王都の裁定
アルベリク一世がセヴェルの報告書を読み終えたとき、王宮の中庭では馬の蹄を洗う音がしていた。
国王は窓を開け、庭を見下ろした。
厩舎の前には旅装のままの騎士が三人おり、馬丁たちが泥に汚れた馬の脚を調べている。ポルタから急使が到着したのは一刻ほど前だった。
「この報告を書いた監督官は、いくつだ」
国王が尋ねると、傍らの書記官が答えた。
「三十になったばかりと聞いております」
「若いな」
「王都の法学校では、優秀な学生だったそうです」
「優秀な学生は、たいてい優秀な役人になる前に、周囲の者を怒らせる」
書記官は返事をしなかった。
アルベリクは報告書を机に戻した。
「だが、書いてあることは分かる。命令書が偽物なら、偽物を見抜けばよい。記録が間違っているなら、記録を正せばよい。ところが、命令書も記録も一致していて、命令を出した者だけがいない」
「はい」
「この男は、王国の役所を信用するなと言っているのか」
「そこまでは書いておりません」
「書いていないだけだろう」
国王は椅子に腰を下ろした。
父エドリクが王国を築いたころ、諸領邦の役人たちは互いの印章を信用しなかった。
ある土地で認められた商人が、隣の土地では盗賊同然に扱われることさえあった。
エドリクはそれを改めた。
王国の印章を押された文書は、王国のどこでも効力を持つ。
その原則によって、商人は安心して荷を運べるようになり、軍隊も遠方の倉庫から食糧を受け取れるようになった。
いま、その仕組みが疑われている。
「明日の評議会に、軍務官と財務官を呼べ。それから法務官もだ」
「ポルタの監督官はいかがいたしましょう」
「本人を呼ぼう。報告書の続きを聞きたい」
「到着には六日ほどかかります」
「それなら七日後だ。それまでに、同じような事件がほかにないか調べさせろ」
書記官が退出したあと、アルベリクはもう一度報告書を開いた。
末尾には、セヴェルの筆跡で次のように書かれていた。
──文書の真正と命令の正当とは、同一のものではない。
国王はその一文に指を置いた。
父なら、これを読んで何と言っただろう。
*
七日後、王宮の評議室には、いつもより多くの椅子が並べられていた。
セヴェルは長旅の疲れを隠しながら、末席に座っていた。向かいには軍務官、財務官、法務官が並び、机の中央にはポルタから運ばれた命令書と照合票の写しが置かれている。
「では、古い証文をすべて無効にすればよいのではないか」
軍務官が言った。
セヴェルは首を横に振った。
「それでは問題は解決しません。王都近郊で起きた事件では、古い通行証が使われておりません」
「ならば、古い命令書の形式を廃止する」
「新しい形式の命令書でも、発行記録が不正に作られれば同じことです」
軍務官は眉をひそめた。
「君は何を言いたいのだ。王国の印章を信用するなというのか」
「印章だけを信用してはならない、と申し上げています」
「同じことではないか」
「違います」
セヴェルは机に置かれた命令書を手に取った。
「この文書には、三年前に退職した役人の名が記されています。印章は正式なものです。文書番号も帳簿と一致しています。しかし、その役人には、現在、命令を出す権限がありません」
「それは当然だ」
「ところが、文書室では正式な命令として扱われました。発行者の名前と記録が一致したからです」
法務官が口を挟んだ。
「報告書にある、差し戻された文書の問題だな」 「はい。最初の受付で確認された発行者の資格が、再提出された書類にもそのまま引き継がれていました。ポルタでは、同じ手続きで別の命令書が発行されかけることを確認しています」
「それについては、すでに手続きを改めさせたのだろう」
「軍需物資に関する命令については、暫定的に。ただし、ほかの都市でも同じ方法が使われている可能性があります」
アルベリクが尋ねた。
「文書室の者が、命令書の内容を確かめなかったのはなぜだ」
「最初の受付で発行者の確認が済んでいれば、再提出の際には、その確認をやり直さない慣行があったためです」
「その慣行を利用した者がいるわけだな」
「そう考えています。ただし、誰が仕組んだのかは、まだ分かっておりません」
法務官は報告書を閉じた。
「ならば、まずその慣行を廃止すればよい。差し戻された書類を再提出するときは、発行者の資格と命令の内容を改めて確かめる。退職者の名簿も整理する。それでポルタと同じ手口は防げるだろう」
「はい。しかし、北の城砦では現職の補佐官の名義も使われています。発行者に権限があることと、その人物が実際に命令を出したことは、別の問題です」
法務官は眉をひそめた。
「では、印章と発行記録がそろっていても、本人に確かめるほかないというのか」
「少なくとも、軍需物資や国庫に関わる命令については」
財務官がため息をついた。
「そんなことをすれば、王国中の倉庫が止まるぞ」
セヴェルは答えなかった。
財務官は続けた。
「ポルタの倉庫で鉄が二百本なくなったことは承知している。しかし、その二百本を守るために、王国中の商人を何日も待たせるのか。荷車一台が止まれば、御者も馬も食わねばならん。商人は損失を取り戻すために値を上げる。結局、軍が買う鉄まで高くなる」
「それでも、不正な命令を放置するわけにはまいりません」
「放置しろとは言っていない。どこまで確かめれば十分なのかを聞いている」
セヴェルは返答に詰まった。
ポルタでは、命令書と帳簿が一致していた。ならば、さらに別の帳簿と照合すればよいのか。
しかし、その帳簿まで同じように書き換えられていたらどうする。
「発行者本人に確認する方法があります」
「本人が遠征中なら?」
軍務官が尋ねた。
「代理の者を定めます」
「代理人が戦死していたら?」
「その場合は、さらに上位の権限者が」
「敵が城門に迫っているときに、その上位の者を探すのか」
評議室が静かになった。
アルベリクは、それまで黙って話を聞いていた。
「セヴェル」
「はい、陛下」
「おまえの考える制度なら、あの鉄は盗まれずに済んだか」
セヴェルは少し考えた。
「南倉庫については、防げた可能性が高いと考えます」
「可能性か」
「はい。必ず防げたとは申し上げられません」
「では、同じことが起きたとき、必ず防げる制度を作れるか」
「分かりません」
軍務官が鼻を鳴らした。
しかし、国王は怒らなかった。
「よろしい。分からないことを分からないと言えるなら、まだ話はできる」
アルベリクは机の上の命令書を指した。
「差し戻された文書の再確認については、ポルタだけでなく、王国のすべての文書室に命じる。発行者の名簿も、退職や異動の記録と照らし合わせて改めさせろ」
法務官が頷いた。
「承知いたしました」
「それから、軍需物資の搬出について、発行者の権限を確認する制度を設ける。ただし、王国全土で一度に始めることはしない。ポルタと王都、それから国境の主要な倉庫で試す」
財務官が顔を上げた。
「期間は」
「半年だ」
「その間に不都合が起きれば?」
「改める」
軍務官が言った。
「緊急時の扱いはどうなさいます」
「現地の指揮官に一定の裁量を認める。ただし、事後に必ず報告させる」
「裁量の範囲は」
「おまえたちで案を作れ」
アルベリクはセヴェルに向き直った。
「おまえも加われ。ポルタで何が起きたかを、一番よく知っているのだろう」
「承知いたしました」
「それから、もう一つ」
国王は机の上に手を置いた。
「新しい規則を作っただけで、事件が終わったと思うな。持ち出された鉄は、まだ戻っていない」
*
ポルタに戻ったセヴェルを待っていたのは、歓迎ではなく苦情だった。
商人組合は通行証の再確認に不満を募らせており、市庁舎には毎日のように抗議の使者が来ていた。
南倉庫では、オスカーが新しい命令確認の手順を読んでいた。
「これを全部やるのか」
「軍需物資の搬出については」
セヴェルが答えた。
「発行者の名前を確認して、現在の役職を調べて、権限が有効かどうかを確かめる。それから命令番号を記録する」
「はい」
「いままでの倍は時間がかかるな」
「最初はそうなると思います」
オスカーは紙を机に置いた。
「それで、また何か盗まれたら?」
「手続きを改めます」
「盗まれるたびに規則が増えるのか」
セヴェルは苦笑した。
「そうならないようにしたいのですが」
「わしもそう願うよ」
オスカーは窓の外を見た。
倉庫の前には、荷車が三台並んでいた。御者たちは車輪のそばに座り込み、順番が来るのを待っている。
「ところで、ルーデンはどうなった」
セヴェルは顔を上げた。
「まだ見つかっていません」
「荷を持ち出した本人だぞ」
「東方へ向かったという話はありますが、その先が分かりません」
「誰も追っていないのか」
「市の警吏が調べています」
「警吏が街道の宿屋を二、三軒回ったところで、何が分かる」
オスカーは立ち上がった。
「わしが調べる」
「あなたが?」
「十七年も倉庫を預かっている。荷がどこへ行くかくらい、役所の人間よりよく知っている」
「勝手に国境まで行かれては困ります」
「誰が国境まで行くと言った」
オスカーは帳簿を閉じた。
「まず、あの荷車を引いていた御者を探す。それくらいは許されるだろう」
セヴェルはしばらく考え、頷いた。
「分かったことがあれば、必ず知らせてください」
「もちろんだ」
オスカーは机の引き出しから古い帳簿を取り出した。
「盗まれた鉄には、一本ずつ倉庫の刻印がある。鋤の刃にもな。どこかで売られていれば、見分けがつく」
その三日後、北方の軍営から、正式な補給命令が新しい照合手続きによって差し止められたとの報告が届いた。
軍営では食糧の不足が始まっていた。
セヴェルは報告を読み、急いで王都へ使いを出した。
新しい制度は、まだ一度も不正な命令を見つけていなかった。
しかし、正しい命令を止めることには、すでに成功していた。




