抵抗
光の中へ踏み込んだ瞬間、世界から音が消えたように感じた。
渦巻いていた輝きが凪ぎ、その中心に彼女はいた。
桃色の髪が重力を忘れたように広がっていき、白い法衣の裾が、風もないのに揺れている。
伏せられていた瞼が、ゆっくりと持ち上がった。
「……エルネスタ、さん?」
呼びかけてみるが、俺は続く言葉を失ってしまう。
いつもの柔らかな光がないのだ。
澄んでいるのに、どこまでも空虚な、硝子玉のような目だった。
俺を映してはいるが、俺を見てはいない。
『——見つけた』
何者かの声が、頭の中へ直接響いた。
彼女の唇はほとんど動いていない。抑揚や温度のない声。
エルネスタのものではない、別の何かの声だった。
「あんた……エルネスタさんを操ってるんだな」
問いかけると、宙の存在はわずかに首を傾げた。
言葉の意味を測りかねているように。
『器が……お前を、呼んでいたのだ』
器と言ったのか……?
意味を飲み込む前に、空気が一気に張り詰めた。
「バージル、下がれッ!」
背後でセラフィーネが叫ぶ。
次の瞬間、浮遊する彼女の周囲で白い光が膨れ上がった。
それは脈打つように収縮し、弾ける。
衝撃。目に見えない力の奔流が四方へ叩きつけられる。
俺は咄嗟に腕を交差させて受け止めたが、両足が石畳を削りながら後ろへ滑っていく。
「くっ……!」
斬撃でも打撃でもない、ただ純粋な圧。
防ぐという概念そのものが通用しないような、嵐に殴られているような感触。
背後から、逃げ遅れたであろうイスタロテ派の悲鳴が上がった。
崩れかけた壁が音を立てて崩れ落ちる。
「俺たち全員が敵ってことだよな……!」
セラフィーネが隣に立ち、剣を構える。
「エルネスタ殿! 正気に戻れ!」
鋭い刃が、迫る光の塊を薙いだ。
だが、手応えがないようだ。斬ったはずの光は水のように刃をすり抜け、そのまま彼女を弾き飛ばす。
「ぐうっ……!」
「セラフィーネさん!」
空中で身を捻り、辛うじて着地したセラフィーネの顔には、はっきりと焦りが浮かんでいた。
「……効かないか。斬った感触が、まるでない」
駆け寄ろうとして、俺は足を止めた。
柱の陰に身を寄せているリーネットさん。
彼女の頭上へ、崩れた瓦礫が落ちかけている。
「——リーネットさんッ!」
考えるより先に身体を動かす。
地を蹴り、彼女を抱えて転がった。
直後、俺たちがいた場所へ、石の塊が鈍い音を立てて叩きつけられた。
「だ、大丈夫ですか、バージルさん……!」
「俺は平気です。それより、怪我はありませんか!?」
「は、はい……ありがとうございます」
「ここは危険です。伏せていてください」
立ち上がり、セラフィーネと目を合わせる。
「バージル、合わせろ。私が隙を作る……これを使ってな」
そう告げたセラフィーネが持っていたのは——ルメリアの魔道具だ。
彼女はそれに魔力を注ぎ込み、剣に炎を纏わせた。
「——ハァッ!」
セラフィーネが斬り込み、光の意識を引きつける。
その隙を突いて、俺は反対側から回り込んだ。
(ここだけは魔力が薄い! これなら……!)
拳を握りながら、攻撃が届く距離まで一息に詰め、エルネスタを救うべく攻撃を——しかし、拳が彼女に触れる寸前、光が壁のように立ちはだかり、俺の腕を弾いてしまう。
骨まで痺れる衝撃が走り、たまらず距離を取る。
『……に、げ……て……』
脳に届いた声には、先ほどまでのような神々しさはなかった。
エルネスタを見る。硝子玉のような瞳。その端から、一筋の涙がこぼれ落ちている。
彼女が戻ってきたわけではない。
以前として感情のない顔をしているが、かすかに歪んでいた。
唇が、声にならない何かを必死に形づくろうとしている。
力に呑まれ、意識の底へ沈められてなお、彼女は俺を案じていた。
頭の芯が冷えた。
(俺は、何をしているんだ……)
拳で殴ろうとしていた。剣で斬り裂こうとしていた。
セラフィーネの作った隙を突いて、魔力の壁を破ろうとしていた。
だが、その壁の向こうにいるのは化け物ではない。
泣いているエルネスタ、そのものなのだ。
殴れば、斬れば、傷つくのは彼女なんだ。
「……セラフィーネさん。魔道具は、必要ありません」
剣を構え直そうとしていたセラフィーネの手が止まる。
「なに……? 今の一撃でも届かなかったんだぞ。威力を速度を上げなければ……」
「攻撃をするという考え方が間違ってたんです」
俺は握っていた拳をゆっくりと開き、力を込めるのをやめる。
嵐のような圧が、剥き出しの肌を容赦なく叩いていく。
「ば、バージル! 正気なのか!?」
「彼女は……彼女の中にいるのは、倒す相手じゃありません。エルネスタさんたちは、助けを求めてるだけなんです」
「だからと言って、丸腰で近づけば……!」
「大丈夫です」
俺は光の中心へ向かって、声を張った。
「エルネスタさん、聞こえてますか!」
返事はない。
ただ、渦巻く力が僅かに乱れた気がする。
「あなたが謝ることも、怯えることもない。俺は、あなたを迎えに来たんです!」
もう一度、涙が伝うのが見えた。
俺の言葉は届いている。
『……来るな』
俺が一歩踏み出すと、エルネスタではない声が言葉を発する。
しかし、それは震えていた。
拒むように。あるいは怯えるように。
力の奔流が勢いを緩める。
俺の無防備さを、どう扱えばいいのか分からないというように。
背後でセラフィーネが剣を下ろす音がした。
彼女は何も言わず、ただ俺の背中を見守っている。




