第十七話 王子からの招待状
翌朝、リリアは強制的に休養を命じられた。
命じたのは当然、レオンである。
「本日は読書も薬草整理も禁止だ」
朝食の席で、彼は淡々と言った。
リリアはパンを持ったまま固まる。
「……読書も?」
「ああ」
「薬草整理も?」
「ああ」
「では何をしろと?」
「寝ていろ」
「病人扱いが過ぎます」
「病人だ」
即答だった。
反論しようとしたが、昨日倒れたばかりなので強くは言えない。
悔しい。
非常に悔しい。
リリアは唇を尖らせた。
「では、軽い散歩は?」
「却下」
「刺繍は?」
「目が疲れる」
「日記は?」
「短くなら許可する」
「許可制なんですか」
「昨日、約束しただろう」
レオンは平然としていた。
「無理をしないと」
確かにした。
指切りまでした。
だが、まさかここまで厳しく管理されるとは思わなかった。
「……レオン様は過保護です」
「そうか」
否定しない。
むしろ少し満足そうに見える。
リリアはため息をついた。
その様子を見ていたミアが、背後で笑いを堪えている。
グレイも表情こそ崩していないが、どこか微笑ましそうだった。
屋敷の空気が以前とは違う。
張り詰めた冷たさが、少しずつほどけている。
それが嬉しくて、リリアは文句を言いながらも、少しだけ胸が温かくなった。
◇
朝食後。
リリアは本当に部屋へ戻された。
しかもミアが見張りについた。
「リリア様、今日はお休みください」
「ミアまで」
「閣下から強く言われています」
「どのくらい強く?」
「もし無理をさせたら、私ではなく自分を罰しろと」
リリアは言葉を失った。
何を言っているのだ、あの公爵は。
「……それ、脅しじゃなくて本気ね」
「はい。本気のお顔でした」
想像できる。
簡単に。
リリアは諦めてベッドの上へ腰を下ろした。
「分かったわ。今日は大人しくしてる」
「本当ですか?」
「信用がない」
「昨日の今日ですから」
その通りだった。
リリアは苦笑する。
ミアが窓を少し開ける。
柔らかな風が入ってきた。
春の終わりの香り。
静かな時間。
何もしないでいるのは苦手だった。
けれど、身体は正直で、少し横になるとすぐにまぶたが重くなった。
昨日の消耗はまだ残っているらしい。
「……少しだけ眠るわ」
「はい」
ミアの優しい声を聞きながら、リリアは目を閉じた。
◇
眠りは浅かった。
夢を見た。
暗い場所。
黒い霧。
冷たい手。
誰かの声。
――月華を捧げよ。
遠くで鐘が鳴っている。
霧の向こうに、銀色の狼がいた。
傷だらけで。
それでもこちらを守るように立っている。
リリアは手を伸ばす。
けれど届かない。
霧が狼を飲み込んでいく。
「待って!」
叫んだ瞬間、目が覚めた。
息が荒い。
額に汗。
部屋は明るかった。
夢だ。
ただの夢。
そう言い聞かせる。
けれど胸のざわめきは消えなかった。
「リリア様?」
ミアが心配そうに覗き込む。
「大丈夫ですか?」
「……少し、嫌な夢を見ただけ」
「お水を」
「ありがとう」
水を飲む。
冷たさが喉を通る。
少し落ち着いた。
その時、廊下が騒がしくなった。
普段は静かな屋敷にしては珍しい。
ミアが扉の方を見る。
「何でしょう」
少しして、控えめなノック。
入ってきたのはグレイだった。
その顔はいつも通り整っていたが、どこか硬い。
「リリア様」
「何かありましたか?」
グレイは一瞬ためらった。
その反応だけで分かる。
良くない知らせだ。
「王宮より、正式な招待状が届きました」
「招待状?」
「はい」
差し出された封筒には、王家の紋章。
赤い封蝋。
リリアは受け取る前から嫌な予感がした。
封を切る。
中を見る。
目を通す。
そして、眉を寄せた。
「……王立研究所の見学会?」
文面は丁寧だった。
第二王子セドリックの名で、リリアを王立研究所へ招くという内容。
表向きは、薬師としての知識を評価しての招待。
さらに、女性薬師の活動支援を名目にした懇談も兼ねるとある。
完璧な建前だった。
断りにくいほどに。
「殿下らしいですね」
リリアは静かに言った。
優雅で。
親切で。
逃げ道を塞ぐような招待。
「閣下は?」
「現在、使者への返答を保留しておられます」
その声には苦みがあった。
おそらくレオンは断ろうとしている。
けれど王子からの正式な招待。
無下にはできない。
しかもリリアが王立研究所に興味を持っていたことを、セドリックは知っている。
狙っている。
明らかに。
「……私に会いたいんですね」
リリアが呟くと、ミアが不安そうな顔をした。
「リリア様……」
「大丈夫」
そう言いながら、自分でも大丈夫ではないと分かっていた。
セドリックは月華を狙っている。
リリアを狙っている。
それでも、研究所には資料があるかもしれない。
月華の代償を避ける方法。
レオンの呪いを解く手がかり。
危険と引き換えでも、行く価値はある。
◇
執務室へ向かうと、レオンは窓際に立っていた。
手には例の招待状。
黒い軍服の背中が、いつもより張り詰めている。
「レオン様」
彼は振り返った。
銀色の瞳がリリアを見て、すぐに眉を寄せる。
「寝ていろと言った」
「それどころではないでしょう」
「それどころだ」
「違います」
「戻れ」
「話が終わったら戻ります」
また睨み合いになる。
グレイは静かに扉を閉め、部屋の外へ下がった。
完全に二人で話せということらしい。
「招待状、読みました」
「断る」
即答だった。
「まだ何も言ってません」
「お前が行きたいと言う前に断る」
「どうして決めつけるんですか」
「行きたい顔をしている」
言い返せなかった。
悔しい。
本当に分かりやすいらしい。
「危険だ」
レオンは言った。
「セドリック殿下の狙いはお前だ」
「分かっています」
「分かっていて行くのか」
「はい」
銀色の瞳が鋭くなる。
怒っている。
いや、恐れている。
昨日から、その違いが少しだけ分かるようになった。
「王立研究所には、黒霧と月華の資料があるかもしれません」
「罠だとしてもか」
「罠なら、なおさら何を狙っているか確かめる必要があります」
「お前は囮ではない」
低い声。
その言葉は鋭かった。
「分かっています」
「分かっていない」
レオンが一歩近づく。
「お前はすぐ、自分を勘定に入れない」
胸に刺さる。
昨日、自分が彼に言ったことと似ていた。
一人で犠牲になろうとするな。
今、同じことを言われている。
「……一人では行きません」
リリアは静かに言った。
「あなたと行きます」
レオンが黙る。
「王宮の中であっても、あなたがそばにいるなら」
言葉を選ぶ。
少し恥ずかしい。
でも、伝えなければならない。
「私は怖くありません」
レオンの目が僅かに揺れた。
「……俺を信じるのか」
「はい」
即答した。
「レオン様は私を守ってくれるでしょう?」
「当然だ」
迷いない返事。
その声に、リリアの胸が温かくなる。
「なら、私もあなたを助けるために動きたいんです」
沈黙。
長い沈黙だった。
やがてレオンは、深く息を吐いた。
「……条件がある」
「はい」
「俺のそばを離れるな」
「はい」
「セドリック殿下と二人きりになるな」
「はい」
「怪しい物に触るな」
「はい」
「月華は使うな」
「状況によります」
「リリア」
「そこは約束できません」
視線がぶつかる。
譲れない。
レオンも譲りたくなさそうだった。
けれど、やがて彼は苦しそうに目を伏せた。
「……俺に言え」
「はい」
「使う前に、必ず俺に言え」
「分かりました」
それが今の二人にできる妥協だった。
◇
数日後。
王立研究所への訪問が決まった。
リリアの体調が戻るまで日程を延ばすよう、レオンが強く申し入れたのだ。
セドリックは快く受け入れたらしい。
表面上は。
しかし、その返書には一輪の白い花が添えられていた。
月白花。
月属性の星印と関わりが深いとされる花。
リリアがそれを見た瞬間、レオンの表情が凍った。
「挑発だな」
低い声。
リリアも同感だった。
セドリックは知っている。
月華のことを。
代償のことも、おそらく。
「必ず何か仕掛けてきますね」
「ああ」
「でも、行きます」
「分かっている」
レオンは花を手に取ると、静かに握り潰した。
白い花弁が床へ落ちる。
その横顔は冷たく、美しかった。
けれどリリアはもう知っている。
この冷たさは、無関心ではない。
守りたいものがあるからこその怒りだ。
「リリア」
名前を呼ばれる。
「はい」
「怖くなったら言え」
「はい」
「俺が連れて帰る」
胸が詰まった。
「……頼りにしています」
そう答えると、レオンは少しだけ目を細めた。
ほんの僅か。
けれど確かな表情。
それだけで、リリアの心は不思議と落ち着いた。
◇
その夜。
リリアはまた夢を見た。
黒い霧。
白い花。
金色の王子。
そして、鎖に繋がれた銀色の狼。
狼は苦しそうにこちらを見る。
助けたい。
そう思って手を伸ばす。
けれど、足元に黒い水が広がっていた。
水面に映る自分の姿。
そこには、知らない女が立っていた。
長い銀髪。
月のような瞳。
古い時代の衣装。
女は静かに微笑んだ。
そして言った。
――月華は、愛する者のために滅びる星。
目が覚めた時、リリアの頬は涙で濡れていた。
「……滅びる、星」
胸が苦しい。
夢。
ただの夢。
そう思いたかった。
けれど、指先には淡い銀光が残っていた。
まるで夢が、ただの夢ではなかったと告げるように。
リリアは震える手を握りしめる。
滅びる星。
そんな運命など認めない。
レオンを救う。
自分も生きる。
その道を必ず見つける。
窓の外で月が静かに輝いていた。
その光は美しく。
そして、少しだけ残酷に見えた。
読んでいただきありがとうございます。
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