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月影の花嫁は銀狼公爵の運命を拒む  作者: 白石マサル


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第十一話 王宮で出会った男

 王宮へ向かう朝は、驚くほど快晴だった。

 雲ひとつない青空。

 王都の街並みが朝日に照らされている。

 だが、リリアの気分は晴れなかった。


「……緊張する」


 馬車の中で呟く。

 向かい側。

 レオンはいつものように無表情だった。


 黒い軍服。

 銀色の髪。

 完璧な姿勢。


 まるで緊張という言葉を知らない人みたいだ。


「レオン様」

「なんだ」

「緊張しませんか」

「別に」


 予想通りの返答だった。


「どうしてですか」

「何度も来ている」

「そういう問題じゃありません」


 王宮である。

 国で一番偉い人たちがいる場所だ。

 薬草畑や診療所とは訳が違う。

 レオンは少しだけ考えた。

 そして――


「お前がいるからな」


 と言った。

 リリアは固まった。


「……え?」


 レオンは窓の外を見ている。

 いつも通り。

 何でもない顔。

 だが、今。

 確かに変なことを言った。


「それはどういう意味ですか」

「そのままだ」

「説明になってません」

「そうか」


 そうかじゃない。

 心臓が少しうるさい。

 本人は全く気づいていないらしい。

 本当に困る。

 最近ますます困る。


 ◇


 やがて馬車は王宮へ到着した。

 巨大な白亜の宮殿。

 

 高い塔。

 広い庭園。

 豪華な噴水。


 初めて見る光景に、リリアは思わず息を呑む。


「……すごい」

「慣れる」

「無理です」


 即答だった。

 レオンが僅かに口元を緩める。

 最近、本当に少しだけ笑うようになった。

 使用人たちも驚いていた。

 本人は自覚がないらしい。


 ◇


 王宮内部はさらに壮観だった。


 赤い絨毯。

 巨大な柱。

 美しい装飾。


 どこを見ても高級品ばかり。

 リリアは田舎者みたいに周囲を見回してしまう。


「前を見ろ」


 レオンが小声で言う。


「だって気になります」

「転ぶぞ」

「転びません」


 その直後。

 絨毯の端に足を引っかけた。


「きゃっ」


 身体が傾く。

 終わった。

 そう思った瞬間、腕を掴まれる。

 強い力、安定した体温。

 気づけばレオンが支えていた。


「だから言った」


 呆れた声。

 リリアは顔を真っ赤にする。


「……すみません」

「怪我は」

「ありません」


 近い! 近すぎる。

 銀色の瞳。

 整った顔。

 本当に心臓に悪い。

 レオンは確認すると手を離した。

 その一連の流れを誰かが見ていた。


「仲が良さそうだね」


 柔らかな声。

 振り向く。

 そこに立っていたのは一人の男性だった。


 金色の髪。

 青い瞳。

 優しそうな笑顔。

 上質な服装。


 絵本の王子様みたいな容姿。

 周囲の騎士たちが一斉に頭を下げる。


「殿下」


 レオンの声が少し硬くなる。

 リリアは慌てて礼を取った。

 第二王子。

 セドリック・アルヴェリア。


 ◇


「顔を上げて」


 穏やかな声だった。

 不思議と人を安心させる響きがある。


「初めまして、リリア嬢」


 セドリックは微笑んだ。


「会えて嬉しいよ」

「は、はい」


 緊張する。

 当然だ。

 王子である。

 しかも想像以上に親しみやすい。


「話は聞いている」


 セドリックは続ける。


「平民街で薬師として働いていたそうだね」

「はい」

「素晴らしいことだ」


 心から感心したような口調。

 馬鹿にしている様子はない。

 むしろ好意的だった。


「多くの貴族は民を知らない」

「君は違う」

「それは……」


 何と答えればいいか分からない。

 困っていると。

 隣から低い声がした。


「用件は」


 レオンだった。

 空気が少し変わる。

 セドリックは苦笑した。


「相変わらずだね」

「忙しい」

「そういうところが嫌われるんだよ」

「構わない」


 会話だけで分かる。

 この二人。

 やはりあまり仲が良くない。

 険悪というほどではない。

 だが、距離がある。


「今日は食事会だ」


 セドリックが言う。


「その前に少し話をしたかっただけだよ」


 そして、青い瞳がリリアへ向く。

 優しい笑み。

 けれど、なぜだろう。

 昨夜見た黒衣の男を思い出した。

 胸が少しざわつく。


「リリア嬢」

「はい」

「王都には慣れたかい」

「まだあまり」

「そうか」


 セドリックは柔らかく笑う。


「困ったことがあれば相談してほしい」

「ありがとうございます」

「遠慮はいらない」


 優しい。本当に。

 誰が見ても好青年だ。

 なのに、なぜか落ち着かない。


 ◇


 食事会は昼から始まった。

 参加者は少ない。


 王族。

 高位貴族。

 軍関係者。


 全員がそうそうたる顔ぶれだった。

 リリアは完全に場違いである。

 胃が痛い。


「大丈夫か」


 隣から声。

 レオンだった。


「大丈夫じゃありません」


 正直に答える。

 すると、ほんの少しだけ。

 銀色の瞳が和らいだ。


「俺もこういう場は嫌いだ」

「意外です」

「面倒だからな」


 確かに。

 想像できる。

 社交界で愛想よく振る舞うレオンなど想像できない。

 その時、向かい側から声がした。


「レオン」


 セドリックだった。


「君がそんな顔をするとはね」

「何の話だ」

「楽しそうだ」


 沈黙。

 レオンが黙る。

 珍しい。


「……気のせいだ」


 少し遅れて答えた。

 セドリックが笑う。

 楽しそうに。


「そうかな」


 リリアは首を傾げる。

 何の話だろう。

 まったく分からない。

 だが、レオンの機嫌が微妙に悪くなっていることだけは分かった。


 ◇


 食事会の後。

 リリアは一人で庭園を歩いていた。

 少し疲れた。

 豪華な場所は慣れない。

 空気が重い。

 人も多い。

 薬草畑が恋しい。


「一人かい?」


 声がした。

 振り返る。

 セドリックだった。


「殿下」

「そんなに畏まらなくていい」


 柔らかな笑顔。

 昼間と変わらない。

 けれど、今は二人きりだ。


「庭が好きなのかい」

「はい」

「私もだ」


 セドリックは隣へ並ぶ。

 近い。

 だが不快ではない。

 自然な距離感。

 慣れているのだろう、人との接し方に。


「リリア嬢」

「はい」

「君は面白いね」


 突然だった。


「え?」

「レオンが変わった」


 静かな声。

 リリアは目を瞬く。


「変わった……ですか?」

「ああ」


 セドリックは少し空を見上げる。


「ここ数年」

「彼はずっと止まっていた」


 風が吹く。

 金色の髪が揺れる。


「でも今は違う」


 そし言って、セドリックは微笑んだ。

 優しく、穏やかに。

 けれど、その青い瞳だけが、妙に鋭く見えた。


「だから興味がある」


 その言葉に、なぜかリリアの胸は小さくざわついた。

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