↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
境界年代記  作者: 灰神楽ねこ
第一の書 諸王国の成立

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/8

カレントの戦い

建国紀元二十四年の春、ケルネリア王国はカレント地方へ軍を派遣した。

国王アルベリクは、フォルケン領主の反抗を鎮め、王国の軍需物資を回収することを目的としていた。


しかし、エスロディアもまた軍を動かしていた。

エスロディアの宮廷では、ケルネリアがカレント川の渡河地点を完全に支配することを警戒していた。

カレント川は両国の交易路を結ぶ重要な河川であり、その橋と浅瀬を押さえる者は、東西の商人の往来を左右できた。


ケルネリア軍がカレント地方へ進むと、エスロディアはフォルケン領の自治権を守るという名目で国境に兵を集めた。

ケルネリア側も増援を送り、双方の斥候が川沿いで衝突するようになった。

フォルケン領主への処分をめぐる争いは、両王国の軍が直接向き合う事態へと変わっていた。


ケルネリアの将軍フェルセインは、春の終わりにカレント地方へ到着した。

彼が率いる軍は歩兵を中心とし、騎兵と弓兵を合わせて約八千人だった。

フェルセインは長年、王国の西方で領邦の反乱を鎮めてきた軍人である。軍の規律には厳しかったが、兵の食糧と靴の状態を確かめることを欠かさなかった。

彼は最初に渡河地点を調べた。

カレント川には、軍が渡れる場所が三つあった。

中央には石造りの橋があり、北には浅瀬、南には古い渡し場がある。

フェルセインは中央の橋を守り、南の渡し場にも部隊を置いた。

北の浅瀬は川幅が広く、春の増水で渡河が難しいと考えられていた。

「敵が来るなら南だ」

フェルセインは幕僚たちに言った。

「中央の橋は狭すぎる。大軍を渡すには時間がかかる。南なら騎兵も通れる」

若い副官が尋ねた。

「北の浅瀬はいかがでしょう」

「増水している。馬の腹まで水が来る。あそこを渡るには、相当な準備がいる」

フェルセインは地図に指を置いた。

「ただし、敵が準備をしていないとは限らん。偵察は続けろ」


*


エスロディア軍を率いるスプーフェンは、カレント川の東岸に陣を置いていた。

彼はケルネリア軍の配置を調べ、中央の橋と南の渡し場が厳重に守られていることを知った。

「北は?」

副官が答えた。

「浅瀬がありますが、増水しています」

「渡れないのか」

「歩兵なら難しいでしょう。騎兵も危険です」

スプーフェンは地図を見た。

「橋を作ればよい」

副官は驚いた。

「敵の目の前でですか」

「目の前ではない。敵が南を見ている間に作る」


スプーフェンは、北の浅瀬の上流で舟を集め、木材を運ぶよう命じた。

同時に、南の渡し場へ小部隊を派遣し、連日のように偵察と小競り合いを繰り返させた。

ケルネリア軍は南方の警戒を強めた。


「予想どおりだな」

フェルセインは地図の南側を指した。

「敵はここから渡河するつもりだ。南の守りを固めろ」

「北の予備兵力を南へ回しますか」

副官が尋ねた。

「半数を移せ。残りは北方の渡河地点を守らせる」

「北方から攻められた場合は」

「そのときは予備隊を戻す。だが、いま兵を遊ばせておくわけにはいかん」

副官はうなずき、命令を伝えるために席を立った。


南倉庫の事件を受けて導入された新しい軍令では、一定規模以上の兵力を別の指揮官のもとへ移す際、命令の発行と受領を確認し、記録することが義務づけられていた。

軍営には王都から監督官が派遣されており、南方への予備隊の移動についても、一日かけて準備と手続きを済ませてから実行した。


*


三日後、北の浅瀬の上流で、大量の木材が運ばれていることが確認された。

フェルセインは報告を聞くと、即座に北へ予備隊を戻すように命じた。

ところが、南方の指揮官から、兵を引き渡すという確認が届くのが遅れた。

フェルセインの指示を受けた監督官は、確認が届くまで兵力の移管を認めなかった。監督官は緊急時であっても手続きを省略できないと主張した。


「確認が済んでおりません」

監督官がそう言うと、フェルセインは顔を上げた。

「敵が橋を作っている」

「承知しております」

「ならば、兵を動かす」

「規則では、王国軍の主力を移動させる場合、命令の発行と受領を確認する必要があります」

「命令を出したのはわしだ」

「その点は疑っておりません」

「では何を疑っている」

監督官は困った顔をした。

「手続きが完了していないのです」

フェルセインは机を叩いた。

「敵は手続きを待ってくれん!」


監督官は黙りこんだ。

フェルセインはしばらく相手を見つめたあと、声を落とした。

「分かった。確認を急げ」


監督官が退出すると、フェルセインは副官を呼んだ。

「北の浅瀬へ騎兵を二百送れ」

「主力は?」

「確認が済むまで動かせん」

「しかし」

「二百なら、現地の警戒部隊の増強として扱える。規則の範囲内だ」

副官は頷いた。

フェルセインは地図に目を落とした。

「間に合えばよいが」


*


スプーフェンの軍が北の浅瀬を渡り始めたのは、その翌朝だった。

夜のうちに舟橋が完成し、歩兵が次々と川を渡った。ケルネリアの騎兵二百は浅瀬の西岸で抵抗したが、数で勝る敵軍を止めることはできなかった。


フェルセインが主力を北へ動かしたときには、エスロディア軍はすでに橋頭堡を確保していた。

戦いは昼過ぎまで続いた。

ケルネリア軍は街道で敵を迎え撃ったが、南方に配置されていた部隊の合流が遅れた。スプーフェンはその隙を突き、騎兵を西方へ回り込ませた。

フェルセインは包囲される危険を悟った。

「退くぞ」

副官が驚いた。

「まだ中央の橋は守れます」

「橋を守って軍を失うつもりか」

「王都からは、渡河地点を死守せよと」

「王都はここにいない」

フェルセインは短く答えた。

「軍を残せば、また戦える」

ケルネリア軍は秩序を保ちながら西へ撤退した。

スプーフェンは追撃を命じたが、フェルセインが後衛に残した歩兵が街道の狭い場所を守り、追撃は思うように進まなかった。


夕方、スプーフェンは追撃を中止した。

彼はカレント川の西岸に立ち、遠ざかるケルネリア軍の旗を見送った。

「勝ちましたな」

副官が言った。

「そうだな」

「敵は退却しました」

「だが、軍は残った」

スプーフェンは川の向こうを見た。

「次は、もっと難しくなる」


*


フェルセインが王都へ戻ったのは、夏の初めだった。

彼は敗北の責任を問われた。王国の軍令に従わず、中央の橋を放棄したことが問題とされたのである。

フェルセインは、王の前で弁明した。

「橋を守れば、軍は失われておりました」

アルベリクは尋ねた。

「なぜ、北へ兵を動かすのが遅れた」

「確認の手続きがありました」

「おまえは、それを守ったのか」

「守りました」

「それで負けたのか」

フェルセインは少し考えた。

「それだけではありません。敵の動きを見誤ったのも、私の責任です」

アルベリクは黙っていた。

「しかし、敵が北へ渡ると分かったとき、すぐに主力を動かせていれば、結果は違ったかもしれません」

「規則を守ったために、敵に遅れを取ったというのだな」

「はい」

「では、規則をなくせばよいのか」

「いいえ」

フェルセインは首を横に振った。

「規則がなければ、偽の命令で軍を動かされるかもしれません。ですが、規則があるために軍を動かせないのなら、それもまた敵に利用されます」

アルベリクは椅子にもたれた。

「難しいものだな」

「戦場は、いつもそうです」


国王はしばらく考えた。

「フェルセイン。おまえには、しばらく王都に残ってもらう」

「処罰でしょうか」

「それは後で決める」

アルベリクは机の上の軍令を指した。

「まず、この規則を作り直す」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。