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月影の花嫁は銀狼公爵の運命を拒む  作者: 白石マサル


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28/65

第二十八話 白月塔の影

 翌朝の王都は、眩しいほど晴れていた。


 青い空。

 白い雲。


 王宮へ続く大通りには馬車が行き交い、貴族たちは何事もなかったように優雅に笑っている。

 北方で黒霧に飲まれた村があったことも。

 霧狼が現れたことも。

 レオンが傷だらけで帰還したことも。

 リリアが月華の力で倒れかけたことも。

 この街では、まだ遠い噂でしかないのだろう。

 リリアは馬車の窓から外を見ながら、胸の奥に冷たいものを感じていた。


「……平和ですね」


 向かいのレオンが静かに言う。


「王都はいつもこうだ」

「北方とは全然違います」

「ああ」


 その声に責める響きはなかった。

 けれど、諦めにも似た重さがあった。

 北方の苦しみは、王都には届きにくい。

 だからこそ、レオンはずっと一人で背負ってきたのだ。

 リリアは膝の上で手を握る。


「今日は、白月塔の情報を探るだけ」


 レオンが確認するように言った。


「はい」

「セドリック殿下に誘われても応じるな」

「はい」

「何か渡されても触るな」

「はい」

「俺のそばを」

「離れません」


 先に答えると、レオンは少しだけ黙った。


「……分かっているならいい」

「もう何度も聞きましたから」

「十回言っても足りない」

「昨日も聞きました」

「今日も言う」


 本気だった。

 リリアは少し笑ってしまう。

 けれど、その笑みはすぐに消えた。

 昨夜の月白花。

 窓の外から聞こえたセドリックの声。

 監視されていたかもしれないという事実。

 王宮へ近づくほど、白い街並みが檻のように見えた。


 ◇


 王宮に到着すると、二人はすぐに黒霧対策会議へ通された。


 高い天井。

 長い円卓。

 壁には王国地図が掲げられている。


 出席者は王族、高位貴族、軍関係者、研究所の学者たち。

 その視線が一斉にリリアへ向いた。


 月華の保持者。

 銀狼公爵の婚約者。

 北方で黒霧を退けた令嬢。


 好奇。

 警戒。

 値踏み。


 さまざまな感情が肌に刺さる。

 リリアは無意識に背筋を伸ばした。

 その横で、レオンが一歩だけ近くに立つ。

 たったそれだけで、息がしやすくなった。


「銀狼公爵、よく戻った」


 第一王子が口を開いた。

 年は三十ほど。

 セドリックとは違い、厳格で真面目そうな人物だった。


「北方での働き、報告は受けている」

「恐れ入ります」


 レオンは短く答える。


「エヴァレット嬢も、民の救助に尽力したそうだな」

「私にできることをしただけです」


 リリアが礼を取ると、会議室に小さなざわめきが走った。

 その時、柔らかな声が響いた。


「謙虚だね、リリア嬢」


 背筋が冷える。

 振り向かなくても分かる。

 

 セドリックだった。

 金色の髪。

 青い瞳。


 相変わらず完璧な微笑み。

 けれどリリアはもう、その笑顔の下にあるものを知っている。


「殿下」


 リリアは礼を取る。

 レオンの気配が鋭くなった。

 セドリックはそれに気づいているのに、楽しむように微笑む。


「体調はどうかな」

「お気遣いありがとうございます。問題ありません」

「それはよかった」


 彼の青い瞳が細められる。


「月華は貴重な力だ。君自身も大切にしないとね」


 その言葉に、リリアは唇を噛みそうになった。

 君自身を大切に。

 優しい響き。

 けれど、その裏側にあるのは観察と利用だ。


「ご忠告、痛み入ります」


 リリアは淡々と答えた。

 セドリックの笑みが少し深くなる。


「強くなったね」

「北方で学びました」

「誰から?」


 彼の視線がレオンへ向く。

 挑発だ。

 リリアは静かに答えた。


「守りたい人たちからです」


 会議室が一瞬静まる。

 レオンがこちらを見る気配がした。

 セドリックは楽しそうに笑った。


「なるほど」


 それ以上は言わなかった。


 ◇


 会議では、ミルカ村での黒霧拡大について報告が行われた。

 オーウェンがまとめた資料。

 リリアの治療記録。

 霧狼の核についての暫定分析。

 学者たちは興味深そうに資料をめくる。

 だが、何人かはリリアばかりを見ていた。

 資料ではなく。

 月華という力そのものを。


「エヴァレット嬢」

 

 老学者の一人が言った。


「月華の光は、霧狼の再生を止めたのですね?」

「一時的にです」

「では、魔物化した人間にも同様の効果が?」

「可能性はありますが、まだ分かりません」

「実験は?」


 その言葉に、レオンの視線が鋭くなる。

 リリアも胸が冷えた。

 実験。

 人に対して使う言葉ではない。


「治療の検証なら必要でしょう」


 老学者は悪びれもせず言った。


「魔物化した者を対象に、月華の照射量と回復度を測定すれば」

「彼らは人間です」


 リリアは静かに遮った。

 会議室の空気が止まる。


「対象ではありません」

「村で暮らしていた人たちです」

「家族がいます」

「名前があります」

「ですから、実験ではなく治療として扱ってください」


 老学者は不快そうに眉を寄せた。

 だが第一王子が頷いた。


「もっともだ」


 セドリックは黙って微笑んでいる。

 その笑顔が、逆に不気味だった。


「エヴァレット嬢の意見を尊重しよう」


 第一王子が言った。


「魔物化した者への対応は、治療計画として再提出せよ」


 リリアはほっと息を吐いた。

 その横で、レオンが低く囁く。


「よく言った」


 それだけで胸が温かくなった。


 ◇


 会議が終わったあと、第一王子の側近らしき文官がレオンに近づいてきた。

 細身で、眼鏡をかけた男性だった。


「ヴァルハルト公爵」

「ユリウス卿」


 レオンが短く返す。

 知り合いらしい。

 ユリウスはリリアにも礼を取った。


「エヴァレット嬢。先ほどの発言、見事でした」

「ありがとうございます」

「殿下が、少しお話をと」


 第一王子の方を見る。

 レオンはわずかに考えたあと頷いた。


「分かった」


 小さな控室へ案内される。

 中には第一王子とユリウス、そしてレオンとリリアだけ。

 セドリックはいない。

 それだけで少し息がしやすくなる。

 第一王子は単刀直入だった。


「セドリックを警戒しているな」


 リリアは息を呑む。

 レオンは表情を変えない。


「否定はしません」


 第一王子は深く息を吐いた。


「私もだ」


 その言葉は重かった。


「弟は優秀だ。民からの人気も高い。だが、近年の黒霧研究への関与は度を越している」

「白月塔について、ご存じですか」


 リリアが思わず尋ねる。

 レオンがちらりとこちらを見た。

 第一王子の表情が変わる。


「白月塔?」

「はい」

「なぜその名を?」


 リリアはレオンを見る。

 レオンは短く頷いた。

 話していい、という合図。

 リリアは、王都への道中で受けた伝言と、昨夜の月白花のことを説明した。

 第一王子の顔が険しくなる。


「旧観測塔は十年前から封鎖されている」

「なぜですか」


 ユリウスが答えた。


「王家の古い星印研究施設だったためです。危険な資料や術式が残されているとして、封印されました」

「月華に関する資料も?」


 ユリウスは迷った。

 第一王子が言う。


「ある可能性は高い」


 リリアの胸が鳴る。

 やはり。


「ただし、封印は王家の血筋でなければ解けない」


 第一王子が続ける。


「つまり、セドリックはそこへ君を誘い込むつもりだ」


 レオンの声が低くなる。


「目的は?」

「月華の覚醒かもしれない」


 第一王子は古い資料を机に置いた。


「白月塔には、失われた星印の記録がある。月華もその一つだ」


 リリアは資料へ視線を落とす。


 古い文字。

 月。

 契約。

 浄化。

 そして――


『魂縛の儀』


 嫌な言葉だった。


「魂縛……?」


 ユリウスが説明する。


「星印保持者と対象者の魂の縁を強制的に深める禁術です」


 レオンの気配が変わった。


「強制的に?」

「はい」


 ユリウスは苦い顔で頷く。


「月華の場合、対象との縁が深いほど力が増す。ならば、その縁を人工的に強めれば、浄化力は跳ね上がる」


 リリアの背筋が冷える。


「でも、代償も」

「跳ね上がるでしょう」


 沈黙。

 重い沈黙。


 セドリックの目的が見えた。

 リリアとレオンの縁を利用する。

 あるいは、強制的に深める。

 そして月華を完成させる。

 黒霧を支配するために。

 レオンが低く言った。


「ふざけるな」


 その声は怒りで震えていた。

 第一王子も静かに頷く。


「だからこそ、君たちに協力を頼みたい」

「協力?」

「白月塔へ先に入る」


 リリアは目を見開く。

 第一王子は続けた。


「セドリックが仕掛ける前に、塔内の資料と術式を確認する。必要なら破棄する」

「危険です」


 レオンが言う。


「ああ」


 第一王子は認めた。


「だが、放置すれば弟は必ず動く」


 リリアは拳を握った。


 怖い。


 でも、ここで逃げれば、セドリックは別の方法で迫ってくる。

 月華の代償を消す方法があるかもしれない。

 それが本当なら知りたい。

 でも、それ以上に。

 魂縛の儀などというものを、絶対に使わせてはいけない。


「行きます」


 リリアは言った。

 レオンがすぐにこちらを見る。


「リリア」

「一人では行きません」

「……」

「あなたと行きます」


 レオンは苦しそうな顔をした。

 反対したい。

 でも反対しきれない。

 そういう顔だった。


「俺のそばを離れるな」

「はい」

「少しでも危険を感じたら下がれ」

「はい」

「月華は」

「勝手には使いません」


 レオンは深く息を吐いた。


「……分かった」


 第一王子が頷く。


「今夜、白月塔へ向かう」


 リリアの胸が強く鳴った。



 ◇


 控室を出ると、廊下の向こうにセドリックが立っていた。

 まるで待っていたかのように。


 金色の髪。

 穏やかな笑み。


「兄上と何の話を?」


 第一王子は表情を変えずに答えた。


「北方の防衛についてだ」

「そうですか」


 セドリックの視線がリリアへ移る。


「リリア嬢、疲れていない?」

「大丈夫です」

「無理はいけないよ」


 優しい声。

 リリアはその笑顔を真っ直ぐ見返した。


「ご心配なく」


 セドリックは少し目を細めた。


「今夜は月が綺麗だろうね」


 その一言に、リリアの背筋が凍った。


 白月塔。

 今夜。


 彼は知っている。

 こちらが動くことを。

 レオンも気づいたらしい。

 リリアの前へ半歩出る。


「殿下」


 低い声。

 セドリックは笑った。


「怖い顔だ、レオン」

「何を企んでいる」

「国を救うことだよ」

「嘘をつけ」

「ひどいな」


 セドリックは肩を竦める。

 そして、リリアへ向けて微笑んだ。


「君はきっと分かってくれる」

「黒霧を恐れるだけでは何も変わらない」

「そのために誰かを道具にするなら、私は分かりたくありません」


 リリアは静かに答えた。

 セドリックの笑みが深くなる。


「本当に強くなった」

「ますます欲しくなるね」


 レオンの殺気が膨れ上がった。

 廊下の空気が凍る。

 第一王子が低く言う。


「セドリック」

「冗談です、兄上」


 セドリックは優雅に礼を取る。


「では、また後ほど」


 去っていく背中。

 リリアはその姿を見つめながら、手のひらに汗をかいていることに気づいた。

 レオンが低く尋ねる。


「大丈夫か」

「はい」

「震えている」


 リリアは自分の手を見る。

 確かに少し震えていた。

 レオンがそっとその手を取る。

 王宮の廊下。

 人目のある場所。

 それなのに、彼は迷わなかった。


「怖いなら怖いと言え」


 リリアは息を吸う。


「怖いです」

「そうか」

「でも、逃げません」

「分かっている」


 彼の手は温かかった。


「俺がいる」


 短い言葉。

 けれど、どんな慰めよりも強かった。


 ◇


 その夜。

 白月塔は王宮の北端に立っていた。

 使われなくなった旧観測塔。

 白い石造りの塔は、月明かりを浴びて淡く光っている。


 美しい。


 けれど、どこか不気味だった。

 塔の周囲には人気がない。

 第一王子の手配した少数の護衛だけが、離れた場所に待機している。

 塔の入口には、古い封印術式が刻まれていた。

 第一王子が手をかざす。

 王家の血に反応し、封印が淡く光る。

 重い扉が、ゆっくりと開いた。

 冷たい空気が流れ出す。

 リリアの指先に、銀色の光が宿る。

 月華が反応している。

 レオンがすぐに気づいた。


「辛いか?」

「まだ大丈夫です」

「無理はするな」

「はい」


 塔の中は暗かった。

 螺旋階段が上へ続いている。


 壁には月と星の紋様。

 床には古い魔術陣。


 そして奥から、かすかに声が聞こえた。


 歌のような。

 祈りのような。


 リリアは胸を押さえる。

 夢で聞いた声に似ていた。

 

 ――月華は、愛する者のために滅びる星。


「リリア」


 レオンが呼ぶ。

 彼女は顔を上げる。


「行けるか?」

「はい」

「俺の手を離すな」


 そう言って、彼は手を差し出した。

 リリアはその手を取る。


「離しません」


 二人は白月塔の中へ足を踏み入れた。

 扉が背後で閉まる。

 重い音。

 まるで、檻が閉じたようだった。

 月明かりが差し込む塔の奥で。

 何かが静かに目を覚ました。

読んでいただきありがとうございます。

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