第七話 触れてはいけない傷
「じっとしていてください」
夕暮れの中庭。
リリアは半ば強引にレオンをベンチへ座らせると、すぐ近くのテーブルへ薬草を広げた。
レオンは不服そうだった。
「……本当に大丈夫だ」
「患者の“大丈夫”は信用しない主義です」
「患者扱いか」
「病人を病人扱いして何が悪いんですか」
即答すると、レオンは口を閉ざした。
反論できないらしい。
リリアは小さくため息を吐きながら薬草を選別する。
熱を抑える青葉草。
痛みを和らげる薄雪花。
炎症を鎮める白銀樹皮。
幸い、公爵家の薬庫には質の良いものが揃っていた。
「飲めるものを作ります」
「必要ない」
「必要です」
「……」
「拒否権はありません」
昨日、自分が言われた台詞をそのまま返す。
レオンが僅かに眉を寄せた。
「根に持つな」
「持ちます」
「そうか」
「そうです」
妙に素直だ。
調子が狂う。
リリアは薬鉢で薬草を潰しながら、ちらりとレオンを見た。
夕陽が銀髪に落ちている。
綺麗だ……悔しいけれど。
その横顔は、物語に出てくる英雄そのものだった。
――黙っていれば。
「……何を見ている」
視線に気づいたらしい。
「別に」
「何か言いかけただろう」
「言ってません」
「顔に書いてある」
「レオン様こそ、顔に出るようになりましたね」
そう言った瞬間、レオンが少しだけ動きを止めた。
「あ……」
失言だったかもしれない。
昨日までの彼は、本当に感情が薄かった。
でも今は違う。
少し目を逸らす。そういう小さな変化がある。
レオンは静かに視線を落とした。
「……お前のせいだ」
「え?」
「昨日から妙に調子が狂う」
低い声。
責めるような言い方ではない。
ただ、本当に不思議そうだった。
「今まで、誰かに怒鳴られたことは?」
「ある」
「絶対嘘です」
「なぜだ」
「周りの人が怖がりすぎてます」
実際そうだった。
使用人たちはレオンを恐れている。
もちろん尊敬もしているのだろう。
けれどそれ以上に、“逆らってはいけない人”として接している。
だから。
きっと。
誰も彼に本音を言わない。
「……怖いんでしょうね」
ぽつりと零す。
レオンは否定しなかった。
「俺は昔から愛想が悪い」
「それは認めるんですね」
「事実だ」
リリアは薬を混ぜながら小さく笑う。
少し前まで、この人とこんな会話をするなんて想像もしていなかった。
もっと冷たくて。
もっと恐ろしくて。
人間味のない存在だと思っていた。
けれど違う。
不器用で、諦めが悪くて、少し面倒で……意外と素直だ。
「できました」
薬を差し出す。
かなり苦い匂いがした。
レオンが僅かに眉を寄せる。
「……苦そうだな」
「苦いです」
「飲まないと駄目か」
「子供みたいなこと言わないでください」
「……」
無言。
まさか……。
「苦いの苦手なんですか?」
「……別に」
図星だ。
分かりやすい。
リリアは思わず吹き出した。
「ふっ……」
「笑うな」
「だって」
銀狼公爵。
冷酷無慈悲と恐れられる英雄。
その実態が、苦い薬を嫌がる男。
想像すると面白すぎる。
「飲んでください」
「……わかった」
観念したらしい。
レオンは薬を受け取ると、一気に飲み干した。
そして数秒後、分かりやすく顔をしかめた。
「苦い……」
低い声で呟く。
リリアは堪えきれなかった。
「ふふっ……!」
「そんなに笑うことか」
「すみません……でも……」
肩が震える。
こんなに笑ったの、久しぶりかもしれない。
すると、レオンがじっとこちらを見ていた。
「……何ですか」
「いや」
銀色の瞳が細められる。
「お前はよく笑うな」
夕風が吹いた。
ふわり、と髪が揺れる。
その言葉が妙に優しく聞こえて、リリアは少しだけ戸惑った。
◇
夜。
リリアは与えられた部屋で、一冊の本を開いていた。
昼間、図書室で気になった本。
『黒霧汚染と魔物化現象について』
結局、ミアに頼み込んで借りてきた。
――閣下には内緒で。
「……これは……」
ページをめくる。
古い研究書だった。
黒霧。
侵食。
呪い。
そして魔物化。
書かれている内容は、想像以上に深刻だった。
黒霧に長期間触れた者は、徐々に肉体を侵食される。
初期症状は発熱。
感情の鈍化。
身体能力の異常強化。
そして――最終段階。
『対象は人としての理性を喪失する』
リリアは唇を噛んだ。
やはり。
レオンはこのままでは本当に――。
その時、ぺらり、と一枚の紙が本から落ちた。
「……?」
拾い上げる。
古い紙。
手書き。
誰かのメモ。
そこには短くこう書かれていた。
『浄化には限界がある』
リリアは眉を寄せる。
その下にさらに文字。
『月華の力は使用者の生命力を代償にする』
空気が止まった。
「……え」
目を見開く。
代償?
生命力?
意味が分からない。
ページをめくる。
だが、その部分だけ切り取られていた。
不自然に。
まるで――誰かが隠したみたいに。
「……誰が」
その瞬間、廊下から足音が近づいてきた。
リリアは慌てて本を閉じた。
コンコンコンとノック。
「……リリア」
低い声。
レオンだった。
胸が跳ねる。
なぜか少し慌てながら扉を開ける。
レオンはいつもの黒い服姿だった。
だが、その表情は少し険しい。
「……どうしました?」
「灯りが見えた」
「眠れなくて、本を」
そこまで言って。
リリアはレオンの視線に気づく。
机の上に置きっぱなしの本。
『黒霧汚染と魔物化現象について』
空気が変わった。
静かに。けれどはっきりと。
レオンの目が細くなる。
「……誰に借りた」
低い声。
昼間とは違う。
冷たい。
リリアは思わず息を呑んだ。
「図書室で……」
「読むなと言ったはずだ」
「どうしてですか」
沈黙。
レオンは答えない。
その沈黙が、逆にリリアを苛立たせた。
「知る権利くらいあります」
「ない」
即答だった。
「お前には関係ない」
「関係あります!」
思わず声を上げる。
「私、あなたの婚約者なんですよね!?」
レオンが言葉を失う。
一瞬だけ。本当に一瞬だけ。
動揺した顔をした。
でも、すぐに消える。
「……それは契約だ」
静かな声。
冷たい。
胸が少し痛む。
けれど引き下がれなかった。
「だったらなおさらです」
リリアは本を掴む。
「あなたを助けるための契約なんでしょう」
「……」
「なら、ちゃんと全部教えてください」
沈黙。
長い沈黙。
やがてレオンが静かに目を伏せた。
「……知れば」
低い声。かすかに掠れていた。
「お前は後悔する」
その言葉が、どうしようもなく苦しそうで、リリアは何も言えなくなった。
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