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女性恐怖症を克服したおっさん、修行明けに貞操逆転異世界にブチ込まれる  作者: 歩く魚
女王/聖女

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52/61

驚き

 王都に戻ってから二日が過ぎた。


 マリエルから与えられた休息は、思っていたよりもずっと穏やかだった。

 

 朝は鳥の声で目を覚まし、セラフィーネの作った朝食を食べ、リーネットと他愛のない話をする。

 神殿にいた頃のような張り詰めた空気はどこにもない。

 

 あの重たい神気も、甘すぎた香も、今はもう遠い記憶のようだった。


「バージル、口の端にパンくずがついているぞ」

「え? あぁ、すみません」


 向かいのセラフィーネが当然のように手を伸ばしてくる。

 指先が頬をかすめて、俺は反射的に身を引いた。

 彼女は少しだけ不満そうに眉を寄せたが、すぐにいつもの涼しい顔へ戻る。


「逃げるな。妻が夫の世話を焼くのは自然なことだろう」

「ま、まだ返事はしてませんよ……その話」

「時間の問題だろう?」


 澄ました顔で言い切られると、こちらは苦笑するしかない。

 その隣では、リーネットが焼きたてのパンをちぎりながら、呆れたように肩をすくめていた。


「セラフィーネさん、最近ますます遠慮がなくなってませんか?」

「遠慮していては何も手に入らないからな。お前も学ぶといい」

「わ、私はそういうのは……ゆっくりでいいんです」


 顔をほんのり赤くしてリーネットが視線を落とす。

 誰かに命を狙われることもなく、無理に気を張ることもない。

 

 こんな時間を過ごしていいのかと、時々不安になるくらいには平和だった。


 だが——それも今日までだった。


 玄関の扉が乱暴に叩かれた。

 朝の空気を裂くような余裕のない音。

 俺たちは同時に顔を上げる。


「……この叩き方は、穏やかじゃないな」


 セラフィーネがすっと立ち上がり、腰の剣に手をかけた。

 俺も席を立って扉へ向かうと、彼女が先に出て、警戒しながら扉を開ける。

 

 そこに立っていたのは、見覚えのある女騎士だった。


「クラリスさん……?」


 神殿に向かう前、王城の門で俺たちを迎えてくれた騎士だ。

 隙のない立ち姿をしていた彼女が、今は肩で息をしている。

 額には汗が滲み、鎧のあちこちに土埃がついていた。


「セラフィーネ様、バージル殿。火急の報告です」


 膝をつくのも忘れて、彼女は早口で告げた。


「昨夜遅く、メルン神殿が襲撃を受けました。イスタロテ派です」

「……なんだと?」


 セラフィーネの声が一段低くなる。


「信者数名が負傷。幸い、命に別状のある者はおりません。ですが——」


 クラリスは一度言葉を切り、それから俺を見た。


「聖女エルネスタ様が、連れ去られました」


 その言葉が、頭の中で遅れて響く。

 エルネスタが連れ去られた。

 

「あ、諦めたんじゃ、なかったのか……」


 思わず、そう口にしていた。

 イスタロテ派は俺に負けて引き下がった。

 手ぶらで帰ると言って、部下を連れて去っていったはずだった。


(……いや、あいつは何て言ってた?)


 記憶を手繰る。イスタロテは「負けは負けだ」と笑って、それでも「今日のところは」と付け加えていた。

 

 あれが諦めの言葉ではなく、仕切り直すという宣言なのは理解できる。

 しかし、まさかこれほど早くに動き出すとは。

 

 そして、どうしても思い出してしまう。

 眠れない夜に、部屋を訪ねてきたエルネスタのことを。


 神の声は大きすぎて逃げ場がないと、すがるように俺の胸へ顔を埋めた彼女。あの時、彼女は確かに怯えていた。


 聖女なんていう大層な肩書きの奥で、一人の人間として、何かに追い詰められていたのだ。


 あの手を、振り払わなくてよかったと思っていた。

 今度は、こっちから手を伸ばす番だ。


「……行きましょう。エルネスタさんを、取り返しに」


 俺がそう言うと、セラフィーネは静かに頷いた。


「そう言うと思っていたよ。だが、バージル」


 彼女は剣から手を離し、腕を組む。


「これは、お前の私情だけで動いていい話じゃない」

「……どういう意味ですか?」

 

「聖女はメルン教の象徴だ。国の信仰の要と言ってもいい。その聖女が拐われたとなれば、これはもう一人の女性の問題ではなく、国家の問題になる」


 冷静な声だった。感情がないわけじゃない。

 むしろ、抑えているのが伝わってくる。


「勝手に飛び出せば、私たちはただの跳ねっ返りだ。だが陛下の名の下に動けば……」

「セラフィーネさんもバージルさんも、堂々と剣を抜けるわけですね」

 

「そういうことだ。故に、まずはマリエル様に話を通す」

「なるほど……」


 この世界の理屈は、未だに俺の肌には馴染まない。

 そもそも国の長と関わる機会なんてなかったからな。

 

 それでも、セラフィーネが筋を通そうとしているのは分かる。

 力任せに突っ込むだけが正解じゃないと、彼女は誰よりも知っているのだ。


 そこへ、リーネットがすっと顔を上げた。


「……あの。なら私、できることがあるかもしれません」

「リーネットさん?」

 

「イスタロテ派の足取りです。あれだけの人数で神殿を襲って、聖女様を連れて逃げたなら、痕跡は必ず残ってます。都市の外へ出るにしても、通れる道は限られてますし」


 その口調には、いつもの気弱さがなかった。

 俺の背中に隠れて震えていた案内人ではない。


「王直属の調査補佐って肩書き、こういう時にこそ使えると思うんです。都市案内人の頃の伝手も、まだ生きてますからっ!」


 胸を張るリーネットに、セラフィーネがふっと笑う。


「頼もしいな。昇進した甲斐があったじゃないか」

「も、もう……茶化さないでください!」


 顔を赤くしながらも、リーネットの目は真剣だ。

 この短い間に、彼女も確かに変わっている。


「決まりだな。私は陛下に上申して正式な許可を得る。リーネットは足取りを追え。バージルは——」

「俺は、いつでも動けるようにしておきます」

「あぁ。お前の拳と大剣、お前自身が一番の切り札だからな」


 セラフィーネは剣を鞘へ収め直すと、扉の外へ目をやった。

 空はよく晴れている。


「行くぞ。時間との勝負だ」


 俺たちは頷き合い、家を出た。


お久しぶりです。

完結していない作品をしっかり終わらせるため、これから定期的に投稿していきます!


評価ポイントをいただけるととても嬉しいので、お手数ですがよろしくお願いいたします!

作品作りにご協力いただけると幸いです!


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