決着
剥き出しの肌に、渦巻く力が牙を剥く。
皮膚が焼け、骨が軋み、息が詰まる。
殴られているのではない。
全身を、内側から握り潰されようとしているのだ。
それでも俺は足を止めない。
エルネスタの辛さは、きっと、俺とは比べ物にならないほど深いからだ。
背後でセラフィーネが何かを叫んでいるが、渦巻く風が声を千切って届かない。
彼女もリーネットも嵐の中へは踏み込めず、俺に全てが託されているのだ。
『来るな……来るな……ッ!』
エルネスタを蝕む声はそう繰り返すが、最初のような静かな響きはなくなっていた。
拒絶は悲鳴に変わりだし、どんどん強くなっていく。
しかし、俺には分かっていた。
ソレが発する力が強くなるほど——怯えている。
「大丈夫だ。俺は、あなたを傷つけに来たんじゃない」
一歩進むごとに、身体のどこかが悲鳴を上げる。
膝が震えだし、視界が滲んでいく。
『どうして……なぜ、退かない!』
力が渦を巻いて俺の行く手を阻む。
近付かれることそのものを恐れているのだ。
だが、俺は一歩、また一歩と風の壁を掻き分けるように、エルネスタへと距離を詰める。
頬を伝う涙が、もうはっきりと見えるじゃないか。もう少しだ。
「————ッ!」
最後の一歩を踏み込んだ瞬間、彼女を取り巻く魔力が爆ぜるように膨れ上がる。
視界が真っ白に灼け、全身の感覚が吹き飛ばされそうになる。
(男は、いつ何時も堂々と、毅然と全てを受け止めるべし)
俺は歯を食いしばり、腕を広げ、暴れ狂う力ごと——エルネスタを抱きしめた。
抑えつけはしない。
斬ったり殴ったりして無力化するのもダメだ。
俺はただ、彼女を腕の中へ包み込んだ。
それでも、溢れ出る魔力が俺の骨を軋ませる。
肩や腕に鋭い痛みが走り、思わず腕を解きそうになるが、どうにか食いしばる。
抱きしめた胸の奥で、彼女の心臓が早鐘のように鳴っているのが伝わってくるのだ。
「……もう、大丈夫です」
俺は耳元で囁く。
「辛かったですよね……」
腕の中で、彼女の身体がびくりと震えた。
『……なに、を……』
抵抗するように、彼女の力が俺の背をさらに締めつけた。
「聖女なんて重荷、一人で背負うのは大変すぎます。俺には分かります」
本心を言えば全然わからない。
そもそも俺は、エルネスタが「聖女としての重圧」に潰されそうになっていて力が暴走しているのだと思い込んでいるが、これがハズレている可能性もあるのだ。
しかし、それ以上のことは分かりようがない。
一か八かだとしても、進むしかない。
「エルネスタさんの中には不安があるんだと思います。でも もう心配しなくていいんです」
彼女が欲しているのは人の温もりなのだ。
俺は腕の力を緩めず、ただエルネスタを抱いて、その背をゆっくりと撫でた。
「……俺が全て受け止めてみせます。一人の寂しさは、身に染みてますから」
『————』
どれくらいの間、そうしていただろう。
牙を剥いていた力が少しずつ勢いを失っていき、行き場をなくした奔流が、彼女の内側へと戻り始めた。
『……あたた、かい……』
エルネスタのものでなかった声が、本来のものと重なっていく。
やがて、その鼓動は完全に一つのものになった。
崩れ落ちる彼女を抱きとめる腕は震えていた。
全身が重く、嵐に晒された肌は、あちこちが裂けて熱を持っている。
「……ぅ……」
腕の中で桃色の睫毛が震える。
伏せられていた瞼が持ち上がった。
エルネスタの瞳に、柔らかな光が戻っている。
「バージル……様……?」
彼女は何度か、俺の名を確かめるように繰り返す。
「おかえりなさい、エルネスタさん」
彼女は焦点の戻った目で辺りを見回した。
これが現実だと確かめるように。
そして、彼女の目から涙が溢れる。
「私……私……みなさんを傷つけて……」
「傷ついてませんよ。ほら、この通り」
軽く笑ってみせると、彼女は俺の胸へ顔を埋め、声を上げて泣いた。子供のようだった。
やがて落ち着いた彼女は、崩れた堂内へそっと目を向ける。
力に打ちのめされ、床へ伏したイスタロテ派の女たち。
「……あの方たちに、手当てを」
イスタロテが、こちらをじっと見ている。
信じられないものを見たような、しかし認めているような表情だ。
「……力を持っていても、それを使わずに事をおさめる、か。見事だ」
「あ、ありがとうございます」
思わず礼を言ってしまう。
そして、背後で剣を鞘へ納める音が聞こえた。
「私の剣では届かなかった。いや、届かせようとすること自体が間違いだったんだな
「いえ、セラフィーネさんがいなかったら、俺はとっくに切り刻まれてましたよ」
セラフィーネにいつもの調子で返すと、彼女は小さく笑い、すぐに眉を寄せた。
「……お前、その傷は」
「あぁ、これくらい、すぐ治りますよ」
痛みはもう引き始めている。
相変わらず、自分の身体ながら妙な回復力だ。
リーネットが涙を拭いながら駆け寄ってくる。
「バージルさん……! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫です! これぐらい朝飯前ですよ!」
リーネットは、へなへなとその場へ座り込んだ。
「よかった……本当に、よかったです……」
張り詰めていたものが切れたようだ。
何はともあれ、今度こそエルネスタを取り巻く陰謀を解決することができた。
「帰りましょう、マリエルさんの元へ」




