講和の使節
建国紀元二十六年、ケルネリアとエスロディアの間で講和交渉が始まった。
戦争は三年近く続いていたが、両国とも決定的な勝利を得られずにいた。
カレント地方の国境線は何度も動いたものの、主要な都市や城砦の多くは、戦争前と同じ勢力の支配下にあった。
一方、戦費は増え続けていた。
商人たちは通行税の引き上げに不満を募らせ、農民たちは軍への食糧供出を嫌った。
アルベリクは、講和使節団にセヴェルを加えた。
「おまえには、通行権と商業特許の問題を扱ってもらう」
国王が言った。
「軍事のことは、ほかの者に任せればよい」
セヴェルは頭を下げた。
「承知いたしました」
「それから、フォルケン領の問題もだ」
セヴェルは顔を上げた。
「領主の処遇でしょうか」
「そうだ。あの領主を罰すれば、ほかの小領邦が不安になる。罰しなければ、王命に背いてもよいという前例になる」
「難しい問題です」
「難しいから、おまえに任せる」
アルベリクは少し笑った。
「ポルタの事件を最初に調べたのは、おまえだからな」
セヴェルが退出しかけたとき、国王はもう一度呼び止めた。
「ポルタの仲介人については、まだ何も分からんのか」
「本人の行方はつかめておりません。ただ、エスロディアの国境監察所に出入りしていた商人の中に、仲介人と取引のあった者がいることが分かりました」
「エスロディアが命じたという証拠は」
「ありません。ですが、あの命令書の作り方を知っていた者が、国境の向こうにもいた可能性があります」
アルベリクは眉をひそめた。
「戦争の発端が、敵国の工作だったかもしれんということか」
「その疑いがあります」
「講和の席で確かめろ。ただし、証拠もなしに王命だったと決めつけるな」
「承知しております」
*
講和交渉は、カレント川沿いの小都市で行われた。
両国の使節団は、川を挟んだ別々の宿舎に滞在し、毎朝、橋の中央にある会議所へ集まった。
セヴェルが最初に顔を合わせたエスロディアの外交官は、四十代半ばの男だった。
男は丁寧に挨拶し、ケルネリアの言葉を流暢に話した。
「セヴェル殿。あなたのお名前は、以前から存じております」
「どこでお聞きになったのでしょう」
「ポルタの事件です。あの事件以来、ケルネリアの通行制度が大きく変わったと聞いています」
「必要な改革でした」
「そうでしょう。しかし、われわれの商人には、ずいぶん不便になりました」
セヴェルは眉をひそめた。
「不正な通行を防ぐためです」
「不正かどうかを確かめるために、正当な商人まで待たせるのですか」
「確認が必要な場合は、そうなります」
外交官は微笑んだ。
「それでは、商人は別の道を探すでしょう」
「不正な道を、ですか」
「便利な道を、です」
セヴェルは答えなかった。
外交官は続けた。
「ケルネリアの王は、自国の安全を守ろうとしている。それは理解できます。しかし、われわれの商人にとっては、昨日まで通れた道が、今日は通れなくなったという話なのです」
「エスロディアも、国境の通行を制限しているでしょう」
「もちろんです」
外交官はあっさり認めた。
「だからこそ、互いに何を認め、何を認めないかを決める必要があるのです」
*
交渉は長引いた。
国境線については比較的早く合意が成立したが、通行権と商業特許の問題は難航した。
ケルネリアは、王国の正式な確認を受けた証文だけを認めるよう求めた。
エスロディアは、古くからの商業特許を一方的に無効にすることに反対した。
フォルケン領の処遇についても、両国の意見は分かれた。
セヴェルは、何度も文書を書き直した。
さらに、ポルタの軍需物資搬出事件をめぐって、両国の使節団は対立した。
ケルネリア側は、仲介人がエスロディアの国境監察所に関係する商人と接触していたことを示す証言を提出し、関係者の調査と身柄の引き渡しを求めた。
エスロディア側は、国境監察所には多くの商人が出入りしており、商人同士の取引をもって王国の関与を論じることはできないと反論した。
ある日の会議で、セヴェルは外交官に尋ねた。
「貴国の国境監察所では、他国の命令書や官吏の異動についても調べているそうですね」
「交易を行う以上、相手国の制度を知る必要はあります」
「ポルタの命令書が、どのように作られたかもご存じだったのではありませんか」
外交官は表情を変えなかった。
「そのような報告は受けておりません」
「では、監察所の関係者を調べていただきたい」
「調査には応じましょう。しかし、貴国で発行された命令書について、まず責任を負うのは貴国の役所ではありませんか」
セヴェルはすぐには答えなかった。
「わが国の制度に欠陥があったことは認めます。しかし、その欠陥を知りながら利用した者がいるなら、別の問題です」
「その者がエスロディアの臣民であれば、わが国の法に従って調べることになります。ただし、王国が命じたという非難は受け入れられません」
外交官は、机の上の証言書に目を落とした。
「セヴェル殿。仮に、どこかの商人が貴国の命令書を悪用したとして、その者が戦争まで望んでいたとお考えですか」
「それは分かりません」
「われわれも、この戦争で多くを失いました」
セヴェルは証言書を引き寄せた。
相手の言葉が事実かどうか、確かめる術はなかった。
結局、エスロディアは監察所に関係する商人の調査に応じ、両国は新たな証拠が得られた場合には相互に照会することで合意した。
しかし、ポルタ事件へのエスロディア王国の関与については、いずれの主張も条約には記されなかった。
*
ある夜、彼は宿舎の机に向かい、講和条約の草案を読んでいた。
通行証の相互承認、軍需物資の搬出、国境での検査、緊急時の例外。
どれも必要な条項だった。しかし、例外を認めれば、そこを利用される可能性がある。
例外を認めなければ、戦争や災害の際に必要な物資が届かなくなる。
とりわけ難しいのは、古い証書の扱いだった。
エスロディア側は、戦争前に認められていた商業特許を引き続き有効とするよう求めていた。
ケルネリア側は、それらの証書の中に、すでに権限を失った官吏や領主の名で発行されたものが含まれていることを問題にしていた。
古い証書をすべて無効にすれば、長年交易を続けてきた商人たちが困る。
だが、古い証書を無条件に認めれば、ポルタの事件と同じように、失われた権限がいつまでも効力を持ち続けることになる。
セヴェルは筆を置いた。
ポルタでマティアスが言った言葉を思い出した。
──その例外を、また誰かが使うかもしれんぞ。
あのとき、自分は答えられなかった。
いまも、答えは見つかっていない。
翌朝、セヴェルはエスロディアの外交官に新しい案を示した。
「戦争前に発行された商業特許は、原則として認めることにしましょう。ただし、国境を通る際には、それぞれの国の定めた手続きに従っていただきます」
外交官は文書を読んだ。
「つまり、ケルネリアの役人が、われわれの商人の証書を調べるということですな」
「そうです。証書が有効であること、通行しようとする者がその権利を持っていることを確認します」
「昨日まで通れた商人が、明日は通れなくなるかもしれませんな」
「証書の期限が切れていたり、すでに失効していたりすれば、そうなります。ただし、古いという理由だけで無効にはしません」
外交官は少し考えた。
「わが国でも、ケルネリアの商人に同じことを求めてよろしいのですね」
「もちろんです」
「それなら、互いに不公平はありません。ただ、検査に何日もかかるようでは困ります」
「検査の手続きと、必要な証書の種類をあらかじめ定めましょう。商人が国境に来てから、役人が勝手に条件を増やすことのないように」
外交官は筆を取り、草案の余白に何かを書き加えた。
「その条件なら、合意できそうです」
セヴェルはもう一枚の文書を差し出した。
「それから、緊急時の例外についても提案があります」
「まだ何かあるのですか」
外交官は顔を上げた。
「例外は残します。ただし、例外を使った場合には、その国の役所が、誰の判断で、何を認めたのかを記録することにしましょう」
「記録に残せば、不正は防げますか」
「防げるとは限りません」
「では、なぜ」
「少なくとも、何が起きたかを後から調べることができます」
外交官はしばらく考えた。
「それなら、われわれにも利益があります」
彼は筆を取った。
「この条項については、合意できそうです」
*
講和条約は、秋の初めに調印された。
両国はカレント地方から軍の一部を撤退させ、国境の通行と交易を再開することになった。
フォルケン領は、ケルネリアへの臣従を維持しながら、従来の自治権の一部を認められた。
軍需物資の返還問題については、補償金の支払いによって決着した。
ルーデンの運んだ鉄も、その一部はすでに農具や馬具に加工されており、すべてを元の形で返すことはできなかった。
講和の成立後、セヴェルは王都へ戻った。
アルベリクは条約を読み、頷いた。
「よくまとめた」
「ありがとうございます」
「これで戦争は終わるか」
セヴェルは少し考えた。
「少なくとも、今の戦争は終わると思います」
国王は笑った。
「慎重な答えだな」
「ポルタ以来、慎重になりました」
セヴェルは持参したもう一通の文書を差し出した。
「陛下、条約の履行について、一つお願いがございます」
「何だ」
「講和条約によって、わが国は今後、外国の商人が持ち込む証書についても、有効性を確認することになりました。しかし、国内の証書や命令書についてさえ、記録は各地の役所に分かれております」
アルベリクは文書を開いた。
「それを改めたいということか」
「はい。ポルタの事件では、命令書と役所の記録が一致していたために、不正を見抜けませんでした。また、退任した官吏の権限が失われたことも、すべての役所に行き渡っていたわけではありません」
「レヴォカ法を定めたではないか」
「法律を定めても、各地の役所が同じ記録を持っていなければ、確認の結果が食い違います。ある役所では失効した証書が、別の役所ではまだ有効とされることもあり得ます」
国王は文書の続きを読んだ。
「官吏の任免、命令書の発行、証書の失効を一元的に記録する役所を設けたいということか」
「はい。レジストラという名称を考えております。各地の記録を集め、必要なときに照合できるようにします」
「新しい役所をつくれば、金も人も要るぞ」
「承知しております。ただ、記録を集めるだけでは十分ではありません。ポルタでは、最初に提出された書類と、修正されて正式に発行された命令書の内容が違っていたにもかかわらず、最初の確認がそのまま引き継がれていました」
アルベリクは顔を上げた。
「そのようなことが、また起きないようにするのだな」
「はい。誰がいつ記録を作り、何を変更したのかを残し、内容が変わった場合には必要な確認をやり直す仕組みも設けたいと考えております」
「地方の役所が反対するだろうな。自分たちの記録を王都に握られることになる」
「すべての判断を王都で行うわけではありません。地方の役所には従来の権限を残します。ただし、証書や命令の有効性を確かめる際には、同じ記録に基づいて判断できるようにします」
アルベリクはしばらく考えていた。
「よかろう。まず王都に置け。地方の役所との関係は、法務官たちと詰めるがよい」
「ありがとうございます」
アルベリクは文書を閉じた。
「講和が成立しても、片づけねばならん仕事は多いな」
窓の外では、秋の雨が降り始めていた。




