……多分、29』
『多分?』
『色々あるんだよ』
『変なの』
『迷宮に言う?』
『ユーマだから』
『はいはい』
ミアも起きてきたらしい。
二人が何か話している。
『食べ物あったって教えてやって』
『もう言った』
『早いな』
しばらくして、ミアが床へ触れた。
『……たべもの』
『あるぞ』
『……いっぱい?』
『いっぱい』
そこだけは、できるだけはっきり返した。
少し間がある。
『……よかった』
『うん』
本当にそう思う。
食料がある。
それだけで随分違う。
『リリア。その場所、また行けそう?』
『行ける』
『なら、しばらくは大丈夫そうだな』
『うん』
これで、今すぐ食べるものがなくなる心配は消えた。
だったら、余裕があるうちに次を考えられる。
『ところで、その食べ物って、ずっと取れる?』
『ずっと?』
『寒くなってもある?』
『減ると思う』
『だよな……』
季節があるなら当然だ。
『この辺の人は、食べ物を育てたりする?』
『するよ』
『畑?』
『うん』
『何を育てる?』
リリアはいくつか名前を伝えてきた。
一つも分からなかった。
『……全部知らん』
『ユーマのところにはないの?』
『多分、似たようなのはあったと思う。でも名前が違う』
無理に俺の知っている作物へ当てはめる必要もない。
『今日取ってきたやつは育てられる?』
『分からない』
『根っこごとある?』
『あるよ』
『じゃあ、一回試してみるか』
『ここで?』
『うん』
『暗いよ?』
『それは問題だな』
そこはどうしようもない。
ただ、最初から大きな畑を作るわけでもない。
育たなければ、それも一つ分かることになる。
『土もいるな』
『ついてるよ』
『え?』
『根っこに』
『ああ』
当然といえば当然か。
『少し床に置いてみて』
『ここ?』
『うん』
床へ植物が下ろされた。
根と、その周りについているものが触れる。
今まで感じたことのない感触だった。
……ん?
『どうしたの?』
『ちょっと待って』
岩とは違う。
水とも違う。
一つの塊でもない。
細かなものがいくつも重なって、触れている。
『これが土?』
『そうだよ』
『もう少し広げられる?』
リリアが、根についていた土を床の上へ少し崩した。
触れる範囲が広がる。
細かい。
粒の大きさも揃っていない。
硬いものも、柔らかいものも混じっている。
俺が今まで動かしてきた岩とは、ずいぶん違う。
しばらく感覚を追っていて、思いついた。
『なあ。俺の床も、これくらい細かくできないかな』
『土にするの?』
『いや。そこまでは無理だと思う』
少し離れた床へ意識を向ける。
土そのものを作るんじゃない。
いつものように岩を動かす。
ただし、今までよりずっと細かく。
表面だけを、小さく割る。
一度では動かない。
意識を狭い範囲へ集中する。
ほんの僅かに表面が崩れた。
もう一度。
少しずつ。
やがて、床の一部が細かな粒になった。
『……できた?』
『待って』
リリアが触れる。
俺には、自分の一部が細かく崩れているのが分かる。
『どう?』
『土じゃないよ』
『やっぱり?』
『石が細かくなったみたい』
『まあ、そうだよな』
そんな簡単に土が作れたら苦労しない。
『でも、根っこは入るかも』
『本当?』
『多分』
『多分か』
『ユーマも言ってた』
『それはそうだけど』
もう少し広げてみようとした。
今度は、さっきより動きが鈍い。
それでも時間をかけて、両手で囲める程度の範囲だけ表面を崩した。
畑には程遠い。
ただの砕けた岩だ。
それでも、何もなかった床よりは根が入り込む余地がある。
『外の土も使おう』
『持ってきたの?』
『根っこについてる分だけ』
『じゃあ、それで試すか』
リリアに、持ち帰った根の一つを残してもらうことにした。
床を浅くへこませる。
細かくした岩を底に残し、その上へ外から持ち込まれた土を入れる。
量は少ない。
根を置くと、どうにか周りを覆える程度だった。
ミアが近づいてきた。
リリアが何か説明する。
小さな手が、細かくした床へ触れた。
そのまま俺にも触れる。
『……ユーマ?』
『ん?』
『……つち?』
『違うらしい。石』
ミアが何か言った。
そこから先は届かなかった。
リリアの手が床へ触れる。
『ミアが、変なのって』
『お前まで?』
『私じゃないよ』
『迷宮が石を細かくしたくらいで驚くなよ』
『普通の迷宮は、こんなことしないと思う』
『知らないだろ』
『ユーマも知らないでしょ』
『それはそう』
言い返せない。
俺は植物の近くまで、細い水路を伸ばした。
『水、多すぎる?』
『分からない』
『俺も』
『大丈夫?』
『多分』
『多分ばっかり』
『初めてなんだから仕方ないだろ』
リリアの身体から、小さな揺れが床へ伝わった。
また笑っているのかもしれない。
水は直接流し込まず、近くまで持ってくるだけにした。
これなら必要な時に少しずつ使える。
育つのか。
枯れるのか。
分からない。
土に何が必要なのかも、俺はほとんど知らない。
微生物がいるとか、栄養が必要だとか、その程度だ。
砕いた岩だけでは、多分駄目だろう。
外から持ってきた土だって、ほんの少ししかない。
それでも、食べるものは数日分ある。
また取りに行ける場所も見つかった。
今日すぐに結果を出す必要はない。
なら、試せる。
失敗もできる。
それは随分大きい。
リリアとミアが食事を始める。
俺はその近くにできた、小さなくぼみへ意識を向けた。
細かく砕いた岩。
外から運ばれてきた、ほんの少しの土。
そこに植えられた、一本の植物。
まだ畑とは呼べない。
育つのかも分からない。
それでも最初の俺には、岩しかなかった。
そこへ水が流れ。
人が眠り。
食事をするようになった。
そして今。
一本だけ、植物が植わっている。
俺の身体に初めて、何かを育てる場所ができた。




