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月影の花嫁は銀狼公爵の運命を拒む  作者: 白石マサル


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第九話 手放したくないもの

 「……行くな」


 低く掠れた声だった。

 熱に浮かされているせいだろう。

 意識はほとんどない。

 それでも、レオンの手は確かにリリアの手首を掴んでいた。

 強く、離すまいとするように。


「……レオン様」


 呼んでみる。

 返事はない。

 銀色の髪が額へ落ちている。

 苦しそうな呼吸。

 閉じられた瞳。

 普段の彼からは想像もできないほど無防備だった。

 リリアは胸の奥が少し苦しくなるのを感じた。

 この人は、どれだけ長い間、一人だったのだろう。

 どれだけの時間、弱音を飲み込んできたのだろう。

 誰にも頼らず。

 誰にも縋らず。

 ただ静かに。

 壊れていく未来を受け入れながら。


「……馬鹿」


 ぽつりと呟く。

 最近、この言葉ばかり口にしている気がする。

 でも本当にそう思う。

 馬鹿だ。

 信じられないくらい。


「放っておけないじゃないですか……」


 静かな夜だった。

 月明かりだけが部屋を照らしている。

 リリアはベッド脇の椅子へ腰掛けた。

 手はまだ掴まれたままだ。

 離そうと思えば離せる。

 でも、離せなかった。


 ◇


 どれくらい時間が経っただろう。

 夜更け。

 部屋の時計が小さく音を刻む。

 リリアは本を開いていた。

 昼間借りた研究書。

 

 魔物化。

 呪い。

 黒霧。


 そして、月華。


 知りたいことは山ほどある。

 だが、肝心な部分だけが抜け落ちていた。

 意図的に。

 誰かが隠したみたいに。


「……おかしい」


 ページをめくる。

 どこを見ても不自然だった。

 月華の記述だけが極端に少ない。

 王国でも珍しい星印だから?

 違う。

 それだけでは説明できない。

 何かある。誰かが隠している。

 そんな気がした。


「……誰が」


 呟いた時。

 ベッドの方から気配がした。

 リリアは顔を上げる。

 レオンが目を開いていた。

 銀色の瞳。ぼんやりしている。

 けれど意識は戻ったらしい。


「……起きました?」

「……ああ」


 掠れた声。

 熱は少し下がっている。

 ほっと息を吐く。


「水を持ってきます」


 立ち上がろうとして。

 止まった。

 手がまだ掴まれていた。


「……」

「……」


 沈黙。

 気まずい。

 レオンも気づいたらしい。

 視線が下へ向く。

 自分の手。

 リリアの手。

 そして、数秒後。

 静かに離した。


「……すまん」

「いえ」


 何とも言えない空気になる。

 リリアは慌てて水差しへ向かった。

 背中が少し熱い。

 変な意味じゃない。

 たぶん、きっと、おそらく。


 ◇


「どうぞ」


 コップを差し出す。

 レオンは受け取り、一口飲んだ。

 その横顔を見ながら、リリアは昼間から引っかかっていたことを思い出した。


「……レオン様」

「なんだ」

「私に隠していること、ありますよね」


 ぴたり、と動きが止まった。

 分かりやすい。

 この人は本当に分かりやすい。


「何の話だ」

「月華です」


 沈黙。

 空気が重くなる。

 レオンは視線を逸らした。


「知らない」

「嘘です」


 即答だった。


「今の絶対知ってる人の反応です」

「……」

「否定してください」

「……」


 否定しない。

 つまり図星。

 リリアはじっと睨む。

 レオンはしばらく黙っていた。

 やがて小さく息を吐く。


「……少しだけだ」

「やっぱり」

「だが詳細は知らない」

「本当に?」

「本当だ」


 その声は真面目だった。

 嘘ではないらしい。


「王宮の学者から聞いた」

「何を?」


 長い沈黙。

 嫌な予感がする。

 レオンは窓の外を見た。

 

 夜空。

 月。

 静かな光。


 そして、低い声で言った。


「月華は失われた星印だ」

「失われた?」

「数百年前には存在したらしい」


 リリアは眉を寄せる。

 聞いたことがない。

 少なくとも薬学の本には出てこなかった。


「なぜ失われたんですか」

「知らない」

「本当に?」

「本当だ」


 まただ。

 何かが足りない。

 話の一部だけを聞いている感覚。


「ただ」


 レオンが続ける。


「記録は残っている」

「どんな?」

「浄化の力、呪いを払う力、穢れを清める力」


 そこまでは知っている。

 実際に自分も使った。

 問題はその先だ。


「それだけじゃないんですね」


 レオンは答えない。

 沈黙。

 図星。


「レオン様」

「……」

「言ってください」

「言いたくない」


 即答だった。

 珍しい。

 いつもならもっと遠回しなのに。

 それだけ触れたくない話なのだろう。


「どうして」


 レオンはゆっくり目を閉じた。

 苦しそうだった。

 痛みとは違う。

 もっと別の何か。


「お前が知れば」


 低い声。


「無理をする」


 リリアは息を呑む。

 つまり……やはり――。


 月華には代償がある。


「……命ですか」


 静寂。

 レオンの瞳が揺れた。

 ほんの少しだけ。

 それで十分だった。

 答えは出た。


「やっぱり」


 リリアは拳を握る。

 本当だった。

 あのメモ。

 ただの噂ではない。


「だから言いたくなかった」


 レオンの声は静かだった。


「だから隠した」

「……」

「お前が知れば、俺を助けようとする」


 リリアは言葉を失う。

 否定できない。

 たぶん、その通りだから。


「……勝手ですね」


 ぽつりと零れる。

 レオンがこちらを見る。


「また勝手に決めてる」

 

 胸が苦しい。

 腹も立つ。


「どうして相談してくれないんですか」

「……」

「どうして一人で結論を出すんですか」


 声が少し震えた。

 怒っている。

 でも、それだけじゃない。


「私が決めることです」


 レオンは何も言わなかった。

 反論できないのだろう。


「命を使うかどうかは」

「私が決めます」


 静かな部屋。

 二人だけ。

 月明かりが落ちる。

 やがて、レオンは小さく笑った。

 自嘲するような。

 諦めたような。

 そんな笑み。


「本当に」


 ぽつりと言う。


「頑固だな」

「レオン様にだけは言われたくありません」


 即答だった。

 少しだけ。

 空気が和らぐ。

 でも、問題は何一つ解決していない。

 むしろ増えた。

 

 月華の秘密。

 命の代償。

 失われた星印。


 そして、誰かがそれを隠していること。

 リリアは窓の外を見る。

 夜空に月が浮かんでいた。

 不思議なほど明るい。

 まるで、何かを見透かしているみたいに。

 その時、不意にレオンが言った。


「明後日」

「え?」

「王宮へ行く」


 リリアは瞬きをする。

 話が急に飛んだ。


「どうしてですか」

「王命だ」


 レオンの表情が少し険しくなる。


「第二王子がお前に会いたいらしい」


 リリアは眉を寄せた。

 

 第二王子。

 王位継承権を持つ人物。


 もちろん名前は知っている。

 だが、自分とは無縁の存在だったはずだ。


「私に?」

「ああ」


 レオンの声が低くなる。


「……気に入らない」

「え?」

「いや」


 レオンはすぐに視線を逸らした。

 だが、リリアは見逃さなかった。

 ほんの一瞬。

 銀色の瞳に浮かんだ感情を。

 それは、呪いで薄れてしまったはずの。

 分かりやすいほどの――不機嫌だった。

読んでいただきありがとうございます。

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