【第三話】従妹殿の婚約者が逃げていくのはなぜだろうね。
中庭に面する石造りの廊下は、柔らかな陽の光に照らされている。等間隔に置かれた柱が、冷ややかな群青の陰をそこに落とした。
「良い天気だ」
そう零せば、前を歩く従者が口を開く。
「中庭の薔薇が見頃だそうですよ。ご婚約者様とご一緒にいかがですか」
「ああ、今度誘ってみるよ」
ふと中庭に目をやれば、花々を楽しむ学生たちが視界に入る。その一角、低木に囲まれたやや奥まった場所にある長椅子に、一組の男女が寄り添うように腰掛けているのが見えた。
(あれは……)
男の方はカール・フォン・ヴァイマン。
ヴァイマン伯爵家の三男であり、アイゼンハルト伯爵家への婿入りが決まっている。であれば隣の女性はアイゼンハルト伯爵令嬢かと思いきや、似ても似つかぬ別の女だった。
その女──ある男爵家に養子として迎えられた庶子の娘は、見目の良い男、もしくは自分より高位の男に擦り寄ることで噂になっている。
何度か話しかけられたこともあったが、不快だったので従者に任せて無視をしていた。
そんな女と親しげに、カールは一体何を話しているのだろうか。
柱の陰に隠れながら、会話が聞こえる位置まで近寄ることにした。
◇
「……フリーデリケ様が私に酷いことを言うんです。そんなこともわからないのか、って」
いかにも「勇気を振り絞りました」という素振りで、女は潤んだ瞳をカールに向けた。
「そうなのか!?」
「私も、私なりに頑張ってるのに……やっぱり元平民の娘なんて嫌われて当然ですよね……うぅっ……」
女はさらに憐憫を誘うように、ハンカチで目元を押さえながら俯いた。
「フリーデリケはしっかり者だからなぁ……」
カールは己の婚約者を思い出しているのか、女から視線を外し、校舎の方向を見つめていた。
そして少し照れたように頭を掻きながら女に向き直った。
「僕もよく叱られてるんだ」
苦笑交じりのカールに手応えを感じたのだろうか、女が悲壮な表情を作って両手を胸の前で握った。
「そんなっ……! カール様にも酷いことを言うなんて! 私なら──」
「でも、フリーデリケはすごいんだ! 言われた通りにやったら失敗しなくなったんだ!」
「え……?」
思いもよらぬ返答に、女の瞳から涙が消えた。
「だから君も! よくわからないと思うけどフリーデリケの言う通りにしてみるといいよ!」
カールは満足気に笑っている。
「あ、あの……? え……?」
失敗したことを悟った女は、引き攣った笑みを浮かべた。
「え、えっと、ありがとうございます。じゃあ、また……」
「うん、またな!」
◇
肩の震えが止まらない。
従者──乳兄弟に至っては腹を抱えてしゃがみ込んでいる。やはり女の対応を丸投げしたことで苦労をかけていたようだ。報われて何よりである。
護衛はさすがといったところか。
小さく「フッ」と息を吐く音は聞こえたものの、真剣な顔を保っている。
ぼんやりとしたカールがあの女の魔の手から逃れるどころか、撃退してみせるとは思ってもいなかった。彼が婚約者に向ける信頼度を見誤ったことがあの女の敗因だろう。
(……ああ、まずいな)
喜劇の鑑賞に夢中になっていたが、中庭から教室に戻るのであればこの場所を通るはずなのだ。つまり──
「あ! ヴァレリアン様!」
例の女が私を見つけて駆け寄ってくる。
護衛が女の前に立ちはだかると、従者がすかさず叱責した。
「いい加減になさい! 貴女がこの方のお名前を呼ぶことは許されません。無礼ですよ」
「そんな! 酷いっ!」
(酷いも何も、当たり前だろう)
女は悲劇のヒロイン気取りで身を震わせながらも、どうにか私に近寄ろうとしている。
「きゃあっ!!」
護衛の腕に阻まれた拍子に、女はバランスを崩し尻餅をついた。
「ヴァレリアン様ぁ……」
なおも気色悪い声音で名を呼ぶ女に、詰め寄ろうとする従者を片手で制した。
一歩踏み出した私に何を勘違いしたのか、女は期待で瞳を輝かせている。
常ならば甘やかな蜂蜜のようなアンバーの瞳は、群青の陰に塗りつぶされて絶対零度を帯びる。
「なぜ、この学園に猿がいるんだ」
女が息を呑む。
そのまま見つめていると、ガタガタと震え出した。
先程のわざとらしい震えより、余程出来がいい。是非とも今後の演技に活用してもらいたいものだ。
まあ、そんな機会はもう二度とないだろうが。
「いつまで道を塞いでいるつもりですか」
従者の声に女は「申し訳ありませんでした」と消え入りそうに言ってから、おぼつかない足取りで去っていった。
(くだらないな……)
女が消えた先の廊下を見つめていると、脇から気の抜けた声が聞こえた。
「あ……」
従妹殿の婚約者だった。
いつものように余所行きの笑みを浮かべる。
「やあ、ヴァイマン殿」
「ひぇ。ご、ご無沙汰しています、リヒテンシュタイン様」
カールの口から悲鳴が漏れた。本人は懸命に笑顔を浮かべているつもりだろうが、引き攣っておかしな顔になっている。
(相変わらず貴族らしくない男だ)
彼は落ち着きなく辺りを見回し、この場から逃げる理由を探しているように見える。
「その……申し訳ありませんが、次は移動教室でして……」
「そうだったのか、引き止めて悪かったね」
「で、では、失礼します……」
カールは足早に去っていった。
(ああ、そうだ)
私に怯えて距離を取る様は、以前見かけたモルモットという小動物にそっくりだった。
ちなみに後日確認したところ、やはり移動教室は嘘だったようだ。「うっかりしていた」などと言い訳をしているのを眺めていたら、フリーデリケに睨まれたのでそこでやめたが。
◇
「お前!! ピティをどこにやったんだ!!」
学園の食堂──高位貴族の利用が暗黙の了解となっているスペースで、あまり交流のない家の令息が婚約者の令嬢に詰め寄っていた。
「何の事ですの?」
令嬢は本気で訳がわからないといった様子で困惑している。
「お前が彼女を学園から追い出し、男爵家を潰したんだろう!!」
「いいえ。わたくしではございません」
「お前以外に誰がいると言うんだ!」
(うるさいなぁ)
久々に食堂に来てみれば、随分と騒がしいものだ。
「ヴァレリアン様、どうされますか?」
「そうだね、他所へ行こうか」
肩をすくめてそう答えれば、従者は心得たように先を歩き始めた。
せっかくだから、我が婚約者殿でも探してみようか。私は騒がしい食堂を後にした。
完
バックグラウンド処理された男爵令嬢ピティ。どんまい。
ピティの正式なフルネームは作者も知りません。




