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月影の花嫁は銀狼公爵の運命を拒む  作者: 白石マサル


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第十二話 銀狼公爵の嫉妬

「だから興味がある」


 第二王子セドリックの言葉は、どこまでも穏やかだった。


 王宮の庭園。

 噴水の水音。

 花々の香り。

 優雅な空間。


 けれど、リリアの胸の奥には説明しづらい違和感が残っていた。


「私にですか?」


 思わず聞き返す。

 セドリックは小さく笑った。


「もちろん」


 さらりと言う。


「レオンを変えた人だからね」


 リリアは言葉に詰まった。

 そんな大層なことをした覚えはない。

 むしろ毎日のように口論している。


 怒って。

 呆れて。

 心配して。


 その繰り返しだ。


「変えたというほどでは……」

「本人は認めないだろうけど」


 セドリックは肩を竦めた。


「彼を昔から知る人間には分かるよ」


 昔から……。その言葉に少し興味を引かれる。


「レオン様は昔、どんな方だったんですか?」


 セドリックは一瞬だけ目を細めた。

 懐かしそうに。


「今よりずっと感情豊かだった」


 意外だった。


「笑うこともあった、怒ることも、無茶もした」


 リリアは思わず目を丸くする。

 まるで別人だ。

 今のレオンからは想像できない。


「信じられない顔をしているね」

「だって……」

「分かるよ」


 セドリックが苦笑する。


「今の彼しか知らなければそう思うだろう」


 その時だった。


「殿下」


 低い声。

 聞き慣れた声。

 振り向く。

 そこにはレオンが立っていた。


 黒い軍服。

 銀色の髪。


 そして、いつもより明らかに機嫌が悪そうな顔。

 リリアは思わず瞬きをした。

 最近分かるようになったのだ。

 この人の感情が。

 以前なら無表情にしか見えなかった。

 けれど今は違う。

 僅かな眉の動き。


 口元。

 視線。


 その変化が分かる。

 そして今、確実に不機嫌だった。


「探した」


 短い言葉。


「申し訳ありません」


 リリアは慌てて頭を下げる。


「少し話をしていただけです」

「見れば分かる」


 返事が微妙に硬い。

 セドリックが面白そうに笑った。


「相変わらず過保護だね」


 沈黙。

 レオンは否定しなかった。

 リリアは首を傾げる。


「過保護?」

「違うのかい?」


 セドリックが尋ねる。


「違う」


 即答。

 だが少し間があった。


「俺は護衛だ」

「婚約者でもあるだろう?」


 レオンが黙る。

 珍しい。

 かなり珍しい。

 普段なら即座に返すのに。

 ものすごく、セドリックは楽しそうだった。

 


 ◇


 その後。

 王宮内を案内されることになった。

 当然のようにレオンも同行する。

 そして当然のようにセドリックもいる。

 妙な組み合わせだった。


「こちらは王立図書館だ」


 巨大な扉が開く。

 リリアは思わず息を呑んだ。

 広い。

 とにかく広い。

 公爵家の図書室も凄かったが、規模が違う。


「すごい……」


 目を輝かせる。

 するとセドリックが笑った。


「本が好きかい?」

「はい」

「なら気に入ると思った」


 自然な会話。

 気遣いも上手い。

 やはり王子だ。

 すると、隣から声。


「迷子になるな」


 レオンだった。


「なりません」

「なる」

「なりません」

「さっきも迷いかけただろう」

「それは……」


 事実だった。

 言い返せない。

 セドリックが吹き出す。


「君たちは本当に仲が良いね」

「違う」


 レオンが即答した。

 早かった。

 かなり。

 リリアは少し傷ついた。

 そんなに否定しなくてもいいのに。

 その瞬間、レオンも気づいたらしい。

 僅かに視線がこちらへ向く。

 そして、珍しく困った顔になった。


「……そういう意味ではない」

「どういう意味ですか」

「……」


 答えられない。

 ますます怪しい。

 セドリックは完全に面白がっていた。


 ◇


 図書館を見学した後。

 セドリックが一冊の本を取り出した。


 古い装丁。

 金文字。


「これは?」


 リリアが尋ねる。


「薬学書だよ」

「え?」


 驚いた。

 王子が薬学書を?


「君なら興味があると思ってね」


 差し出される。

 思わず受け取る。

 タイトルを見る。

 失われた古代薬学。

 かなり貴重な本だった。


「ありがとうございます!」


 思わず声が弾む。

 嬉しい。

 本当に。

 薬師として純粋に嬉しい。


「喜んでもらえてよかった」


 セドリックが微笑む。

 その瞬間、妙な圧力を感じた。


 横。

 見る。

 レオンだった。

 無言。

 しかし、怖い。


「……レオン様?」

「なんだ」

「機嫌悪いですか?」

「別に」


 嘘だ。

 絶対嘘だ。

 付き合いはまだ短い。

 でも分かる。

 明らかに不機嫌だった。


「本なら公爵家にもある」


 ぽつりと言う。


「え?」

「薬学書だ」

「それは知っていますけど」

「もっと良い本もある」


 なぜ張り合うのだろう。

 意味が分からない。

 セドリックが口元を押さえた。

 笑いを堪えている。


 ◇


 午後。

 王宮の中庭。

 貴族たちとの挨拶も終わり、ようやく一息つけた。

 リリアはベンチへ腰掛ける。

 疲れた。

 本当に疲れた。


「大丈夫か」


 レオンが隣へ立つ。


「なんとか」

「無理をするな」

「してません」

「している顔だ」


 そう言われると反論しづらい。

 実際かなり疲れている。

 人が多すぎるのだ。

 その時。


「リリア嬢」


 声がした。

 セドリックだった。

 彼は笑顔のまま近づいてくる。

 そして自然な動作で手を差し出した。


「よければ今度、王立研究所を案内しようか」

「研究所?」

「薬学の研究者も多い」


 リリアの目が輝く。

 興味しかない。

 王国最高峰の研究機関。

 薬師なら憧れる場所だ。


「ぜひ――」


 言いかけた。

 その瞬間、腕を引かれる。


「え?」


 振り返る。

 レオンだった。

 なぜか、自分の後ろへリリアを隠すような位置に立っている。

 沈黙。


 セドリック。

 レオン。


 二人が見つめ合う。

 そして、セドリックが先に笑った。


「なるほど」


 何がなるほどなのか。

 さっぱり分からない。


「レオン」

「……」

「それは嫉妬だよ」


 空気が止まった。

 リリアも止まった。

 レオンも止まった。

 数秒。

 完全な沈黙。

 やがて。


「違う」


 低い声。

 だが少し遅かった。

 セドリックは楽しそうだった。


「そうかな」

「違う」

「そういうことにしておこう」

「……」


 レオンが黙る。

 追い詰められている。

 珍しい光景だった。


 ◇


 王宮からの帰路。

 馬車の中。

 妙に静かだった。

 リリアは何度もレオンを見る。

 そのたびに視線を逸らされる。

 怪しい。

 ものすごく怪しい。


「レオン様」

「なんだ」

「怒ってます?」

「怒っていない」

「じゃあ不機嫌ですか」

「違う」


 即答。

 だが説得力がない。


「じゃあ何なんですか」


 レオンは黙った。

 しばらく。

 本当にしばらく。

 そして、ぽつりと言う。


「……研究所へ行きたいのか」

「え?」


 予想外だった。


「もちろん興味はあります」


 正直に答える。

 薬師なのだから当然だ。

 すると、レオンが少しだけ目を伏せた。


「そうか」


 短い返事。

 それだけ。

 だが、なぜだろう。

 少しだけ寂しそうに見えた。

 その時、リリアはようやく気づく。

 もしかして……本当に。

 少しだけ……ほんの少しだけ。

 この人は嫉妬していたのではないかと。

 そう考えた瞬間、心臓がどくりと大きく鳴った。

 窓の外では夕陽が沈み始めていた。

 銀色の髪が橙色に染まる。

 その横顔から目が離せなくなったことを、リリアはまだ認めたくなかった。

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