消えた荷車
オスカーが最初に訪ねたのは、ポルタの南門から半里ほど離れたところにある馬車宿だった。
街道沿いに厩舎と宿屋を兼ねた建物があり、荷車の御者たちはそこで馬を休ませ、車輪を修理し、次の宿場までの道の様子を聞いた。
宿の主人は、オスカーが差し出した銀貨を見てから、帳面を開いた。
「灰色の外套の商人か。鉄を運んでいた男なら、覚えているよ」
「いつ来た」
「先月の十三日だ。昼過ぎだった」
「荷車は何台だ」
「二台」
「どこへ向かった」
「東の街道だ。カレントの川の方へ」
オスカーは顔を上げた。
「カレントへ?」
「ああ。川沿いの道を通ると言っていた」
「西の軍営へ向かうとは聞かなかったか」
「いや。御者の一人が、カレントまでの道の様子を尋ねてきたんだ。だから覚えている」
カレント川の流域は、ケルネリア王国と、その東に位置するエスロディア王国の勢力が接する地域だった。
両国は建国以来、国境の領有権や交易路をめぐって争ってきたが、川沿いには古くからの自治権を維持する小領邦も残っていた。
オスカーは銀貨をもう一枚置いた。
「御者の名前は分かるか」
主人は帳面をめくった。
「いつもの連中だ。名前もある」
「いつもの連中?」
「東の丘陵から鉄を運ぶ御者だよ。昔から来ている。父親の代からだ」
「ルーデンの父親か」
「そうだ。ヨナスのところの御者だった男だ」
オスカーは少し考えた。
「その御者に会えるか」
「一人は今朝、北へ出た。もう一人は町にいるはずだ」
主人は宿の裏手を指した。
「馬具屋の隣に住んでいる。夕方なら帰ってくるだろう」
オスカーは礼を言って立ち上がった。
外へ出ると、マティアスが荷車の脇で待っていた。 「どうだった」
「カレントへ向かったそうだ」
「カレント?」
「西の軍営へ運ぶはずの鉄だ。行き先が違う」
マティアスは顎を撫でた。
「それで、どこまで追うつもりだ」
「まずは御者に話を聞く。あの二台がどこへ行ったのか、確かめたい」
二人は道を歩き始めた。
「しかし、どうしてわしまで来なければならんのだ」
マティアスが言った。
「おまえさんは、あの商人の顔を知っている」
「顔を知っているだけだ」
「それで十分だ」
「わしはもう、若いころのようには歩けんぞ」
「今日は町の中だけだ」
オスカーはそう言ったが、その日の夕方には、二人ともすっかり疲れていた。
御者の家は見つかったものの、本人は留守だった。隣人によれば、数日前にカレント方面へ荷を運びに出たという。
マティアスは道端の石に腰を下ろした。
「結局、何も分からんではないか」
「カレントへ向かったことは分かった」
「それだけか」
「それだけでも、朝よりはましだ」
オスカーは水袋を差し出した。
マティアスは一口飲んだ。
「おまえさん、どうしてそこまで気にする」
「何を」
「鉄だよ。王国のものだろう。王国が調べればいい」
オスカーはしばらく黙っていた。
「倉庫の鍵を預かって十七年になる」
「知っている」
「その間、一度も大きな盗難はなかった。帳簿の数字が合わないことはあっても、調べれば理由が分かった。荷を出した者も、受け取った者も、必ずどこかに記録があった」
「今回も記録はあった」
「だから腹が立つんだ」
オスカーは道の向こうを見た。
「記録があるのに、誰が出したか分からん。鍵を開けた者も、荷を渡した者も、みんな規則どおりに働いている。それなのに、鉄がなくなった」
マティアスは水袋の栓を閉めた。
「わしも、あの男を通した」
「知っている」
「証文は本物だった」
「それも知っている」
「今でも、あの場に戻れば通すと思う」
オスカーは答えなかった。
二人はしばらく、夕方の街道を行き交う荷車を眺めていた。
*
ルーデンが見つかったのは、それから十日後だった。
場所はカレント地方の南部、フォルケン領の市場町である。
オスカーは、王国の調査許可を得て現地へ向かっていた。マティアスはポルタに残ったが、古い商人組合の知人を通じて、ルーデンの取引先をいくつか調べていた。
市場町の鍛冶屋で、オスカーは南倉庫の刻印がある鉄の棒を見つけた。
「これはどこで買った」
鍛冶屋は不審そうな顔をした。
「何の用だ」
「ポルタの南倉庫から出た鉄だ」
「だから何だ。盗品だとでも言うのか」
「そうかもしれん」
鍛冶屋は火箸を置いた。
「待ってくれ。俺はちゃんと代金を払ったぞ」
「誰に」
「城砦の納入商人だ。領主の許可もあった」
「その商人の名は」
「ルーデン」
オスカーは息を吐いた。
「どこにいる」
「宿屋だろう。まだ代金の残りを受け取っていないと、昨日も文句を言っていた」
ルーデンは市場町の宿屋の二階にいた。
オスカーが部屋を訪ねると、男は窓際の机で帳簿をつけていた。灰色の外套は椅子の背に掛けられていた。
「ルーデンだな」
男は顔を上げた。
「そうですが」
「ポルタの南倉庫から鉄を運んだな」
「運びました」
「その鉄は王国軍のものだ」
「承知しています」
オスカーは一瞬、言葉を失った。
「承知している?」
「王国の命令書がありましたから。軍の物資を移送する仕事だと聞いています」
「誰から聞いた」
「仲介人です」
「名前は」
ルーデンは帳簿をめくり、一枚の紙を差し出した。そこには取引の条件と仲介人の署名が記されていた。
オスカーは読んだが、知らない名前だった。
「この男はどこにいる」
「それを私も知りたいんです」
ルーデンは椅子から立ち上がった。
「運賃の半分がまだ支払われていません。荷は全部届けたのに、仲介人が姿を見せない」
「荷はどこへ届けた」
「フォルケン領主の城砦です」
「なぜ城砦へ」
「途中で受領先が変更されたからです」
「誰が変更した」
「仲介人から新しい命令書が届きました」
「その命令書はどこにある」
「城砦の役所に提出しました。受領の証文があります」
「見せてくれ」
ルーデンは帳簿の下から証文を取り出した。オスカーは受領の日付と城砦の印章を確かめ、紙を返した。
「この仲介人とは、以前から取引があったのか」
「いいえ。今回が初めてです」
「どこで知り合った」
「父の代から付き合いのある商人に紹介されました」
「その商人の名は」
ルーデンが答えると、オスカーは手帳に書き留めた。
「仲介人は、荷がフォルケンへ着いたことを知っているのか」
「知っているはずです。城砦に届けたら残りの運賃を払うと言っていました」
「最後に会ったのはいつだ」
「ポルタを出る前です。行き先が変わったときは、使いの者が命令書を持ってきました」
「その使いの顔は覚えているか」
「ええ。若い男でした。名前は聞いていません」
「その男にも会ったのは初めてか」
「そうです」
オスカーは額を押さえた。
「おまえさんは、何もおかしいと思わなかったのか」
ルーデンは不愉快そうな顔をした。
「何がおかしいんです」
「その命令書を出した役人は、三年前に辞めている」
「初耳です」
「王国の鉄が、許可なく運ばれたんだぞ」
「私は許可があると思って運んだんです」
「誰が許可した」
「命令書に書いてあったでしょう!」
ルーデンは声を荒らげた。
オスカーも言い返そうとしたが、口を閉じた。
ルーデンはしばらく息を荒くしていたが、やがて椅子に座った。
「私は商人です。命令書が本物かどうかは、役所が確かめることでしょう」
「役所も確かめた」
「だったら、どうして私が責められるんです。何を信じて商売しろというんですか」
オスカーは答えられなかった。
窓の外では、鍛冶屋の槌の音が続いていた。
*
フォルケン領主は、王国からの問い合わせに対して、軍需物資を正式に受領したと回答した。
城砦の役所には、受領命令と照合記録が残されていた。
領主は、ケルネリア王国の臣下であると同時に、古くから独自の裁判権と通行税徴収権を持つ家柄だった。
エドリクによる統一以前、フォルケン領はカレント川の渡河地点を支配し、東西の商人から通行税を取っていた。ケルネリアへの臣従後も、その権利の一部は認められていた。
しかし、近年はエスロディアとの交易が増え、領主は両国の間で微妙な立場に置かれていた。
アルベリクは、フォルケン領主に物資の返還と関係者の引き渡しを命じた。
領主は返還交渉には応じたが、正規の命令書に従った家臣や商人を処罰することは拒否した。
王都では、領主が王命に背いたとして軍を派遣すべきだという意見が強まった。
一方、エスロディアは、ケルネリアが古くからの領邦の権利を侵害していると非難した。
フォルケン領の市場では、ケルネリアの兵が来るという噂が広がり、商人たちは荷をまとめ始めた。
ルーデンも商売の旅へ戻ろうとしたが、オスカーから調査への協力を求められ、しばらく滞在することになった。
ある夕方、二人は宿屋の食堂で向かい合っていた。
「私は、もう商売を続けられないかもしれません」
ルーデンが言った。
「なぜだ」
「王国からは疑われ、仲介人は消え、代金も払われない。これでは次の荷を買えません」
オスカーは杯を置いた。
「わしも、倉庫を預かり続けられるか分からん」
ルーデンは顔を上げた。
「あなたも?」
「鉄がなくなった責任は、誰かが取らなければならん」
「でも、命令書は正式だったんでしょう」
「そうだ」
ルーデンは苦笑した。
「妙な話ですね」
「まったくだ」
その夜、カレント川の北岸で、ケルネリアの巡察兵とフォルケン領の兵が衝突した。
死者は三人だった。
翌朝、王都へ向かう急使が街道を駆け抜けていった。




