観察
俺たちは東の街道へ馬を駆けさせる。
王都を出て半日。舗装の切れた道は次第に細くなり、両脇の木々が鬱蒼と生い茂り始めた。
人の気配はとっくになくなっている。
「……こんな場所に、聖女様が」
馬上で、リーネットがぽつりと呟く。
「大丈夫です。必ず取り返しますから」
俺が言うと、リーネットは小さく頷いた。
その横顔は硬かったが、逃げ出そうとする素振りは微塵もない。
戦えないと分かっていて、それでも同行を選んだのだ。
その覚悟だけで十分に頼もしい。
先頭を行くセラフィーネが、ふと、手綱を引いて馬を止める。
「……この先だ。あまり近づけば、馬の足音で気づかれてしまう」
俺たちは馬を降り、木立の陰に身を潜めることにした。
クラリス率いる騎士の小隊も、音を立てずにそれに続く。訓練の行き届いた動きだ。
リーネットだけが少し息を切らしていたが、それでも遅れずについてきていた。
斜面をそっと登り、木々の切れ間から見下ろす。
そこに、目的の建物があった。
(あれが旧修道院か……)
石造りの大きな建物だった。
だが、その荘厳さはとうに失われている。
屋根の一部は崩れ落ち、蔦が壁を這い、窓は黒く口を開けていた。
かつて神を祀った場所が、今は別の何かの巣になっている。
妙なのは、その静けさだった。
これだけの木々に囲まれていながら、鳥の声ひとつしない。
まるで生き物が本能で、その場所を避けているかのようだった。
「……見張りがいますね」
隣で身を伏せたリーネットが小声で言う。
彼女の指さす先、正面の入り口に、二人の女が立っていた。
軽装で、腰に何かを提げている。
「正面はあの二人。裏手にも、たぶん同じくらいですかね……この造りなら、東側に古い勝手口があるはずです」
「よく分かるな」
「昔の修道院って、造りが似てるんですよ。案内人の頃、資料で見たことがあって」
リーネットは持参した紙に、さらさらと簡単な見取り図を描いていく。
外周、入り口、窓の位置。
限られた情報から建物の内側を組み立てていくようだ。
その手際に、クラリスすら感心したように頷いていた。
「大したものだ……セラフィーネ様、いかがなさいますか」
「そうだな」
セラフィーネは顎に手を当て、しばし考える。
「正面から堂々と行くのが、私の性には合っている。だが今回は、エルネスタ殿の身柄が最優先だ。バージル、お前はどう思う?」
「俺は……できるだけ静かに入るべきかと」
正直に答えた。
「相手を痛めつけたいわけじゃないんです。エルネスタさんを連れて、無事に帰れればそれでいいですから」
「ふっ、お前らしいな」
セラフィーネは小さく笑うと、小隊へ向き直り、低く告げた。
「いいかお前たち。今回の相手は盗賊ではない。イスタロテ派は、神殿を襲ってなお、一人も殺さなかった連中だ」
騎士たちの表情が引き締まる。
「ならば、こちらも無闇に命は奪うな。取り押さえるに留めろ…………できるな?」
「「はっ」」
殺し合いではなく、あくまで奪還が目的。
その線引きを、セラフィーネはきちんと引いていた。
彼女は強いだけじゃない。優秀な騎士でもある。
「……バージル。聞いておきたいことがある」
セラフィーネが声を潜めて俺に言った。
「なんですか?」
「もし、中で待っているのが……私の剣も、お前の拳も届かぬものだったら。お前は、どうする?」
神殿で感じた人の手に負えない気配。
ソレに対する危機感を抱いているのだ。
「……届くとか届かないとか、そういうのじゃないんです。エルネスタさんが苦しんでるなら、俺は彼女を受け止める。それだけです」
「……そうか」
セラフィーネは目を細めて笑った。
「愚問だったな。お前は強い。きっと、なんだってできる」
そうして作戦が決まった。
クラリスの小隊が正面で見張りの注意を引き、その隙に、俺とセラフィーネ、リーネットが東の勝手口から忍び込む。
リーネットは戦えないが、建物の中を誰よりも把握している。
案内役として、俺のそばを離れない手筈だ。
「よし、では——」
セラフィーネがそう言いかけた、その時だった。
ずん、と腹の底に響くような重い震動。
地面が意思を持ったように揺れる。
「……地震、ですか?」
「いや、違う」
セラフィーネの表情が、一瞬で険しくなった。
俺にも分かる。これは、地面から来たものじゃない。
旧修道院の建物の内側から、何かが漏れ出している。
見れば、崩れた屋根の隙間から、うっすらと白い光が滲み出していた。脈打つように明滅する光。
それが漏れるたび、肌がぴりぴりと痺れる。
神殿で感じた、あの重すぎる気配によく似ていた。
いや……あの時よりも、ずっと禍々しい。
正面の見張りの女たちも、異変に気づいて浮足立っている。
自分たちの拠点から漏れる光に、明らかに怯えていた。
「セラフィーネさん、悠長に構えてる場合じゃなさそうです」
「……あぁ。私も同感だ」
彼女は剣の柄を握りしめ、鋭く息を吐く。
「作戦変更だ、急ぐぞ。クラリス、予定通り正面を頼む。ただし無理はするな」
「承知しました……ご武運を」
クラリスが小隊を率い、音もなく斜面を回り込んでいく。
俺とセラフィーネ、リーネットは、東の勝手口を目指して駆け出した。
崩れかけた石壁に沿って、身を低くして進む。
白い光は近づくほどに強くなっていき、建物全体が、まるで巨大な心臓のように脈打っていた。
中から、くぐもった悲鳴のようなものが聞こえた気がした。
イスタロテ派の誰かか、それとも——考えるより先に、足が速まる。
勝手口は、リーネットの言った通りの場所にあった。
朽ちた木の扉。鍵は壊れている。
「……行きます」
俺は扉に手をかけた。
隙間から漏れる光が、指を白く照らした。




