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月影の花嫁は銀狼公爵の運命を拒む  作者: 白石マサル


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第六話 不器用な公爵と公爵邸の日常

 翌朝。

 リリア・エヴァレットは見知らぬ天井を見上げながら、しばらく無言だった。


「……ここどこ」


 ぼんやり呟く。

 数秒後、思い出した。

 ヴァルハルト公爵邸。

 銀狼公爵。

 契約結婚。

 呪い。

 昨夜の会話。

 そして


『……死にたくない』


 あの言葉。

 思い出した瞬間、胸の奥が妙にざわついた。


「……重症ね」


 自分で言って、自分で顔を覆う。

 昨日会ったばかりの相手だ。しかも第一印象は最悪。

 なのに、あんな顔を見せられたら、放っておけるほど冷たくはなれない。


「はぁ……」


 ベッドから起き上がる。

 広い部屋だった。

 淡い生成り色のカーテンに柔らかな絨毯、磨かれた家具。

 どう見ても客室ではない。

 下手な貴族令嬢の自室より豪華だ。


 その時、控えめなノック音が響く。


「リリア様、失礼いたします」


 入ってきたのは若い侍女だった。

 栗色の髪。

 緊張した顔。


「朝食のご用意が整っております」

「……朝食」


 そういえば昨日、ほとんど何も食べていない。

 空腹を思い出した。


「ありがとうございます」


 ベッドを降りる。

 すると侍女が、どこかほっとした顔をした。


「……?」

「あ、申し訳ありません」


侍女は慌てて頭を下げた。


「お怒りになって、今朝には帰られているかと……」

「帰りたい気持ちはあります」


 本音だった。

 侍女が困った顔になる。

 リリアは慌てて続けた。


「でも、あなたたちに怒っているわけじゃないから」

「……ありがとうございます」


 小さく頭を下げる侍女。

 その様子を見て、リリアは少しだけ違和感を覚えた。

 みんなどこか怯えている。

 この屋敷の使用人たちは、必要以上に気を張っていた。


 ◇


 朝食室は広かった。

 長いテーブル、磨かれた銀食器、窓から差し込む朝日。

 そして。


「…………」


 テーブルの端。

 レオン・ヴァルハルトがいた。

 黒い軍服ではなく、白いシャツ姿。それだけで印象が違う。

 けれど、やはり綺麗だった。整いすぎている。絵画みたいに。


「おはようございます」


 リリアが言う。

 レオンが顔を上げた。

 銀色の瞳。数秒、視線が合う。

 そして。


「……ああ」


 短い。相変わらず短い。


「……おはようございます」


 もう一度言ってみた。


「……おはよう」


 少し間があった。

 驚くほどぎこちない。

 この人、本当に会話が苦手なんだな、と妙なところで納得する。

 席につくが沈黙が流れる。

 気まずい。

 カチャ、と食器の音だけが響く。

 耐えきれなくなったのはリリアの方だった。


「……あの」

「なんだ」

「いつもそんな感じなんですか?」

「?」

「会話」


 レオンが少し黙る。考えている。真面目に。


「必要最低限だな」

「最低限すぎません?」

「そうか?」

「そうです」


 即答した。

 レオンは少しだけ眉を寄せた。困っているみたいな顔。

 その表情が少し面白くて、リリアは思わず笑いそうになる。

 昨日までは怖かった。

 なのに、今は少し違う。

 完璧な英雄じゃない。

 不器用で、人付き合いが下手で。

 助けを求めることもできない人。

 そう思うと、妙に放っておけなかった。


「……なんだ」

「いえ」

「変な顔をしていた」

「レオン様こそ」

「俺が?」

「はい」

「どんな顔だ」

「困ってる顔です」


 レオンが黙る。

 そして数秒後。


「……そうか」


 否定しない。

 その素直さが少し意外だった。

 朝食が運ばれる。

 スープ。焼きたてのパン。卵料理。

 明らかに高級。

 リリアは少し緊張しながらスープを口へ運んだ。


 ――美味しい。


 思わず目を見開く。

 濃厚なのに優しい味。

 すると向かい側から視線を感じた。

 レオンだ。


「……口に合わなかったか」

「え?」

「顔色が変わった」

「違います、美味しくてびっくりしたんです」

「そうか」


 レオンが静かにスープへ視線を戻す。

 その瞬間、ほんの少しだけ空気が柔らかくなった気がした。


 ◇


 朝食後。

 リリアは屋敷を案内されることになった。

 案内役は昨日の侍女――ミア。

 まだ十七くらいだろうか。少し緊張しやすい子らしい。


「こちらが図書室です」


 扉が開く。

 リリアは思わず息を呑んだ。


「……すごい」


 本。

 本。

 本。


 壁一面の本棚。二階まで続いている。

 薬学書もある。

 歴史書。

 魔術理論。

 古代文字。


「全部、閣下がお集めになったものです」

「レオン様が?」


 意外だった。

 もっと武人一筋の人かと思っていた。


「閣下は読書家でいらっしゃいますから」

「……へぇ」


 少しだけ、興味が湧く。

 その時、ふと棚の一角が目に入った。

 黒い装丁の古い本。

 タイトル。


『黒霧汚染と魔物化現象について』


 空気が止まる。

 無意識に手が伸びた。

 だが――


「リリア様!」


 ミアが慌てた声を出す。


「え?」

「あ、申し訳ありません……!」


 顔が真っ青だった。


「その……閣下が、その本には触れるなと」

「……どうして?」

「分かりません」


 けれど、ミアの顔は怯えていた。

 まるでその本自体が怖いみたいに。

 リリアはそっと本棚を見つめる。


 黒霧。

 魔物化。

 呪い。

 レオン。


 全部、繋がっている。

 この屋敷には、まだ隠されていることがある。

 そんな気がした。


 ◇


 その日の夕方。

 リリアは中庭で薬草を整理していた。

 屋敷の薬庫を見せてもらった結果、足りない薬材が多かったのだ。


「北方は寒いから、この薬草は育ちにくいのね……」


 独り言を漏らしながら葉を確認する。

 すると、後ろに気配を感じる。

 振り返る。

 レオンだった。

 黒いコート姿。

 夕暮れの光が銀髪に落ちる。

 綺麗だ、と不覚にも思ってしまった。


「……何をしている」

「薬草の確認です」

「使用人にやらせればいい」

「自分で見たいんです」


 リリアは薬草を持ち上げる。


「質が違いますから」


 レオンは少し黙っていた。

 やがて、静かに口を開く。


「……お前は」

「?」

「変わっているな」

「悪口ですか?」

「違う」


 真顔だった。


「貴族令嬢は普通、土に触れたがらない」

「私は普通じゃないので」

「……そうか」


 少しだけ沈黙。

 風が吹く。

 花が揺れる。

 静かな時間だった。

 その時、ふらり、とレオンの身体が揺れた。


「……!」


 リリアは咄嗟に立ち上がる。


「レオン様!」


 支える。

 触れた瞬間、分かった。熱い。

 昨日と同じだ。

 呪い。

 レオンは顔をしかめた。


「……大丈夫だ」

「大丈夫じゃありません」

「これくらい、いつものこと――」


 言いかけて、止まる。

 リリアが睨んでいたからだ。


「……怒るな」

「怒ります」


 即答した。

 レオンが少し目を逸らす。まるで叱られた子供みたいだった。

 その姿が少し可笑しくて。

 でも同時に胸が痛かった。

 この人はずっとこうしてきたのだ。

 苦しくても。

 痛くても。

 誰にも頼らず。


「……座ってください」

「問題ない」

「座ってください」

「……わかった」


 素直に座った。

 リリアは思わず額を押さえる。

 この人、本当に、英雄のくせに。

 どうしてこういうところだけ妙に従順なんだろう。

 夕暮れの中。

 銀狼公爵は静かにベンチへ座っていた。

 その姿は噂の英雄とはまるで違って。

 少しだけ寂しそうだった。

読んでいただきありがとうございます。

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