終章 変わりゆく者達へ(2/2)
「族長の娘だからな」
そう言って彼女は騎士に笑いかけた。疲れ切っているだろうに、無理に笑顔など作ろうとするものだから口元が引き攣っているだけに見える。
不器用な笑顔。どこかで見たような、ヘタクソな笑顔。
血が繋がっていなくとも、種族が違えども。親子とは似通うものなのだ。
「あ」
何かに気づいたようにユウが声をあげた。
「ディナちゃん、腕につけてたやつは……」
ふとした拍子に捲れた袖、そこにあるべき物が見当たらない。
まさか、昨日切れてしまったのか。そう懸念したユウにディナは頭を振った。
「あれが最後の一本になっちまったからな。無くさないようにしまってあるのさ。あのクソ親父、ドケチだから形に残るもんはあれぐらいしかくれなかった。だから、ただ一つの形見だよ」
そう言って、手荷物の麻袋をポンっと叩いてみせる。そこにあの組紐が入っているのだろう。
「そっか……」
たとえ形に残らずとも、きっと彼女は多くのものをもらったのだろう。その表情にもう悲嘆はない。
過去を嘆き、足踏みするのは昨日だけ。進むのだ。生きている限り、人も狼人族も歩み続ける他ないのだから。
「――さぁ、こっから忙しくなるぜ。早く行こう。皆!いつでも出発できる準備をして待っててくれよ!この場所ともお別れだ」
そう言って声をかけるディナは、自分自身にそう言い聞かせているようだった。
移住が終われば、もうここに来ることはないだろう。父の墓前に立つこともない。墓参りなんて柄じゃない。
どこにいたって世界は繋がっている。誰だって自然と共にある。断ち切れぬ絆で結ばれている以上、どこであろうと祈りは届くだろう。
「じゃあ皆、ちょっと待っててなぁ!」
そう言って踵を返そうとしたユウの視界の端に、小さな影が映った。
「シェサ……」
ユウが名を呼ぶと、その小さな狼人族はおずおずと母親の足元から顔を覗かせた。
その顔には、あの宴の夜にはなかった怯えが浮かんでいる。あのようなことがあったのだ、当然だろう。
「……うちのこと、怖い?」
「……………」
シェサは少しの間を置いてから、ふるふると首を振った。
そして、ゆっくりと母親の陰から姿を現した。
ディナ以外の人間を知らなかった彼女。宴の日に、初めてディナ以外の人間を知った。人間は怖くない、そう思った。
だが、それは最悪の形で裏切られた。まだ幼い彼女の精神に、昨日の出来事がどれほどの傷を残したのだろうか。
「……ユウは、怖くない。だって、同じ毛の色をしてるから」
「……そっか」
つまり、ユウ以外の人間は怖いということ。実際に彼女はレイとセラには目を合わせようとしない。
そんな彼女には、これからの生活は辛いものとなるだろう。
「人間にも、いっぱいおるからなぁ。良い人もいれば悪い人もいる。だから……人間皆があんな怖い人ばっかりやないって思わんでくれると、嬉しいな」
「……………」
シェサは頷くことも拒絶することもなかった。彼女にも、時間が必要だ。
アー……
二人の間に降りた沈黙を、気の抜けるような鳴き声が通り過ぎた。
「……んふ」
どちらからともなく、笑いが漏れた。
しばし笑い合う二人。これからどんな困難が待ち受けていようとも、きっと、この人間の友人と共にならシェサは大丈夫。
昨日は慟哭が響いていたのと同じ空に、子供らの笑い声が響いた時、それを聴く大人達はそう思った。
失われたものもあれば、新しく生まれるものもある。この友情が、そうだろう。
彼女らの交わした笑顔が、娘が父の死に流した涙が、これからの人間と狼人族の未来を照らさんことを――。
うー……あうあー……
二人が笑っていることが嬉しいのか、それとも笑われていることに抗議しているのか。足元でぴょんぴょんと飛び跳ねるさくらもちをユウがわっしと捕まえる。
「ふふ、どうしたさくらもち。笑ってごめんてー」
あうー、うお……
まだ何か言いたそうにもごもごと口に相当する穴を動かす薄桃色のスライム。
「んー?」
ユウとシェサの二人が興味深げに覗き込む。二人が仲良くなったきっかけはさくらもちだった。そう考えると、このスライムの為した功績はとても大きいのかもしれない。
その淡く、優しい色。それにユウは花の名を冠した菓子の名前のつけた。その花は、ユウの元いた世界では出会いと別れの季節の象徴である。
うお、うおわ……
そして、とうとう――
「うおは……ご……ごはん!」
「「……え」」
そのスライムが発した音の意味を、頭で咀嚼すること、数秒。
「「うわあああ!さくらもちが喋ったあああああッ!?」」
「ごはん!ごはん!」
ユウ達だけでなく、周囲の大人達もそのあり得ざる事象に我が耳を疑った。
「嘘でしょ……スライムが喋るなんて……」
さしものセラも物憂げではいられず、驚愕に目を見開いていた。
人に近づいて体当たりするだけだった半透明の塊が、今では明らかな意思を持ち、言葉を介すまでになった。
それは勇者の力によるものなのだろうか、それとも本来スライムが持ちうる能力なのか。それは分からない。なぜなら、今まで誰一人としてスライムに愛情を注ごうなどと考えた人間はいなかったのだから。
確かなのは、この奇跡はユウとさくらもちが互いに思いやり、歩み寄ったからこそのものだということ。言葉は相手に自分の意思を伝えるもの。もっと相手に自分のことを知ってもらいたい。もっと相手のことを聞き出したい。そんな相互理解の第一歩こそが会話である。その想いが、彼女(?)を変えたのだ。
「そうかそうか!ごはんか!」
魔力を込めた手の平でさくらもちを撫でまわすユウ。その腕の中で満足気に身を震わすさくらもち。
似ても似つかぬ容姿の一人と一匹が、ここまで親しくなれるのなら、似通った姿の人間と狼人族が親密になることなど容易いことなのかもしれない。
少なくとも、このスライムは物言わぬ自然現象からここまで変化を遂げた。変わったのは物理的な形状だけではあるまい。
魔物にできて、人間と魔族にそれができない道理はない。心ある者はすべからく変われるのだ。
〈世界を救う者〉、勇者ユウ。
彼女が与えたものは、可能性などという大仰なものなのではなく、ただほんの些細な“きっかけ”に過ぎないのかもしれない。
その些細なきっかけが、やがて世界を大きく変える。否、彼女の手を取って自ら変わろうと願った者が世界を変える。
彼女は、変わろうと願う勇者達のきっかけに過ぎないのだ。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
書き溜め分を消化しきったので当分の間連載をお休みします。
詳しくは後程活動報告に書きますので、興味がある方はご一読下さい。
『宥和の勇者Ⅲ -花色の妹分-』(仮)は投稿日未定です。